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番外編

~あの夜を忘れない~ランスロット&フィオナ(4)

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―――夜明け前

 リスコーム宰相と大使のツェーザリは、急ぎ足でランスロットを捕らえた部屋に向かった。
 まだ夜の明け切らぬうちに、あの男を運び出し、エルミナールの街道沿いの崖下に放り投げて事故死に見せかける手はずは整った。
 さしものあの男も、通常の3倍も媚薬を飲み込んだとあっては、正気でいられるわけがない。魔力も封じ 弱っているうちに事を為さねば、誰かに気取られる恐れがある。
 目まぐるしく考えながらツェーザリにも確認する。
 
 「ツェーザリ、手はずは分かっておるな」

 「お任せを。すでに裏口に荷馬車も用意してございます」

  ツェーザリは、ランスロットを縛り上げる縄と麻袋を掲げてみせて頷いた。

  事故死であってもランスロットほどの身分であれば、その屍体は詳しく検分されるはずだ。殺人だとエルミナール側に気取られないよう、慎重に事を進めなくてはならない。弱ったまま連れて行き、崖下に投げ捨てるのだ。

  リスコームは捕らえた扉の前に来ると、物見窓から中を覗く。
  ランプの光が消え失せているが、薄暗い中、倒れている人影があった。

  がちゃりと鍵を開けて扉を開ける。
  ランスロットは、部屋の中央にぴくりとも動かない様子でうつ伏せに倒れていた。魔力を封じる鎖はまだ有効だから、気がついたとしてもさして危険はないはずだ。すでに媚薬のせいでかなり弱っている。

 「やりすぎて、気を失いおったか・・・」

  リスコームが声を漏らすと、ツェーザリが足でランスロットの体を仰向けにした。
  ごろりと仰向けになった体躯はぐったりとしてピクリとも動かない。太ももを何かで刺したのか、赤く染まり血なまぐさい匂いが漂ってきた。

 「死んでいるのか・・・?」

  まさか出血多量で死んだのでは…。ならばより好都合だ。あとは屍体を運んで捨てるだけとなる。

  リスコーム宰相がそばによりかがんで覗き込む。
  頚動脈に手をあてがって、その脈を確かめようとしたその時、ランスロットがいきなり宰相の頚根くびねを掴みガラスの切っ先をリスコームの喉元につきつけた。

 「動くなっ! 大人しくしろ」

  ガラスの尖った切っ先がリスコームの頚動脈の真上にあてがわれている。

 「なんと、まだ正気が残っていたとは・・・」
  
  (ぬかったわ…)

  媚薬による痕跡が微塵もなく、明瞭な言葉で話すランスロットの掴む腕の強さに思わず舌打ちが漏れる。

 「我がダークフォール一族いちぞくの男は、我が身に変えても皇帝陛下や皇子を守るために、子供の頃から毒と媚薬には慣らされている。俺も大概の媚薬には耐性はできている。ただ…今回の媚薬ヘブンは今までになくきつかったが。それでも十分楽しませてもらった。その点は感謝しよう」

 ランスロットは、ガラスの切っ先を押し当てる手に力を込めた。
 リスコームはぴりっとした痛みが首もとに走ると、生温かい自身の血がつぅっと首筋を伝い落ちるのを感じた。

 「さぁ、リスコーム。お前と王妃の企みは既に掴んでいる。フィオナ王女に世継ぎを生ませた後、わが帝国の簒奪単語さんだつを謀っていたことも。だが、まさかヘブンを王宮の庭園でどうどうと栽培していたとは想定外だったが。このまま大人しく罪を認めるのであれば、このガラスの切っ先をお前の頚動脈に突き立てるのはやめよう。言っておくが俺は躊躇しない」

 ランスロットの声には、揺るぎない意志が込められていた。
 もしリスコームが少しでも動けば、迷う事なく首にガラスの切っ先を突き刺すつもりだった。

 二人の間に緊張が走る。
 ツェーザリの方も、少しでも動くとリスコーム宰相の身に危険が及ぶと考え、身動きが取れなかった。
 徐々に魔力も回復しているのか、リスコームはランスロットの動きを封じることができず、額からは汗が噴き出していた。

「ぐふっ…」

 ランスロットの密偵が、ツェーザリの背後から音もなく近づくと、剣の柄で殴り倒していた。

「 若君!お探ししました!」

 密偵もまた、剣を抜いてリスコームを捉えている。ランスロットは密偵に頷くとリスコームに言った。

「さぁ、もうお前に逃げ場はない。潔く罪を認めるんだな。我が国の簒奪を企んだ罪は重い」

 腕で首を締め上げ、羽交い絞めにしているリスコームの体が小刻みに震え始めた。
 喉の奥から押し殺したような笑い声が響き、だんだんと大きくなった。
 
「私を捕らえたところで、時はすでに遅いぞ」

「何を言っている?」

「お前の妹が大変な事になっているとも知らず、自らローゼンを調べにくるとは、迂闊だったな」

「リゼルが? どういうことだ!?」

「可哀想に、今日の夕刻にはきっと処刑されるでしょうな」

「処刑? お前、妹に何をした!?」

 息の根を止めかねない強さで、さらにリスコームの首を締め上げる腕に力を込める。

「ぐっ・・・はっ。あなたの妹御は、昨晩屋敷に一人でいるところをフィオナ王女の暗殺未遂の罪でエルミナールの衛兵らに捕らえられている。咎人の塔に連れて行かれたようですよ」

「王女の暗殺未遂? フィオナ王女は無事なのか?」

「もちろん、王女は無事です。あなたの妹御が嫉妬に燃えて、王女に毒入りの紅茶を届けたものの、未然に防いだ、というシナリオですよ。ただ王女の侍女が、首をナイフで何者かに刺されて殺されている。そのナイフは、リゼル嬢がいつも使っているペーパーナイフだったそうだ。殺人を立証するには十分な証拠ですな」

「くそっ! お前と王妃が仕組んだな・・・?」

「我らの網に自らかかったのは、あなたの妹御ですよ。大変素直で人を疑う事を知らない可愛らしいお方だ。証拠の品もある。エルミナールの王宮では、今日にも王女暗殺未遂の審判が下されるでしょうな。王族の殺害を企てたものは、エルミナールでも死をもってあがなわれるはずだ」

「だが、カイルがいる。あいつがそんな事はさせないはずだ」

「おやおや。補佐官とあろうものが、何も知らないのですな。カイル皇子は建設中の橋の崩落事故に向かい、王都には不在のようですよ。昨夜、妹御が咎人の塔に捕らえられたことは何一つ知らないでしょうな。くくっ」

 リスコームの言葉に、虚をつかれたランスロットが一瞬、手を緩めるとリスコームはその隙を逃さず、腕から逃れ扉まで瞬時に移動した。

「父親も兄も、頼みの綱の皇子も不在。早く戻ってあげなければ、妹御は無実の罪で処刑されてしまうでしょうな。ただ、いまから駆けつけても果たして間に合うかどうか・・・」

 リスコームは、薄笑いを浮かべてそう言い残すと、ふっと姿を消した。


 まさかリゼルが・・・
 ランスロットは今聞いたリスコームの言葉に衝撃を受けていた。
 本当だとすれば、リゼルは審判にかけられ、最悪、処刑されてしまうかもしれない。

「若君!御無事で・・・。お怪我を?」

 密偵の言葉に、はっと我に返る。

「大したことは無い。それより、今リスコームが言ったリゼルのことは本当か?」

「はっ、少し前に同じ情報が入りました」

「カイルは? あいつは王宮にいないのか?」

「皇子は突然の橋の事故の知らせを受けて、昨日、城を出発しています」

「くそっ!やられた。その事故はカイルを王都から引き離すための口実だ。父はまだ屋敷に戻らないのか?」

「旦那様は連絡は受けているようですが、領地から王都に戻るのに間に合うかどうか・・・。旦那様はお年を召してからは、転移ができませぬゆえ」

「まんまとやつらの手にはまった。領地の火事も、橋の崩落もリゼルから父とカイルを引き離すための罠だったんだ。なんてことだ!リゼルに何かあったら、あいつら皆殺しにしてやる!」

 ランスロットは、自分の魔力を封じている首の鎖を思い切り引き抜こうとしたが、それはびくともしなかった。   
 今、自分の魔力が戻らなければ、リゼルを助け出す事ができない。
 馬を乗り換えてエルミナールまで行けたとしても、処刑までに間に合うかどうか・・・・。 
 切羽詰まった焦りが極限まで達し、これ以上ないほど口汚い罵りの言葉を吐く。

「なんてやつらだ! 無関係のリゼルを巻き込んで!」

 今までに見せたことのない、取り乱しようで頭を抱えた。

「若君、どうかお鎮まりを。事は一刻も争います。既に国境の狩猟小屋に、若君の馬をいつでも出立できるよう用意しています。若様の馬であれば間に合うかもしれません」

 ランスロットが取り乱す様子を初めて目にした密偵だが、努めて冷静に諭すように言った。
 次期当主となる若君には、いかなる場合でも判断力を失わずに対処してもらわねばならない。

「・・・悪い。恩に着る。すぐに出立しよう。お前はリスコームを追え。この男は縛り上げて、ここに閉じ込めておけ。殺してもいいぐらいだ」

「御意。では、若君・・・無事を祈ります」

 古くから公爵家に仕える密偵の口から出た無事を祈る言葉は、きっとリゼルにあてたものだ。
 ランスロットは力を込めて頷くと、すぐにローゼンの王宮を抜けて狩猟小屋に向かった。


 * * *


 ローゼン王国とエルミナール帝国の国境にある狩猟小屋に着くと、すでに夜が明けていた。

「若様!連絡を受けてお待ちしておりました」

 狩猟小屋の番人が、馬小屋からランスロットの愛馬スティールハートを引いてやってきた。

 スティールハートはランスロットの姿をみると嬉しそうに首を振って嘶いた。

「着替えたらすぐに出立する。鞍を付けておけ」

 リスコームには、媚薬で楽しませてもらったと言ったものの、あの媚薬をこらえるために自身の太腿に付けた傷は無数で、かなり失血していた。今もトラウザーズを赤く染め上げ血が流れ出ている。

 急いで止血をして服を着替えたが、ここから王都まではかなりの距離がある。馬に乗っている間にまた出血して気を失うかもしれない。
 スティールハートも長距離を全速力で疾走して、王都まで持つかどうか。
 下手をすれば、二人とも共倒れになる危険がある。
 
 ランスロットはマントをはおると狩猟小屋の番人からスティールハートの手綱を受け取った。

「さぁ、スティールハート、これからが俺とお前の正念場だ。お前ならやってくれると信じている」

 自分にも言い聞かせるように、スティールハートの首をぽんぽんと力を込めて叩くと、ひらりと愛馬にまたがった。

「さぁ、け!」

 いななききとともに前足を高く上げて、スティールハートはランスロットを乗せて疾走した。
 街道をものすごい勢いで走り去る馬に、人々が一様に驚いている。


 ―これ以上、誰にも危害は加えさせない。
 馬上で冷たい風を切りながら、強く思う。

 王宮に戻ったら、今こそ王妃の陰謀をすべて明らかにするのだ。
 彼女マリエンヌにも相応の罪は償ってもらう。

 そしてフィオナにも真実を打ち明けよう。俺があの時の男だと。

 フィオナが俺の子を身ごもっていることを王妃に伝え、王妃の陰謀を打ち砕く。
 カイルとリゼルも十分に苦しんだ。願わくばもう誰も不幸にはしたくない。
 そしてフィオナに愛を告白し、許しを請うのだ。

 ランスロットは、全速力で馬を駆りながら先日のチェス盤を思い出した。
 倒されて転がっている白い騎士ナイト
 黒のビショップ、黒のルークに捕らえられたクィーン。
 そして、その時感じた死の予感を思い出した。あれは、このことを暗示していたのだ。

 だが、俺は諦めない。

「運命など変えてみせる…!」

 ランスロットのその言葉に呼応するかのように、スティールハートはひづめに砂埃を舞い上げながらエルミナールに向かって猛然と駆け抜けていった。

 
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