ツギハギドール

広茂実理

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キューピッドドール

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 学校に着いた初が行ったのは、不思議なドールの話――キューピッドドールの噂話の作成だった。
 やり方は簡単。使っている消しゴムのカバーを外して、天使の顔と羽の絵を描く。次にそのお腹にあたる部分に、好きな人の名前を大きく書く。それを肌身離さず持ち歩き、好きな人と一日のうちに三回擦れ違うことができれば、なんと相手から告白されるらしい――というものだ。
 初は、いつも通り四人が一緒にトイレへ向かったところで、こっそりやり方とドールの話を書いた紙を、目立つところに置いておいた。
 彼女たちは、基本的に四人行動。他の子とつるむことも滅多になく、相談する相手は彼女たち自身。
 内容は、よくあるチープなおまじないの一種だが、用意も手軽で、簡単に実行が可能だ。そのため、文句を言いつつもこっそりやってみたくなってしまうという、恋愛に夢を見ている彼女たちにとっては、ぴったりの噂だった。
 実際、初が横目でこっそり見ていると、休み時間に「嘘だ。そんなの叶うわけない」と罵っていた彼女たちが、それぞれに内緒で、こそこそと授業中にキューピッドドールをせっせと作っていた。どうやら、彼女たちは何だかんだ言いつつ、純粋な女子中学生らしい。一応、自分の意思はあるようだった。
 さて、こんな嘘のおまじない話を作り上げた初ではあるが、もちろん彼女たちのキューピッドになるつもりなんて、さらさらなかった。
 目的は、単純明快。この占いの成就には、相手とという条件を設けている。
 であれば、上級生を狙う二人は、確実に階段を何度も行き来するだろう。他の二人も同じく、ドールを作成していた。一人は好きな人がいるということだったが、もう一人には彼氏がいるのではなかっただろうか……。とまあ、とにかく四人がそれぞれ勝手に校内を行き来してくれるという算段だった。
「まあいいや。一人ずつ、痛い目に遭わせてやろう……」
 今の初には、彼女たちを痛めつけるという目的思考しか頭になかった。とにかく、横取りされる前に、自分の手で何かを成し遂げなければ――その一心で、焦りさえ感じていた。
「ええと、確か上級生の先輩狙いが、髪の長いあの子、ええと、武田さんと、ポニーテールの子、松原まつばらさんだったね。この休み時間……さて、どう動くか……」
 初がこっそり張っていると、一人が動いた。内股の子だ。
「あの子は、確か彼氏がいるんだっけ?」
 内股歩きが目立つクラスメイト、井上規いのうえもと。自身が可愛いと自覚していて、あざとく男子に色目を使う女子――というのが、初の印象だった。
「彼氏がいるのに、何でドールを作ったんだろう?」
 相手が、同級生か上級生か、はたまた学外の人間なのかは知らないけれど。初は、とにかく彼女の後を追ってみることにした。
「隣のクラス?」
 行き先は、案外すぐにわかった。教室を出てすぐの廊下から、室内を覗いている。おそらく、その室内に本命はいるのだろう。
「あれ?」
 そう思っていた初だったが、どうやら室内に目当ての人物はいなかったようだ。彼女は、少し悲しそうな顔で廊下を歩き出す。残念ながら相手は、室外のどこかへ行ってしまったのだろう。
 教室から出てくる生徒たちは、口々に化学の小テストの話をしているものばかりだった。
「この時間なら、トイレか、次が移動教室なら、別教室かな?」
 そう予想を立てていると、ターゲットの井上は階段へと向かっていく。
「どこへ行くんだろう?」
 初は慌てて後を追う。だが、彼女が急に小走りを始めたので、少女は驚いた。
「えっ、嘘っ。まさか、気付かれた?」
 初が後ろを歩いていたとして、彼女に逃げなければならない理由があるとは思えないが……初は突然のことに頭が回らず、そんなことを口にしていた。
「あ、あれ? どこ?」
 階段を急いで駆け下りる。きょろきょろしていると、渡り廊下の向こうに小さな背中を見つけた。
「隣校舎?」
 予想外のルートに、初はとにかくひたすら井上を追いかける。だが、渡り廊下を渡りきったところで、彼女の姿を見失ってしまったのだった。
「嘘……廊下にはいないみたいだから、階段? それとも、この辺の教室に入った?」
 見える範囲には姿がない。おまけにこの辺りは、美術室や実験室などの専用教室が並んでいるエリアになる。各教室の隣には、教材などが置いてある準備室も併設されており、そこには教師が滞在していることも多い。
 用もないのにこの辺りをうろうろして、誰かに見つかって問い詰められるのは困る。
「静かってことは、移動教室で生徒が来ていそうな雰囲気もないし……まさか、先生に会いにくるわけないだろうから、きっと下に下りたんだろうけど……どこの階かわからないし、これ以上は探しようがないな……」
 すっかり相手を見失ってしまった初は、泣く泣く引き返すことにした。仕方がないが、次の機会を狙うことにしたのだ。
 そうして、初が教室に戻ってから少しして、休み時間が終わった。
 だが、井上規は授業が始まっても、戻ってこなかった。
「保健室にはいないって」
「どこ行ったんだろう?」
 次の休み時間。残りの三人がざわつく中、武田が「ちょっと見てくる」と言いながら、教室を出た。初は、彼女の後を追う。
「もしかしたら……」
 彼女はどこか当てでもあるのだろうか。まっすぐに、廊下を歩き始めた。そうして、一階まで下りていく。
「あれは、職員室?」
 彼女が入っていったのは、まさかの職員室。担任にでも、井上から何か聞いているかどうかを確認しているのだろうか。
 少しして出てきた彼女は、神妙な面持ちで職員室の扉を閉める。ぼそりと、独り言だろうか。呟いていた。
「来たけど、戻った……か……」
 彼女は辺りを確認した後、階段を上り始めた。すかさず後を追おうとした初だったが、ちょうど大きな荷物を運んでいる先輩の群れに遭遇し、道を塞がれてしまった。やっとのことで通れるようになった時には、既に彼女の姿はどこにもなく、途方に暮れた初は、またしても大人しく教室に戻ったのだった。
「何だか、上手くいかないな……二人とも、どこへ行ったんだろう?」
 初は、武田朝の呟きを思い出す。彼女が井上の足取りを追っていたとしたら、何故彼女は職員室に行ったのか。
 そうして、出てきた彼女の独り言「来たけど、戻った……」とは、どういうことか。
「あの時、井上さんを見失ったのは、特別教科専用教室の階……井上さんは、階段を下りずに、あの階のどこかの教室にいた……?」
 彼女は、生徒ではなく、教師を探していた――?
「そっか……ドールを作ったからって、別に目当ての人に会いに行くとは限らないもんね。用事があったとか、そんな……」
 初はそう言いつつも、心のどこかで予感がしていた。
 本当にそうか――? と。
「一つ前の授業で、隣のクラスにいて、その後、準備室にいて、さっきは、職員室にいて……確か、一つ前の隣のクラス、化学の小テストの話をしてた。化学担当って……」
 このクラスの担任の、男性教諭――
「いや、まあ、あの先生は若いし、多感なお年頃なわけだし、生徒が先生を好きになっちゃうのも無理ない――」
 初は、そこで言葉を呑み込む。一つ、大事な事実があったはずだ。
「あ、あれ? 井上さんって、確か……彼氏がいるって話だったような……」
 好きな人? 彼氏? 担任は、既婚者で――
「嘘? それとも、まさかの――」
 初は、ぶんぶんと首を横に振った。理由はさておき、井上規は担任の元を訪れた。しかし、彼女は教室へと戻ったらしい。だが、そのままどこかへ姿を眩ましている。
 どこへ行ったのかはわからない。思うように行かず、気分を害してエスケープ――気分屋なところがあるようだから、ない話ではない。
「なんだかな……」
 少なくとも、武田朝は担任へ抱く井上規の気持ちを知っていたのだろう。ではないと、職員室を訪れはしない。
「いやいや、それこそ考えすぎじゃない? 用事があって、先生のところに行くって言ってたのかも……」
 ついつい恋愛に結びつけて思考してしまっていたが、つまりはそういう単純な話ではないだろうか。だが、初はそこで不穏な噂を耳にする。
「井上さん、また男のとこにでも行ってるんじゃないの?」
「あのあざとい可愛さで、何人も『お友達』がいるらしいしね」
 初は、耳を塞ぐことにした。それ以上は、自分には関係ない。
 それよりも、そんな人が奏のそばにいつもいたことの方が、気がかりだった。
「奏ちゃんは、悪影響なんて、受けてないよね……うん。受けるわけない。だって、奏ちゃんだもん」
 少しでも疑った事実に、空想の彼女へ謝罪する初。沖田奏は、神聖な存在。ふしだらなことには、一切関与するはずがない。
「つまりは、どっかへ消えたとして……武田さんは、どこへ行ったんだろう?」
 一階にいたのだから、そのまま二階の上級生の教室へと向かったのかもしれない。せっかくだから、擦れ違うチャンスを狙いに行ったのだろう。
「ちゃっかりしてるな……仮にも友達が戻ってないのに」
 ふう、と溜息を吐きつつ、初は次の授業の準備をしていた。
 だが、武田朝も井上規同様に、休み時間が終わっても教室に戻ってくることはなかった。
「何だろう……嫌な感じ……」
 井上規はともかく、武田朝が授業をサボるようなタイプではないことを、初は知っていた。少し男勝りで、智略に長けたタイプ。人を出し抜くためなら、利用できるものは利用する。だが目立ちたくはないらしい。だからこそ、自身の評価が下がるようなことは好まない。
 それが、昨日から彼女たちを観察していて得た、初の評価だった。
 ならば、何故武田朝は戻ってこないのか――
「ちょっと、学校内をぐるっと、行けるところまで行ってみる」
 昼休みになってそう言ったのは、ポニーテールの彼女、松原すなお。井上規とは、また違ったタイプの可愛い系女子だ。
 教室を出て、階段を下りていく彼女の後を、初はついていく。てっきり校舎内を探すのかと思いきや、しかし彼女はそのまま、外へと出てしまった。
「こっちは、体育館?」
 首を傾げていると、ちょうど体育の授業を終えた三年生たちが、ぞろぞろと歩いてきているところだった。何と彼女は、上級生の時間割まで把握していたのだ。
「まさか、探すついでに彼と擦れ違うの? そこまでする? すごいな。どっちがついでだったんだか……で? 目当てのイケメンって、どれだ?」
 きょろきょろと辺りを見回していると、女の子に囲まれた美青年が姿を現した。初は、あれか……と内心で思いながらも、輝きだったら奏だって負けていない。むしろ勝っている。と、勝手に競争心を燃え上がらせていた。
「あれが、目当てのイケメン、ね……」
 ふうんと見ていたが、初はいつのまにかターゲットである松原を見失っていた。条件は擦れ違うことだったし、きっと前方へ歩いて行ったのだろうと推測した彼女は、そのまま辺りを捜索してみる。だが、どこにも松原素の姿を見つけることはできなかった。
「しまったな……昼休みだから、人も多いし、探しにくい……一旦戻るか」
 この中を探し回るのは、骨が折れる作業だ。ついでに言うと、もう一人の動向が気になっていたため、初は一度教室へ戻ってみることにした。
「あれは……」
 戻る途中で目にしたのは、奏の幼なじみ、芹沢煌だった。どうやら、目当ては同級生らしい。誰かを待っている振りをして、隣のクラス前の廊下に入り浸っている。明らかに露骨すぎて、初は正直どうでもよくなってきていた。友人が戻ってきていないことよりも、おまじないの方が大事だというのか――そう思うと、思考を放棄したくなってくる。
 それよりも、消えた三人だ。彼女たちのことが気に掛かる。
 まだ自分は何もしていない。彼女たちがバラバラに校内をうろつくきっかけを与えたに過ぎないのだ。
 もしも万が一、誰かに何かあったら、初はどうしたらいいかわからないでいた。
「まさかね……そんな……横から掻っ攫われるとか……学校内で、そんなことがあるわけ――」
 昼休みを終えた教室内。そこには初がターゲットとした四人組、彼女たち全員の席が空いたまま、授業が始まっても埋まることはなかった。
「何で……」
 授業が自習だったため、初は教室を抜け出した。急いで向かったのは、最後に尾行したポニーテール、松原素が消えた方向である、体育館。
 唯一、向かったであろう場所が特定できており、今は授業中のため、校舎内をうろつくことが憚られたからというのが、選んだ理由だった。
 この先にあるのは、体育館と体育館倉庫、更衣室だ。だが、中に入って見てみるものの、彼女の姿は見られない。
 もしかしたら、お腹でも壊してトイレにでもこもっているのか、珍しいがサボって家に帰ってしまったのか――そんな予想を立てていた初の前に、プールの壁が現れた。
「プール……?」
 何故こんなにもプールが気になったのか――それは、初にはまったくわからなかった。ただ、なんとなく嫌な予感がした。
 こっそりと中に入って、誰もいないはずのプールサイドを歩く。と、こつんと足元に何かが当たった。
 短い悲鳴とともに肩が跳ねた初だったが、正体はバスケットボールだった。どうやら、外から入り込んでしまったらしい。
「確か、狙ってる先輩って、バスケ部員……」
 何か関係があるのか――そっとボールを拾い上げた初は、しかし、再びそのボールを手から離してしまった。
 キューピッドドールが、ぷかぷかと漂ってきたのだ。背面を上にして、プールに浮いている。
「え……待って……あれ、消しゴムだよ……? 何で、水に浮いてるの……? 消しゴムは、水に沈むはずじゃ……」
 ははっと初が動揺から空笑いを浮かべていると、嫌な予想が脳裏をよぎった。
 ドールと同じ姿になったものを、彼女は今までいくつか見てきている。
「まさか――」
 言った瞬間、見計らったかのように、ドール消しゴムは、とぷんと底へ沈んでいった。おそるおそる、追うように中を覗き込む。
「――っ!」
 ガタンと初はその場に倒れ込んだ。声も出せずに、慌てふためいている。
「斉藤初!」
 その時だった。どこからか、初を呼ぶ声がして、プールの入り口のドアが無遠慮に開かれる。
「え――」
 そこに立っていたのは、近藤敢だった。初を呼んだのは、彼だった。
「待ってて。動かないでよ」
 言いながら、敢がそのままプールへ飛び込んだ。驚きながらも見ているしかない初の前で、彼は松原素をプール内から救い出したのだった。
「げほっ、ごほっ……」
「よし、息を吹き返した。脈も弱いけど、ある。あとは、呼んでおいた救急車がそろそろ――ちょうど、来たみたいだな」
 近藤敢の活躍で、彼女は一命を取り留めた。しかし、油断はできないため、今から病院へと搬送される。
「他の三人は、先生に頼んで保護してもらっているから、安心するように」
 学校側から借りたらしいタオルで滴る水を拭いながら、美青年が穏やかな声で初に語り掛けた。
「少し話をしたいんだ。時間をもらえるかな? 斉藤初さん」
 初は、ただ黙って素直に頷いていた。
 それは、初にとって数週間ぶりに人に声を掛けてもらえた瞬間だった。
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