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おっぱいをかけた戦い

私を縛って②

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「だからぁ、そのぉ……お願いします」

 吉良坂さんは縄とアイマスクを持ったまま、スカートの裾をぎゅっと握りしめている。

「私を縛って、拘束して、宮田下くんの好きにして」
「ちょ、ちょっと待て!」

 俺はとりあえず二歩ほど下がった。

 えええ? どういうこと?

 俺が好きにしていい?

「待ってって、だってなんでも言うことを聞いてくれる約束」
「それは……あっ!」

 俺は悟った。これは罠だ。きっとこの部屋のどこかに梨本さんが隠れている、もしくは隠しカメラが設置されているんだ。吉良坂さんを縛って愉しむ俺を盗撮して、さらなる弱みを握ろうとしてるんだ!

「おおお俺はもう騙されないぞ。吉良坂さんを縛ろうとしてる俺を盗撮して、またさらなる弱みを握ろうって魂胆だろ!」
「そんな必要がどこにあるの? あの写真がすでにあるのに」
「たしかに、それは……」

 吉良坂さんの言う通りだ……って認めると癪だが、俺の名声を地に落とすにはあの写真で充分だ。現に俺はこうして吉良坂さんの言うことをなんでも聞くという無条件降伏をしているわけなのだから。

「で、でも、じゃあどうして?」

 俺は湧き上がっている疑問を素直にぶつける。

 だってそうだろ?

 俺を脅す以外に、吉良坂さんがこんなことを提案するメリットがない。ってかそもそも俺に女の子を縛って好きにするなんて、そんな外道みたいな趣味や性癖はないからね!

 まぁ吉良坂さんがどうしてもって言うなら……いやいや、絶対にありえないから!

「それは……」

 吉良坂さんはもじもじと身体をくねらせたあと、小さく息を吐く。

「…………っのために」
「え?」
「小説のためにっ!」

 吉良坂さんはむきになった子供のように叫んだ。

 え? 小説?

「小説のために、どうして吉良坂さんを縛らないといけないんだよ?」
「だから、その、今度書く小説で、登場人物が縛られてなすがままにされるってシーンがあって、それで、経験できるなら経験しといた方がいいかなって」
「ちょっと待って。今度書く小説……って、吉良坂さん小説家なの?」
「ううん」

 吉良坂さんは首を横に振る。

「まだ小説家じゃない。今度新人賞に投稿しようと思ってるやつで」
「なるほど」

 そういうことね。小説家志望ってことね。まだ小説家じゃないってことは、絶対になるって決意してるってことね。

 にしても意外だ。

 吉良坂さんが小説家を目指してるなんて。

 たしかにいつも本を読んでいるけれど、執筆までやっているなんて。

「そう。これまで送ってきたのは全部一次落ちだけど、やっぱり諦められなくて。作品添削に送って返ってくる講評には毎回シーンに現実味がない、リアリティがないって書かれてるから、それで」
「リアリティを追求するために、経験できることは経験しとこうってわけか」
「だからなんでも言うことを聞いてくれることになった宮田下くんに頼んでるの。宮田下くんにしか頼めないの」

 吉良坂さんの目は真剣そのものだった。

 小説を書いたことがない素人の俺でも、作者本人が経験することの重要性は理解できる。

「だめ、かな? 縛られた私になんでもしていいし、なんでも受け入れるから」

 吉良坂さんの瞳は少し潤んでいた。
 その祈るような視線が胸に突き刺さって痛い。

「事情はわかったけど、でも、俺が吉良坂さんを縛るって言うのは……倫理的に」
「私がいいって言ってるから倫理的に問題なんかない。それに私にはあの写真がある」
「うぐっ……」

 ずるいよ吉良坂さん!

 あの写真がある限り、俺に断るという選択肢はないのだ。

「お願いします。宮田下くん」

 吉良坂さんが頭を深々と下げる。

「私、子供の頃から小説家になるのが夢だったの。リアリティのため、小説家になるため、なんでも経験したいの。妥協したくないの」

 吉良坂さんの本気の思いが俺にぶつかって、身体の中に侵入して、暴れまくる。

 吉良坂さんは本当に小説家になりたいと思っているんだ。

 本気なんだ。

 むしろ本気じゃなかったらこんなこと頼まないか。

「だったらさ、吉良坂さん」

 だからこそ、俺はあることを確認したかった。

「なんで、しょうか」

 顔を上げた吉良坂さんが不安げに俺を見る。

「さっき、何度も新人賞に投稿してるって言ってたけど、何回くらい挑戦してるの?」
「……えっと」

 縄とアイマスクを近くの机に置いた吉良坂さんは、右斜め上を見上げながら「一、二、三……」と指を折り始める。

「五年前に初めて送ってから、全部で三十回くらいかな?」
「そんな、にも」
「本当は諦めなきゃいけないんだろうけどさ。こんだけ送って全部一次落ちなんだから」

 吉良坂さんが嘲るように笑う。

「でも本当に小説家になりたいから、続けてるの。ごめんなさい。こんな才能ない人の手伝いさせて。どうせだったら才能ある人の手助けしたいよね」
「そんなことない」

 俺は吉良坂さんを真っすぐ見据えた。

 夢に向かって頑張っているのに、そうやって自分を卑下する吉良坂さんに対して少し怒っていた。

「吉良坂さんには、間違いなく才能がある」
「そんな、お世辞はいいの」
「お世辞じゃない!」

 俺は声を張り上げていた。

 だって俺は吉良坂さんを羨ましがってるから! 悔しいと思ってるから! 情けないと思ってるから!

「吉良坂さんはどんな結果も受け入れて、夢を叶えるために小説を書き続けて、新人賞に投稿することを続けてる。挑戦し続けるってことは立派な才能だよ」

 それができなかったのが俺だ。たった一回否定されたくらいで、俺は挑戦をやめた。あれだけないたいなりたいと周りに言いふらしていたのに。絶対に叶えたいと思った夢だったはずなのに。

「だから俺は吉良坂さんの挑戦に協力したい! 俺の方からお願いしたいくらいだ。なんでもすることになってるんだから、遠慮なくなんでも言ってほしい」
「宮田下くん……ありがとう」

 にぱっと目を細める吉良坂さん。その拍子に潤んだ瞳から涙が零れ落ちた。それを指で拭いながら吉良坂さんが続ける。

「小説を書くのってほんとに孤独で、なにが正解かわからなくて、不安になることばかりだからいままで辛かったの。でも宮田下くんが一緒にいてくれたら私はまだ書き続けられる。執筆という孤独に立ち向かえる」
「違うよ。吉良坂さんの孤独を俺が一緒に背負うんだから、吉良坂さんはもう孤独じゃない。一緒に目指そう」

 こんな熱いことを自分が言うなんて意外だ。

 少し――かなり恥ずかしい。

 でも。

 俺自身は夢を諦めてしまったけれど、夢を追いかける吉良坂さんのことを素直に手伝いたいと思えた自分を、いまは褒めてやりたいと思う。
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