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『生物研究部』活動記録 参
彼女の小ぶりな二足の草鞋
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「おーい。夏瑪ー。」
ペチペチと頬を叩かれる感覚で、俺は目を覚ました。
「あれ……? なんで俺寝て……
と言いつつ、多少の違和感がある額を手で確認すると、身に覚えのない突起に指があたる。なんだこれは?
ちょっと皮膚に食い込んでるのではないかと思うほどに深く密着していたのは、水仙に返したはずの消しゴムだった。
……なぜ?
「返して。」
仰向けで寝転がる俺の、頭のほうには煤牛が座り、足のほうには水仙が立っていた。
つまり、足元から声がしたということは、『返して』の目的語は、この『消しゴム』か。
なぜ俺の額にそれが食い込んでいるのか、まったく見当つかないが……そう、まったくつかないが。俺が気を失う以前よりも、ずっと機嫌が悪そうに見える彼女には、素直に従っておくべきだろう。
俺は、まるで指に対する爪のように皮膚と一体化してしまっている消しゴムを、メリメリ……と生々しい音をたてながら、ようやく剥がした。
めちゃ痛かった。し、剥がした後も鈍い痛みが残っているのは、おそらく軽度の打撲とみてよい。
水仙に消しゴムを手渡すと、お礼の言葉ではなく、「チッ」と舌打ちに似た音が返ってきた。俺は恐ろしくて彼女の顔を見ることができなかったので定かではないが、おそらく舌打ちだった。
◇
一連の騒動があった後、生物室には気まずい沈黙が流れていた。
俺は、室内の3列4行あるテーブルの、真ん中の列の最も後ろの行に位置しており、部屋全体を見渡すことができた。
煤牛は、俺から見て左側の列の中程の行に、水仙は、右側の列の最前に位置している。
3人がそれぞれ微妙に距離をとることで、室内には、それは見事な大三角が描かれていた。
……改めて、この『生物研究部』という部活動は、ほぼ帰宅部も同然の稼働である。
特にやることも無く、かと言って、このまま帰ってもつまらない。何もしたくないが、なにかしらの刺激を求めている今の俺は、我ながら相当なクズ人間だ。
テーブルに、でろんと身体を預けて、まだ明るい窓の外に目をやる。視線を前に移すと、あいも変わらずスマホをいじる水仙の後ろ姿。
寝返りをうって、煤牛のほうに視線を移すと、なにやら紙にペンを走らせている様子。
だが、あの筆の運び方は……文字を書いているふうでは無い。授業中、よくノートの端で同じような筆の動きを俺はするから、すぐに気がついた。
奴は絵を描いている。しかし、なぜ?
煤牛からは、とてもじゃないが、芸術の気など感じない。というか、彼女が絵を描いている姿なんて今初めて見たくらいだ。
訊くか? 理由を。 いや、しかし。
「うぃーす。水仙いるかー?」
生物室の扉が開かれるのと同時に、来訪者の声が部屋に響いた。そこに立っていたのは、綺麗に染まった金髪の女性だった。
その第一声と見た目から、もしかしなくとも水仙の友人であることが確定し、同時に俺の警戒レベルもMAXまで引き上げられる。
「おー、いたいた。」
「どうしたの?」
「練り消し返して。必要んなった。」
「ああ、ごめん。ありがとね。」
俺は彼女と水仙のやり取りを傾聴していた。だから、視界の端の煤牛が彼女らの方へ近寄って行っていることに、すぐには気づかなかった。
「師匠ー! なんでここにいるんですか!?」
『ししょう』? ししょうさん……いや、煤牛は年上を呼び捨てにしたりしない。あ、『師匠』か。……いや、どんな関係性? ていうかあの人、煤牛の知り合いなの?
「おー、かんな。マジでこっちにも入ってんだな。」
「うっす!」
「え、なになに? なんでそんな親密なの?」
よく言ったぞ水仙。まさに俺の代弁をしてくれた。褒めてやろう。
「ん、知らねーのか?」
「あ……し、師匠! アタシから……!」
「おう。」
「じ、実はアタシ、部活掛け持ちすることにして……黙っててすみませんでした!」
「え? 掛け持ちって……?」
水仙はそう言って、煤牛と友人らしき人に視線を往復させる。俺もまた、同じように視線を泳がせていた。だって、まさか。
「そ。ウチんとこの美術部。」
「えーーーーーっ!!??」
水仙は椅子から立ち上がって驚いていた。俺も声を上げそうなほど驚いたが、グッと堪えていた。
「いや……別にゼンゼン掛け持ちは良いんだけど……!?」
「ま、コッチも結構自由だから、わざわざ美術室に来て活動しなくてもいいって、かんなには言ってる。」
「あ、アタシも絵とか描いてみたくて! 美術部に入ればグループの展示とかも参加できるって聞いたので!」
「おうよ。コッチも時期によっちゃあ人手が必要だから、部員は何人いても困んねーんだ。」
「へぇー……。かんなちゃんが美術部……意外ね。」
まったくもってその通りだ。しかしこれで、先ほど煤牛が絵を描いていた理由が判明したわけだ。
だとしても、部室に行けば良くないか? なぜわざわざ生物室で美術部の活動をしているのか。
煤牛の行動、そしてその意図……謎は深まるばかりだ。
「おーい。そこの。チラチラこっち見てんのバレてんぞー。」
やっべ。バレてた。ていうか、よくよく冷静に見たら、あの人見た目完全にヤンキーだわ。こっわ。
「おいおいおい。もしかしてアンタ、新入生?」
こっち来た。絡まれた。終わった。
「……そうですけど。」
「ほーん……。中学は美術部だって?」
なぜコイツはそれを……? どこかから個人情報が抜かれている!?
「……はい。」
「名前は?」
「佐々田夏瑪……です。」
俺が名前を告げると、彼女はじっと俺を見つめる。というより、『ガンをつけられている』と言ったほうが正しい気がする。
「……おっけー。ちょっと見にくるか?」
「……はい?」
「美術部。一回も見に来てねーだろ? 来いよ。」
……たしかに、気にならないと言えば嘘になるが。
しかし、ここで断れば、骨の1、2本を持ってかれることは免れまい。
半分脅迫めいた彼女の誘いを、俺は渋々と了承した。
「あの……先輩のお名前は……?」
「あー、アタシは曼珠沙華。『沙華さま』か『師匠』、どっちか好きなので呼べ。」
「曼珠先輩で良いですか?」
「あ?」
「『師匠』と呼ばせていただきます。」
「よし。」
くっっそ。負けた。
「アタシ、『曼珠』って苗字で呼ばれんのあんま好きじゃねーんだよ。なんか饅頭みたいで美味そうに聞こえちまう。」
『美味そう』なのが嫌なのか。よく分からん。
「んじゃ、さっそく行くか。どうせ今ヒマなんだろ?」
「あー、そうですね。行きましょうか。」
「師匠! アタシも付いてって良いですか!?」
「おー、来い来い。水仙はどうする?」
「行かなーい。もうそろそろ青蓮も来るだろうし、ココにいるわ。」
そういえば、今日は青蓮の姿が見えなかった。部長である彼女が部活を休むのは考えにくかったが、水仙の口ぶりから、どうやら用事で遅れているらしい。
「あいよ。ほんじゃ、こいつら借りてくわ。」
そうして俺と煤牛は、『生物研究部』活動2日目にして、別の部活の見学に行くこととなった。
ペチペチと頬を叩かれる感覚で、俺は目を覚ました。
「あれ……? なんで俺寝て……
と言いつつ、多少の違和感がある額を手で確認すると、身に覚えのない突起に指があたる。なんだこれは?
ちょっと皮膚に食い込んでるのではないかと思うほどに深く密着していたのは、水仙に返したはずの消しゴムだった。
……なぜ?
「返して。」
仰向けで寝転がる俺の、頭のほうには煤牛が座り、足のほうには水仙が立っていた。
つまり、足元から声がしたということは、『返して』の目的語は、この『消しゴム』か。
なぜ俺の額にそれが食い込んでいるのか、まったく見当つかないが……そう、まったくつかないが。俺が気を失う以前よりも、ずっと機嫌が悪そうに見える彼女には、素直に従っておくべきだろう。
俺は、まるで指に対する爪のように皮膚と一体化してしまっている消しゴムを、メリメリ……と生々しい音をたてながら、ようやく剥がした。
めちゃ痛かった。し、剥がした後も鈍い痛みが残っているのは、おそらく軽度の打撲とみてよい。
水仙に消しゴムを手渡すと、お礼の言葉ではなく、「チッ」と舌打ちに似た音が返ってきた。俺は恐ろしくて彼女の顔を見ることができなかったので定かではないが、おそらく舌打ちだった。
◇
一連の騒動があった後、生物室には気まずい沈黙が流れていた。
俺は、室内の3列4行あるテーブルの、真ん中の列の最も後ろの行に位置しており、部屋全体を見渡すことができた。
煤牛は、俺から見て左側の列の中程の行に、水仙は、右側の列の最前に位置している。
3人がそれぞれ微妙に距離をとることで、室内には、それは見事な大三角が描かれていた。
……改めて、この『生物研究部』という部活動は、ほぼ帰宅部も同然の稼働である。
特にやることも無く、かと言って、このまま帰ってもつまらない。何もしたくないが、なにかしらの刺激を求めている今の俺は、我ながら相当なクズ人間だ。
テーブルに、でろんと身体を預けて、まだ明るい窓の外に目をやる。視線を前に移すと、あいも変わらずスマホをいじる水仙の後ろ姿。
寝返りをうって、煤牛のほうに視線を移すと、なにやら紙にペンを走らせている様子。
だが、あの筆の運び方は……文字を書いているふうでは無い。授業中、よくノートの端で同じような筆の動きを俺はするから、すぐに気がついた。
奴は絵を描いている。しかし、なぜ?
煤牛からは、とてもじゃないが、芸術の気など感じない。というか、彼女が絵を描いている姿なんて今初めて見たくらいだ。
訊くか? 理由を。 いや、しかし。
「うぃーす。水仙いるかー?」
生物室の扉が開かれるのと同時に、来訪者の声が部屋に響いた。そこに立っていたのは、綺麗に染まった金髪の女性だった。
その第一声と見た目から、もしかしなくとも水仙の友人であることが確定し、同時に俺の警戒レベルもMAXまで引き上げられる。
「おー、いたいた。」
「どうしたの?」
「練り消し返して。必要んなった。」
「ああ、ごめん。ありがとね。」
俺は彼女と水仙のやり取りを傾聴していた。だから、視界の端の煤牛が彼女らの方へ近寄って行っていることに、すぐには気づかなかった。
「師匠ー! なんでここにいるんですか!?」
『ししょう』? ししょうさん……いや、煤牛は年上を呼び捨てにしたりしない。あ、『師匠』か。……いや、どんな関係性? ていうかあの人、煤牛の知り合いなの?
「おー、かんな。マジでこっちにも入ってんだな。」
「うっす!」
「え、なになに? なんでそんな親密なの?」
よく言ったぞ水仙。まさに俺の代弁をしてくれた。褒めてやろう。
「ん、知らねーのか?」
「あ……し、師匠! アタシから……!」
「おう。」
「じ、実はアタシ、部活掛け持ちすることにして……黙っててすみませんでした!」
「え? 掛け持ちって……?」
水仙はそう言って、煤牛と友人らしき人に視線を往復させる。俺もまた、同じように視線を泳がせていた。だって、まさか。
「そ。ウチんとこの美術部。」
「えーーーーーっ!!??」
水仙は椅子から立ち上がって驚いていた。俺も声を上げそうなほど驚いたが、グッと堪えていた。
「いや……別にゼンゼン掛け持ちは良いんだけど……!?」
「ま、コッチも結構自由だから、わざわざ美術室に来て活動しなくてもいいって、かんなには言ってる。」
「あ、アタシも絵とか描いてみたくて! 美術部に入ればグループの展示とかも参加できるって聞いたので!」
「おうよ。コッチも時期によっちゃあ人手が必要だから、部員は何人いても困んねーんだ。」
「へぇー……。かんなちゃんが美術部……意外ね。」
まったくもってその通りだ。しかしこれで、先ほど煤牛が絵を描いていた理由が判明したわけだ。
だとしても、部室に行けば良くないか? なぜわざわざ生物室で美術部の活動をしているのか。
煤牛の行動、そしてその意図……謎は深まるばかりだ。
「おーい。そこの。チラチラこっち見てんのバレてんぞー。」
やっべ。バレてた。ていうか、よくよく冷静に見たら、あの人見た目完全にヤンキーだわ。こっわ。
「おいおいおい。もしかしてアンタ、新入生?」
こっち来た。絡まれた。終わった。
「……そうですけど。」
「ほーん……。中学は美術部だって?」
なぜコイツはそれを……? どこかから個人情報が抜かれている!?
「……はい。」
「名前は?」
「佐々田夏瑪……です。」
俺が名前を告げると、彼女はじっと俺を見つめる。というより、『ガンをつけられている』と言ったほうが正しい気がする。
「……おっけー。ちょっと見にくるか?」
「……はい?」
「美術部。一回も見に来てねーだろ? 来いよ。」
……たしかに、気にならないと言えば嘘になるが。
しかし、ここで断れば、骨の1、2本を持ってかれることは免れまい。
半分脅迫めいた彼女の誘いを、俺は渋々と了承した。
「あの……先輩のお名前は……?」
「あー、アタシは曼珠沙華。『沙華さま』か『師匠』、どっちか好きなので呼べ。」
「曼珠先輩で良いですか?」
「あ?」
「『師匠』と呼ばせていただきます。」
「よし。」
くっっそ。負けた。
「アタシ、『曼珠』って苗字で呼ばれんのあんま好きじゃねーんだよ。なんか饅頭みたいで美味そうに聞こえちまう。」
『美味そう』なのが嫌なのか。よく分からん。
「んじゃ、さっそく行くか。どうせ今ヒマなんだろ?」
「あー、そうですね。行きましょうか。」
「師匠! アタシも付いてって良いですか!?」
「おー、来い来い。水仙はどうする?」
「行かなーい。もうそろそろ青蓮も来るだろうし、ココにいるわ。」
そういえば、今日は青蓮の姿が見えなかった。部長である彼女が部活を休むのは考えにくかったが、水仙の口ぶりから、どうやら用事で遅れているらしい。
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