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一. アッシュの章

4. hors'-d'oeuvre

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 父に一発ゲンコツを食らったアッシュは、そのまま馬車に揺られ、村の入り口近くの畑に来ていた。

 既に日は西に傾き始めており、あと一時間もすれば西日は赤味の強い日差しに変化し、直に落ちてゆくだろうという時刻である。

 そういえば今週から畑の収穫当番だったなとアッシュは今さらながら思い出す。
 今日はほとんど作業していない。畑で総指揮を執るコンチータからも痛いゲンコツをもらってしまった。

 まるで子供扱いじゃないかと文句の一つも出かかるが、村の主食であるトウモロコシ畑を手入れすることは村事業の最も優先される事柄なので、村八分に遭いたくない彼はぐっと我慢の子である。


 村まで走る一本の舗装された小道を除けば、渓谷から村までの10キロ弱全てを占める広大な土地は、そのすべてがトウモロコシ畑になっている。

 村の大事な主食であり、行商人を介し交易する事で外貨を稼ぐ為に必要な、とても重要なーある意味村にとっては神聖化された畑だ。


 トウモロコシの茎は人の背ほどに高く、葉が生い茂ると視界すら奪う。

 葉の中にいると昼間であっても方向感覚が狂う。
 それが10キロに渡って途切れる事なく続いているのだがら、迷子になってしまったらそれこそ生きては出られないかもしれないと思うのは慣れた村人であっても仕方がない事だ。

 畑の管理者コンチータは、その日収穫する区画を決め、茎よりも高い竿に旗を付けて目印にし、作業する村人達の腰にロープをそれぞれくっ付けて、迷子になっても誰かには辿り着くようなシステムを考案した。

 お蔭で迷子どころかサボってもすぐにバレてしまう副産物も手に入れられてしまった。
 この畑を知り尽くすコンチータの腰にもしっかりとロープは巻きつかれていて、彼女が率先して腰を屈めてあくせく動くものだから、繋がれた村人達は一緒になって動く羽目になる。

 必然的に非常に効率よく作業できてしまうのはコンチータの手によるものなのか、村人の努力の賜物なのか、いやその両方なのだろう。


 アッシュの隣で汗を掻き掻き、細めの中年男性がそう呟いた。

「でもさ、ジョウシが頑張りすぎちゃうとブカがそれに振り回されて、ブラックになっちゃわね?」

 アッシュが茶化すように男性にそう返すと、彼は細い目をさらに細くして首を傾げた。

 意味が分からないらしい。アッシュだって自分でそう言ってはみたもののあまり意味は良くわかっていない。
 曖昧に笑ってその場をごまかした。

「そういや親父が言ってたけど、アンタんとこの息子さん、もうすぐ帰ってくるんだって?」

 この村は基本的に家族のようだから無礼講である。

 明らかにアッシュよりも二倍は生きているだろう中年男性に軽口を叩けるのも、アッシュの性格を知り尽くした村人だからなのだろう、彼はアッシュの無作法な言い方にも全く異を返さず、アッシュの問いに満面の笑みを見せた。

「ああ、4年ぶりになるかな。先日手紙が来たよ」
「へえ!そりゃめでたいぜ!奥さんと、その、子供も帰ってくるのか?」
「ありがとう。そうだよ、オレにとっては初孫だ。もう3歳になるらしい。逢うのが待ち遠しいよ」

 彼は雑貨屋に通っては、子供の好きそうな玩具をマリソンにお願いしているそうだ。

 アッシュは4年前にこの村を出た一人の青年を思い出す。
 横で同じ作業をする男性に似て細い目をした青年だった。この村の幼馴染と祝言を上げ、腕によりをかけて盛大にパーティしたっけか。
 夜通し食いまくって呑みまくって、実に楽しかった。俺の料理に、村人は絶賛の言葉をくれたのが嬉しかった、とアッシュは一人ごちる。


 このヤーゴ村は、村長を裏で仕切るアマラばあさんの許可が無ければ、村を出る事は許されない。

 村の外に遊びに行くことすら言語道断である。

 そのアマラが、たった一つだけ村の外に行くことを許す、いや必ず村を出ねばならない事由がある。


 それは【出産に関わる事例】であった。


 この村に医者はいない。

 母子に何かあった時に対処できないからという理由から、妊娠が分かると直ぐに村を出て、険しい渓谷を抜けるのにまだ腹が邪魔せず動ける内にと、設備の揃った大きな町に向かう。

 町への案内やそこでの暮らしの手助けは、いつもの黒い行商人が請け負う。

 そして、子が生まれると自力でしっかり歩けるようになる3歳頃までその町で育てるのだ。 

 子の体力が付く3歳過ぎ、あの渓谷を越えるのはそれだけ至難な技なのだが、そうやって再び村人はこのヤーゴ村に帰ってくるのだ。


 よってこの村には、妊婦と2歳以下の子供は存在しない。

 今までにその出産に該当した多くの村人達が外界に出たが、その誰もがただ一人の例外もなく、全員が村に戻って来た。

 多くの人や物、文化や娯楽に溢れた町の暮らしを捨て、このトウモコロシ畑だけが自慢の不便で世界に取り残されたヤーゴ村へと。


 だから、この男性の息子は手紙の通り間違いなく帰ってくるのだろう。

 ニマニマ嬉しそうに息子夫婦とまだ見ぬ孫を想って語る男に適当に相槌を打ちつつ、アッシュは彼らが戻ったら町の旨い料理の話を聞こうと思うのであった。


 アッシュも若い男である。 

 この寂れた村に娯楽はない。
 そういった男と女の関係に興味が無い訳ではない。
 それなりに欲求感だってある。

 いずれ自分も妻を娶り、子を成すのだろうと、その時にはそういった行為をするのだろうなと漠然と考えてもいる。

 如何せん、相手がいないのが悩みの種であった。村に若い娘がいない訳ではないが、贅沢にもアッシュの好みとはかけ離れた女達ばかりで食指が湧かない。
 こればかりは雑貨屋に頼んでも入手できるものではないし、では一体どんな女なら良いのかと思案してみるも、言葉ではうまく説明できないもどかしさがある。

 女との駆け引きは面倒臭いとも感じていて、それならば好きな料理を作って気ままに一人で生きている方が楽かもしれぬと父親に話してみた事があるのだが、この俺に孫を抱かせてくれないのかこの親不孝者めとメソメソ泣かれてしまってその後会話にならなかったので、そのまま有耶無耶になっていたりする。

 偉そうな事を言って彼女いない歴=年齢。

 下もピカピカ新品。

 童貞だって拘りぐらいはあるのだと声を大にして言いたい。

「嫁さん、か…」

 つい、ポソリと言葉が出てしまった。あざとく聴こえてしまった細目の男が手を休める事なく言う。

「お前さんもいい年だろ。早く親父さんに楽させてあげなよ」
「は?楽ってまだ親父は40代だぞ、ジジイじゃあるまいし引退なんかさせてやんねえぞ」
「まだ好みの女性は見つからないのかい?」

 なんでそんなことを知っているんだ。あのクソ親父、みんなに言いふらしやがったな!

 次々に湧き出る悪態に男はただ笑った。

「焦らなくても、あの行商人さんに頼めば斡旋してくれるらしいぞ?嫁さん、この村で見つからなかったら、村を出て町で探してもいいんだし」

 ああ、その手があったか。

 そう、【出産に関わる例外】として、子を成し村の人口増加の恩恵を約束する理由ならば、期限付きではあるが外界へ降りて婚活するのも許可されているのである。厳しいようで意外と村の掟は甘い。

 そうか、それならば村よりも遥かに町の方が好みの女を探しやすいだろうし、なにより料理の修行ができるかもしれない。

 村にいるだけでは知りえないレシピを探す旅のついでに、嫁さんも見つけられたらいいかもな。

 今夜にでも親父に話してみようか。親父は乗り気になるに違いない。

 急に明るく視界が開けた気がした。

 オッサン、ありがとう!!と、ニッカリ笑って男に頭を下げた時、


 ピーーーーーーィィィー


 作業終了の笛の音が鳴った。



 ■■■



 夜、アッシュと父は酒を酌み交わしながら将来についてあくまで前向きに語り合う。


 酔いもあってか食も口も饒舌となりついつい遅くなる。

 父もその手があった道が開けた孫が抱けると浮かれていて、アッシュは人生初めての外界と想像だけの様々な料理と、ぼんやりと脳裏に浮かぶ未来の妻と新品卒業の夢を語りに語って、明日はさっそく雑貨屋の女主人に行商人を呼んでもらわねばならぬし、村長に村をでる許可をもらいにお目通りしなければならぬし、それには畑の作業を誰かに代わってもらわねばならないから人探ししないといけないしで忙しくなると言いながら、互いにそのまま気持ちよく寝落ちしてしまったのはまた別の話である。
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