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シーサイドボーイッシュ
タイムリミット
しおりを挟む小田原駅西口方面にあるコンビニを出て、階段を降りる。遊星の両肩には二つのカバンが掛かっていて、苦しみながら歩くその横では高田が購入してもらったおにぎりを頬張り、その空腹を満たしていた。
──聞けば、朝ごはんを食べ損ねたのだと。
「なんか、ちゃんと三食食べてるイメージがあったけど」
「意識はしてるけどね。
それでもたまに忘れたり、時間の都合で食べられなかったりなんてしょっちゅうさ。御手洗くんもそうじゃないの?」
「俺はちゃんと食べるし......」
食事に対する認識の違いというか、それを食べていい状態でいれるかどうか、というところか。
朝昼晩、3食しっかり食べなければ全力を出せないという簡単な事は、もちろん2人とも知っている。しかし、高田と遊星の間には明確な体の動かし方に関する違いが存在する。
100%の状態でなくても、恒常的にそう見せられるかどうか──
それが遊星に無くて高田にあるものだ。
事実、高田が自己申告するまで、腹が空いていることは誰にもわからなかった。
多少のブレがあっても、平均値を崩さず美しく見せる。これもモデルとして培ったものか、そう思いながら、遊星はおにぎりのゴミを受けとってポケットへと突っ込む。
階段を一段一段降りる度に走る肩への振動。その威力に眉間を寄せながら降り切れば、その先に広がるのは気持ちの良い── いや、それどころか気持ちの良すぎる青空、日差し、熱気と人。
少し前ならばともかく、ここ最近の夏というのは来るのが早い。何も短距離走ではないのだから、もう少し余裕を持ってもいいのではないだろうか。
上から下へ、下から前へ。
暑さに消されて無くなってしまいそうな登校のやる気を無理矢理出そうと向けた視線は、背中への衝撃と共にまたも下へと落ちる。
何かと思いその衝撃が伸びてきた右を向けば、本来ならばそこにいた筈の高田はカバンを奪って後ろに下がり、代わりに吹き飛ばすような笑顔の音成大輝の姿があった。
以前顔に貼った絆創膏はそのままに、今度は右手の甲にもう一枚増えている。こうして明るい中で見ると、幼めの顔に対してガタイの良い体が少々アンバランスな印象を持たせた。
「よーっす、前はありがとな!」
眩しい、その言葉以上に音成を構成するものはないだろう。輝くような笑顔に目を細めながら、遊星の視線は高田に向いている。
「大丈夫」と言う声に対して小さく頷き、再度視線を音成へ戻した。
「大したことじゃないよ。ああ、それと、コレ」
「あっ、俺の折りたたみ傘! 返してくれてサンキューな、人に貸して帰ってこない時あるから、それだけでいい奴だよ、お前!」
「強い強い......」
遊星にとって初体験なのは、ただ物を返した程度で嬉しそうに肩を組んでくるこの状況。加えて力が強く、もはや肩を組んでいると言うよりはヘッドロックをかけられている、と言った方が適している。
頭がふわついてきた頃にようやっと解放され、流石に命の危機を感じた行為に軽い平手をかます。しかし相手は強靭な肉体、対して遊星は貧弱な体。ぺちん、と弱々しい音が響き、それは反撃と言えるような高尚なものではない。
しかし音成は浸るように一度二度、叩かれた場所をさすってまた笑った。
本当によく笑う男だ。
「いやいや、ごめんごめん。
知り合いに御手洗の事話したら変な人だって言われたからさ、そんな訳ねぇなって思って。んで、人の事をよく知るにはボディランゲージだろ? それで俺は確信したわけよ、悪い奴じゃないって」
「......4組にまで伝わってるってことは、俺は随分と有名人なんだな」
「まあいいんじゃね? 知り合いは2組だから、理系クラスまで伝わってるんだろうなあ」
あくまで変な人程度に噂が留まっているのは幸運だったと言える。
学校で流れてしまった噂は、その真偽に関わらず面白ければ流布され、面白くなくても貶めようとする誰かが流し続ける。たとえ正しくなくても、集団の認識がそうであると極まって仕舞えば、学校においてだけはその噂こそが真実になるのだ。
それを知ってか知らずか、音成は軽く「いいんじゃね?」と言い、スマホを取り出して自分の好きなジャンルの話を始める。
動画サイトから流れてくるそれはバレーボールの動画で、遊星に興味があるか無いかなど微塵も気にしない。
自分の好きなものを押し通そうとする姿は、もはや重戦車だ。
「俺バレー部なんだけどさ、見ろよこのサーブ!
エグい破壊力だろ? これがやりたくて死ぬ気で筋トレしてるんだけどさ──」
......変なのは音成なのでは?
そんな考えが遊星の頭をよぎった時、肩に回されていた腕がするりと抜けていく。
気が変わったのかと音成の方を目で追えば、背中側から頭ひとつ分小さい女子生徒に両頬を引っ張られ、その肉体がのけぞっているでは無いか。
「本当にお前はすぐ突っ走って......!」
「いへへへへへ! 追いついたんだからいいだろ!」
「んなわけないでしょ、一言何か言ってから行きなさいよ!」
痛みに悶えて音成が身を捩り、間にあったものがなくなって女子生徒と目が合う。
高田は見えておらず、遊星は影に隠れていた。まさかそこに同じ高校の生徒がいると思わなかったのだろう。音成の頬から指を外し、一度咳払いをしてから挨拶を交わす。
「どうも」
「ああ、おはよう」
舐め回すような視線に晒され、一般的に悪い噂を流された側の気持ちを体験する。
普通はこれだ。音成のように特攻してきてボディランゲージから中身を読み取ろうとなんてせず、何か珍しいものを見た、と考えて関わらないようにする。それが学生として生きる為のテクニック。
「いくわよ」と言って女子生徒は音成の手を引くが、肝心の音成はまるで頑なに座り続ける芝犬のようにその場から動かない。
よほど体幹が強いのか、逆に引っ張った側の体制が崩れた。
「ちょっと?!」
「あのなあ...... お前結構失礼だぞ、なんで同級生から逃げようとするんだよ」
「それは...... 聞いたことあるでしょ、ウワサ」
「ウワサひとつで人を判断するのは違うだろ? 本当に生徒会か?」
2人の会話する声は小さく、少し離れた場所の遊星には聞こえてこない。その一方で3人の後ろについていた高田の耳には全て届いており、苦虫を噛み潰したような顔を見せる。
「まあいいや、俺は御手洗と一緒に行くよ。先に行きたければ行っててもいい」
「あっそ! 勝手にすれば!」
結局、女子生徒は早足に学校へ行ってしまった。
信号が青になり、音成はパンパンのカバンを揺らしながら隣に追いついて、さっきまでと変わらない笑顔を見せつける。そこには女子生徒と軽いケンカをした申し訳なさを感じることはできず、それが遊星には意外な事。
何かしらの言い合いをすれば、多少なりその後の行動に影響が出るものだと考えていたが。
「なあ、あの人......」
「棚橋の事か? 気にしなくていーよ。アイツもどうせ御手洗にした事、すぐに忘れるさ」
「そう言うわけにもいかないだろ。
俺のことはいいから、今からでも謝ってきなよ」
「まあまあ、とりあえず今は歩こうぜ」
音成大輝。
2年4組、バレー部、友達の数はそこそこ。
地元は鴨宮でひとりっ子。
話してみれば初めての印象よりも落ち着いていて、距離感がおかしいところこそあるが、ちゃんと触れていい所と触れてはいけない所を見定めている印象がある。
あとはそう、彼女持ちというところか。
「マジで彼女は作った方がいいぞ。御手洗はわからないだろうけどさ、好きな女の子と一緒に寝て起きた次の日、死ぬほど気持ちいいから」
「ええ......?」
「......一応言っとくけど、お前の考えてるようなことはしてないからな。
そんな見境なく興奮する変態に見えるか? 俺が」
「だって検索履歴に『女の子 水着』ってあるのに、それは違うよって言うのもおかしく無い?」
「うるせ」
人同士の出会いというものは本当にわからない。
最初は関係性を持ったことに焦りを覚えていた筈なのに、少し一緒に歩いただけで深い仲のように言葉を交わし、少々下品な話題で笑い合う。
27日という望まない筈の未来、その輪郭がだんだんと出来上がっていく。
学校まであと信号一つというところ、青になった横断歩道をわざと渡らない人影が目の前に1人見えてきた。どうしたのだろうかと遊星が首を傾げれば、隣の音成が噛み殺そうとした笑いを口から漏らす。
「言うの忘れてたけど、棚橋って学校の中はともかく、一緒に登校する友達が俺しかいないんだよ。
そのくせ短気で寂しがりだから──」
いつの間に距離を詰めたのだろうか、隣で得意げに語っていた音成の頭が揺れ、その陰から問題の棚橋が顔を真っ赤にして登場する。
両手を上げて無抵抗の意思を見せれば彼女は丸めて筒状にしたクリアファイルを緩め、なんとも言えない表情を向けてきた。
「......その、一緒に登校していい?」
「別にいいけど......」
「そ。じゃあよろしく。
あと、私はもう棚橋じゃないの。少し前に旧姓に戻って桜井、桜井柚子だから」
「え──」
衝撃を受ける暇もなく、少し遠くで鐘が鳴る。
ホームルーム5分前のそれに背中を押されて足早に校舎へと向かうが、心はそこには無い。
ずっと27日に縛り付けられたまま。
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