きみにふれたい

広茂実理

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瞬きの9月

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「台風でも、来たのかな?」
 とある、何でもない日。空は、灰色のスクリーンと化していた。昨夜から風が強く、雨も降っている。私は、桜の木から離れて校舎内にいた。
 今日は、平日のはずだ。しかし、生徒たちが登校してくる気配はまったくない。どうやら、警報でも出ているのだろう。今日は、休みに違いない。
 彼に会えないのは残念だけれど、こんな天気の中を自転車で登校などしてきたらと思うと、危なくて心配で仕方がない。だから、休みになって良かったというものだ。
 そんなことを考えていると、激しい風雨の音に混じって、彼の声が聞こえた気がした。
「いやいや、そんなはず……」
 ついに、幻聴まで聞こえるようになってしまったのだろうか――私が頭を抱えようとした、その時だった。
「さくらさん!」
「なっ!」
 目が、これでもかと見開いた。門の向こうに、人影がある。まさかと思い、校舎の壁を擦り抜けて門へ近付くと、そこにはカッパを着た彼がいた。
「さくらさ――」
「何をやっているの!」
 気が付いた時には、彼の声を遮って怒鳴っていた。自分でもこんな声が出るのかと、驚いた。頭の隅で冷静な私が、まるで諦観するかのように見つめている。さすがの彼も、驚いていた。
「さくらさん……」
「ご、ごめん……でも! どうして、こんな日に学校へ来ているの!」
「どうしても、さくらさんが気になって……大丈夫かなって思ったら、いてもたってもいられなくて……」
 しゅんと落ち込む彼に、言葉が詰まりそうになる。けれど、ぶんぶんと頭を左右に振った。それでもだ。
「君に……レオくんに何かあったら、どうするの? こんな中を、自転車でなんて……。ここに来る途中で、何かが飛んでくるかもしれない。車に轢かれるかもしれない……そんなことになったら、どうするの……」
 そこまで言って、唇を噛む。言いながら、想像してしまった。そんなの、耐えられない。吐きそうだ。
「車――そ、そうだよね……」
「レオくん?」
 今更ながら、彼も想像して怖くなったのだろうか。それとも、この激しい風雨の中、体が冷えたのだろうか――大きな手が、小刻みに震えていた。
「ねえ、大丈夫? 震えているよ?」
「ああ、うん。ごめんなさい……自分のことなんて、全然考えてなかった。さくらさんのことで、頭がいっぱいで、無事なのかなって……そうだよね。校舎の中にいれば、安全なのに……全然、頭回ってなかった……」
 私のことを、そんなに考えてくれているなんて――本当にこの人は、私を人間扱いする。幽霊なのだから、台風でどうこうなどと心配する必要なんて、まったくないのに。
 自分のことよりも大事に、大切にしようとしてくれる。それは、確かに嬉しいことなのだけれど、それでも。
「ありがとう……だけど、君が元気じゃないと、私は嫌だよ。自分のことも、大切にしてほしい」
「さくらさん……うん、わかった。さくらさんのために、自分を大切にするよ」
「私のため?」
「うん。さくらさんが本気で怒ってくれたの、こんなこと言ったらまた怒られそうだけどさ、嬉しかったんだ。怒ることってさ、すごく体力使うし、しんどいでしょ? 俺、家族以外に怒られたことってないし、怒ったこともない。めんどくさいって思って、やめたりする。だから、本当に俺のことを思ってくれての言葉なんだって思うと、そんなさくらさんのことを悲しませたくないから……だから、さくらさんのために、自分のことも考えるようにする」
 ああ――彼は、この年でそんなことを言えるくらい、人間ができているのか。
 私は、怒られたら反発してしまう。そんな風には、受け取れない。
「それに、そこまで俺のことを想ってくれてるなんて、俺は愛されてるなって思うから」
「なっ……!」
 かあっと、頭に熱が集まる。
「も、もう! 変なことを言ってないで! ほら、また雨が強くなってきているし、君は家に帰る!」
「わかった。気を付けてね、さくらさん」
「気を付けるのは、君の方!」
「はーい」
 自転車に跨って、彼はこちらを振り返った。
「また、明日ね」
「うん、明日。……本当に、気を付けてね」
「うん」
 ゆっくりと自転車を漕いでいく後ろ姿を見送る。その背が見えなくなっても、私はずっとそこで見続けていた。
 何事も、ありませんように――そう、ただ祈ることしかできない自分が、歯痒かった。
 ここから出られないことが、悔しかった。
 そして次の日――彼は、学校に現れなかった。
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