アンバー・カレッジ奇譚

夕霧

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ドルイドとエクソシスト「小説」

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 アンバー・カレッジという宝石の名を冠したその学校はイギリスのとある場所に位置するパブリックスクールだ。 
 ただし、従来の伝統を重んじるパブリックスクールとは異なり、自由な校風を掲げている。
 かつてこの地域を統治していた貴族が残した城を改築した校舎があり、そこを中心に礼拝堂、図書館、博物館、学生寮など価値のある荘厳な建物ばかりが連なっている。
 全寮制の男子校だったが、近年女子も入学できるようになり、男女共学の学校となった。
 これはアンバー・カレッジの10ある寮の内、ベリルハウスの生徒とジェードハウスの生徒から始まる話である。

+++

「ウィスカ・ハーパー、だな?」

 背後から声をかけられ、ウィスカ・ハーパーは振り返った。
 首元で揃えられた明るい茶色の髪がサラリと揺れる。
 授業がすべて終わった放課後、主に16歳から18歳の学生たちが出入りする東棟にはウィスカの他に部活動に走る生徒や放課後を自由に過ごす生徒の姿で溢れている。
 アンバー・カレッジは12歳から入学でき、初年度を第一学年と呼んで進級するごとに数字が上がっていく。
 数えで16歳になるウィスカは第四学年に属していた。
 ウィスカは自分を呼び止めた人物を改めて見た。
 薄い金色の髪に碧眼のウィスカよりやや背の高い生徒だ。
 見たことはあるけれど、名前のわからない生徒だった。
 
「そうだけど…君は?」

「エドアルド・ヴァーリ。お前に用がある」

 問いかけられた生徒、エドアルドはさして気にする様子はなくそう答えた。
 ヴァーリ、という名前を聞いて思い出したことが一つある。
 ヴァーリと言えば、ジェードハウスの秀才と言われている同じ第四学年の生徒だ。
 その秀才が自分になんの用なのだろうか?

「用って、僕に?」

「ああ、すぐに済む話だ。ここじゃ人が多すぎる、付いて来てくれ」

 くるっと背を向けて歩き出したエドアルド。
 その背中をウィスカは迷った末に追いかけることにした。
 放課後は特に予定もないし、もしかしたらステアマスターである自分に用事かもしれない。となれば断る理由はない。
 ステアマスターとは寮に所属する生徒の悩みを聞いて、監督生や寮長に働きかける権限を持った生徒のことだ。いわゆる学級委員のような存在である。
 この学校には学級委員の代わりにステアマスターがいて、生徒の要望を寮長や監督生に伝え、寮や学校の運営を回している。
 自分の寮のステアマスターには相談しずらい悩み事を抱えているのかもしれない。
 そうなれば、ベリルハウスステアマスターとして放っておくことはできない。
 両手にもつ勉強道具を抱えて直し、ウィスカは気合を入れるのだった。

+++

 エドアルドを追ってやってきたのは敷地内にある礼拝堂だった。
 正面の精緻な模様の入った扉を開けて中に潜り込むように入っていく。
 普段なら司祭がいるはずだが、今日は留守にしていたようだ。
 少し薄暗い室内に足を踏み入れたところでエドアルドはウィスカを振り返った。
 ステンドグラスから痛いほどの陽の光が差し込んできて、目が眩みそうになる。
 大理石で出来た十字架から、イエス・キリストがこれから起こることを見守るようにこちらを見つめているようだった。
 エドアルドの表情はステンドグラスから入る光が影になって見えづらい。
 神を背に佇む彼の姿はまるで神の言葉を告げにきた聖道師のようだ。
 その場に満ちる神聖な空気に圧倒されていたウィスカは、思い切って尋ねてみた。

「それで、僕に用事って何かな?」

 この神聖なる場所で話すこととはなんなのか?
 もしや、神にも聞いてもらわなければいけない懺悔だろうか…?
 一体どんな話が飛び出してくるのか検討がつかず、ウィスカは知らず生唾を飲み込んだ。

「単刀直入にいう。……お前、僧侶ドルイドだろ?」

「え……」

 一瞬、鳴ってもいないのに音が鳴った。
 どこか柔らかい部分を踏み抜かれてしまったような音だ。
 呆然とし、それ以上言葉を発せないウィスカをそのままにエドアルドは話進める。

「隠しているつもりなんだろうが、お前から魔力が漏れている。魔力の質から魔術師ではなく、僧侶ドルイドだと判断した」

 僧侶ドルイドとはケルトにおける呪術師のことだ。
 古来から樫の賢者と呼ばれ、予言と儀式を執り行い、嵐を呼び、霧を発生させるなどの魔術を使いこなす。
 5世紀に入り、ケルト人はキリスト教によって弾圧され、最後の砦であったアイルランドの僧侶ドルイドが「僧侶ドルイドはキリストなり」と宣言したことによって僧侶ドルイドは歴史から姿を消した。
 しかし、アイルランドなどの一部地域で僧侶ドルイドの伝承とその秘術は受け継がれ、今日に残った。
 ウィスカはその秘術を受け継いだ僧侶ドルイドの見習いだった。
 アンバー・カレッジを卒業したら僧侶ドルイドの修行に身を投じることになっていた。
 卒業まであと二年。順調に思えていた学園生活に影が落ちた、その瞬間だった。
 頭から冷水を浴びせられたみたいに体が冷たい。
 喉がカラカラに乾いて、うまく息が吸えず、浅い呼吸になる。
 これまでにない焦燥をウィスカは感じていた。
 いや、待てよ。と頭のどこかで冷静な自分の声がした。
 なぜエドアルドは自分が僧侶ドルイドであると見破った?
 魔力を感じ取った趣旨のことを話していた。ということは、エドアルドは魔力を感知できる人間、同業種の人間である可能性が出てくる。 

「どうして、僕が僧侶ドルイドだってわかったの?」

 尋ねた声は情けなく震えていた。
 僧侶ドルイドとして認められ修行を積むには誰にも僧侶ドルイドであることを見破られずに一般の学校を卒業することが見習いの修行として義務付けられている。
 このままでは修行が全て台無しになって僧侶ドルイドの本修行に進めなくなる。
 警戒心を込めた視線。それを受け止めたエドアルドは答え合わせをするかのように、眼にかかる前髪を払いながら答えた。 

「簡単だ。俺が祓師エクソシストだからだ」
 
「え、祓師エクソシスト!?」

 思いがけない答えが返ってきてウィスカは僅かにのけぞった。
 祓師エクソシストとは、悪魔祓いでその名が知られる、カトリック教会の役職の一つだ。
 古くはカトリック教会に存在した下級叙階の一つであり、洗礼時に悪魔の追放の儀式を執り行うことに限定された役職だった。
 やがて悪魔祓いに対する再認識が行われると世界各地で悪魔祓いを求める声が起こるようになったという。
 祓師エクソシストが学園の中にいるなんて想定外だった。
 ほぞを噛むと同時に、違和感も覚えた。
 祓師エクソシストになれるのはもう少し歳のいった青年だったはずだ。
 エドアルドはウィスカと同じ第四学年で16歳。
 その歳で祓師エクソシストの役職と名前が与えられるのだろうか?

「きみ、本当に祓師エクソシストなの?」

「どういう意味だ?」

「なんていうかその……若すぎるっていうか……」

「ああ、そういうことか。祓師エクソシストだが、俺はまだ見習いの身だ。だから、こうやって学園に通えている」

 なるほど。見習いだということなら納得がいく。

「それで、祓師エクソシストが僕に何の用事なのかな?」

 僧侶ドルイドだと見破ってどうするつもりなのだろうか。学園を追放する気か。それともキリスト教に改宗しろと言いにきたのだろうか?後者であるなら傍迷惑な話であるが。
 
「お前の保有する魔力を奪いにきた」

「え!?」

 魔力を奪うとはどういうことか。
 混乱するウィスカをよそにエドアルドは右手のひらをこちらに向けた。
 その途端、空気が震えた。微細に空気を振動させ、力の波がエドアルドの手のひらに集中する。
 この感覚を知っている。魔法発動の合図だ。

「四元の大いなる精霊よ、我を守り、願いを聞きいれ給え!彼の者の内なる力を奪い去れ!」

 空間に漂う精霊の力の源に語りかけ、その力を意のままに操る。まさしく魔法であった。
 エドアルドの手のひらに収まっていた力の波動がウィスカに向かって放たれ、全身を包み込んだ。
 締め付けられるような痛みが全身を走る。そして理解した。この痛みは身のうちにある魔力をエドアルドが放った魔法が奪っているのだと。
 このままでは呪文の通り、魔力を根こそぎ奪われてしまう。
 ウィスカは痛みに耐え、緩慢な動作で両手に抱える荷物の中からペンケースを開け、中からシャープペンと変わらない長さの樫のステッキを取り出した。
 そして、この魔法を打ち消すべく、四大の精霊王へと語りかけた。

「ティル・ナ・ノーグに在りし、四大の王に乞う!我を守り、願いを聞き給え!魔法を打ち消し、我を守りたまえ!」

 キィンと耳障りな高音が鳴り、ウィスカを包むエドアルドの魔法が弾けた。
 代わりに、ウィスカの周りに樫の木の匂いが立ち込める。
 礼拝堂の中にいた水の精霊の力の源に働きかけ、水と草木の力を借りた結界を張ったのだ。

「結界か。学生といえど僧侶ドルイド。そう簡単に奪わせてくれないか」

「なんの真似だ!なぜ僕の魔力を奪う!?」

「お前には関係ない。俺は力が欲しい。そのために魔力が必要なんだよ」

「意味がわからない。祓師エクソシストなのに、魔力を求めるなんて。それにその魔法、どうして…?」

 生き物は等しく魔力を持って生まれる。
 それが多いか少ないかの差が多少出る程度だ。
 自身の保有する魔力を操り、自然界に属する精霊の声を聞くことができるものが俗に魔法使い、あるいは魔術師と呼ぶ。
 エドアルドは祓師エクソシストである以前に実は魔術師の才能があるのかもしれない。

「言ったはずだ。お前には関係ない、と」

ーーなぁ、今声しなかったか?

 礼拝堂の外から聞こえてきた声に、二人は動きを止める。
 一般解放されている場所だが、生徒が立ち寄ることはまずない。
 そういう意味でこの場所を指定したのだろうが、たまたま生徒が来たらしい。

「人が来たか。…見られると厄介だ」

 エドアルドが両手を払った。その時、エドアルドの周囲に満ちていた魔法の力が消え失せる。

「今回はこのへんにしておいてやる。だが、次にあった時は、その溢れるほどの魔力を奪ってやるからな」

 そう言い残すと、エドアルドは精緻な正面扉を開けて出て行った。
 外から生徒と何か言葉を交わす声が聞こえる。
 ウィスカはぺたん、とその場に座り込んでしまった。
 魔法を使っての戦闘は、学園に入学してから久しくなかったもので、エドアルドの魔法の力を感じなくなったことで一気に緊張が抜けて脱力してしまった。

「(……どうしよう、僧侶ドルイドだってバレちゃった……しかも、魔力を奪われそうになるって……ますますどうしよう)」 

 あの様子だとエドアルドはまたウィスカの力を狙いにくるだろう。
 ウィスカとしてもこのままむざむざと奪われるわけにはいかない。
 しかし、祓師エクソシストであるエドアルドがなぜ、他人の魔力など欲しがるのだろう?
 魔法や魔術は悪魔に通づる力として教会では畏怖されているはずだ。
 それを欲しがるのは御法度というものではないのだろうか?
 いくら考えても出ない答えにウィスカは苛立ったように頭を振り、樫のステッキをペンケースの中にしまった。
 今はエドアルドがなぜ魔力を欲しがるのか、ということよりも、どうやってエドアルドと関わらないようにできるかを考えるべきだ。
 礼拝堂の外に人の気配がないことを感じ取ったウィスカはそのままそこを立ち去った。
 
+++
 
 ジェードハウスは学生寮が連なる区域の中で北西に位置している。
 男子寮の中では校舎から一番離れていることから『外れ寮』なんて揶揄されることもしばしばだ。
 エドアルドはジェードハウスの自分の部屋で一人思案に暮れていた。
 机に肘をつき、手に顎を乗せた状態で次の策を巡らせている。
 ウィスカの魔力を奪い損ねてから3日経とうとしていた。
 僧侶ドルイドといえど、学生。大した魔法を使うことはできないだろうと思っていたが、油断した。
 エドアルドの完成度の高いオリジナルの魔法を打ち消し、なおかつ結界を張り巡らせることができた。
 魔力の質も良いが、術者の技も的確で無駄な魔力もれもなかった。
 相当訓練を積んでいないと魔力の制御は難しい。それをいとも容易く成し遂げたのだから、ウィスカ・ハーパーの実力は計り知れない。
 もしかしたら、エドアルドと互角に戦えるほどの実力を持っているのかもしれない。

「(そうだとしても、あの魔力は奪うがな)」

 エドアルドが所属していた祓師エクソシストの部隊は目に見えない悪霊や魔物を退治する、教会内部でもあまり存在が知られていない部隊だった。
 悪魔や魔物を相手にするのだから命懸けの戦いになることは必須。
 それまで教会はエクソシズムの力のみで魔物に対抗していたのだが、新たな戦力拡大のため、魔法を使える術者を導入することにした。
 その筆頭がエドアルドだった。
 魔法という未知の力。悪魔のもたらした力という認識が根強い教会で、エドアルドは常に組織の中で孤立していた。
 魔物退治の時にはもてはやされるものの、平時では疎まれるような眼差しを向けられる。
 正直うんざりしていた。
 おまけにエドアルドの魔力は自然回復で元に戻る代物ではないらしく、常に他人から魔力を補充しなければいけない状態だった。
 そこで目をつけたのがウィスカ・ハーパーという僧侶ドルイド
 あの無尽蔵な魔力を手に入れればしばらくは魔力補充のために手間暇かけて他人から少しずつ魔力を奪う真似をしなくて済むかもしれない。

「(いずれあの魔力を奪う。そして俺は、教会組織の頂点に昇り詰める)」

 今はまだ祓師エクソシストの身に甘んじているが、いずれは教会の大司教になる。
 エドアルドは形のいい唇を僅かにあげ、ほくそ笑んだ。

+++

 ベリルハウスは、学生寮の連なる区域の中でジェードハウスとは真逆の位置にある。
 男子寮の中で一番校舎との距離が近く、秀才が集まる寮と噂が立っている。
 その寮の自室で、ウィスカは故郷、アイルランドの両親へ電話をかけていた。
 スマホでかけた電話の向こう、数コールで応対したのは父だった。

「もしもし?父さん?実は……その、実家に帰りたいんだけど……うん、ホリデーじゃないよ。………というか、学校をやめたい……」

 ここ数日、エドアルドに魔力を奪われそうになってから、毎日のように睨み付けられている。
 クラスは違えど教室は近く、放課後教室から抜け出すと必ずエドアルドがいて、目が合った瞬間睨まれる。
 目が合っていなくても睨まれている可能性は高い。
 いい加減、胃のあたりがキリキリと痛み出してきた。医務室に行くべきか悩んでいるところだった。
 この状況から抜け出すには学園を辞めればいいのではないか?と気づいた。編入手続きをすれば他の学校に通うことができる。僧侶ドルイドの修行で一般学校を卒業するという項目に、編入してはいけないなんて決まりはない。
 我ながらいいアイディア。さぁ、実行!と電話をとってみたが、いざ父に学園を辞めると伝えるのはなんだか後ろめたい気分になってきて、声が段々と尻すぼみになっていった。

「…え、だめ?……うん、うん……わかった。卒業までがんばる……」

 電話の向こう側で父が受話器を置く音が聞こえ、通話が切れたことを伝えてくる。
 ウィスカはスマホの通話終了ボタンを押して、深いため息を吐き出した。
 僧侶ドルイドである前に厳格な父は一度入った学校を辞めるとは何事か!と短く叱ってきた。
 付け加えるように、この学園に入るためにいったいどれくらいの金がかかったと思っている?と静かな怒りを込めた声で言ってくる。そのことについてはウィスカ自身も重々理解している。しているのだが、エドアルドがいるこの学校でやっていける自信がないのだ。

「(なぜか僧侶ドルイドだってばれちゃったし、魔力を奪うとかよくわかんないこと言われたし……。はぁ、うちに帰りたい……。そもそもなんであいつ、僕の魔力なんか欲しがるんだろう?意味がわからない……)」

 家に帰って全部忘れて、母の作るアップルパイが食べたい……。
 立派な僧侶ドルイドになるのがウィスカの夢だ。けれど、自分に立ち塞がる障壁と真っ向から対峙する気にはなれなかった。
 ベッドの上でうー、と唸っていると自室の扉を叩く音がする。

「ハーパー、いるか?」

「います」

 聞こえてきた声にすぐ反応して、ベッドから起き上がりそこに腰掛けると、丁度扉が開いた。
 入ってきたのは一つ上の第五学年、ベリルハウス寮長、フラム・パスカルだった。
 亜麻色で癖毛が目立つフラムは、腰に手を当て仁王立ちになった。

「どうしたんですか?パスカル寮長」

 寮長が直々にステアマスターの部屋にくるとは珍しい。
 目を丸くして瞬かせると、フラムは少々困ったような顔をした。

「どうしたもこうしたも、君を呼びに来たんだが?今日は寮長会議があってステアマスターもくることになっていたはずだけど?」

 基本的に学校の運営は生徒会ではなく、各寮の寮長と学園長によって回されている。
 生徒に一番近しい位置にいるステアマスターが寮長会議に参加することもしばしば。
 寮長会議に参加するステアマスターは決まって第四学年か第五学年の代表が務める。
 本来ならステアマスターが寮長の部屋に行くのがマナーだが、いつまで経ってもやってこないウィスカを不審に思って部屋に来てくれたらしい。 

「す、すみません!すぐに準備します!」
 
「早く行くぞ。集まっていないのは君と俺だけだ」

 言外にもう行く準備は整っているから早くしろ、と言われウィスカは冷や汗をかきながら準備をするのだった。

+++

「ベリルハウス到着しました!遅れてすみません!」

 寮長会議が行われるのは決まって学園長室の隣にある会議室だ。
 そこは以前、貴族たちの社交場・サロンだったのだろう。美しい絵画が壁を飾り、壁際に寄せられたアンティーク調の円卓、その上に飾られた精緻な模様が入った花瓶には見事な白百合が生けられている。当時の面影をそのまま残す室内には重厚な広い円卓があり、そこに備えられた椅子には二人の生徒が座っていた。

「ああ、パスカル先輩。まだジェードハウスとベリルハウスしか来ていないので大丈夫ですよ」

 ジェードハウスの生徒がそう言った。
 その言葉に、フラムとウィスカは緊張していた肩を落とす。
 今の声に聞き覚えがあるウィスカはフラムの背中から声をかけてきた生徒の姿を見つけて思わず顔を顰めた。

「げ!?」

「人の顔を見て「げ!?」とは随分な挨拶だな?ハーパー」

 立ち上がり、自分の近くまできた生徒は自分が今一番会いたくない人物だった。
 ニヤリ、と効果音がつきそうな程の底意地の悪い笑みを浮かべた、エドアルド・ヴァーリである。

「な、なんで君がここにいるんだ!?」

「なんで?ステアマスターが寮長会議に参加するのはいけないことか?」

ステアマスター!?前回の会議ではジェードハウスステアマスターは違う生徒だったはずじゃ……」

 確か、第五学年の生徒だったと記録している。まさか、ウィスカを待ち伏せるために魔法でも使って、他の人間を洗脳したのだろうか。いや、流石にそれはファンタジー映画の見過ぎか……。

「あれ?ハーパー知らない?ジェードハウスステアマスターが変わったって。前回の会議で前任者が急な怪我で入院して数ヶ月学園に戻らないっていうんで、新しいステアマスターを立てることになったって話」

 そういえば、前回の寮長会議でそんなことを言っていた記憶がある。だが今の今まですっかり記憶の彼方に飛んでいた。
 エドアルドがその後任だったとは想定外だ。ウィスカは内心逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
 何が悲しくて関わりたくない生徒と対面しなければいけないのか。

「てか、ヴァーリとハーパーって知り合いだったのか?」

 フラムが問いかける。

「いえ、知り合いというか………」

「ええ、そうなんですよ。授業でわからないところがあるというので、教えていたんです」

 予想外すぎるエドアルドの発言にウィスカは、目を見開き彼を振り返る。
 勉強を教えてもらったことなんてただの一度もないし、そもそもエドアルドとはクラスが違う。
 目があったエドアルドは僅かに口角を上げた。言外にこの状況を楽しんでいることを感じてウィスカは苦虫を噛み潰したような顔をする。

「へぇ、そうだったのか。初めての寮長会議で緊張するだろうが、そういう時はうちのハーパーを頼ってくれていいからな?」

「は!?あの、寮長!?」

 またも予想外の発言。しかもフラムから!
 訂正を入れるまもなく、フラムはヒラヒラと手を振って「ヴァーリのフォローしてやれよー」とさっさと自分の席に着いてしまった。
 ちなみに、寮長会議では各寮の寮長とステアマスターが隣に並んで座り、広い円卓を囲むようになっている。

「そういうことだ、会議中はよろしく頼むよ?ハーパー」

「…………………Yes」

 否定するのも訂正するのも諦めたウィスカは力なくそう返事をするのだった。

+++

 件の寮長会議からはや一ヶ月、ウィスカは限界を迎えようとしていた。

「もううんざりだ………」

「書類整理がか?それは俺もうんざりしているところだから、お互い様だ」

 ぼそっと呟いたその一言をフラムが聞き取ったらしい。作業の手を止めずに返事をする。

「あっ、違うんです!その……ヴァーリのことで…」

「作業中に別のことを考えられるのは羨ましいよ、ハーパー」

「すみません…」

 場所はベリルハウスの寮長室。寮生の部屋で一番広いこの部屋にある中央の応接セットでウィスカとフラムは寮生からの要望書をまとめているところだった。
 要望書というと聞こえはいいが、実際は新しい設備の申請や同じ寮生への苦情が書かれたものである。 
 設備の申請か、それ以外か。大雑把にフラムが分け、分けられたものをステアマスターの仕事の範囲内であるものか、寮長の仕事のものかをウィスカが判断して分ける。
 テーブルの上に山のように積まれていた書類は、二人の働きによって半分にまで減っていた。
 半年に一回行われるこの作業は誰もが敬遠していた。

「まぁいいさ。ヴァーリと喧嘩でもしたのか?」

「喧嘩と言いますか……その…ちょっとしつこくて……」

「しつこい?勉強の教え方が悪いのか?」

「そうじゃないんですけど……」

 ウィスカはそこで口を噤んだ。
 言いたくても言えない。エドアルドに会うたび睨みつけられ、3日に1回は呼び出されているというこの現状を。
 呼びだす目的は魔力を奪うことだとわかっているので、無視しているけれど。
 無視するごとにエドアルドの視線が段々と鋭く、射殺されるのではないかと思うほど怖いものに変化していて、廊下で会う時は足早に立ち去っている。

「教え方が悪いならそのことをガツンと言ってやったらどうだ?案外直してくれるかもしれないぞ?」

「ガツンと……」

「さて、世間話はこの辺にして、作業を進めるぞ。明日までにはこの山を片付けなきゃ」

 そう言って、フラムは書類整理の続きに戻った。
 ガツンと言うとは、エドアルドに関わってくるなと宣言することだろうか?
 言ったところで聞き入れてくれるとは思わないが……

「(でも、僕の平穏な学園生活を守るためには強行手段もやむなし、だよね…?)」

 気は進まないが、やるしかないだろう。
 ウィスカは頭の中で計画を立てつつ、書類整理に戻った。

+++

 フラムと二人で書類整理に追われたその翌日、ウィスカはエドアルドを学園敷地内の礼拝堂前に呼び出した。
 冬も終わりの気配を感じさせる二月の後半。まだまだコートを手放せない。夜ともなると一気に空気は冷え込み、ひゅうと吹く風にウィスカは身を竦ませ、マフラーを鼻の下まで引き上げた。
 現在時刻、22時半。寮の消灯時間はとうに過ぎている。もしも監督生や寮長に見つかれば大目玉待ったなしだ。
 コートの中に忍ばせた樫のステッキを確認し、ランタン型の懐中電灯を足元に置いて待つこと数分。緑のチェック模様のマフラーを巻き、懐中電灯を持ったエドアルドが現れた。

「俺の呼び出しを無視しておいて、そっちからこいとはな。どう言う風の吹き回しだ?」

 エドアルドは皮肉たっぷりにそう言った。

「君に付き纏われるのはいい加減うんざりしてきたってこと。僕は誰にも僧侶ドルイドと気付かれずにこの学園を卒業したいんだ。そのために、君に魔法での決闘を申し込む」

 樫のステッキを取り出すと、エドアルドは感心したようにほぉ…と小さく息をついた。 

「なるほど。それで決闘の条件はなんだ?」

「君が勝ったら僕の魔力をあげる。その代わり、僕が勝ったら金輪際僕に関わらないこと。もちろんステアマスターもやめてもらう。これが条件だ」

 自分でも負けたらステアマスターを降りろと言うのは酷かと思ったが、仕方ない。退学を迫らなかっただけいいと思って欲しい。

「いいだろう。早速始めるか」

 意外とあっさりした返事にウィスカは内心驚いていた。プライドの高いエドアルドがこの条件を簡単に飲むとは思っていなかったのだ。
 
「決闘の合図はコインが地面に落ちた時。それでいいね」

 コートのポケットから一枚のコイントス用のコインを取り出す。コインの表面が懐中電灯の光に照らされきらりと光った。
 反射した光にエドアルドが眩しそうに目を細める。

「ああ」

 エドアルドが懐中電灯の灯りを消して、地面に転がした。
 辺りに緊張が走り、空気が張り詰める。

「いくよ」

 短い宣言。そして、ウィスカの手の中でコインが高く跳ね上がる。
 しばらくしてキィンと言う音を立て、コインが闇の中で地面に転がった。
 エドアルドが右手を突き出し、ウィスカはステッキを構える。
 決闘が始まった。

「ティル・ナ・ノーグに在りし、四大の王に乞う!我を守り、願いを聞き給え!炎の守護者よ、敵を薙ぎ払い、我に守りの力を与えたまえ!いでよ、ジン!」

 ウィスカが召喚呪文を唱えると、あたりの空気が震えた。
 空気中に含まれる火の気がウィスカのステッキに集中し、そこに魔力の渦が出来上がる。
 魔力の渦に向かって身のうちにある魔力を注ぎ込むと空気と共に渦が霧散した。
 火の気が立ち込める中現れたのは、猛々しい男の姿をした、火の精霊・ジンだ
 ジンが片手をエドアルドの方へ向け大きく振り上げた。その瞬間、幾つもの火の粉が現れ、エドアルドに向かって降りかかる。

「四元の大いなる精霊よ、我を守り、願いを聞きいれ給え!炎を打ち消し、全てを飲み込む渦となれ!こい、ウンディーネ!」

 エドアルドが右手を突き出し、早口に呪文を唱える。
 空気が震え、水の気がエドアルドに向かって集まりだす。空気中の魔力の渦とエドアルドの魔力がぶつかり合い、人の形を作り出す。
 美しく艶美な女性の姿がそこにあった。水の精霊、ウンディーネだ。
 ウンディーネが降りかかる火の粉に向かって水の礫を飛ばす。水に当てられ、火の粉がジュ、と言う不快な音を立てて消えた。

「…なかなかやるね」

「そっちこそ。ここからは手加減しない!激流よ、全てを押し流せ!」
 
 エドアルドがウンディーネに命じる。
 ウンディーネの瞳が暗闇の中できらりと光り、何もないところから細かな水の礫がいくつも出現する。
 泡のように見える水の礫はブルブルと震えたかと思うと勢いをつけてウィスカに向かって飛んできた。

「ジン!水を蒸発させて!」
 
 すかさずジンに魔法を命じる。
 ジンの体から立ち上る火の気がさらにその強さを増し、ウィスカとジンの周りに火の結界を張った。
 水の礫は火の結界に衝突し、音を立てて蒸発する。

「なっ!?水が全部消えた!?」

「火は水に弱いから消し止められると思った?残念だけど、ジンの力を甘く見てもらっちゃ困るな」

 ジンの力は火の精霊の中でもトップクラスのものだ。
 水を蒸発させるくらい容易い。

「くそっ!ならば…!四元の大いなる精霊よ、我を守り、願いを聞きいれ給え!溢れ行く風よ、追い風となりその力を我が前に示せ!こい、シルフィード!」

 辺りに満ちる空気が再び震えた。風の気がエドアルドの元に集まりだす。
 ウンディーネの隣に集まった風の気が人の形を作り出す。幼い少年の姿をした精霊、シルフィードがそこにいた。
 風の気は認識の難しい元素だ。それを扱える魔術師は数少ない。ウィスカはステッキを握りしめる力を強くした。
 シルフィードの体から風の気が立ち昇り、ジンに向かって伸びた。
 ジンが苦しげに体を捩る。精霊に攻撃しているのかと思ったが、すぐにジンが苦しんでいる理由に気がついた。

「ジンの力が吸い取られてる!?」

 急速にジンの火の気がシルフィードに吸収されていた。
 そして、吸収したジンの火の気が風の気に変化し、ウンディーネヘと注がれていた。
 シルフィードの背後でエドアルドが意地悪く笑う。

「四元素において火は風を生み、風は水を生み出す。単純な自然循環だ。水よ、我が敵を押し流せ!」

 再びウンディーネの瞳が暗闇の中で光る。そして先ほどの魔法よりもさらに威力の増した水の礫を幾つも出現させジンに向かって放った。
 放たれた強力な水の礫がジンの張った火の結界とジンを消し去る。とんでもない威力だ。生身で当たったらひとたまりもない。
 ウィスカは頬の内側を噛んだ。そして別の精霊を呼びだす召喚魔法を唱える。

「ティル・ナ・ノーグに在りし、以下略!いでよ、ノーム!」

 空気が震え、土の気がウィスカのステッキに集まり出した。集まり切らないうちに、自分の周りに漂う土の気にも魔力を注ぎ込む。その途端、水の礫を弾く結界が現れた。
 同時にローブを纏った老人のような姿の、土の精霊・ノームがウィスカを背後に守るように立ち塞がる。
 省略化した魔法だが、うまくいったようだ。
 
「はっ!?以下略って……そんな魔法ありか!?」

「できるものは全部使わないとね!」

「くそっ!調子に乗るなよ!まだ切り札はあるんだからな!」

「はい、そこまで」

 ウィスカとエドアルドがぴたりと動きを止める。
 暗闇の中から誰かの声が聞こえてきたからだ。ウィスカが足元に置いているランタン型の懐中電灯を手に持ち、周囲を照らす。
 灯りに照らされ闇の中から現れたのはダウンジャケットを着込み、懐中電灯で足元を照らすフラムだった。

「寮長!?」

「パスカル先輩!どうしてここに?」

 フラムは呆れたように肩を竦ませて種明かしをした。

「どうしたもこうしたも、抜き打ちで点呼とったらハーパーがいないっていうので他の寮でも同じことがないか抜き打ち点呼取ってもらったんだ。そしたら、ベリルハウス、ジェードハウス共にステアマスターがいなくなっている、ということで先生たちも混じって捜索してたってわけ。そしたら、こんな現場に出くわすとはなぁ…」

「あの、寮長!このことは…」

「言い訳無用!痛いごっこ遊びで夜中に喚く奴がいるか。厨二病患者め。ほら、とっとと自分たちの寮へ帰れ。ステアマスターの君たちなら反省文程度で済ませてやるから」

 フラムのご最もな発言にウィスカはそれ以上言い募るのをやめた。
 消灯時間はとっくにすぎ、点呼もとったあとで抜き打ち点呼があるとは思いもしなかった。
 タイミングの悪さを呪いたくなったが、それよりもフラムの発言にウィスカとエドアルドは首を傾げた。

「痛いごっこ遊び………?」

「厨二病患者……?」

「なんだっけ?四元の大いなる……なんたらかんたら…みたいなやつが聞こえてきたんだよ」

 それは召喚魔法の呪文である。

「ハーパーに至っては、なにを持っているんだそれは」

「えっと…ステッキ、ですけど…」

「ステッキ?そういうものは英国紳士になってから持つもんだ。第一、そんな短いのステッキとして機能しないだろう」

 ひょいと片眉を跳ね上げ不可解なものを見るような表情をするフラムに魔法のステッキですとは言い難い。

「短いステッキによくわからん呪文……君たち二人してファンタジー映画の見過ぎじゃないか?」

 呆れを声に滲ませるフラム。
 ちらと精霊たちの様子を伺い見れば、オロオロとするもの、黙って見守るもの、その対応は様々だ。何故かフラムから距離を取るように精霊たちは自分を呼び出した召喚主の背後に隠れてしまっている。
 ちなみに精霊たちの姿は常人には見えないようになっているため、フラムには見えていない。

「……今日の勝負はひとまずお預けだ。こんな状態で決闘ができるとは思えない」

 ウィスカに近寄ったエドアルドが耳元で囁く。その言葉に同意を示すように頷いて、ウィスカは樫のステッキを人さし指ですっと撫でる。
 エドアルドは両手を払う動作をして召喚した精霊たちを元の場所へ戻した。
 いつまでも精霊たちを呼びだしたままにしておくのはよろしくない。

「…ったく、ハーパーもヴァーリもそういう趣味があったとは知らなかったよ。いや、人の趣味は千差万別だ。俺が口を挟むことじゃないな」

「あの、寮長?別に僕たちは厨二病でも痛いごっこ遊びをしてたわけでもないんですが……」

「おい!」

 訂正を入れようとしたウィスカの肩をエドアルドが引き寄せて、再び耳元で囁く。

「一般人に魔法について説明するやつがあるか!」

「だって…寮長、誤解してるみたいだし……」

「なにコソコソ話してるんだ?ほら、さっさと自分たちの寮に戻れ。帰ったら反省文な」

「はい……」

 頭を突き合わせて話をしている二人に向かってフラムが容赦なく寮長命令を下す。
 反省文は遠慮したいが、見つかってしまったのなら仕方ない。
 息のあった返事をした僧侶ドルイド見習いと祓師エクソシスト見習いだった。

+++

 決闘があった翌日、登校すると道ゆく生徒がチラチラとウィスカを見ていた。気のせいかとも思ったが、視線を彷徨わせればこっちを見ていた何人かの生徒と目があい、さっと逸らされる。
 その繰り返しをもう5回くらいはしただろうか。
 一体何だと言うのだろう?そういえば、寮の食堂でも同じようなことが起こっていた。
 まぁ、ステアマスターが夜中に寮を抜け出していたらしいという噂が飛び交っているといつも一緒にいる寮生から聞いていたので、それは仕方ないだろうとは思っていた。だが、他寮の生徒にまでその噂が広まっているのだろうか。
 若干の居心地悪さを感じながら廊下を歩くウィスカの前に、昨日の夜ぶりのあまり歓迎していない人物が現れた。

「ハーパー」

「げっ……ヴァーリ…」

「人の顔を見て開口一番「げ」とはなんだ。……お前のせいだぞ」

 地の底を這うような低い声に、とてつもなく暗い表情。切れ長の碧眼が苛烈な光を宿している。
 
「な、なにが……?」

 その迫力に気圧され半歩後ずさると、がしりと両肩を掴まれた。

「この俺が……ジェードハウスの秀才と呼ばれたこの俺が!痛い厨二病患者だって噂が流れてるんだ!!」

「はぁ!?」

 思ってもみない発言に素っ頓狂な声をあげてしまう。
 まさか、一晩で噂が広まってしまったのか…。しかもエドアルドの!
 昨日の夜、探しにきた寮長のフラム以外にも他寮の寮長や監督生がいたと言うから、彼らから話が広まったのか?
 疑問を頭の中で巡らせている暇もなく、肩に指が食い込むほど強い力で揺さぶられ、口角泡を飛ばしかねない勢いでエドアルドがウィスカに詰め寄る。

「全部お前のせいだ!責任とれ!」

「そんなこと言われても……。そもそも最初にふっかけてきたのはそっちじゃないか!」

「決闘場所をあんな人に見られる場所に設定したお前に責任がある!」

「なにも疑問に思わなかったくせによく言うよ!」

「朝から元気だな、君たちは」

 廊下を歩く音と眠そうな声、振り返ると呆れた様子のフラムが立っていた。

「早くしないとホームルームが始まるぞ?」

「………先輩ですか?訳のわからない噂を流したのは」

「さぁ、どうかな」

「とぼけないでください!昨日の現場を見たのは先輩だけだし、一晩で学校中に噂が広まるわけないでしょ!」

 ウィスカの肩から手を離し、今度はフラムに詰め寄るエドアルド。
 しかし、とうのフラムは飄々として応えた。

「俺は知らないよ。まぁ、でも…。昨日の晩、君たちを捜索してた寮長は俺だけじゃないし」

「他寮の寮長や監督生もいたんですよね?」

「まぁね。俺じゃなくてそいつらから広まったのかも」

「なっ……」

 口をぱくぱくと開け、呆然としているエドアルドを見ていると何だかかわいそうになってきて、ポンとその肩を叩いてやった。

「ヴァーリ、どんまい」

「ついでに言うと、ハーパー。広まってるのはヴァーリと君の噂だからな?」

「え?僕?」

「ウィスカ・ハーパーとエドアルド・ヴァーリは厨二病で、夜な夜なお互いの趣味を理解した上で痛いごっこ遊びをしている、てな」

 目を瞬かせてフラムの言葉を反芻すること数秒。
 ウィスカは今日一番の大声を出した。

「は!?なんですかその噂!」

「だから噂だって。俺は君らの名誉のために言っていない。だから広まったのは俺のせいじゃない。他の寮の寮長や監督生にちょーっとわかりやすく説明したくらいかな?」

「原因それじゃないですか!」

「むしろ、ステアマスターの権威を剥奪されなかっただけ光栄に思え。夜中に勝手に抜け出したんだからな」

「それは、すみません……」

 ステアマスターは成績優秀な生徒の中から選ばれる、寮長や監督生に次ぐ権威だ。
 一般の生徒から一目置かれているからこそ与えられている応接セット付きの一人部屋もその権威の象徴だ。
 寮長権限でステアマスターを解任されなかったことはありがたいと思わなきゃいけない。

「ヴァーリもだぞ?以後、軽率な行動は慎むように」

「はい………」
 
 エドアルドも素直に頭を下げた。
 二人の様子を見たフラムは一つ息をついて、

「じゃあな、本当に遅刻しないようにしろよ」
 
 ヒラヒラと手を振り、背を向けて廊下の向こうに行ってしまった。
 残されたウィスカとエドアルド。
 周りにはそんな二人をチラチラと見ながら何かを小言で喋ってすれ違う生徒たち。
 痛い厨二病患者……。なんて不名誉な名前だろう。
 エドアルドの方を無視して、ウィスカは嫌味を込めた声で呟く。

「君は祓師エクソシストじゃなくて悪魔だよ」

「そっちこそ。僧侶ドルイドじゃなくて疫病神だな」

 嫌味を言い合って、沈黙が落ちる。
 ついで、ホームルームが始まる5分前の鐘がなった。

「………君とは仲良くなれない」

「それはお互い様だ」

 少し高い位置にある碧眼を睨みつけると絶対零度の目で睨み返された。
 しばし睨み合い、二人はふん、と鼻を鳴らしてそれぞれの教室に向かった。
 こうして、ベリルハウスとジェードハウスステアマスターが厨二病だと言う噂が学園中に広まり、生徒はもちろん、教師や用務員のおじさんに至るまで知られることとなった。
 そしてこの噂は件の二人が卒業した後にも反面教師という名の伝説としてそれぞれの寮に残ったという。
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