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シーサイドボーイッシュ
7日飛ばしの月曜日
しおりを挟む少し遅れて教室に入り、二度目の鐘が鳴り響いて1時間目が始まる。
遊星は前の席から回されてきたテスト対策のプリントに向き合いながら、心の中では問題が頭に入らないほど深く、高田のことに意識を向け続けている。
「少し忘れ物を取りに行ってくるから、次に会えるのは昼頃かな」
それだけ言い残して駅に走って行った彼女のことが心配でたまらないのだ。
こうして離れている間に、自分の記憶もすり替えられてしまうのではないかという不安は、中間テストに対する物よりも強く、そして重大な考えとして脳内メモリを圧迫していく。
そうして1時間目はあっという間に終わり、手元に残ったのは1割も終わっていないプリントだけ。
高田もいないとなれば、遊星はいつものように机に突っ伏し、何も見ず、何も聞こえていないふりをとろうとする。
しかし、今まで聖域のように手を出されることのなかったその行為に、一度二度と頭を叩く男が1人。
驚いて顔を上げれば、そこには爽やかな笑顔を見せる垣原が立っていた。
どの面を下げて話しかけにきたのか。
怪訝な顔をする遊星に対し、垣原はあくまでもいつも通りを崩さない。
「よっ、遅れてくるなんて珍しいじゃん?
昨日変な時間にでも寝たか? なーんて......」
「......」
「......おれ、お前になんかしたっけ?」
何のために来たのか、自分が言いふらしたことを忘れたのか。
そんな事を視線に乗せて垣原を突き刺していた遊星にとって、その疑問符は非常に苛立つ物であるのと同時に、ある気づきをもたらす。
「......なあ、俺とお前と、後数人でカラオケに行った時ってあったよな」
「おう、覚えてるぜ!
最終的には合コンっつーより、ただ楽しんで解散になったやつな!」
「俺と高田って、途中でいなくなったっけ?」
「何言ってんだよ、お前ら最後までいただろ?」
垣原の言葉が逆に耳を突き刺し、高田のことで圧迫されていた頭のメモリーに少しの隙間が生まれる。
そもそもカラオケで垣原からの真意を聞いたのは、高田との言い合いが起きて遊星がトイレに行ったから。
対して男の高田にはコンプレックスである、女子なのに他人から求められるかっこいい自分、というところが消えている可能性が高い。
つまり、男の高田が入り込んだ今においては、遊星も多少毒舌なところがあれど普通の人、という扱いを受けているということになる。
小さな冷や汗が遊星の頬を撫でた。
この空間、自分の知らない自分が歩んできたレールに今の自分が乗ってしまったら、その時はもう高田のことを思い出せないだろうという確信が、その背筋を凍らせる。
蒸し暑い初夏には寒すぎる怪談のような状況。
ひとまず一度垣原に断ってから席を立ち、教室を出て窓際に寄りかかった。
少し思考を整えてから窓の外を見れば、そこには2年間変わっていない綺麗な景色。
変わらない物に安心感を覚えれば、それを打ち破るようにして脅かしの声と伸びてきた手のひらが遊星の視界を奪い、あまりの衝撃に飛び上がりながら素っ頓狂な声が漏れてしまう。
「うわっ!? 何だよ!」
「あっはははは!! 俺次体育だから、またなー!」
振り返ってみれば、そこには体操着姿の知らない男。
高田のことを忘れれば、きっと記憶も統合されてあの男のことも知っていることになるのだろうか。
わかっているようで何もわからない今が、遊星の不安を一層強めていく。
「はあ......」
結局4時間目が終わっても高田は帰って来ず、いつも使っている空き教室の中で1人、弁当の留め具を外して箸を持ち、手を合わせる。
今日も冷凍食品を敷き詰めた色気のない食事ではあるが、会話がないこともあってその味気なさは三割り増しと言える。
だが、その味気なさを消し去る足音が廊下の向こうから聞こえてくる。
優勢が間違えるはずもないその足音は軽やかに、ゆったりとした余裕を持った綺麗なもの。
ドアの前で止まった音にやっと来たかと視線を向ければ、そこにいたのは知っているけど知らない男。
「あ、先に食べてるのか。
......まあいいや、お邪魔するね」
「邪魔するなら帰ってや」
「僕は静岡の人だから、それで帰るほどノリが良いわけじゃないよ。
関西の人にやるべきだね」
ドアの方に向けた視線をすぐさま弁当に戻して冗談混じりに帰れと言うが、男の高田は適当にあしらい、その辺から椅子を持ってきて目の前に座る。
弁当を開け、箸を手に取り、手を合わせて一口目を運ぶその一連の流れ。
数週間ほぼ毎日見た、どこを取っても自分のよく知る高田と変わらないその流れに、遊星の箸が止まった。
「......どうした、食べないの?」
「ああ、食べるけど......」
「なんか今日の御手洗、変だ。
いつもと違ってずっと難しい顔してるし、朝から廊下を走り回ってるし。
いつもなら僕と柚子、あと大輝あたりに話しかけにくるだろ? ニッコニコで......
あ、唐揚げ貰うわ」
「あっ、おい!
......というか、柚子と大輝って......」
男の高田は少ない咀嚼で奪い取った唐揚げを飲み込み、眉尻を上げて少し不機嫌そうに、心配するような声色で単純な疑問に答える。
「……桜井柚子と音成大輝。
1時間目が終わった後に驚かしに行ったやつが大輝で、僕と同じクラスなのが柚子。
ねえ、熱とかあるんなら本当に一回帰れば?
1日休んだ程度じゃそんな変わらないだろ?」
「いや、大丈夫」
虚言を吐き、弁当箱の蓋を閉める。
まだまだご飯は残っているが、ここまでの情報を整理することが最も大事だと判断し、遊星は頬杖をついて何も言わずに外を見る。
木には青々とした葉がなり、池には鯉がスイスイと泳いで生物の先生から餌をもらっていた。
遊星の頭の中にある高校の生徒の中に、桜井柚子と音成大輝という人間はいない。
正確には覚えていないと言うべきだが、そもそも覚えていないにしても存在しないにしても、何故そこまで関わりのない人間と、この世界の自分は友人でいるのか?
わからない事が次から次へと増える現状、遊星にできるのは、弁当を食べ終わった男の高田にそれとなく色々なことを聞く程度。
「高田」
「ほいほい、何?」
「俺とお前って、先週遊びに行ったよな」
その質問に対して高田は少し考え、何かを思い出した様子で遊星を笑う。
「先週は行ってないよ。
八景島に行ったのは先々週の日曜。
今日が5月の27だから、19日だな」
「そろそろ鐘鳴りそうだし戻るな」と言って教室に戻っていく男の高田を見送りながら、衝撃の事実に頭を抱えて遊星は机へ突っ伏す。
5月20日だと思って登校した今日が、高田から言われたことを信じるのであれば27日であり、八景島に行った日から1週間近くも経っていると言うのだ。
それならばまだ、音成大輝や桜井柚子の話も理解できる。
自分の知らないこの1週間のどこかで仲良くなり、高田と共通の友人になったと言う事だろう。
しかし問題は、なぜ自分と女の高田の意識だけ、1週間も飛んでいるのか、と言う事だ。
その飛んだ1週間のどこかで高田が完全に男にすり替わるような事が起きたのか、それともこれは現実ではなくて、ただの夢なのか。今が未来なら机の上で書いているこの文章も、もし明日が普通に20日、ないし21日として訪れれば消えるのか。
考えれば考えるほど答えは出ず、今はとにかく高田が戻ってくることを待つしかない。
「じゃあ、明後日からテストだしプリント配るぞー」
5時間目に突入し、本日何枚目かのプリントが手元に渡される。
しかしこのプリントもほぼ白紙のままでファイルに収められることになるだろうとため息を吐き、形だけでもやってる風にしようとシャーペンを持てば、開いている後ろのドアに気になる影。
保健室にでも行っていて遅刻してきたのだろうか、と思い周りを軽く見渡すが、そもそも休んでいる人間を除けばこの教室の中に欠員はいない。
であれば誰だろうかと思うのは当然で、自ずと遊星の視線はドアの方を向く。
「あ、御手洗くんは気にしないでね!」
「んんっ?!」
咳払いに見せかけた驚愕の声が漏れ、遊星に周りの視線が集まるが、現れた高田に視線をやる生徒は1人もいない。
ただ制服の高田が現れるだけなら遊星も驚くことはなかっただろうが、不味かったのはその服装。
今まで来ているところを見た事がなかったスカートの下には薄手のタイツ。
スラリと長い足を強調した下半身に、上は可愛げを強調したコーデ。
遊星が驚くのも無理はなかった。
その上、周りに認識されないことをいいことに教卓の上に座って足を組んで見下ろしては勉強している人の答えが間違っていると声に出したりと好き放題。
「あれ、最初の代入から間違えてる?
......へー、著者はこういう考えなんだ?」
ぶつくさと口に出す言葉全てが遊星にしか聞こえず、その全てが集中力を削ぐ。
加えて、時折机の上に座っては足を組んでスカートの中が見えそうになるものだから、不用意に前を向くこともできない。
流石の遊星にも、その中を見るべきではないと言う考え自体はあった。
「......」
「......」
ついに高田が遊星の隣へ襲来し、無言の時間が永遠の如く流れていく。
その視線は学校が終わるまで、遊星の顔に注がれていた。
下駄箱に紙を一枚置いて、帰り道を行く。
「高田は、桜井柚子と音成大輝って知ってる?」
「......うーん、桜井は一緒のクラスにいた気がするけれど、音成はわからない。
そもそも1週間も時間が過ぎていた...... なんて言われても、スマホの画面には20日ってちゃんと書いてあるし」
「でも垣原とかに聞いても今日は27日って言ってる。
俺と高田が丸ごと27日に送られたのか、それともただの夢なのか── 痛ったあ!?」
高田のブーツが遊星の足をすりつぶし、その様子を見て「夢じゃないね」と小さく言って何も無かったように歩く。
激しい理不尽を感じながらも、遊星は適度に痛いつま先で地面を蹴ってその背中に追いつく。
「もっと自分のほっぺをつねるとかさぁ!」
「自分の体には自然と加減するでしょ? それなら御手洗くんにやった方がわかりやすいよ」
「......少しSの気があるよな、高田って」
「私なりに甘えてるんだよ、きみに」
その日はお互い家に帰り、不安を抱えながら眠りについた。
記憶から消えてしまわないようにと祈りながら。
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