ツギハギドール

広茂実理

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キューピッドドール

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 初が最後に人と会話をしたのは、いつのことだったか。そのことにすら気付かないほど、かなで以外をシャットアウトしていた初。しかし、その記録を破る者が現れた。それが、まさかの警戒していた相手――近藤敢とこうして話すことになるとは、初ですらも思っていなかった。
「さて、と。お待たせしたね」
「い、いえ……」
 二人は、学校の応接室を借りて、向かい合う形でソファーに腰掛けていた。扉の向こう――廊下には、警察官が二人ほど立っている。
 プールに飛び込んでずぶ濡れになった彼は、何故か警察の人から服を渡されていた。その服に着替えてきたのが、つい先程だ。
 今や学校は、騒然としている。無理もないだろう。救急車にパトカーが次々とやって来たのだから。
「溺れていた彼女のことは、心配しなくていい。あの即席ドールには、何の力もないから。おおかた、ボールでも取りに行って、足でも滑らせたんじゃないかな?」
「それじゃあ……」
「そ。ただの偶然。斉藤初、君のせいじゃない。残りの三人も、階段から落ちたり、間違って外から鍵を掛けられて閉じ込められたりしていたようだけど、全員見つかって保護が確認できている。安心してくれていいよ」
 彼の手には、先程警察の人が拾い上げてきた消しゴムの人形、キューピッドドールがある。他の三人からも回収したのだろう。全部で四つの即席ドールが握られていた。
「この消しゴムたちからは、何も感じられない――これは、ただの消しゴムだ。悪さをするような物じゃないよ」
「どうして、そんなことが……」
「わかるかって? こうして君と会話している時点で、だいたいのことは察してもらえないかな?」
「……? 何を言っているのかわかりません」
 ムッとしながら返した初の態度が面白かったらしく、敢は余裕の笑みを浮かべながらまっすぐ初を見た。
「あはは、怒らないでよ。拗ねたのかな? それとも、本当に気付いていないのかな? 申し訳ないけど、あまり詳しくは話せなくてね。人には見えないものが見える的な感じだと思ってくれたらいいよ。それにしても――残念だったね。君は、
「――! 何を……」
 初が敢を睨み付ける。この男は、どこまでわかっているのだろうか。
「いろいろと話をする前に、確認しておきたいことがあるんだけど――斉藤初、君は自分のことをのかな?」
「認識? どうって……斉藤初、中学一年です、けど……」
「そうだね。それで?」
「え?」
「僕以外の人間と会話したのは、いつが最後?」
「そ、れは……」
 初は戸惑う。それは、思い出せないくらい遠くにあったからだ。
「元々、大人しくて引っ込み思案。普段から、あまり人とは関わらなかったそうだね。君の両親に教えてもらったよ。聞いたのは、刑事さんだけど。ついでに伝えると、ポルターガイストのようなことが起こってるって言ってたらしいよ。パソコンの電源が入っていたり、誰もいないはずなのに階段を踏む音が聞こえたり……君、相変わらず日常生活を送っていたんだね。随分と――」
「待って! 待って、ください……」
 初は、それ以上を聞くことができなかった。どこかで初自身、気付いていたこと。認められなかったこと。認めたくなかった事実――それを、この男は、無遠慮に言い放とうとしている。
 初の心に、土足で踏み入ろうとしていた。
「良かった。ちゃんと、気付いていたんだね」
「……どこかで、何となく……」
「だけど、無意識の方が強かった。――そういうことかな?」
 敢の言葉に頷いて、初は顔を上げる。
 切り揃えられた前髪は少し長く、目元に影を落として暗い印象を作り出す。ロングの髪は伸ばし放題で、少し猫背気味のせいで、より陰鬱なイメージを見る者に与えた。
 しかしこの姿も、現在ではごく一部の人間にしか、目に映すことは叶わない。何故ならば――
「沖田奏死亡事故――あの一件では、もう一人、犠牲者がいた。それが、斉藤初――君だね」

 ――斉藤初は、既に死んでいるから。

「君は、あの日の下校中、事故に遭う沖田奏を目撃した。彼女を助けようと、体が勝手に動いたんだろう……前方にいたクラスメイトを突き飛ばし、君も飛び出した。だが、迫り来るトラックのスピードに間に合うわけもなく、沖田奏の体は宙を舞う。衝撃と急ブレーキで、トラックは停車。沖田奏が突き飛ばしたため、要因となった子どもも擦り傷程度で済んでいる。では、君は何が原因で死んだのか――覚えているのかな?」
 問われた少女は、視線を敢から逸らす。何もない空間を見つめて、当時の光景を思い描くように、彼女は瞳を閉じた。
「……宙を舞う奏ちゃんは、綺麗だった。わたしは、その光景を忘れないと思う。――彼女の瞳に、わたしが映りました。わたしだけを映した奏ちゃんの目……ドキドキした。わたしだけを見てくれていることが、嬉しかった。たとえ一瞬でも、あの瞬間は、永遠だった。だって、わたしたちは互いに最期の瞬間を映していたから。わたしたちは、二人とも死ぬ直前に、互いに見つめ合っていました。こんな奇跡がありますか? 奏ちゃんは、最期をわたしと迎えることを選んだんです」
「――それが、沖田奏の意思だと?」
「はい! わたしは、奏ちゃんに
 そう言い切った初の瞳は、死人とは思えないほどにキラキラと輝いていた。恍惚とした表情は、普段よりも血色が良いような錯覚さえ、近藤敢に抱かせた。
「君は、喜んでいるの? 沖田奏は、って、そう言うんだ? 偶然じゃなくて」
「もちろん。だって、目が合いました! 見つめ合ったんです、わたしたち!」
「そう……君が喜んでいるなら、僕は何も言わないよ。実際のところ、当人以外にはもうわからない話だからね」
 撥ね飛ばされて宙を舞った、沖田奏。彼女は落ちる寸前、確かに斉藤初を見たのかもしれない。だけど、刹那の時間で軌道を変えることは不可能。だが、斉藤初が沖田奏を正面から受け止めようとしていたことは、紛れもない事実。
 斉藤初は、沖田奏のすべてを受け入れ、結果衝突し、意識を失った。
 互いに転がる、二人の体。
 沖田奏の意識は既になく、その場で死亡が確認された。斉藤初は混濁する意識の中、届くはずのない手をいつまでも沖田奏へ伸ばしていたそうだ。
 そうして重傷を負った斉藤初は、そのまま意識が戻ることはなく、数時間後、搬送された病院で死亡が確認された。
 斉藤初は、当初自身が死んだという自覚はなかったのだろう。気付いたら自室にいて、奏の死を知ったそうだ。
「それから、日常生活を?」
「はい」
「そうして、沖田奏の復讐のために、次々と関係者を狙った――そんなところかな」
 初は、目を逸らす。確かにそうだが、この男は既に確証を得ているようだ。ただの確認作業に付き合わされているのかと思うと、初は何だか癪だった。
「君の部屋から、ドールが発見された。沖田奏にそっくりだね。もしかして、名前は『かなで』かな?」
「――! かなでをどうしたんですか? 返してください!」
「大丈夫。君の大事なドールを取ったりしないよ。ちゃんと君の部屋で、賢く君の帰りを待ってるから。安心して」
「……本当ですね? かなでに何かあったら、わたしはあなたを絶対に許さない!」
「本当だよ。かなでちゃんはいい子だ。君にとても大事にされている。普通の可愛いドールだよ。何かが取り憑いているわけでもなく、悪さをしているわけでもないのに、君から取り上げる理由はない。だから、安心してくれていい」
 そう告げた男の瞳が、いやに真剣なものだったので、初は大人しく「わかりました」と返事をしていた。
「さて、斉藤初さん。君の正体は幽体だ。君の意思が強いせいか、君が死を意識していなかったためか、僕は最初、君が生きている人間なのかどうかわからなかった。だけど、君がそういう状態だとわかった時、一連の犯行は、君が沖田奏の復讐のために行っているのだと僕は思った。だから、君の家に行かせてもらった」
「違います! わたしは――」
 初の慌てる声を、しかし敢は穏やかな微笑みを浮かべて遮った。宥めるように、ぽんぽんと優しく頭を撫でてすらいる。
「わ、わたしに触れ――!」
「嫌だった? ごめん。僕、妹がいてさ。つい」
「い、いえ……人に触れられたことに驚いただけですので……」
「そっか。そうだよね。驚かせてごめん。僕、普通じゃないからさ」
「あ――」
 にこりと笑う綺麗な顔は、まるで終始目の前の少女を安心させようとしているかのようで。初は、彼に対して抱いていた警戒心が解けていくのを、どこかで感じていた。
「大丈夫。わかってるよ、全部。君は確かに事を為そうとしたかもしれない……だけど、実行した人間は、別にいる」
「実行犯……」
「そう――真犯人だ。すべてを君の呪いとして片付けようとした、姑息な犯人を君は捕まえたいって思わない?」
「え――え、え?」
 綺麗な顔がウインクをしているし、真犯人を捕まえるとか何とか言っているしで、初は情報過多に頭が混乱しそうになっていた。
「ま、考えたって仕方ない。とにかく、一緒に来てよ。君が必要なんだ。真犯人を捕まえるために」
「真犯人?」
「行けばわかるよ。じゃあ、とりあえず行こうか」
「え、ええっ?」
 手をがっしりと掴まれて、初は敢のなすがまま。応接室を出て、どこへ行くのかも告げられないまま、学校を後にするのだった。
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