ツギハギドール

広茂実理

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バラバラドール

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 どれだけ、画面の向こうで凄惨な事件が起ころうとも、誰が亡くなろうとも、ひとたび朝がくれば、人々は日常に身を沈ませる。家族や恋人といった、遺された人々の思いを置き去りにして、騒ぐだけ騒いだ世間は、今や知らん顔をして、平凡な毎日を過ごしている。
 時間は、良くも悪くも平等に夜を明けてしまうから、渦中にいても、無理矢理に歩き出さなければならない時だってある。
 たとえ、心が置き去りになっていたとしても。待ってくれる人なんて、いないから――それが、斉藤初の考えだった。
「いつか、忘れていくのかな? 匂いとか、声とか、仕草とか、顔とか……」
 過去のこととなったら、長い人生の中でそんなこともあったと、思い出として語るようになるのだろうか――初は、自身に問い掛ける。
 そうしたいのなら、すればいいだろう。その方が楽であるなら、自由にすればいい。
「だけど、わたしは嫌だ……」
 留まることの何が悪いのかと、少女は声を大にして問いたかった。
 進みたい時に、進めばいいではないか。心を過去に置いていってしまったら、二度と取りには戻れない。そうではないのか。だって針は、逆回転なんてしてくれない。
 やりたいことをやる。心のままに――それが、初の願いだった。
「新しい情報は、なし――か……」
 大型トラックの若き女性運転手、藤堂徳死亡事故より、数日が経過していた。ニュースや新聞では、次々と新しい話題が取り上げられており、まるでそんな痛ましい事件など存在しなかったかのように、綺麗さっぱり聞こえてこなくなった。
 そのため初は、再びネットを頼みの綱としていた。デマが多いことも、彼女はわかっているつもりだった。だけど、今の少女には、これしか方法がない。
 どうして、斉藤初がここまで彼女の死について調べているのか――少女が例の事件を「ただ単に気になっている」からというのも、嘘ではない。だけど、一番は奇妙であるからだ。
 自殺だろうと、事故だろうと、他殺だろうと、どれだって可能性はあるだろう。だけど、どれにしたって、彼女には引っかかってしまうのだ。
 現場で発見された、バラバラにされていた一体のドール。それが、奇妙に、奇怪に、異様に、異常に彼女の意識へ付き纏う。その不可解さが、この事件をひどく奇っ怪なものにしていて、初はどうしてだか心が騒いで落ち着かなかった。
 忘れてはならない。無視してはならない。そうしないと、後悔する――そう思えて、ならなかったからだ。
 彼女自身にも、理由なんてわからないけれど……。
「かなで……かなでは、今日も可愛いね。こんなに素敵なドールをバラバラにするなんて、どんな神経をしているんだろう……」
 ネットでは、藤堂徳の死亡事故にバラバラドール事件という名が付けられていた。黒髪のドールの行方を追う人も、見かけられた。やはり、どの記事もオカルト要素満載の内容だった。
 しかし、初もネット界隈も、特に進展のないまま時間だけが過ぎていった。
 その中で、警察が藤堂の死を事故として処理したことが、夕方のニュースでさらりと報道された。
「あれが、事故……」
 沖田家とも揉めていない藤堂が、別の人間から恨まれていたような痕跡も、遺書もなく、防犯カメラには足をもつれさせて不自然に転落する様子が映っていたらしい。諸々の証拠から不運な事故として片付けられたが、バラバラのドールに関しては、一切説明がなされなかった。
 しかし、そのことを話題に取り上げたのは一部のネット民だけで、新聞もニュース番組も、それ以上の報道はまったくなかった。
 世間は、一切触れなかったのだ。
 もちろんだが、この結果に初は納得がいかない。
「本当に、ただの不運な事故だったの……?」
 疑念は消えない。晴れることはない。
 ただ、ドールが転がっていたという、そういう話ならば、彼女だって納得もできただろう。だが、そうではないのだ。
 女の子のドールは、彼女と同じ形と化していた。そこを無視して無理矢理に収束させることは、果たして何を意味するのか。
「また、大人の都合? いつも、大人はそうやって不都合から目を逸らしてばっかり……現実に向き合っていないのは、大人のくせに……」
 初は、ぐっと拳を作る。抗う力がない彼女には、なす術がない。ちっぽけな反抗など、一蹴されて終わるだけだ。
 そうして、残るのは虚しさだけ。勇気や、自分の意思を表したことに対する敬意など、微塵も存在しない。大人にとって都合の悪い子どもとして、怒られて、惨めな思いをするだけだ。
 だから、初は思いだけを持て余す。傷付くのは嫌だ。だけど、このまま流されるのも嫌だった。
「出る杭は打たれるなんて、本当にふざけてる」
 彼女の脳裏をよぎるのは、奏の姿。しかし、彼女はもういない。どれだけ頑張ったとしても、誰も初のことを褒めてくれない。
「奏ちゃんのいない世界じゃ、誰もわたしを見てくれない。わかってくれない……」
 そんなのは、つらい。
 悲しくて、苦しくて、つらい。
 胸が痛い。息苦しくて、生きづらい。
 その上、唯一の希望である彼女まで汚されてしまうなんて、初には耐えられなかった。口をなくして言い返せない彼女を好き勝手に語るのは、どうしても許せなかった。
 だから、沖田奏の尊厳だけは守り抜いてみせるのだと、初は心に誓う。
「誰もやらないなら、わたしがやらなくちゃ。わたしにしか、できないんだから」
 わたしにならできるんだからと、初は自身を鼓舞する。たった一人で立ち上がることは、不安でいっぱいだ。上手くできるかわからない上、不可解な状況が起こってしまっている。
 本当ならば、逃げ出したかった。自室に閉じこもって、かなでを抱き締めて、すべてを遮断してしまいたかった。
 だけど、そういうわけにはいかない。ここで逃げてしまったら、奏はどうなる。
 だから、あっさりと一人消えてしまったくらいで立ち止まってちゃいけないと、初は不安を吹き飛ばすかのように、首を左右に思い切り振った。
「そうだよ。諦めちゃだめ。逃げちゃだめ。……それに、そう……これは、良いことなのかもしれない。神様や、それこそ奏ちゃんが、天国から応援してくれているのかもしれない」
 初は、ふいに思い至った考えに、ハッとした。誰にも説明がつけられない、不可解な現象――であれば、それは人間の仕業ではないかもしれない。そう閃いたのだ。
「わたしの決意に賛同して、奏ちゃんが手を貸してくれているのかもしれない。だから、藤堂って人が死んだのは確かに事故だったけど、運命の事故だったんだ。導かれたものだったんだ。あのドールは、そのことを証明しているのかもしれない。そうなると、オカルトな考察も無視はできない。案外、一番的を射ているのかもしれない」
 初は、語りながら息を荒げていく。興奮が止まらない。
「そうだ。きっと、そうなんだ! だったら、ちゃんとしなきゃ。こんなところで、燻ってちゃいけないよね。奏ちゃんが、応援してくれている。ドールを通じて、わたしを助けてくれている。あのドールは、奏ちゃんからのメッセージなんだ! わたし宛ての、わたしにしかわからない、特別なメッセージ――」
 そこまで言い終えて、初は両頬を自身の手で包み込んだ。紅潮し、熱を帯びている。その表情には、恍惚という言葉が相応しかった。
「どうして、気が付かなかったんだろう。もう少しで見落としていたかもしれないなんて、恐ろしすぎる。……わたしと奏ちゃんは、同じ方向を向いているんだ。わたしの願いは、奏ちゃんの願いでもあるんだ。……叶えなきゃ。奏ちゃんの願いを。二人の願いを。絶対に、わたしが叶えなければ――」
 先程までの不安はどこへやら。一切が吹き飛んだ今の初には、怖いものなどなかった。むしろ、頼もしく心強い味方の存在に、やる気が漲っている。
「……ありがとう、奏ちゃん。気付くのが遅くなって、ごめんね」
 謝る初の目には、奏が優しく許してくれている姿が浮かんでいた。
「奏ちゃんは、いつもわたしを助けてくれる。ただ一人、わたしを置き去りにしないでいてくれる。ちゃんと正面から、わたしという人間を見てくれる。……たとえそばにいなくても、心は近くにあるんだね。いなくなっちゃっても、変わらずにわたしの味方でいてくれるんだね」
 それが、初にとってどれだけ嬉しいことか。きっとそれは、奏ですら推し量ることはできないだろう。
「ありがとう……本当に、ありがとう。そんな奏ちゃんが、わたしは心の底から大好きです。好きで好きで、大好きすぎて、いつでもどこでも奏ちゃんのことを考えてしまう。奏ちゃん以外なんて、見えないくらいに……」
 ふふっと小さく笑って、初は閉じていた目を開いた。そこには、決意に満ちた瞳が輝いている。
「そうとわかれば、じっとしてる場合じゃないよね。わたししか動けないんだし、やることはいっぱいあるんだから。だって、わたしのターゲットは、。のんびりしていたら、何年かかっても終わらないもんね」
 ぐっと、両手それぞれで握り拳を作る。気合を入れて、一つ頷いた。
「今度こそ、自分の手でやらなきゃ。奏ちゃんに示すんだ。わたしの想いの深さを。誰が一番に想っているのか、知っていてもらわないとね」
 楽しそうな笑みを浮かべながら、少女は肩を震わせた。無邪気な微笑みは、純粋さで彩られている。
「知ってるだろうけど、時々はちゃんと行動で示さなきゃだめだよね。言葉でも伝えなきゃ、不安になっちゃうもんね」
 言いながら初は、かなでを抱き寄せる。優しくぎゅーっと抱き締めて、頭を撫でた。
「いつも頑張っている奏ちゃんは、えらいね。すごいね。よしよし、いいこだね」
 えらいえらいと、子どもをあやすように穏やかな声をドールへと掛ける。ひとしきり撫でた後はそっと離して、初はこちらを見つめる可愛らしい顔をじっと見つめ続けた。
「可愛い……可愛いね、奏ちゃん。すごく可愛い」
 にこにこしながら、かなでの瞳を見つめる初。それだけで、彼女の心は癒された。
「ずーっと、ずーっと一緒だよ。いつまでも、一緒だからね。奏ちゃんも、ずっとそばにいてね。絶対だよ。絶対だからね――そうじゃないと……」
 そこで、初は口を閉じた。出かかった言葉を呑み込んで、くすりと笑みを零す。
「いつも元気をくれて、ありがとう。わたし、頑張るからね。――そうと決まれば、早速行動あるのみだ」
 んー、と伸びをして、初は決意も新たに立ち上がった。かなでを定位置に置いて、外出の用意を始める。
「いつまでもいなくなったターゲットに固執してちゃ、次に進まないもんね。奏ちゃんとの約束を守るためにも、ちゃんと動かなくちゃ」
 初は、部屋を出る前に一度振り返った。薄暗い室内。視線が捉えたのは、愛しい彼女の姿。
「行ってきます。いい子で、待っててね」
 そうして初がまっすぐ向かったのは、奏を失った通学路だった。
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