とりあえず、夏

浅羽ふゆ

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 昼過ぎになると暑さもピークを迎え、クーラーのない俺の家は灼熱の地獄と化していた。
「あちー! 死ぬー!」
 特にやる事も無く、部屋でゴロゴロしていた俺は、うだるような暑さに一人で文句を言い続けていた。
「もう! うるさいから外に出て!」
 急に部屋のドアがバタンと開くと、妹が鬼の形相で怒鳴ってきた。この暑さのせいで妹のイライラも噴火直前みたいだ。
 触らぬ神にたたりなし。椎名家の女は怒らすと、とんでもない事になる。俺はおとなしく従い、外に出てとりあえずコンビニに向かった。
 コンビニに着いても目的も無いので涼みながら立ち読み。一通り立ち読みを済ましたら、アイスを買って何となく防波堤に行ってみる。
 防波堤の上に腰を下ろし、ぼーっと海を眺める。
 釣り竿持ってくれば良かったなぁと後悔しながら溶けるより先にアイスをたいらげた。
 携帯を取り出してメールが届いていないか確認する。
 やっぱり来ていない。
 今日だけで何回確認しただろう。こんなに携帯を気にしている俺は未だかつていなかったはずだ。
 携帯を地面に置いて、波の音とウミネコの泣き声に耳を傾けながら寝転がる。
「あーーー!」
 言葉にならぬ思いを叫びに変える。ウミネコたちがより一層鳴きだした気がした。


「ピピピピ! ピピピピ!」
 いつの間にか寝てしまっていたらしく、携帯の着信音に俺はガバッと飛び起きた。
 一体、何時間寝ていたのだろう。とにかく俺は携帯を手に取り開いてみる。
 メール受信画面。差出人欄には「山根」と書いてあった。
「あーーー!」
 俺はまた海に叫んだ。
 波の音は相変わらず一定のリズムで音を刻んでいた。


 何だか悔しくて意地になり夕方まで待ってみたが、杉川さんからのメールは来なかった。
 ウミネコの鳴き声が次第に自分をバカにしている様に聞こえて来る。
 くそ! と届かぬ石を投げる度に情けなさが込み上げて来て、ウミネコは更に声を上げた。「……帰ろ」
 バカらしくなって帰る頃にはもう日が沈みかけていた。帰り道、山根からの「メールきた?」というメールに「来てねーよ!」と強がったメールを返す自分が何とも格好悪く感じる。
 悲しみに暮れながらトボトボと歩く家路。重い足取りはなかなか家へと着かせてはくれなかった。
 ようやく家に着き、部屋に入るなり俺はベッドに携帯を投げつけ、ついでに自分も倒れこんだ。
「なんでこないかなー。自分から送るべきかなー」
 思ったことが口から出てしまっている事にも気付かず、俺は沈黙を続ける携帯を眺める。
「ご飯だから降りてきてー!」
 間もなく一階から届く母ちゃんの呼び声に、絶対に聞こえてないと思われる小さな声で返事をする。充電機に繋ぎ、部屋を出る瞬間まで気にするも、携帯が鳴る事は無かった。
「あれ? 元気ないじゃない。夏バテ?」
 食卓に下りて来た俺の顔を見るなり心中を察してしまうあたりが、母親の凄さなんだろうなと感心する。
「いや、全然平気」
 平気な顔して席に着く。
 嘘をついた。平気なわけがない。
 今日ずっとメールの事しか考えてない。飯も喉を通らないとは正にこの事だ。いや、別に食べているのだが食べた気がしない。
 俺はずっと上の空だった。
 夕飯をしっかり食べ終えて部屋に戻ると携帯がピカピカと光っている。何かがあった知らせだ。
「うそ!」
 思わず叫んで携帯を充電器から引っこ抜き、ベッドに倒れ込んで恐る恐る携帯を開く。
 メール画面を表示。
「杉川小春」
 差出人はそう表示されていた。山根じゃない。確かに杉川さんからのメールだ。
 俺は飛び跳ねたい気持ちを押さえつつメールを開く。
「昨日はお疲れさまでした! わざわざ送ってもらったりしちゃって本当にありがとう!   それで七不思議の話なんだけど、明後日あたりがいいんじゃないかなって私たちはなってるんだけど、椎名くん達はどうかな?」
 俺はこの文を何度も読み返した。メールの文面からも優しさが滲み出ている気がした。いや、滲み出ていた。
 満足いくまで読み返すと、俺は山根に電話してメールが来たこと、そして七不思議の日程を伝えた。山根は、その日は別の約束があるからなぁ。と渋っていたが、俺が、んなもん断れ!の一言で一喝すると、渋々了解してくれた。
「んじゃ返信しなきゃいけないからじゃあね!」
 意気揚々と電話を切って、ふと冷静に考えると今の山根に対しての発言はかなり自分勝手だった事に気付く。
 自分で言っておいてなんだが、だんだん申し訳なくなり、一応、杉川さんより先に山根に「すまん。そしてありがとう!」とメールを送っておいた。
 山根にメールを送った後、直ぐに杉川さんに「山根も俺もオーケー!」と返信する。
 十分くらい携帯の前で待っていたら、先に山根から返事がきた。
「んじゃ、とりあえず集合時間前にまた作戦会議やるから時間決まったら教えて」
 さすが山根。全然気にしていないみたいだ。こいつのこういうところが好きなんだ。
 山根に「了解」と返す。それから五分後に杉川さんから返事がきて、色々と相談した結果九時に学校の裏門の前に集合になった。杉川さんのメールが終わると、山根に直ぐにメールを送って、また杉川さんとのメールを一から見直す。
 俺は杉川さんとまた会える嬉しさと夜の学校に行かなきゃ行けない恐怖が入り混じった変な気分のまま眠りについた。

 朝起きて食卓に下りると、妹はすでに食事を終えたようで、俺は一人で朝飯を食べながら今日は何しようかと考える。今日も特にやる事がない俺は、とりあえず今度は自転車に乗って駅前のCD屋や本屋に行くことにした。

 真っ青な空の下、入道雲を眺めながら海岸線を突っ切って駅前に向かう。自転車を飛ばせば飛ばすほど風が通り抜け、カンカンに照りつける太陽によって流れ出た汗も直ぐに乾いた。
 駅前について、まずCD屋に入ったはいいものの、欲しいCDもないのでとりあえず店の試聴機を全部聴いてみる。何気なく始めたものの、試聴機はかなりの数があり、全部を聞き終えるのに一時間半もかかった挙げ句、全てがごっちゃになり、どれがどれかもわからなくなったという間抜けな結果を迎えた。行動自体が間抜けだった事には目を瞑る事にする。
 気を取り直して本屋に行き、さっきの結果も忘れて色んなコーナーを物色していると、一つの本に目が止まる。

「素人でも出来る悪魔祓いの方法」

 何だこのタイトルは。
 俺は悩んだ。     
 明日俺達が確かめに行くのは七不思議だ。これって幽霊の類だよな? 悪魔と幽霊は違うのか? 大体、素人に悪魔払いなんて出来るわけが無いだろう。いや! しかしこうして本になっていると言う事はそんな方法があるのかも知れない。それに悪魔も幽霊も本質的には似ているのかもしれない。よし! 見てみよう!
 悩みに悩んだ末、そのタイトルだけで恥ずかしい本を手に取り表紙を開く。
 一ページ目には、こう書いてあった。
「始めに。悪魔と幽霊は違います」
 数秒前の俺をぶん殴りたくなった。俺はその本をそっと閉じて元あった棚に戻す。
「ん?」
 元あった場所のはずが、棚がキツキツで中々入らない。取る時は割とすんなりいったのに、無理矢理押し込もうとすると表紙が曲がってしまいそうになる。まずい。こんな本手に取った所なんて、知らない人でも見られたくはない。絶対に笑われる。でも、無理矢理押し込んで傷を付け、買取なんてのも絶対に避けたい。しかし、焦れば焦る程本は入らなくなり、それが更に俺を焦らせた。
「あのー」
 後ろから何となく低い声で呼び掛けられる。何とか押し込もうとしていた手が止まった。
 店員か? 俺が困っているのを見かねて助けに来てくれたのか? だとしたらあなたは店員の鏡だ。しかし、俺が棚に戻そうとしている本のタイトルを知ったらいくら店員の鏡であるあなたでもバックヤードで笑い話のネタにするだろう。そして帰り道、一人の少年をバカにしてしまった事を悔やむだろう。店員の鏡ならそう鳴るはずだ。そう。この本はそれほどの破壊力を持った本なのだ。だから願わくば何も言わず立ち去ってはくれまいか。それが互いのタメなのだから。
 くだらない妄想や、ネガティブな思考が駆け巡り、もういっそダッシュで逃げ出してしまおうかという衝動をギリギリのモラルが抑える。現実的に考えて、俺にはもう逃げ場はない。仕方ない。こんな本を手に取った自分が悪いのだ。笑い者にでも何にでもなってやるさ。
 俺は覚悟を決めると、一気に振り向いた。
「え?」
 振り向くと目の前には悪魔じゃなく天使が立っていた。
「す、杉川さん?」
「えへへ、店員さんだと思った? 私でしたー! 椎名君何読んでたの?」
「え? あ、いや!」
 俺は杉川さんの登場に喜ぶ間もなく、窮地に立たされる。あんな本を読んでいたと知られたら笑われる。
 俺は後ろを見ずに本棚から一冊抜き取り、杉川さんに渡した。
「これこれ」
 杉川さんにそのまま手渡すと同時に、隙間が空いた棚に悪魔払いの本を素早く押し込む。一瞬で杉川さんに向き直るが、俺はその手にある本のタイトルを見て固まった。
「十日間で上手に陰陽師になる方法」
 ……嘘だろ? 
 二人の間に無言の空気が流れた。
 ダメだ! 何とか否定しなくては。耐えられず俺が口を開こうとした瞬間。杉川さんは爆笑した。
「何その本! それ読んだらなれるの? 椎名くんって陰陽師になりたかったんだ! ホントおもしろい!」
 目の前で笑う杉川さん。かわいい。もうどうでもいいや。
「陰陽師なりてー!」
 俺も一緒に笑った。
 ようやく笑いが収まり、話を聞くとどうやら杉川さんも幽霊関係の本を見てみようと思って来たらしく、その後、俺と杉川さんは一緒に本屋の中を回ってみる事にした。
 それ自体は夢のような時間だったが、並ぶ本はどれもこれも訳のわからないものばかりで役に立ちそうもなかった―ーーー。


「まぁ明日は陰陽師の卵が一緒だし安心だよね!」
 帰り道。気づけば外は日が傾き始めていて、俺は杉川さんを送って行く事にした。
「いや、全然興味ないからね? 陰陽師なんて! あれは冗談だから!」
「大丈夫! わかってるよ!」
 俺の必死の否定っぷりに杉川さんはクスクス笑う。
 途中、どこからか風鈴の音が響いてきて、俺と杉川さんは立ち止まった。辺りを見回すと、ちょうど真正面にある家の窓が空いていて、そこにぶら下げられた風鈴が風に揺れて僕らの元にまた音が届いた。
「夏ってさ、なんか色んな建物の窓が空いてるじゃない? 学校とかも。私ね、それが凄い好きなんだ」
 風鈴の鳴る家を見ながら杉川さんは呟いた。
 俺は家から隣にいる杉川さんに視線を移す。
「それ。わかる。なんかさ解放感があるんだよね」
 俺の言葉に杉川さんが振り向いて、目が合った。俺は思わず目を逸らす。
「私と同じ事思ってる人。初めて会った!」  
 杉川さんはそっぽを向いてる俺の手をとってブンブン振った。自分の全神経が一気に右手に集中する。
「ホント嬉しい! みんな分かってくれないんだもん! まさか椎名くんがそんな事を考えてるなんて思わなかった!」
「いやいや、俺も昔からずっと思ってたんだよ」
 返事はするが、顔はそっぽを向いたまま。俺は顔がどんどん熱くなるのを感じた。きっと今の俺の顔は真っ赤だろう。今が夕暮れで良かったと思った。
 杉川さんは余程嬉しかったのか、その後も会話は夏の窓の話ばかりだった。
「ありがとう! また色々話したいね!」
 家の近くに着いて別れ際、杉川さんは最高のセリフを言って帰っていった。俺は純粋に喜んだ。もっと話したいと思った。
 なぜなら俺も彼女と同様に、同じ考えを持った人に会えて嬉しかったからだ。
「もっと喋りたかったなぁ」
 夕日に独り言をつぶやき、テクテクと歩く。
 足取りはもちろん軽かった。
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