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俺と彼女の、せいしをかけた戦い

この苦しさを待ちわびていた

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 夕焼けがうざったい。

 屋上へと続く扉を開けた瞬間、俺はあまりの刺激に思わず目を細めた。

 くそ、なんでいんだよ。

 紅色に染まった空へ向かって、金属バットとボールのぶつかる甲高い音が校庭からまっすぐ伸びていく。屋上の中央に立っている人の影も、俺のもとまでまっすぐ伸びていた。

【放課後、一人で屋上に来てください。大事な話があります】

 こんな手紙が下駄箱に入っていて喜ばない男子はいない。だってこれって告白されるってことでしょ? しかもラブレターなんて古風な呼び出し方、絶対、手をつなぐだけで十年くらいかかっちゃう系の、俺好みの初心な女子だよ。

 なんて、思えるような人間でありたかった。

 俺は逆光のせいで全体的に黒くなっている女の子のもとへ歩いていく。マッシュショートの髪と大きな目が特徴の女の子、梨本臨がそこで待っていた。

 乾いた風が吹き、彼女の紺のプリーツミニスカートがはためく。なびく髪を手で押さえもしない。暖かな夕陽に照らされているのに、彼女からは氷のように冷たいオーラが滲み出ている。

「久しぶり、宮田下くん。元気だった?」

 いきなりそう聞いてきたが、俺が正直になにかを言ったところであなたは怒りを沈めてくれるんですか?

「まあ、学校に来てる時点で、誰かさんよりはね」

 ぴくりと、梨本さんのこめかみが動いた。

 吉良坂さんのことに言及して梨本さんの感情を逆撫でしたのは、あえてだ。

「たしかにね。私がいくら電話をしても帆乃は全く出てくれない。今夜直接家に乗り込むつもり」
「もしかしてそれ、俺をデートに誘ってる?」

 俺は梨本さんの一メートルほど前で足を止めた。

 彼女の口元はプルプルと震えている。

「まさか。私が機械にしか興味がない、唯我独尊女だって知らないの?」
「俺は梨本さんが機械にしか興味がない唯我独尊女を演じてる普通の女だってことを知ってるよ?」
「言うようになったじゃない。でもあなたは帆乃のものでしょ? この写真がある限りね」

 梨本さんがポケットから一枚の写真を取り出す。女子トイレの中で、俺が吉良坂さんを襲おうとしているように見える写真。

 この写真がすべての元凶だ。

 俺は梨本さんからもその写真からも目を逸らした。夕焼けに染まった空は本当に眩しすぎる。

「そうだけど、そうじゃなかったってことだな」
「なにその反応。ばらまくわよ」
「好きにすれば」
「じゃ、好きにさせてもらうわ」

 梨本さんは持っていた写真を握りつぶしながら俺に詰め寄る。かかとを上げて俺と顔と顔の距離を近づけて、

「私、言ったよね?」

 なんだ、キスしてくれるんじゃなかったのか。そんな怖い顔で胸ぐらをつかむなよ。首元が苦しいだろ。機械にしか興味がないなんて、やっぱり大嘘じゃねえか。

「帆乃を泣かせたら許さないって、言ったよね?」

 でも、この苦しさを俺は待ちわびていた。

 俺が学校に来られていたのは、たぶんこれが理由だ。

 俺はこの瞬間を求めていた。

 今回の吉良坂さんとの一件で明確に俺を糾弾してくれる誰かを、喉から手が出るほど欲していた。

「それがどうしたって言うんだよ!」

 俺は梨本さんを睨み返す。

「仕方なかったんだ! こうならざるをえなかったんだよ!」
「なにそれ? なんでも聞く約束だったんだからなんでも聞いてあげなさいよ」
「俺ができる範囲のなんでもならすぐに聞いてたさ」
「帆乃が相手でなにが不満なの?」
「なにも不安はない」
「だったら」
「ってか梨本さんもそんな気なかっただろ? 写真をばらまくとか、本気じゃないくせになんでも言うこと聞けだ? そういうのじゃ意味ないってわかってたから、梨本さんは吉良坂さんの彼氏になれって、そういう命令を俺にしなかった」
「私はなんで帆乃とできないのかって聞いてるの!」

 梨本さんが声を張り上げたのは、俺の言っていることが図星だったからなのか。

 それとも、曖昧なことしか言わない俺にしびれを切らしたのか。

「そんなの単純だ。俺は勃たないからだよ。精子がないからだよ」

 平然と、明日数学の小テストがあるらしいぞ、と同じテンションで伝えると、

「……え?」

 想定外のことだったのか、梨本さんは口を開けたまま固まった。
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