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第一章 異世界召喚

30. 可哀想な赤ん坊 ②

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「ちくしょう!!」

 あいつらマジで頭おかしいんじゃないのか。
 なんでこんなにも、リアを放っておけるんだ。

 ほぼ役目を果たしていない布を取っ払う。布は水が滴り落ちる程に濡れていたからだ。

 当然ながら着替えなんちゅうものはない。
 しかしそんな事は二の次だ。
 俺は絶句してしまったのだ。リアの、小さな赤ん坊の裸を見て。

 濡れそぼってじっとりとした身体。
 ガタガタと細かく振動――震えが止まらない。
 なんて冷たい身体。子供ってのは体温が高いものとばかり思っていたのに、まるで氷のようなツンとした冷たさだ。

 咄嗟に温めようとも、俺自身が濡れている。
 俺とて寒く、ガチガチと歯を鳴らしているのだ。

 他に布なんてない。見渡す限り、殺風景な部屋を見渡す。
 しょうがないから部屋の前の敷きマットをリアに乗せてみた。
 暖かくもなく、ゴワゴワで重いだけのマットは防寒具にすらならない。
 俺は何をやっているんだ。

(どうすれば…!!)

 リアの身体をよくよく見てみると、所々皮膚が赤くなっていた。
 特に下半身、腰から下が酷かった。
 一週間も不衛生に放置されていた股は赤く熟れ、小さな発疹が幾つも出来ていた。
 お尻はもっと酷い。蒸れて真っ赤なブツブツが一面に広がっていて、かぶれているというよりなにより、痛々しいものだった。

「うわ…」

 思わず目を逸らしてしまう。
 こっちまで痒くなる。無意識に自分の尻をポリポリと掻いて、赤ん坊のこいつには痒くても掻いて自分で収める事なんて出来ず、ひたすら痛みと痒みに耐えるのしかないのだと思ってしまったら、もうダメだった。

「なんだよ…こんなの赤ん坊にする仕打ちか…?」

 リアは不死身だと彼らは言った。
 だからといって乱暴に扱う理由にはならない。
 正確には人ですらないのかもしれない。けれど、生き物としての尊厳は、赤ん坊にだって等しくあるはずだ。決して無下に扱っていいものではない。

 そしてこれは、俺もこいつに一度でも関わった以上、同罪なのである。
 俺すらも、リアがこんな目に遭わされている事に、気付いていなかった。いや、所詮は他人事と思い、そこまで深く考えていなかった。
 俺に彼らを非難できる資格なんて本当は無いのに。

 それに、これのどこが不死身なんだ。

 身体を冷たくしてガタガタ震え、身体のあちこちに発疹を散らばせて。
 泣き声も覇気がなく、昨日あんなに困らせた超常現象も起きてない。

(……え?起きて、ないだと…?)

 リアが大泣きした時の不思議な力は、マナを調整できない溢れた魔法なのだとパルミラは昨晩説明した。
 部屋中を台風の真っ只中にしてしまう迷惑極まりないあの力は、どうして今発動していないんだ。

 もう俺には分かっていた。
 俺自身にかけられた、聖女の加護の気配が切れているのには、とっくに気付いていた。
 だけどグダグダと考えていたのは、少しでも問題を先送りしたかった俺の弱さ。
 こんなの、認めたくなかったから。

 リアは―――弱っている。


【死】が、脳裏に浮かんだ。


 その瞬間、俺はもうどうしようもなくなって溢れ出る感情を抑えきる事が出来ず、恥も外聞もプライドも全部なくしてめちゃくちゃ狼狽えて、泣きながら叫んだ。

「うわああああああぁぁぁああ!!!!!」

 声にならない悲鳴を上げた。

「ひぃうわあああああひゃああ!!!」

 叫びながらリアを抱きしめ、扉を開き、喉が枯れんばかりの大声で助けを呼んだのである。

「だ、だれかああああああっ!!ひぃあああ!!たすけてくれぇええええ!だれでもいいっ!!たのむから、だれかきれてくれええぇぇぇえええ!!!!」

 死ぬ!こいつが死んでしまう!!

 汚い身体を清めなければ。
 痒そうな汗疹も治療が必要だ。
 こんなに震えて早く温めないと。
 適切な着替えをさせなければ。
 落ち着ける場所を作らないと。
 便秘の解消法も探ってあげないと。
 ミルクも絶対忘れちゃいけない。

 場所も物も人手も要領も、何もかもが足りない。俺一人では、何もできやしない。

(死なせる訳にはいかねぇよ!!)

 こいつは、この聖女は、俺が異世界へ飛ばされた唯一の手掛かりなのだ。
 リアを失えば、俺は元に戻る手段を完全に失う羽目になる。
 それよりなにより、こんな無力な生物をこんなに呆気なく死なせて、平気な顔なんてしていられない。

 俺は血の通った人間なのだから。


 俺の悲鳴を聞きつけた聖女の巫女達が、転がるように部屋に駆け込んできた。

「ど、どうしたの!!」

 裸のリアを懸命に温めながら泣く俺を見て、フアナも只事ではないと感じたのだろう。
 驚愕な顔をそのままに、慌てて近寄ってきた。

「一応、部屋の近くで待機してたんだけど、凄い声が聞こえたから!」

「きゃ!裸?」

 次いで部屋に入ってきたエリザが途端に顔を隠した。
 俺はリアを温める為、濡れた服を脱ぎ捨てて上半身は裸になっている。
 雪山などで遭難した時、人肌で温めるといいと何処かで聞いた覚えがあったからそれを実践していたのだ。

「リアが…リアが死んじまう!」

「なんですって!?」

 尋常じゃない俺の様子に、巫女達の顔色が変わった。

「どういう事なの?穏やかじゃないね」

「見て分かんねえか、エミール!!加護が、あんたらのいう不死身の加護が消えてんだよ!」

「え?そ、そういえば、泣いてるのに何も起きていないですぅ…」

 一足遅れてパルミラ、アフレッド、ボンジュール、ハゲのオッサンも大慌てでやってきた。
 パルミラの息は乱れている。艶やかな黒髪もボサっとしていたから、全速力で駆けてきたのだろう。

「お師様の、マナの力が薄れていたものですから、もしやとは思っていましたが…!!」

「そんな御託はどうでもいい!」

 変だと思ったのなら、その時点でさっさと確認すればいいものを。
 でも、いまこいつらを糾弾しても意味はない。

 いい加減、自分と違う事に気付け、俺!!
 文化の違い、生活水準の違いなど、俺の世界でもあるじゃないか。

「パルミラさん!リア様、死んじゃうってホント?」

「どうしよう…昨日まで元気だったのに…」

「凄く震えてるよ!まさか痙攣、してるんじゃ!」

 リアの様子がおかしいのは明らかだ。
 口々にリアを案じる声が飛んでくる。
 こいつらは人としてそういう気持ちはちゃんと持ち合わせている。気持ちの問題では、俺となんら変わりはないのだ。

「とりあえず、手伝ってくれ!俺だけじゃ手が足りねぇ!!」

 泣き出したエリザと、半泣きのフアナ、顔面蒼白の面々を一括した。
 とにかく今はつべこべ言っている暇はない。早くリアを何とかする方が優先だと諭す。

「わ、分かったわ。手伝う。手伝うからリア様をなんとかして!!」

 俺に縋ってくるフアナの肩を強く掴む。
 彼らの真剣な眼差しは本物だ。
 俺はゴクリと唾を呑み込み、それから強い口調で指示を出した。

 やるべき事を、やるだけだ。
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