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第一章 異世界召喚

15. じっくり一緒に学んでいけばいいんだよ ①

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 赤ん坊の名前が分かったとして、しかしフアナは何か言い淀み、少し思案して話を切り替えた。
 思うところは絶対あるはずだ。余程の鈍感でもない限り。
 王都からベビーシッターとして呼ばれた「俺」は予想よりも早く到着し、赤ん坊の扱い方も名前も分からないのだから、まずは偽物と疑うだろう。

 手紙で知らされた人相ってやつが「俺」にクリソツだったからと、こうして不審に思いながらも赤ん坊の側に置いている。
 そんな不確かなものを信用し、何処の誰かも分からん奴を身近に置くのは実に不用心。俺が言えた義理ではないが、これが逆の立場ならとっくに警察を呼んでるレベルだ。

「コウハ?」

「へ?あ、ああ…ごめん」

「……」

 じぃと訝しげに見つめられる。
 フアナは最初から俺に敵意剥き出しだったが、理由はそこなんだろう。今は様子見をしているだけで。

 俺はポケットからスマホを取り出し、子育てテキストを開く。
 新生児の項目からミルクの飲ませ方と検索し、長ったらしい文章を読む。
 すっすっとスマホを操作する俺を、フアナは黙ってみている。
 初めて見るオモチャのような、それがなんだか分からないけど面白そうな物には違いないと瞳をキラキラさせている。

 じっと見られて居心地は悪いが、さっさと目的を果たしてしまおう。

「なになに…」

 一日の7割は寝ていて、腹が減ると泣く、か。
 ははっ、ニートみてぇだな。

 んで、1日に8回、3時間ごと授乳する。
 マジか…朝も昼も夜もお構いなしか。そういやねーちゃんも言ってたな。赤ちゃん講習で寝不足がかなり堪えるが、いつかは解放される時が来るから頑張れとか言われて凹んでた。

「どうしたの?」

「あのさ、訊きたいんだけど、あの赤ん坊…リアは産まれてどれくらいなんだ?」

して一週間よ」

 再生?
 またも聴き慣れない言葉が出てきた。
 これも素直に聞いたら怒るんだろうな、と思ったら何も言えなくなってしまって、敢えて突っ込まず無視する事にした。

「赤ん坊ってのは1日に8回ミルク――飯を食わせないといけねえ。胃が小さくてたくさん入らんからな」

 そうしてこまめに授乳する事が大事だと記されてある。
 最も母乳の場合は粉ミルクよりも消化が遅いから、きっちり8回を守る必要はないらしいけど、リアは母親がいねえからどうしても粉ミルクだけになってしまうだろう。

「え!8回も!?うそ、どうしよう」

「部屋に皿に入った牛乳っぽいのがあったけどよ、この一週間、まさかそれを置いてただけだった、なんて言わねえよな」

 狼狽えるフアナに話を聞くと、やはりペットよろしく地べたに置かれた皿は、あの赤ん坊の飯のつもりだったらしい。
 自分たちと同じく、朝昼晩の3回。
 歯が生えてないから固形物は食わんだろうと、様々なスープを与えていたようだ。
 しかも、更に直接べちゃりと押し付けて、それで良しとしていたらしい。

「普通に虐待じゃねえか…」

「し、知らなかったのよ!誰も教えてくれないし、リア様も泣くだけで何にも言わないし!」

 当然、皿の中身は減るはずもなく。
 要するにあの赤ん坊は、この一週間は殆ど飲まず食わずだったという事である。

 あの飢えた感じ、おしゃぶりへの執着、泣き叫ぶ度合いの酷さに合点がいった。

「赤ん坊が喋るワケねぇだろ。あんたら何人いるか知んねえけど、大人もいるのに何で誰も変だって気付かないかねぇ」

 子育てをした事のない男の俺でさえも、何となく本能で分かるというか。
 テレビや漫画、ゲームでそれとなく学んでいるんだろうが、それにしても酷い。

「よく死ななかったよな、あいつ」

「…ごめん」

 産まれた日を0日として、最初は10ml。
 以降は1日ごとに10mlずつ増やすのが理想、か。

 今日が7日目としたら70ml。奇数は分量がメンドイから80にするか。

 哺乳瓶を簡単に煮沸消毒して、粉ミルクを4杯入れる。

「本当は沸騰した湯を70度くらいに冷ました湯でミルクを溶かして、それから40度の人肌くらいに冷ますのがミルクの栄養分が損なわれずに丁度いいらしい」

「結構面倒臭いのね。度数で言っても分かんないけど、沸騰、お茶、お風呂みたいな感じかしら」

「そうそう。分かり易い例えだな」

 湯が冷めるまで待っても良かったのだが、フアナ達のリアに対するガサツな世話を聴いたらそんなにのんびりとも言ってられなくなった。
 早いとこミルクを持っていって、心行くまで腹一杯飲ますのがまずは優先だ。

「コウハ、氷水で冷やそう」

 桶に氷を入れ、上から柄杓で流水をかける。

「リア様大丈夫かな。死なないとは思うけど、悪い事しちゃってたみたい」

「ってか、本気で知らない事の方が驚きなんだけど?」

 作業台の上に零れた粉ミルクをペロリと舐め、フアナは顔を顰めている。
 あまり味がしないみたいだ。

「知らないっていうより、知る必要がないのよ」

「は?」

「あたしたちは―――あんたとは違うの。あんたの住む、そことは」

「どういう…」

「だからシッターあんたを呼んだのよ。リア様が、あんたを寄越すように《王都》に依頼した」

「赤ん坊が依頼って、意味わかんないんだけど」

 フアナは俺から哺乳瓶を奪い、まずは頬に当て、それから一滴、白いミルクの液体を手首の裏に落とした。

「あたし達はそれぞれやるべき役目がある。あたしは巫女だし、今日は洗濯物を干すのが仕事。あんたがボンジュール言ってるおっさんは、ご飯を作るのが仕事」

「おい」

「で、あんたは」

 ずいと哺乳瓶を目の前に突き出した。

「リア様を育てるのが仕事。あたし達の役目じゃない」

 手に取ると温くなっている。ほんわりと暖かい、牛乳を水で薄めた何とも言えない匂いが湯気から香る。

「早くリア様に飲ませてあげて?あたしは料理長にミルクの事、説明しておいてあげるから」

「あ、ああ…」

「どうせ8回もあげないといけないなら、湯が頻繁に必要でしょ?あの人、あたし以外の人が厨房をウロウロするのを嫌うの」

「そうなのか。悪い、助かるよ。それに付き合ってくれて、サンキューな」

「さんきゅ?まあ、いいわ」
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