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一章 異世界

2 僕はその腕に

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その夜はあまり食べることが出来なかった。明日の治験を知っているスタッフは気の毒そうな表情で食事トレイを下げる。

 一人になった部屋でぼんやり窓の外の川を眺めていると、不意にどん……とものすごい地鳴りがして僕は怯えた。地震かと思ったが、ここだけのようだ。部屋には緊急ロックがかかり出ることができない。中からは当然だけど開けることはできないから、ベッドに丸くなった。

 何かの事故かな?

 ベッドに丸くなり僕は気配を巡らせる。ガンガンと扉の外で大きな音がして、僕は怯えて身を起こした。

 ベッドから身を乗り出して、気配を伺っていると扉の外で低い声がしている。

 すると重いアルミの扉が開いて1人の男が現れた。

 緊急ロックはどうしたんだろう。

 そんなことを考えていると、見知らぬ男の人が手を伸ばしてきた。僕は怖くなって壁の隅に逃げた。多分死なないと思うけれど、腰から剣を下げている。それで傷つけられるのは嫌だ。男は金髪で白に金の縫い取りの軍服らしいものを着ていた。

 僕の治癒力と血に関することで、どこかの国家が目をつけたのかもしれない。怖い、逃げなくちゃ。軍の人かも知れないのに、金髪の男の人の金の瞳は優しい。

 なにかを話しているけれど、全くわからない言語だった。

「あなたは誰ですか?」

 僕の言葉も分からないみたいだ。男の人は困った顔をして、両掌を顔の前で合わせて頭を下げる。

 え、謝ってる?

 それから僕を見下ろして顔に手を掛けて……唇を合わせて来た。熱い舌が入ってきて、甘いシロップのような物を流し込まれ、

「ごめん、これで分かるかな。私の言葉が」

と口元が柔らかく綻んだ。

「ーー分かります」

 すると穏やかに笑い、

「やっと見つけたよ、私の番い。私の花嫁。ああ、こんな牢獄から早く出よう」

と目を細めて笑い、僕の前に片膝を付いた。それでも男の人の方が大きいのだから。僕は百四十センチしかない背丈で困ってしまう。

「僕が番い?花嫁?僕、男です」

「そう、私の半身、私の比翼、私の運命の伴侶だ。私のところに来てはくれないだろうか。決して私は君を傷つけないと約束しよう。だから手を取ってくれないかな」

 男の人は僕に手を差し伸べる。僕は思わず、本当に何も考えず、男の人の手に触れてしまった。一瞬突き抜けるような衝動が、足元から上がって来る。すると僕は男の人に軽々と抱き上げられ、お姫様のように抱き止められていた。

 警備員の声が聞こえて来た。もう、見つかってしまう。

「まだ、いたのか。廊下の兵士は眠らせておいたが。では、戻ろうか。魔法陣、展開」

 足元に金色の幾何学模様の円陣が浮かび上がった。

「転移!」

 僕は男の人と一緒に金の幾何学模様の円陣に吸い込まれ、目を開けると円柱の柱が何本も立ち並ぶ広い広間に出ていた。

「転移陣の維持も大変だな。やはり非効率だ」

 巨大な男の人が金の幾何学模様の円陣に立っていて、僕を抱えた男の人が円陣から出ると座り込んだ。その人は短い刈り込みの金髪で、ゆったりとした服を着ていた。

「その子がジンの番いか。小さいな、可愛いなあ、なあ、タク」

 思わずギョッとした。顔が狼の頭だったからだ。細身の筋肉質な男の人の身体に、獣面で言葉を話している。そこに細身の小さな子供が、鈍色の巻き毛を肩まで垂らして歩いてくる。金髪の男の人がやって来る。そしてもう一人銀髪の男の人が

「転移召喚は終了。私は仕事に戻ります」

と低い声で告げた。

「ハミル、ありがとう」

「いえ、お早めに職務にお戻りください」

と銀髪の人ーーハミルさ人は部屋を出ていった。

「この子がジーンの番いなんですね。ガルド神お力を借りて転移した甲斐がありました。僕はタークと言います。黒髪が綺麗ですね、懐かしいです」

 ターク、さん?くん?どっちだろう。僕より小さい子供が巨大な人と狼の頭の人の前にいて、ジーンさんが降ろしてくれた僕の手を握った。

「君が嫌な思いをしていたみたいだから、ジーンに頼まれて地球の日本から、こちらの世界『アメイ・ジア』へ異世界転移を神に願い出ました。僕の最後の子供の子供のわがままを聞いてしまいました。ジーンをよろしく頼みますね。僕は孫が早くみたいでーー」

 低くよく通る声がそれを遮る。

「母上、やめてください」

「番いは番えは、子を成すぞ?ジン、ジンも掻っ攫い婚だ。俺の血が濃いのだ。俺はセフェム。こっちのでかいのはガリウスだ。ジンの父だ」

 笑いながらセフェムさんが大きく欠伸をしながら出ていき、タークさんはガリウスさんにひょいと抱っこされて出ていった。

 訳が分からず呆然としていると、僕はジーンさんに引っ張られこの部屋の隅の椅子に連れて行かれ、僕を座らせると、ジーンさんが片膝を折り座る。

「ガルド神の与えし場がまだ残っているね。私の話を聞いてから、再び考えて欲しい。まず私の名前だね。私はジーン、ジーン・タイタンと言う」

 ジーン……さん。さっき話していたから、僕はこっくりと頷いた。ジーンさんの声は低く静かで落ち着く。

「君は今日、ひどく気を乱していた。何かあったのだろう」

 じっと僕の目を見て、ジーンさんが呟く。どきりとして僕は思わずジーンさんの金の瞳を覗き込んだ。寄生虫治験薬があるからだ。

「君のことは薄く感じていた。異世界なのだから君がそこで幸せならそれでいいと。でも君は助けを求めてもがき苦しんだ」

 僕はジーンさんを見つめ続けていた。異世界?ここは……日本ではないの?

「私は初めて父母にわがままを告げたんだ。君を、時空を越えて世界を越えて連れてきたいと。だって、君は私の番いなのだから」

 『番い』という言葉を口にする時、ジーンさんの声はためらいがちになる。

「『番い』って言い方で君を縛るつもりはないんだけれど、君の世界ではなんというのかな。離れがたい運命の相手。私の比翼はパールバルト王国を含むこの世界にはいなくて、異世界にいたということになる。運命の番いはね、互いに求め合う。マナもオドすらも分け合うことが出来る。それから互いの体液が甘いんだ、癖にかるほどね」

 その言葉にどきりとした。ジーンさんとのキスが甘かったからだ。僕の手を握りジーンさんが真剣な眼差しを向けると、鼓動が急に早まった。
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