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とある青年と少女
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その日、ヘルゲイ・スタンレーは少しばかり虫の居所が悪かった。
「親父、酒をくれ」
「おいおい‥。オメーよ、そろそろやめにした方がいいんじゃねーかな。一体これで何杯目か分かってるか?」
「うるせぇ、いいんだよ。アンタは酒をもってくるのが仕事だろう?ならここは客の言うことを聞くってのが筋だ」
彼は村の酒場に昼間から入り浸り、度数の高いアルコールを嗜んでいた。
その証左として、きつい酒精の香りがこの場を漂っている。
「わぁーったよ。ったく、こんなんでも仕事は出来るんだから世も末だぜ」
「うるせぇ」
そして再び店主からもたらされた苦言の様なお節介に一言だけそう鬱陶しげに返して卓上の盃を呷る。
琥珀色の液体を口内へと流し込み、日々の鬱憤を晴らす。
けれどそれは所詮現実逃避に他ならない。
何故ならば所詮酒に逃げるのも欺瞞であり、心底ではそれが代替にしかならぬと悟っているからだった。
彼とてアルコールを入れるのは己の弱さであるとの自覚はある。
だからこそより一層自罰的となり、心中は暗澹に暮れていた。
「余計なお世話だと思うがよ。幼馴染のエルルちゃん、不幸にはしてやるなよ。本人は浮気だって許してくれたんだろう?」
そう、ヘルゲイは身体の弱い病弱な己の妻とは別に、肉体関係を結んでしまった相手が居た。
無論婚約をしている手前、相手から迫ってきた為の一夜限りの過ちだ。
だが不幸な事に相手の女はこの村出身であり、事が露呈するのは自明であった。
「ああ‥。分かってるさ。俺だってそうしたい。だが、その浮気相手の両親が言ってくるんだ。ウチの娘の純潔を散らしたのだから娶れとな」
「なに?確か例の押し掛けてきた奴らだったか?また親が出張ってきてるのか‥」
そう、というのもヘルゲイが酔った勢いで一夜を共にした相手はその翌日のうちに両親を伴い連れてきた。
このあまりに流れる様な展開に、恐らく予め計画立てられていたのであろうと誰から見ても明らかだ。
けれど相手の計略にまんまと嵌り、ヘルゲイの不手際があったのもまた事実である。
「それでエルルちゃんとは顔を合わせ辛くてここにいると。嬢ちゃんが起きない朝の内に魔物を狩って、それからはずっと酒場に入り浸りとはな」
「っせーな。耳が痛いんだよ。まさか俺も酒に飲まれるとはな‥。本当ならこんなもの飲みたくも無いさ。だが皮肉な事にこの有様だ」
その言の通り、ヘルゲイの父は酒乱であり母親はそれも相まってか蒸発した。
故に彼は本来アルコールという物に嫌悪を抱いていた筈が、それに嵌められた挙句、現在はこうして酒場に入り浸る様になっていた。
彼自身お笑い草だと思う。
己はアルコールに溺れる父を忌避していたのにも関わらず、それと同様の末路を辿ろうとしているのだから片腹痛い。
「お前の親父の事は俺だって知っている。勿論アイツをお前がどう思っているのかもな。だからこそお前にはエルルちゃんを幸せにして欲しいんだ。飲むなっつってんじゃねー。ほどほどにしとけよ」
「わかってるさ。これ以上は明日の仕事に差し障る」
何のために剣の腕を磨き、そして一流と称して遜色ない上級冒険者へと上り詰めたのか。
それは酒に破滅した父とは己は違う。
そう思いたかった一心で、日夜魔物を殺し続けた。
そしてエルルという幼馴染の少女との婚約を交わし、幸せにしてみせると誓った。
これで確かな己自身を証明出来ると思っていた矢先、人生を阻む障害と遭遇したのだ。
だからこそ己はここで挫けるわけにはいかない。
否、必ず乗り越えて見せる、そう心に決めた筈なのに、現状は手詰まりだった。
「それじゃあ、その酒は他の奴にでもやってくれ。金はこれでいいだろう?」
「あいよ。って、これ金貨じゃねーか。こんなの釣りがねーよ。返すぜ」
「いや、いい。迷惑掛けたからな。どうせ金は掃いて捨てる程あるんだ」
本来であればそれはエルルとの式を挙げる為の物であり、将来生まれてくる子供に与える筈だった。
けれどもうヘルゲイの過ちが、エルルとその家族からの信用を失わせていた。
「かーッ、お前さん相当重症だぜ。野郎よりテメェの女の為に使えよ」
とはいえヘルゲイの心中など知る由も無く、酒場の店主は顔に手をやって何処か呆れながら、金貨を突き返してきた。
「おい、今日はそれしか持ち合わせがない。細かいのは嵩張るんだ」
「あぁ?はぁ‥、しゃーねーな。なら今日はツケにしといてやるからその代わり、エルルちゃんに会いに行ってやれよ」
「‥‥‥‥」
ガハハと酒場の店主はその巨漢に違わぬ陽気でいて豪快な笑みを一つ。
次いで芝居掛かった素振りでそう語ると、ヘルゲイの背を勢いよく叩いた。
これには彼も店主の胸中を読んで悟る。
恐らく最初からこの流れを思い描き、ヘルゲイが切り上げた所でここぞとばかりに実行したのだろう。
「ああ、わかった」
とはいえこの酒場の店主とてヘルゲイのためを思っての事だろう。
故にそれを一方的に無碍にも出来ず、一つ頷いてみせた。
彼にとってエルルに元に行くのは最早厭うべき事ではあるが、その心中を第三者に吐露した所で致し方無い。
「じゃあな」
「おうよ。しっかりな」
そう互いに交わすと、ヘルゲイは腰掛けていた椅子から立ち上がり、踵を返して酒場を後とした。
*
「ヘルゲイさぁん。寄って行かないですかぁ?」
不意に歩いていると、娼婦から声が与えられた。
どうやら傍目にも酔っているのが理解出来るヘルゲイを見て、カモだと認識した様だ。
それで声を掛けてきたのであろう。
「いや、遠慮しておこう」
とはいえ流石の彼にもまだ良識は残っていた。
だから呼び止められたとて、その歩みを止める事はない。
「残念ですぅ。でも気が向いたらぜひわたしのお部屋にぃ、遊びに来てくださいねぇ」
「ああ、後々な」
そして再びの誘惑を聞き流しながら、取り敢えず静かな場所に行きたかった。
横目に人々の通りを外れ、近場に澄んだ空気の泉があるのを想起した。
ほとりへと足を運ばせたヘルゲイは雑踏から逃れ、喧騒を背に道を逸れた。
そして暫くすると見えてきたのは鬱蒼と生え揃う青々とした木々が乱立した場所だ。
其処を超えるとまるで泉を囲む様、草花が咲き誇るほとりへと辿り着く。
甘い蜂蜜の如き香りがヘルゲイの鼻腔をつき、先程口とした酒精を失わせる。
それはアルコールに汚れた己が浄化されていく様だった。
「だれ?」
と、森林を抜けて大きく拓けた湖の光景に自ずと見惚れていると、不意に声が与えられる。
どうやら冒険者という常に死と隣り合わせの職業に就きながら、彼とした事が不覚にも他者の気配を見逃していたらしい。
思わず見入ってしまっていた泉から視線を離し、声の出所へと顔を向けた。
「君は‥ここらでは見ない顔だ。何処から来たのかな?」
「むこう」
そして再びヘルゲイは意識を虜にされた。
何故ならばそれ程までに声の主は驚愕に値する存在であったからだ。
そう、視線を向けたその先に佇んでいた少女は、氷の様に冷たい美貌をしていた。
艶かしい睫毛が綺麗に生え揃う、切長で伏目がちな、まるで宝石の如く美しい碧眼に、人形の様に整った顔立ち。
彼女は純白のワンピースをその身に纏い、輝かしい長髪を風に流している。
艶やかな光沢のあるプラチナブロンドには否が応にも視線を惹いた。
「向こうって、街の方から来たのか。ここまでよく魔物に襲われなかったね」
「‥ん」
塀に囲まれたこの村まで一応道は整備されてはいるとはいえど、それも完全では無い。
ましてやその途中で危害を加えてくる魔物以外にも、盗賊やらの輩に襲われたらひとたまりもないだろう。
にも関わらず現に少女はこの場所に一人だった。
「君はここで一体なにをしていたんだろう?」
「‥これ」
それが気になりヘルゲイは少女へと純粋な疑問として問い掛けた。
「それは薬草か」
「そう」
「成程確かに採取にはここが適しているか」
そして少女の受け答えに対して、得心したとでも言わんばかりに頷いた。
「しかし‥。ここは相変わらずだな」
次いで改めて辺りの光景を見渡して、その広大な自然に目を細めた。
絶景と称するべきなのだろう。
ヘルゲイは己が居るこの澄んだ空気の泉を、平素より居心地良く思った。
まるで同所は外界とは隔絶されているかの様に神秘的だ。
「だいじょうぶ?」
「いや、何でもないんだ。ただ、良い景色だと思ってね」
「‥ん、そう」
そう二人は言葉を交わした後に、互いに視線を交錯させた。
眼前の少女の宝石の如き清廉な碧眼は、ヘルゲイを真正面から見据え、輝きを宿していた。
そんな少女の穢れなき双眸に、自ずと気圧されてしまう。
「どうしたの?」
「名前を、教えて欲しい」
少女と相対していると、まるで己の罪が暴かれてゆくかの如き錯覚を得た。
「なまえ?」
「ああ」
ヘルゲイの唐突と言って良い要求に、少女は可愛らしく小首を傾げた。
ただそれも一瞬の事で、すぐさま返答がもたらされる。
「シャーロット」
「シャーロットか。それが君の名か」
「そう」
そんな一連のやり取りを経て、最早語る言葉をヘルゲイは持ち合わせていなかった。
それもその筈、互いに年齢が離れているのもそうだが、彼の職業が少女趣味からは程遠いのも相まって、何を言うべきか上手い話題が浮かばなかった。
一般的に冒険者などをやっていれば、必然的に日々死との隣り合わせとなる為、自然と本能が研ぎ澄まされて無駄を削ぎ落とす。
だからだろうか。
生活に必要な習慣以外は行わず趣味など以ての外で、嗜む事はない。
それは一流のヘルゲイとて例外ではなく、彼は凡そ余暇の時間というものを酒場で過ごす以外に持ち合わせていなかった。
故に、情けなくも己から話題の提供など出来そうにもなく、相手の少女からの言葉を否が応にも期待した。
と、無論彼の内心を読んだ訳では無いのだろうが、そんなヘルゲイを他所に不意にシャーロットからあどけなさの残る、舌ったらずな声が与えられた。
「あなたも、きょうみがある?」
静謐な泉のほとりに沈黙が訪れたのも束の間の事である。
そう砂糖菓子みたいな甘ったるい声で、その手に花を摘み少女は言った。
それを見てヘルゲイは思考した。
確かその花の蜜は傷口を保護する為に、神官等の間でも重宝されていた筈。
「プロレンの蜜を集めてるのか?」
「そう。これはやくにたつ」
「そうか随分と詳しいんだな。もしかして修道女見習いなのか?」
「‥ん。そうだよ」
─やはりか
ヘルゲイの見立ては間違っていなかった。
何せ少女が身に纏うワンピースの襟から僅かではあるが法衣が透けて見える。
冒険者という職業柄、如何にも相手をつぶさに観察する癖の様なものがついてしまっていた。
すると、どうやらヘルゲイに知識があるのを知って、次いで再びシャーロットが問うてくる。
「‥くわしい?」
「あぁ‥。薬草には多少の知見がある。だが君程では無いだろうな。確か修道女というのは膨大な量の植物学なども学ぶのだろう?」
「‥たしかにそう」
「なら俺の付け焼き刃の知識よりも、一から学んだ君の方が余程誤りが無い。それで良いというならそうだな、何かまだ履修していない所でも話そうか?」
「ん、それでかまわない」
先程までは気怠げな印象のある少女であったが、今度は何処かヘルゲイに被せ気味に受け答えてきた。
もたらされた返事にヘルゲイはそれ程までにこのシャーロットという少女が勉学に熱心なのだという事を悟る。
無論ヘルゲイも、冒険において扱う知識の方が、一般の少女達が嗜む趣味より遥かに語りやすい。
それも相まって彼は饒舌になり始めた自身を自覚していた。
先程に酒を入れたお陰というのも手伝って、平素よりも口が回る。
「それなら今君の足元に生えているのがあるだろう?その青色の葉のやつだ」
「これ?」
「そうだ。それはデイシオンの葉といって、傷口の消毒に使える。プロレンの蜜を塗る前に液を絞るんだ」
「そうなんだ」
などと互いに言葉を交わし合い、ヘルゲイは久々に他者との深い交流を持った。
何せ鬱憤を晴らす為に魔物を狩っては酒に溺れる日々であったので、人との触れ合いがどうやら疎かになっていた様だ。
それも相まってか、彼は夢中で己の知り得る事を披露して見せた。
とはいえ一方的にヘルゲイが草花についての知識を語っている感も否めないが。
シャーロットがそれに相槌を打つという、何処か教師と生徒の立場を想起させる光景だ。
側から見ればまるで少しばかり年若い父親が、娘に教育を施している様。
「すごい」
「いや、そうでも無いさ。言っただろう?俺はあくまで聞き齧りの知識だと。君等みたいな本職には到底及ばない。ただ少しばかり君より長く生きて経験を積んでいるだけさ」
「ん、とてもたのしかった」
「それは重畳。俺もこんなに有意義な時間を過ごしたのはいつぶりかな‥」
確かそれはエルルと自分達の将来について語り合った時以来だっただろうか。
しかしながらそれも過去の事。
今となってはヘルゲイの信頼は地に落ち、後に残るのは己の冒険者としての稼ぎ目的に言い寄ってきただけの女のみである。
酒場の店主は二人のよりを戻そうとしてくるが、最早エルルの両親からは絶縁を言い渡されている。
当然だ。
例え酒に酔っていたとはいえ、その不慮の事故を招き、あまつさえ婚約を交わしている身でありながら、エルル以外の女性の純潔をヘルゲイは散らしたのだ。
ならば一方的に縁を切られたといえど、なんらおかしな事では無い。
寧ろ必然と言えよう。
だがヘルゲイはその時酒に飲まれていた為記憶が無く、まさかこれまでその様な醜態一度も無かった彼であるから、今となっては後悔も一入だろうか。
本来であれば薬でも盛られなければ意識を飛ばすなど彼に限ってあり得ない話だが、既に起こってしまった出来事は過去の事。
故に事の真相は闇の中である為、今更確かめようが無いというのが無情にもヘルゲイの道を阻むかの如く障害として聳え立つ現実であった。
何故己はこうなのだと幾度も自罰的になった。
けれどもそれでどうにかなる筈も無く、ヘルゲイに名誉挽回の機会は与えられなかった。
「どうしたの?」
すると深く考え込んでしまっていたのか、また少女から声が与えられた。
「‥いや。少しばかり考え事をな」
「なやみ?」
「ああ、まぁその様なものだ」
まるでヘルゲイの表情を覗き込むかの様に、下からシャーロットは問うてくる。
「はなして」
次いでそう上目遣いでヘルゲイを見据えると、少女は心中の吐露を促してきた。
「だが‥」
「だいじょうぶ」
まさか問われたとはいえど、その内容が内容なだけに、未だ歳幼い少女相手に相談する訳にもいかない。
要求にヘルゲイは躊躇うが、まるでそうはさせないとでも言わんばかりにシャーロットは言った。
けれど、些か強引ではあるものの、少女の声色はヘルゲイを安心させる様、暖かみが感じられた。
するとどうだろうか。
「わかった。それなら君に聞いて欲しい」
「‥ん。いいよ」
先程までは重たかったヘルゲイの硬い口の結び目がたちまち解けでもしていくかの様に、彼は訥々と語り始めたのであった。
その姿は傍目から見て、まるで神に己の冒した罪を告白し、そして懺悔する咎人の様であった。
「親父、酒をくれ」
「おいおい‥。オメーよ、そろそろやめにした方がいいんじゃねーかな。一体これで何杯目か分かってるか?」
「うるせぇ、いいんだよ。アンタは酒をもってくるのが仕事だろう?ならここは客の言うことを聞くってのが筋だ」
彼は村の酒場に昼間から入り浸り、度数の高いアルコールを嗜んでいた。
その証左として、きつい酒精の香りがこの場を漂っている。
「わぁーったよ。ったく、こんなんでも仕事は出来るんだから世も末だぜ」
「うるせぇ」
そして再び店主からもたらされた苦言の様なお節介に一言だけそう鬱陶しげに返して卓上の盃を呷る。
琥珀色の液体を口内へと流し込み、日々の鬱憤を晴らす。
けれどそれは所詮現実逃避に他ならない。
何故ならば所詮酒に逃げるのも欺瞞であり、心底ではそれが代替にしかならぬと悟っているからだった。
彼とてアルコールを入れるのは己の弱さであるとの自覚はある。
だからこそより一層自罰的となり、心中は暗澹に暮れていた。
「余計なお世話だと思うがよ。幼馴染のエルルちゃん、不幸にはしてやるなよ。本人は浮気だって許してくれたんだろう?」
そう、ヘルゲイは身体の弱い病弱な己の妻とは別に、肉体関係を結んでしまった相手が居た。
無論婚約をしている手前、相手から迫ってきた為の一夜限りの過ちだ。
だが不幸な事に相手の女はこの村出身であり、事が露呈するのは自明であった。
「ああ‥。分かってるさ。俺だってそうしたい。だが、その浮気相手の両親が言ってくるんだ。ウチの娘の純潔を散らしたのだから娶れとな」
「なに?確か例の押し掛けてきた奴らだったか?また親が出張ってきてるのか‥」
そう、というのもヘルゲイが酔った勢いで一夜を共にした相手はその翌日のうちに両親を伴い連れてきた。
このあまりに流れる様な展開に、恐らく予め計画立てられていたのであろうと誰から見ても明らかだ。
けれど相手の計略にまんまと嵌り、ヘルゲイの不手際があったのもまた事実である。
「それでエルルちゃんとは顔を合わせ辛くてここにいると。嬢ちゃんが起きない朝の内に魔物を狩って、それからはずっと酒場に入り浸りとはな」
「っせーな。耳が痛いんだよ。まさか俺も酒に飲まれるとはな‥。本当ならこんなもの飲みたくも無いさ。だが皮肉な事にこの有様だ」
その言の通り、ヘルゲイの父は酒乱であり母親はそれも相まってか蒸発した。
故に彼は本来アルコールという物に嫌悪を抱いていた筈が、それに嵌められた挙句、現在はこうして酒場に入り浸る様になっていた。
彼自身お笑い草だと思う。
己はアルコールに溺れる父を忌避していたのにも関わらず、それと同様の末路を辿ろうとしているのだから片腹痛い。
「お前の親父の事は俺だって知っている。勿論アイツをお前がどう思っているのかもな。だからこそお前にはエルルちゃんを幸せにして欲しいんだ。飲むなっつってんじゃねー。ほどほどにしとけよ」
「わかってるさ。これ以上は明日の仕事に差し障る」
何のために剣の腕を磨き、そして一流と称して遜色ない上級冒険者へと上り詰めたのか。
それは酒に破滅した父とは己は違う。
そう思いたかった一心で、日夜魔物を殺し続けた。
そしてエルルという幼馴染の少女との婚約を交わし、幸せにしてみせると誓った。
これで確かな己自身を証明出来ると思っていた矢先、人生を阻む障害と遭遇したのだ。
だからこそ己はここで挫けるわけにはいかない。
否、必ず乗り越えて見せる、そう心に決めた筈なのに、現状は手詰まりだった。
「それじゃあ、その酒は他の奴にでもやってくれ。金はこれでいいだろう?」
「あいよ。って、これ金貨じゃねーか。こんなの釣りがねーよ。返すぜ」
「いや、いい。迷惑掛けたからな。どうせ金は掃いて捨てる程あるんだ」
本来であればそれはエルルとの式を挙げる為の物であり、将来生まれてくる子供に与える筈だった。
けれどもうヘルゲイの過ちが、エルルとその家族からの信用を失わせていた。
「かーッ、お前さん相当重症だぜ。野郎よりテメェの女の為に使えよ」
とはいえヘルゲイの心中など知る由も無く、酒場の店主は顔に手をやって何処か呆れながら、金貨を突き返してきた。
「おい、今日はそれしか持ち合わせがない。細かいのは嵩張るんだ」
「あぁ?はぁ‥、しゃーねーな。なら今日はツケにしといてやるからその代わり、エルルちゃんに会いに行ってやれよ」
「‥‥‥‥」
ガハハと酒場の店主はその巨漢に違わぬ陽気でいて豪快な笑みを一つ。
次いで芝居掛かった素振りでそう語ると、ヘルゲイの背を勢いよく叩いた。
これには彼も店主の胸中を読んで悟る。
恐らく最初からこの流れを思い描き、ヘルゲイが切り上げた所でここぞとばかりに実行したのだろう。
「ああ、わかった」
とはいえこの酒場の店主とてヘルゲイのためを思っての事だろう。
故にそれを一方的に無碍にも出来ず、一つ頷いてみせた。
彼にとってエルルに元に行くのは最早厭うべき事ではあるが、その心中を第三者に吐露した所で致し方無い。
「じゃあな」
「おうよ。しっかりな」
そう互いに交わすと、ヘルゲイは腰掛けていた椅子から立ち上がり、踵を返して酒場を後とした。
*
「ヘルゲイさぁん。寄って行かないですかぁ?」
不意に歩いていると、娼婦から声が与えられた。
どうやら傍目にも酔っているのが理解出来るヘルゲイを見て、カモだと認識した様だ。
それで声を掛けてきたのであろう。
「いや、遠慮しておこう」
とはいえ流石の彼にもまだ良識は残っていた。
だから呼び止められたとて、その歩みを止める事はない。
「残念ですぅ。でも気が向いたらぜひわたしのお部屋にぃ、遊びに来てくださいねぇ」
「ああ、後々な」
そして再びの誘惑を聞き流しながら、取り敢えず静かな場所に行きたかった。
横目に人々の通りを外れ、近場に澄んだ空気の泉があるのを想起した。
ほとりへと足を運ばせたヘルゲイは雑踏から逃れ、喧騒を背に道を逸れた。
そして暫くすると見えてきたのは鬱蒼と生え揃う青々とした木々が乱立した場所だ。
其処を超えるとまるで泉を囲む様、草花が咲き誇るほとりへと辿り着く。
甘い蜂蜜の如き香りがヘルゲイの鼻腔をつき、先程口とした酒精を失わせる。
それはアルコールに汚れた己が浄化されていく様だった。
「だれ?」
と、森林を抜けて大きく拓けた湖の光景に自ずと見惚れていると、不意に声が与えられる。
どうやら冒険者という常に死と隣り合わせの職業に就きながら、彼とした事が不覚にも他者の気配を見逃していたらしい。
思わず見入ってしまっていた泉から視線を離し、声の出所へと顔を向けた。
「君は‥ここらでは見ない顔だ。何処から来たのかな?」
「むこう」
そして再びヘルゲイは意識を虜にされた。
何故ならばそれ程までに声の主は驚愕に値する存在であったからだ。
そう、視線を向けたその先に佇んでいた少女は、氷の様に冷たい美貌をしていた。
艶かしい睫毛が綺麗に生え揃う、切長で伏目がちな、まるで宝石の如く美しい碧眼に、人形の様に整った顔立ち。
彼女は純白のワンピースをその身に纏い、輝かしい長髪を風に流している。
艶やかな光沢のあるプラチナブロンドには否が応にも視線を惹いた。
「向こうって、街の方から来たのか。ここまでよく魔物に襲われなかったね」
「‥ん」
塀に囲まれたこの村まで一応道は整備されてはいるとはいえど、それも完全では無い。
ましてやその途中で危害を加えてくる魔物以外にも、盗賊やらの輩に襲われたらひとたまりもないだろう。
にも関わらず現に少女はこの場所に一人だった。
「君はここで一体なにをしていたんだろう?」
「‥これ」
それが気になりヘルゲイは少女へと純粋な疑問として問い掛けた。
「それは薬草か」
「そう」
「成程確かに採取にはここが適しているか」
そして少女の受け答えに対して、得心したとでも言わんばかりに頷いた。
「しかし‥。ここは相変わらずだな」
次いで改めて辺りの光景を見渡して、その広大な自然に目を細めた。
絶景と称するべきなのだろう。
ヘルゲイは己が居るこの澄んだ空気の泉を、平素より居心地良く思った。
まるで同所は外界とは隔絶されているかの様に神秘的だ。
「だいじょうぶ?」
「いや、何でもないんだ。ただ、良い景色だと思ってね」
「‥ん、そう」
そう二人は言葉を交わした後に、互いに視線を交錯させた。
眼前の少女の宝石の如き清廉な碧眼は、ヘルゲイを真正面から見据え、輝きを宿していた。
そんな少女の穢れなき双眸に、自ずと気圧されてしまう。
「どうしたの?」
「名前を、教えて欲しい」
少女と相対していると、まるで己の罪が暴かれてゆくかの如き錯覚を得た。
「なまえ?」
「ああ」
ヘルゲイの唐突と言って良い要求に、少女は可愛らしく小首を傾げた。
ただそれも一瞬の事で、すぐさま返答がもたらされる。
「シャーロット」
「シャーロットか。それが君の名か」
「そう」
そんな一連のやり取りを経て、最早語る言葉をヘルゲイは持ち合わせていなかった。
それもその筈、互いに年齢が離れているのもそうだが、彼の職業が少女趣味からは程遠いのも相まって、何を言うべきか上手い話題が浮かばなかった。
一般的に冒険者などをやっていれば、必然的に日々死との隣り合わせとなる為、自然と本能が研ぎ澄まされて無駄を削ぎ落とす。
だからだろうか。
生活に必要な習慣以外は行わず趣味など以ての外で、嗜む事はない。
それは一流のヘルゲイとて例外ではなく、彼は凡そ余暇の時間というものを酒場で過ごす以外に持ち合わせていなかった。
故に、情けなくも己から話題の提供など出来そうにもなく、相手の少女からの言葉を否が応にも期待した。
と、無論彼の内心を読んだ訳では無いのだろうが、そんなヘルゲイを他所に不意にシャーロットからあどけなさの残る、舌ったらずな声が与えられた。
「あなたも、きょうみがある?」
静謐な泉のほとりに沈黙が訪れたのも束の間の事である。
そう砂糖菓子みたいな甘ったるい声で、その手に花を摘み少女は言った。
それを見てヘルゲイは思考した。
確かその花の蜜は傷口を保護する為に、神官等の間でも重宝されていた筈。
「プロレンの蜜を集めてるのか?」
「そう。これはやくにたつ」
「そうか随分と詳しいんだな。もしかして修道女見習いなのか?」
「‥ん。そうだよ」
─やはりか
ヘルゲイの見立ては間違っていなかった。
何せ少女が身に纏うワンピースの襟から僅かではあるが法衣が透けて見える。
冒険者という職業柄、如何にも相手をつぶさに観察する癖の様なものがついてしまっていた。
すると、どうやらヘルゲイに知識があるのを知って、次いで再びシャーロットが問うてくる。
「‥くわしい?」
「あぁ‥。薬草には多少の知見がある。だが君程では無いだろうな。確か修道女というのは膨大な量の植物学なども学ぶのだろう?」
「‥たしかにそう」
「なら俺の付け焼き刃の知識よりも、一から学んだ君の方が余程誤りが無い。それで良いというならそうだな、何かまだ履修していない所でも話そうか?」
「ん、それでかまわない」
先程までは気怠げな印象のある少女であったが、今度は何処かヘルゲイに被せ気味に受け答えてきた。
もたらされた返事にヘルゲイはそれ程までにこのシャーロットという少女が勉学に熱心なのだという事を悟る。
無論ヘルゲイも、冒険において扱う知識の方が、一般の少女達が嗜む趣味より遥かに語りやすい。
それも相まって彼は饒舌になり始めた自身を自覚していた。
先程に酒を入れたお陰というのも手伝って、平素よりも口が回る。
「それなら今君の足元に生えているのがあるだろう?その青色の葉のやつだ」
「これ?」
「そうだ。それはデイシオンの葉といって、傷口の消毒に使える。プロレンの蜜を塗る前に液を絞るんだ」
「そうなんだ」
などと互いに言葉を交わし合い、ヘルゲイは久々に他者との深い交流を持った。
何せ鬱憤を晴らす為に魔物を狩っては酒に溺れる日々であったので、人との触れ合いがどうやら疎かになっていた様だ。
それも相まってか、彼は夢中で己の知り得る事を披露して見せた。
とはいえ一方的にヘルゲイが草花についての知識を語っている感も否めないが。
シャーロットがそれに相槌を打つという、何処か教師と生徒の立場を想起させる光景だ。
側から見ればまるで少しばかり年若い父親が、娘に教育を施している様。
「すごい」
「いや、そうでも無いさ。言っただろう?俺はあくまで聞き齧りの知識だと。君等みたいな本職には到底及ばない。ただ少しばかり君より長く生きて経験を積んでいるだけさ」
「ん、とてもたのしかった」
「それは重畳。俺もこんなに有意義な時間を過ごしたのはいつぶりかな‥」
確かそれはエルルと自分達の将来について語り合った時以来だっただろうか。
しかしながらそれも過去の事。
今となってはヘルゲイの信頼は地に落ち、後に残るのは己の冒険者としての稼ぎ目的に言い寄ってきただけの女のみである。
酒場の店主は二人のよりを戻そうとしてくるが、最早エルルの両親からは絶縁を言い渡されている。
当然だ。
例え酒に酔っていたとはいえ、その不慮の事故を招き、あまつさえ婚約を交わしている身でありながら、エルル以外の女性の純潔をヘルゲイは散らしたのだ。
ならば一方的に縁を切られたといえど、なんらおかしな事では無い。
寧ろ必然と言えよう。
だがヘルゲイはその時酒に飲まれていた為記憶が無く、まさかこれまでその様な醜態一度も無かった彼であるから、今となっては後悔も一入だろうか。
本来であれば薬でも盛られなければ意識を飛ばすなど彼に限ってあり得ない話だが、既に起こってしまった出来事は過去の事。
故に事の真相は闇の中である為、今更確かめようが無いというのが無情にもヘルゲイの道を阻むかの如く障害として聳え立つ現実であった。
何故己はこうなのだと幾度も自罰的になった。
けれどもそれでどうにかなる筈も無く、ヘルゲイに名誉挽回の機会は与えられなかった。
「どうしたの?」
すると深く考え込んでしまっていたのか、また少女から声が与えられた。
「‥いや。少しばかり考え事をな」
「なやみ?」
「ああ、まぁその様なものだ」
まるでヘルゲイの表情を覗き込むかの様に、下からシャーロットは問うてくる。
「はなして」
次いでそう上目遣いでヘルゲイを見据えると、少女は心中の吐露を促してきた。
「だが‥」
「だいじょうぶ」
まさか問われたとはいえど、その内容が内容なだけに、未だ歳幼い少女相手に相談する訳にもいかない。
要求にヘルゲイは躊躇うが、まるでそうはさせないとでも言わんばかりにシャーロットは言った。
けれど、些か強引ではあるものの、少女の声色はヘルゲイを安心させる様、暖かみが感じられた。
するとどうだろうか。
「わかった。それなら君に聞いて欲しい」
「‥ん。いいよ」
先程までは重たかったヘルゲイの硬い口の結び目がたちまち解けでもしていくかの様に、彼は訥々と語り始めたのであった。
その姿は傍目から見て、まるで神に己の冒した罪を告白し、そして懺悔する咎人の様であった。
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