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猫コスプレをかけた戦い

猫かわいいよ猫

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 いつもの通学路を歩いているとあくびが出た。

「柔らかかったよなぁ」

 後頭部を手でさすってみる。

 まだそこにおっぱいの感触が残っている気がして思わず顔がとろけた。最高級の枕で頭を支えるという経験をしたせいで、俺の頭の形に馴染んでいるはずの自室の枕がやけに固く感じてしまい、今日はよく眠れなかった。

「……あ、猫」

 そのとき、石垣の上で気持ちよさそうに寝ている猫を見つけた。首輪をしているのでおそらく飼い猫だろう。

「ああ、いいなぁ、猫は」

 本心からそう思う。

 何物にも囚われず、自由気ままに生きられる猫が本当に羨ましい。いや、猫だって人間から自由気ままな生き物だという偏見を押しつけられているのか。

 俺は純度百パーセントの猫派だ。子供のころ、猫って言葉が入ってるってだけの理由で猫舌だと言い張っていたこともある。

「よーしよし。いい子いい子」

 慎重に猫に近づいて頭をなでてやる。

 猫は俺をちらっと見て、好きにしろって感じでまた目を閉じた。

「お、それはまだなでてもいいってことですか?」

 俺は頭だけでなく、あごの下や胴体も欲望のままになでまわした。

「あーあ。俺んちも猫が飼えたらなぁ」

 母さんが動物アレルギーのためうちでペットを飼うことはできない。早くペット可のマンションでひとり暮らししたいよぉ!

「猫はいいなぁ。飼いたいなぁ」
「へぇ。宮田下くんって猫が好きだったのね」
「――っわっと」

 いきなり後ろから声をかけられたせいで、情けない声が出てしまった。

 猫もその声に驚いて逃げてしまう。

「……って、梨本さんか」

 声をかけてきたのは梨本さんだった。彼女も登校途中なのだろうか?

「あれ? 梨本さんの家って俺の家の近所にあったの?」
「まさか。私はあなたの弱みを探してストーキング……朝のお散歩をしてただけよ」
「梨本さんって本当に誤魔化したいって思ってる?」
「なんであなたに胡麻を貸さないといけないのかしら?」
「あ、もういいです。はい」

 なんか悪い予感しかしないので即断即決で引き下がりますね。

「ちょっと。女の子が放った渾身のギャグをスルーするなんてどういう神経してるの? あの写真バラまくわよ」
「あーよくよく考えるとすげーおもしれぇ! 誤魔化すと胡麻を貸す! 常人には思いつかねーよ! ほんっと最高。笑いすぎて涙出るわ」
「あんなので笑うなんてあなた正気? センスのかけらもないバカね。理解に苦しむわ」
「俺は梨本さんが俺をおもちゃにしてることを理解しました」

 梨本さんってほんと俺をからかうの好きだよね!

「あら、よくわかってるじゃない。そんな理解力のある宮田のバカ下くんには、なにかご褒美をあげなくちゃね」
「ご、ご褒美?」

 なんか嫌な予感しかしないんですけど。

「そ。これ、あげる」

 梨本さんが、ご褒美と称して渡してきたのは、一枚の写真だった。裏返しになっているため、なにが写っているのかはわからない。

 ま、どーせ俺を隠し撮りした写真でしょ?

 そんなことを思いながら、俺は梨本さんから渡された写真をめくる。

「……これ、は?」

 そこには吉良坂さんが映っていた。制服姿のまま机に向かって、真剣な眼差しをパソコンに向けている。小説の執筆中みたいだ。片膝を立てて座るのは癖なのだろうか?

「そ、昨日の執筆中の帆乃の写真。アンタにも見せとくのが筋かなぁって。帆乃は小説を書くのをさぼってないですよって」
「さぼるなんて、そんなの証明しなくていいのに」

 俺は再度写真に目をやる。ヒリヒリした集中力が伝わってくるいい写真だ。

「昨日は徹夜だったらしいわ。締め切りが今日のお昼だからって」
「そっか。すげーな。こんなにも熱中できるものがあって」

 素直な感想が口からこぼれた。熱中できるなにかに出会えるというのは、それだけで幸せだと思う。それができない人だって大勢いるのから。

「すげーな、ってあんたにも熱中できるものくらいあるでしょ?」

 なにバカなこと言ってんの、って顔でこちらを見つめる梨本さん。

 ああ、そっか。

 梨本さんにも発明っていう熱中できるものがあるんだよな。

「それがない人間ってのもいるんだよ。残念ながら」
「そんなの、ただ好きに向き合うのを怖がってるだけよ」

 梨本さんは俺の意見をぴしゃりと切り捨てた。
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