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初恋編

46話 恋しさ

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 リゼルは、宮殿に一度行ってみたいというエマにせがまれ、今回はアイラではなくエマと護衛を連れて公爵家の馬車で城に向かった。

 この訪問のためにアイラが気合をいれて選んだと自負する、まだ一度も袖を通していない外出着を用意してくれた。

 薄いピンク色をしてバラの刺繍の施されたデイドレスに、胸元は凝ったレースで縁取りされ、その上には冬用の白いセーブルの毛でできた腰まであるケープ、そしてお揃いのふわふわのマフをしており、アイラの見立てで今日のリゼルは、可憐な雰囲気が漂っていた。

 城の入り口の長い跳ね橋にくると、門番に通行証を渡し、名前を伝え城の中に入る。

 フィオナ王女は、まだカイルの住まいである暁の宮ではなく、宮殿の貴賓室のある白鳥の宮に母親のマリエンヌ王妃と滞在しているということだった。

 白鳥の宮は、宮殿の正門から入って長い回廊と庭園を抜けた奥にある。
 その名の通り、白鳥のように内装はほとんどが白で統一され、白鳥の彫刻や絵画、置物などのインテリアが並び、白鳥の宮で使われるカトラリーやティーセットに至るまで、すべて白鳥のモチーフで統一されている優雅な宮であった。

 白鳥の宮は、主に諸外国からの王族の迎賓館として使われているため、リゼルも滅多に足を踏み入れたことのない宮だった。

 リゼルは宮殿の前で馬車を降りるとエマだけを連れ、護衛は馬車と共に待っていてくれるようにお願いした。

 宮殿に初めて足を踏み入れたエマは、美しい彫刻がいくつも置いてある長い回廊をキョロキョロと見回し、時折、立ち止まって感嘆の声をあげて彫刻を見たり、冬でも美しく整えられた庭園を観賞しながら白鳥の宮へ向かう。
 リゼルも興奮気味のエマに苦笑しながら、ゆっくりとした足取りでフィオナ王女の滞在するお部屋に向かっていた。

 リゼルは気がつかなかったが、通りかかる宮殿の役人たちは皆、この若い令嬢の美しさに思わず見惚れて、立ち止まってしまう有様だった。

 長い回廊の奥にある白鳥の宮の扉の前まで来ると、守衛にフィオナ王女にお会いしたい事を告げる。
 守衛は、リゼルたちを中に案内すると、エマと一緒に白鳥の宮の入り口にある応接室で待たされた。

 リボンをかけてラッピングした紅茶の包みを膝の上に置いて、フィオナ王女にお会いするのを、どきどきと少し興奮しながら待っていた。二人きりでフィオナ様とお話しするのは、初めてなのだ。

 ほどなくフィオナ王女の侍女が応対に出たが、王女は体調がすぐれないとのことで、面会はできないという事だった。

 そんなにご体調がすぐれないなんて、お可哀そう…
 慣れない土地でこれから暮らすのだから、ご心労も重なっているのかもしれないわ…

 リゼルは落胆しつつも、フィオナ王女の体調を気遣い侍女にお見舞いを伝えると、紅茶の入った包みをその侍女に託して、王女にお渡しして頂けるように言付けた。

 このあとカイル皇子の宮である暁の宮に行き、兄の秘書のマーリン様に挨拶をして帰ろうかとも思ったが、もし、前のように偶然カイル様にお会いしたらと思うと怖かった。

 きっとカイル様を見たらカイル様や家族と離れ、神殿に行くという決心が揺らぎそうな気がした。
 リゼルはエマを伴って、そのまま屋敷に戻ることにした。

 白鳥の宮を出ると、エマが拍子抜けしたように言った。

「お嬢様、私、フィオナ王女様を一目、お側で見たかったのに残念です。すごい綺麗な方で皇子様と、とってもお似合いだって聞いていたから」

「ええ、本当に美しくてお綺麗で、、、カイル様ともお似合いなの。でも、具合が悪いなんて、心配だわ…」
「でも、お嬢様の紅茶を飲んだら、きっとよくなりますよ!」
「そうだといいのだけれど」

 リゼルたちは来た道をそのまま正門に向かって歩き始めた。エマはリゼルの後ろから、また彫刻や絵画を好奇心いっぱいに見ながら離れて付いてきていた。

 リゼルも、なるべくゆっくりと一歩一歩踏みしめるように歩いていた。

 もう、この宮殿も見納めになる…
 小さい頃から父や兄に連れられて訪れていた宮殿。
 カイル皇子を意識した頃から、いつかは皇子の居城、暁の宮に住まうことをひとり夢見ていた。

 ふふ、きっとそう思っていたのは、私だけではないのだわ。
 カイル様に恋い焦がれていた令嬢はこの国に数多くいたに違いない。
 私もその中の一人に過ぎないのだから。

 リゼルは考え事をしながら、後ろではしゃぐエマをそのままに、ゆっくりと長い回廊を進むと、ちょうど回廊が三叉路になっている所で、向こう側から文官や技官を従え、どこかへ外出するのだろうか、マントを羽織った乗馬服姿のカイル皇子が足早に歩いてくるのが目に入った。

 カイルさま・・・!

 リゼルは、心臓が飛び出してしまのではないかというぐらい、いきなりバクバクと踊り出し、同時に、胸の奥にきゅんという痛みにも似た感覚が走った。

 カイルは、文官が差し出す書類に目をやり報告を受けながら歩いているため、リゼルには全く気が付いていない。

 あまりに緊張していたため、リゼルは、きっと挨拶でさえ満足にできないと思い、心臓のどきどきという音がより大きくなるのを聞きながら、カイルに見つからないように回廊の端により、やり過ごそうとした。

 三叉路で、カイルは右手に折れて正門に向かっていこうとしたその時、ふと目をあげた。

 一瞬、カイルの動きが止まり、回廊の端に張り付いているリゼルを見たような気がした。
 カイルは正門へは曲がらずに、文官が差し出した書類を押しやると、そのまま真っ直ぐ、ゆっくりとリゼルの方に向かって歩いてくる。
 お付きの者達も、慌ててカイルの後を追った。

  ああ、どうしよう、カイル様がこちらに・・・・

 リゼルは、さらにどきどきと早鐘を打つ心臓をなんとか宥めようとした。
 自分に話しかけられるとは思わず、通り過ぎるのを待つように、回廊の端によって俯く。 

 その時、ふわりとカイルの森林のような香りが漂った。下を向いて俯いていると、カツンと音がして、カイルの乗馬用のブーツのつま先が視界に入った。

 「…リゼル。今日はなぜ宮殿に?」
 カイルが俯くリゼルに声をかける。なぜか喉の奥から絞り出すような声だった。

「あの、フィオナ王女様のご依頼で、白鳥の宮に私のお紅茶をお届けに・・・」
 顔を上げてカイルを見ることができずに、俯きながらリゼルが声を震わせて呟いた。

 「リゼル、顔をあげて・・・」 

 その声を聞き、リゼルは息がとまりそうになった。
 自分の名を呼ぶ、甘く耳を掠める声。
 あの夜、カイル様は寝台で私に口づけをしながら、同じように私の心を蕩かすように私の名を囁いた。
 なぜ、カイル様の声を聞いただけでこんなにも私の心が震えるのだろう。
 カイル様の声を聞く度、もっとその声を近くで感じたいと思ってしまうのだろう。

 切ない思いがリゼルの体を震わせ、つま先がきゅうとすぼまる。

 カイルは、嵌めていた乗馬用の革手袋を片方とると、リゼルの頬にそっと手を添えた。

 俯いたまま、顔をあげれないリゼルは、頬にカイルの手の感触を感じた。ひやりと冷えていた頬に温かなぬくもりが溶けてゆっくりとリゼルの全身に広がっていく。
 そのままカイルがそっとリゼルの頬を上げて、顔を上に向けさせた。

 リゼルが目瞼をゆっくりと開いて瞳を上に向けると、カイルのどこまでも深く蒼い瞳と眼が合い、吸い込まれそうになる。
 静かな炎を湛えたような瞳。その瞳の中に映っている自分が見える。

 カイルは、少し目を細めて、頬に手を添えたままリゼルをじっと見つめている。

 まるで、お互いの時間が止まったように。
 
 カイル様、カイル様・・・
 リゼルの声にならない心の声が愛しい人のその名を呼ぶと、カイルへの想いが堰を切ったように溢れ出した。

 ーああ、私が生まれてはじめて恋に落ちた男性ひと
 そして私が肌を重ね合わせた、最初で最後のたった一人の男性ひと

  神様は、私のために最後にひとめ、カイル様とお会いできる機会を作ってくれたのかもしれない。

 きっと、今日のこの日を私はずっと忘れない。
 これが魔法なら、どうか解けないで。

 最後に、カイル様のこの深い蒼い瞳を目に焼き付けておけるように。
 神殿に行った後も、今日のカイル様を永遠に思い出せるように。

 さよならを決めたことは後悔していない。
 叶わぬ恋だったけれど、私のたった一人の運命の男性ひとだから・・・

 心の奥底からこみ上げる想いにリゼルが唇を震わせると、カイルの頬に添えられた親指がリゼルの唇をかすめた。そして、淡い色をしたバラの花びらのようなリゼルの唇にそっと親指を這わせた。

「リゼル、僕は・・・」

「殿下、そろそろ急ぎませんと。出立のお時間が」

 カイルが囁くような声で何かを言いかけた時、後ろに控えていた文官がカイルを急かした。
 カイルは、はっとしたようにリゼルの頬に添えた手を離すと、文官に頷き、また革手袋を嵌めながらリゼルに言った。

「リゼル。では、気をつけて帰るように。また会おう」
 カイルは踵を返して、文官らと足早に正門に向かっていった。

「お嬢様・・・?」近くで控えていたエマが不思議そうに声をかける。

 リゼルは、カイルの後ろ姿が視界から消えてもなお、ずっとその場に佇んで見送っていた。


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