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第二章 子育て奮闘中

53. 「2」という数字 ④

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 まあ、なんだ。
 要は、ブチギレってやつだよ。

 あいつらの理不尽な八つ当たりに心底腹を立てた俺は、初日同様にキレてしまったんだ。
 もう、何もかもがどうでもよくなって、旅の事とか俺の身体の行方とか、そもそも元の世界に帰れるかどうかとか、一生懸命やってきた約2週間に唾を吐かれた気持ちになってしまってさ。

 俺は叫んだよ。
 俺だって辛いのに分かって貰えない。俺だってちゃんとやっているのに認めて貰えない。
 特に双子の最後の台詞はどうしても許せなかった。恐らく、最も言ってはならない事を、双子は口にしたと思う。
 こんなに怒ったのは初めてかもしれない。
 手を出すのは最低の行為だから口だけに止めたが、それでも湧き出る負の衝動を抑えきれなかった。

 俺は泣き叫んでいたと思う。
 怒りのあまり涙腺が緩んで、意図せず涙を零してしまうのも初めての経験だった。
 多分それは、感情の昂ぶり以前に、俺自身も極度の睡眠不足とストレスで、相当おかしな具合になっていたのが原因だったんだろう。

 何を叫び、何を訴えたのかはよく覚えていない。
 この騒動に神殿の皆が部屋に出揃った時、俺の叫びは懇願に変わっていた事だけは覚えている。
 赤ん坊の前で大人げないと思ったけれど、巫女の三人を汚い言葉で罵って、大声でがなる俺の声を何事かと聴きつけた神殿の連中に対しても責めたて、呆気に取られて茫然と立ち尽くすフアナにリアを押し付けて俺はぶちまけたよ。

 子育てはやってみれば分かる。非常に孤独な世界に取り残されるのだと。
 言葉の通じない、ペットよりも世話の掛かる赤ん坊相手に24時間付きっきりになっていると、自分はなんて小さな世界に閉じ込められているのかと気付くのだ。
 物理的にも精神的にも、外の世界との関わり合いが隔たれて孤独を感じる。一気に狭くなった視野の中、暗中模索で子供と接しているが、それが当たり前だと周りの人間はその孤独に気付かない。
 家にいるから楽だろう。働いてないから楽だろう。逆に24時間ものんびりできていいな、なんて聞かれた日には、死にたくなるほど惨めになる。

 子育ては一人でやるものじゃない。
 働いているから偉いだなんて間違っているし、子育ては仕事じゃなくて「義務」だ。
 頑張っていない人間なんていない。
 一人一人がほんの少しずつ誰かに対して優しくなれば、分け与えられる幸せはおのずと大きくなるのに、どうして自分の事だけしか考えようとしないのか。
 頼むから、たったひとりの無力な赤ん坊に、泣く事と眠る事しか意思表示のできないとても小さな存在に、恨みつらみを持たないでくれと。

 そして、ほんの少しでも俺の気持ちを察してくれと。

 彼らの顔は見れなかった。
 誰もが口を開かず、無言で部屋に突っ立っていた。
 やってしまった感に襲われるが、今更時間は戻らない。

 こうして俺は――――神殿を飛び出した。感情の赴くままに。

 それから俺は走って走って。
 行く当てもない癖にとにかく走って、泣いているから前も良く見えず、前後不覚で何十分も走り続けた。
 そして転がるように着いた先がジョアンの牧場だったのだが、これまたどうやってそこまで行き着いたのかさえ覚えていない。

 山の中腹の麓にある牧場は、クソ長い階段を十数分も降りてやっと原っぱが見えてくる場所にあるのに、俺は神殿から伸びる石階段を使った記憶がない。
 どうやら獣道すらない山の坂道を、アホみたいに駆け降りたようなのであるが、リアの加護の力が戻ったお陰でその険しさに全く気付かなかった。
 途中何度も石に蹴っ躓いて転んだりしたし、枝や木に衝突したり、魔物らしきもじゃもじゃした生物にも逢ったような気がするのだが、怪我をするどころか痛みも感じないので関係なしに突っ走ってきたんだろう。

 そんでガレットの牧場だ。

 俺は思わず笑ってしまった。
 上の喧騒なんて知る由もない下界が、あんまりにも長閑だったから。

 ポカポカ陽気に涼しい風。鳥の美しい囀りと時折聴こえる間の抜けた牛の欠伸の声。
 牧場から見える荘厳とした湖は光を讃えて瞬いていて、キラキラと水飛沫を上げた魚の鱗がとても眩しい。
 水は際限なく澄み切っていて、何百とある細い滝から滝へと虹が7色のアーチを作る。そこを見たこともない美しい羽根を持つ鳥が舞っている。聴き慣れない囀りは、けたたましいのにどこか心地良い。
 近代社会に汚染された俺の世界では、稀有な光景だった。

 まさに地上の楽園。

 湖への落下防止柵に掴まって、俺はひと時の間、その景色に見惚れていた。
 本当は美しいこの異世界アゼル。だけど、俺に降りかかった現状が、この世界を楽しむことを許さない。

(どうして俺が。何故、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ)

 もう、飽きるほど自問自答したその答えに、応える者はいない。

 ずるずると腰から砕け落ち、柵に凭れ掛かるように、俺はついに限界を迎えてしまう。
 このポカポカ陽気の長閑な光景がいけなかった。深呼吸から一度出た欠伸から、興奮して忘れかけていた睡魔が復活し、その強すぎる睡眠欲が抗う気力を失わせる。

「あ、もう…やば…ねむ、い」

 重すぎる瞼は、目を閉じれば多分もう二度と開かないだろう。
 それくらい、俺は寝ていない。
 それくらい、渇望している。

 真からの、安眠を。

 ええ意識の向こう側で、牛の「モオ~」という声が聴こえたのを最後に、俺は暗闇を受け入れた。
 視界は暗くなり、頭の鈍痛が収まっていく。
 ああ、やっと眠れるんだと思ったら、ここが何処であろうと気にする思いも吹っ飛んだ。
 すぐに意識が暗闇に支配され、俺自身の利性もフェードアウトしていく。

「………」

 もう、構うもんか。

 俺はついに、念願の睡眠を手に入れた。

 そこで、とんでもない遭遇を果たすのである。

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