ツギハギドール

広茂実理

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バラバラドール

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 電車に揺られながら、青年は外の景色を眺めていた。座席はちらほらと空いていたが、彼はあえて座っていない。ギリギリ届く吊り革を握りながら、黙って突っ立っている。時折大きく揺れるが、表情がニコニコしているため、周りからはバランスを取って遊んでいるようにも見えた。
 そんな彼の目の前には、座席に腰掛けて腕を組んでいる青年が一人。男は先程、彼から隣の空席を勧められたのだが、丁重にお断りしたため、現在に至っている。ちなみに、いつものクールな視線で胡乱に睨まれていた。普段は空いていれば座る派の黒髪青年が、懸命に腕を伸ばしてまで吊り革を選択した理由が、彼にはわからないからだろう。
 そんな吊り革の彼は、目の前の男から「近藤」と呼ばれていた男だ。孟の同級生で、名前をつよしといった。
 一年生とはいえど、同年代の男子高校生の平均値と比べると、お世辞も言えないほど遥かに背が低い敢。おまけに高身長の孟とともにいるせいで、よりその差が目立ってしまうという事態が発生していた。だが、彼は持ち前の明るさと生まれ持った美貌で、からかってくる相手を視線で負かしていた。
 おまけに、孟と肩を並べるほどの成績優秀者で、頭も切れると同時に、舌も良く回った。
「せっかく来たのに、何の成果もなし、か――残念だったね、沖田。多忙な中の貴重な休日だったのに、無駄足になっちゃったね」
「想定通り、わかっていたことだ。問題はない」
「いやー、まあ、そうだけどさー。相変わらずクールだね、沖田は」
「それは、よくわからないが……とはいえ、近藤は写真が撮れたじゃないか。だったら、まったくの無駄足にはなっていない。来た意味はあった」
「まあねー」
 愛用のスマホを手に、得意げな表情を見せる敢。孟は、気にも留めずに明後日の方向へ視線を投げた。いつもの真剣な眼差しだった。
「……どうしてだ?」
「ん?」
 友人の問いの意図を探ろうと、敢は小首を傾げてみせた。伝わっていないというジェスチャーは、果たして反応としては、彼の想定内だったようだ。
「いや、お前にとっても、今日は貴重な休日だった。何故、今日まで待ったんだ? 現場の観察と、写真が撮りたいだけならば、勝手に一人で行けば良かっただろう。どうして、今日まで待った?」
「ん? だって、沖田が今日の昼じゃないと空いてないって言うから……」
「だから、俺に合わせる必要はなかっただろう? 事故直後なら、他にも手がかりがあったかもしれない」
 至極真面目な顔で告げられた敢だったが、孟の意に反して、その表情はきょとんとしたものだった。
「何だ。間抜けな顔をして、どうした」
「まぬっ……! ひどいなあ、沖田。誰が間抜けな顔なんだよ。この自他ともに認める美形に向かってさー。もう、失礼しちゃうよねー」
 ぷくっと片頬を膨らませる美青年だが、ここには湧き上がる女子など一人もいない。目の前のクールな青年は、無視をした。
「俺と一緒に行動をする意味があるのかと、聞いている」
「……無視なんて、ひどすぎる……まあ、そこが沖田らしいけど……」
「何だ? 何をブツブツ言っているんだ?」
「何でもないですー。……ただ、沖田ってさ、今の本気で言ってるのかな? って思ってね」
「今の?」
「事故直後なら、他にも手がかりがあったかもしれないって話」
 しれっと敢が告げると、目の前の男は表情を一切崩すことなく「ああ」と、気のない声を出した。
「可能性の話だ。確率は低いが、ないとは言い切れない」
「まあね。どうせ、そんなところだろうと思ったよ。だけど、考えるまでもないよ。低いも低い。そんな確率は、ほぼゼロだ。何せ、捜査後の現場だからね。電車の運行が通常に行われている時点で、何か残ってる方が問題なわけ。だから、期待はしてなかったよ。つーわけだから、安心しろって。沖田のせいで手がかりを逃したとか、そういうことはないからさ。こんなことで、沖田を嫌いになったりはしないよ」
「そうか。お前がそういうなら、いい。いや、心配をしていたわけじゃないんだ。嫌われるとか、そういうことも含めてな。俺はただ、お前が動きやすいように動けば良いと、そう思っている。ただ、効率的でないことが、気になったんだ」
 穏やかな表情でこちらを見上げてくる同級生を見下ろしながら、青年は彼を相変わらずの効率厨だと、心の中で評価した。
「まあ、僕にもいろいろあるんだって。それよりも、沖田は僕のことなんて考えている余裕があるのか? ご両親、大変なんだろ? その、妹ちゃんからのメッセージ? ってやつでさ……」
「あ、ああ……そうだな……」
 美青年の言葉に、表情を曇らせる孟。いくら何でも、この話題振りは失敗だっただろうかと、さしもの敢も戸惑った。
 だが、あまりこちらの事情に関与させたくはない。こちらは深入りする気満々だが、逆は駄目だ。彼のためにも良くないと、敢は思っている。
 いくら、彼自身でさえ調査対象だったとしても――
「――あ、ああ、ほら。次、沖田が降りる駅だよ。降りる準備、しとかないと、な」
「そんなことは、言われなくてもわかっている。子どもじゃあるまいし、そんなに焦る必要はない」
「嘘だー。前に乗り過ごしてたくせにー」
「あ、あれは、お前が――」
「はいはい。そんなこと言ってると、また降り損ねちゃうよー」
 パッと吊り革から手を離して、目の前を開けてやる。孟は不服そうにしながらも、素直に立ち上がった。
「じゃあ沖田、また学校で。何かわかったら、連絡するから。そっちも、何かあれば連絡しろよー」
「ああ」
「気を付けてなー」
 降車する背中に手を振って、敢は先程まで彼が座っていた座席に腰掛けた。そうして、ゆったりと上げた視線の先――友人には見せたことのない鋭い瞳の先には、目立つ高身長の茶髪の姿があった。
 だが、気になるのはそちらではない。まっすぐ階段に向かって歩いていく彼の後方を、黒い頭が追うように動いていた。青年はその様を、そっと確認する。
「やっぱり、あの子だ。駅でぶつかりそうになった、あの時の……」
 電車はあっというまにスピードに乗り、二人の姿は呆気なく視界から消えた。敢は残像を思い浮かべるように、目を閉じる。
 敢が先程まで座らずに立っていたのは、彼女の存在に気が付いていたからだ。ホーム上で、自分たちへと向けられていた視線――それを、彼は捉えていた。
「沖田は気が付かなかったみたいだけど、僕って、視線には敏感なんだよねー」
 そうして、青年は思う。やはり、彼とともに来て良かったと。
 実は、敢は孟に内緒で、事故直後に例の駅を訪れていた。とはいえ、一般人が足を踏み入れられる頃には、既に片付けや処理が終わった後。彼に先述した通り、わかってはいたが、撮った写真は今日のものと、何ら変わりはなかった。
 だから今日、もう一度来たのだ。彼と一緒ならば、何か違う情報が得られるかもしれないと踏んで。
「さーて……よくわからなかったけど、あの黒い頭の子、何だか変な子だったな……。暗いというか、薄いというか、そう……というか……ちょっと感覚がしたんだよね……いったい何者かな?」
 孟を狙っていたようでもなかったが、あの感じでは、孟のことを知っているようだった。偶然あの駅で出会った――そんなところだろうか。そう敢は推測をする。では、彼女の目的は何か。
 あの駅を通過点としたわけでもなく、最寄り駅でもなく、何なら、駅から外に出てすらいないようだった。
「僕たちと同じく、駅の調査をしていた? というか、あの制服、どこかで……あ、確か沖田の妹ちゃんが通うはずだった中学の……?」
 どうして彼女は、制服を着用して一人で駅にいたのだろうか。中学校は、先程沖田が降りた駅が最寄りだし、これといった理由が思いつかない。
「部活関連? ほぼ手ぶらで? いや、普通に考えて、ありえないでしょ」
 とにかく、自分たち以外にもあの駅を調べている存在がいることは、明白――そう捉えていいだろうと、敢は考える。
 もしかしたら、目的はクラスメイトと同じかもしれない、とも……。
「制服からして、現役中学生……じゃあ、妹ちゃんの関係者かな?」
 考えてみるが、答えが出るわけもない。青年は、孟にメッセージを送ることにした。
 事故の被害者となった、彼の妹の交友関係を調べる必要が出てきたからだ。
「えーっと? 今度、妹ちゃんのこと、詳しく教えてもらえない? 大丈夫なら、家にお邪魔させてよ。ついでに、卒アルがあると嬉しいんだけど――っと。送信」
 さて、あの妙に忙しい男がこのメッセージに気付くのは、果たしていつになるだろうかと、敢は一人で賭けを始める。
「今日の夜――いや、明日の朝、かな」
 今日中に既読してもらえれば、良い方だ。敢は、スマホをポケットにしまい、窓から見える景色に視線をやった。
「本当、どこの町にもいろいろいるもんだね」
 敢が見ているのは、景色であって、風景ではなかった。彼は、他の人が認識しづらいモノが見えるという、特殊な目を持っていた。
 その目を使い、切れる頭を使って、彼は学生である傍ら、特殊な仕事をしていた。元々、ミステリーやロジックが好きで、難解と言われるほどに燃え上がる性格をしていたため、性に合ったらしい。彼は、警察が頭を抱えるような不思議な事件を専門に扱う、協力者――俗に言う、探偵業をやっていた。
 今回、偶然にも入学した学校のクラスメイトの妹が、不運な事故に巻き込まれた。その事故自体は、何らおかしな点もなく、不幸な事故として片付けられた。
 だがその後、別の事件が起きていた。報道はされていないため、一般人が知ることはない。だがそれは、とんでもなく異質で、あってはならないことだった。
 もしもこの件が世間に知られれば、パニックは必至。関係機関へのバッシングは相当なものだろう。
 そうして、時を同じくして、あのクールな友人が、おかしなことが起きていると言い出したのだ。事故を発端に、自身の周りで不可思議なことが起きていると、あの冷静な彼が言うのだ。
 これは、後発の事件に大いに関係しているかもしれない――そう踏んだ敢は、同じ考えに至った孟へ正体を明かした。
 基本的には、沖田にオカルトは通用しない。こちらの頭がおかしいのではないかという目で、疑ってくる。彼からの胡乱な瞳にも、敢はもう慣れていた。
 だが、妹のことだけは信じる気になれているそうだ。だからこそ彼は、個人的に敢に今回の件の調査を依頼してきた。
「ま、無理もないよな……」
 敢は、理系の彼がそうなるのも仕方ないと思っていた。むしろ、頑なに拒まなかっただけ、賢いと言える。
 何故なら、孟は妹は死んだのに、何かを訴えかけてくるのだと言ったのだ。
 敢は夢にでも出たのかと思ったが、どうもそうではないらしい。彼の話によれば、事故後しばらくしてからのとある日、学校から帰宅すると、メモ用紙が一枚、机の上に置かれていたそうだ。そうしてそこには、謎のメッセージが書かれていたと言う。
 もちろん家族の誰もそんなものは知らないし、どう見ても妹の字だと言うのだ。
 敢は、同級生が妹を失ったショックを受けている可能性も抱き、そちらの方面からも、こっそり探りを入れてみた。だが彼は、至って精神的にも健康そのものだったのだ。
 これは、いよいよ自分の出番かと、敢は孟から先日そのメモ用紙を拝借させてもらった。
 そうして、そこに書いてある内容に息を呑んだのだ。
「あの子を止めて。歯車は、狂い出した」
 記されていた「あの子」とは、いったい誰か。誰かが、何かをなそうとしているのか。
 そうして隠されている、例の事件。このメッセージは、そのことを指しているのか。
「それとも、運転手、藤堂徳の死のことを言っているのか――」
 とにかく、孟の体に何かが取り憑いているようなことはない。だが、彼のそばで不思議なことが起きているのは、間違いない。
 そうして、今日見かけた、あの黒い頭――
「もしかして、あれが噂のドールだったのか……?」
 黒髪の、制服を着たドール――もしそうだとしたら、孟は狙われている?
「いや、まさか……いくらなんでも、ドールが人間サイズで動き回っているはずが……」
 確かに見た目は中学生だった。だが、どうも中身が他の人間とはズレていた。
 それが、そういうことなのだとしたら――
「とはいっても、同じ車両に乗ってこなかった。こっちには意識が向いていなかったから、標的にはされていない……」
 だけど、あそこで逃したのは、痛かったかもしれない。追っていれば、何らかの手がかりが得られたかもしれなかったのに。
「でも、事を急いてしくじるわけにはいかないからな……黒髪ドールも気になるけど、今僕が対処するべきは、バラバラドール事件なんだから」
 百歩譲ってあの黒頭がそうだとして、それが「あの子」ではなかったら? 他にも敵がいるのならば、もうしばらく泳がせておく必要があるだろう。
 バラバラにされていた、女の子のドール。きっとそのドール自体には、手がかりはない。
 だが、じゃあどこにあるのかと問われると、敢は何も言えなかった。
「やっぱり、今回も作るか……情報サイト」
 自分は、彼らの協力者だ。犯人逮捕の一環なのだから、開示できるギリギリの情報をもらうとしよう。
「テレビも新聞もラジオも駄目――ときたら、今時はネットだよね」
 これで、上手く引っかかってくれるか――そうでなくとも、新たな情報は集まるかもしれない。とにかく、やってみるだけ意味はあるだろう。
 孟にも協力を仰げるかもしれないと、敢は考える。何せ、依頼者だ。早期解決のためと言えば、手を貸してくれるだろう。
「沖田って、人を疑わないよな……」
 純粋でまっすぐで、冗談が通じない。猫かぶりの近藤敢が素を見せていなくとも、まるで構わないような反応。人から好かれていようといまいと関心がないような、どうでもいいとさえ思っているかのような態度――どこか、そんなことはどちらでもいいと言われているかのようなそれに、周りは「クール」という評価を与える。
 だが、果たしてそうか――敢はどこか、違和感さえ覚えていた。クールと言われると、そうかもしれない。だが、時折それではしっくりこないことがある。
「冷静……冷酷……冷徹? 辛辣? いや、違うな」
 それよりももっと、彼を評するに相応しい言葉があるはずだと、美青年は頭を捻る。
 そうして閃いたのは、およそ友人に使うような言葉ではなかった。
「調査対象……自分とそれ以外の人間――それほど、本人の中ではっきりと線引きされているかどうかはわからないけど、周りの人間のことを、研究対象か何かだと思ってるかもしれないな」
 無関心かとも思ったが、そうでもない。それよりも、先程の言葉の方がしっくりくる。沖田孟は、まるで実験でも繰り返しているかのように、様々な事象、場面における人間の反応、行動を一歩引いて眺めている――そんな化学実験のようなことを、周りの人間で行っている……そういう印象だった。
 それが無自覚であるかどうかは敢にはわからないし、ハッキリさせるつもりもない。しなくて良いこともあると、敢は深入りを避けた。
 このことは、どこか藪蛇になりそうだと勘が告げていたからだ。
 だから、敢も彼には必要以上は近付かない。必要性が生じるまでは、絶妙な距離を保つつもりだ。
 近藤敢にとって大事なことは、事件の究明であるからだった。
「というわけで、沖田には悪いけど、妹ちゃんのこと、ちょっと調べさせてもらうよ」
 くすりと笑みを浮かべて、敢は考え込んでいた顔を上げた。
「あれ……?」
 そういえば、先程から流れる景色が知らないものになっている。
 表示を見ると、最寄り駅をとうに過ぎ、知らない町までやって来ていた。
「これは……沖田のこと、言えないな……」
 ぽりぽりと頭を掻いて、とりあえず到着した駅で下車した敢。
 次の電車を待つ間、同級生をからかったことを、反省したのだった。
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