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『生物研究部』活動記録 弐

その人を知りたければ 陸

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まるで外敵から身を守る亀のように、水仙すいせんはテーブルに伏していた。

「ほ~ら、水仙く~ん? 順番が回ってきたよ~?」

熊井くまい先生は、伏せる彼女に顔を寄せて、刺激しないように、あやすように言う。

しかし、亀は微動だにしない。

「水仙、冗談だと言っただろう? そう気に病まないでおくれ。」

青蓮せいれんが説得するも、やはり二度目は通じない様子。

「ドジは仕方ないが、後始末はできるだけ自分でするように心がける。それだけで良いんだよ。」

おそらく青蓮は、自分の言葉が水仙を刺していることに無自覚だろう。伏せる水仙からブスリブスリと突き刺さる音が聴こえるようである。

「……まあ、流れもあるんで早く顔上げてくださいよ、水仙先輩。そうやって周りに迷惑かけるところから直していきま

「うっさい!!!」

っっ!?」

俺が言うのを遮って水仙は雄叫ぶ。と同時に、俺は自分のひたいに痛みを覚え、のけ反った。

うずくまりついでに、痛みの元となったものが足もとに落ちたのを目視した。

俺が親切心で助言してやったというに、なるほど水仙はどこからか出した消しゴムを投げつけたようだ。コイツ……。

「終わりっ!! あたし帰るっっ!!」

水仙はガタッと勢いよく立ち上がり、自分の鞄をさらいつつ、生物室をあとにした。

ぴしゃりと閉められた扉の向こうから足音が徐々に遠ざかる。嵐のような喧騒から一転、室内にはしばしの沈黙が流れていた。

「……ま~、水仙くんの話も聞きたかったけど、仕方ないね~。」

静寂から一番に口を開いた先生は、呆れたように言った。

「ん……しょ。でも、ハッキリしたんじゃないですかね?」

煤牛すすうしは、俺の足元に落ちた水仙の消しゴムを拾いつつ、なにかに確信を持った様子だ。

「ふむ。たしかに。」

「なにが」と俺が口にするよりも先に、青蓮が彼女に同調した。先生のほうに目を向けると、彼女もまた青蓮と同意見であることがその表情から見受けられる。

どうやら、理解が追いついてないのは俺だけらしい。いったい、水仙が出ていったことで、なにがハッキリとしたというのか。

「あの……なにがですか?」

満を持して俺は質問した。が、各所からは失笑というか憫笑びんしょうというか。

確実なのは、俺の隣からは隙間風のようなため息が漏れていたということだ。

「お前なー、もうちょっと他人ひとの気持ち、考えたほうが良いと思うぞー?」

ため息の主である煤牛は、どっかで聞いたセリフを俺に投げてきた。

「まあ、つまり、水仙くんがなにに『怒り』を感じるか、だよ~。佐々田ささたくん。ね、佐々田くん?」

「なんで2回言うんですか。」

なるほど、この流れでなんとなく分かった。

「では、水仙は夏瑪なつめくんと同じものに怒りを感じるということなのかな。」

「ん~、定かでは無いね~。もしかしたら『佐々田くん』に対してかもしれないしね~。」

「とりあえず、お前は水仙センパイに嫌われてるな!」

「……そうすか。」

こちらとて、あのギャルとの交友なぞ願い下げではあるが、なぜちょっと落ち込まなければならないのだろうか。こいつらのチクチク言葉のせいだ、絶対に。

「青蓮センパイ、この消しゴム……。」

煤牛は手に持っていた水仙の消しゴムを青蓮に手渡そうとすると、青蓮は「ああ、そうだね。」と言って、それを受け取った。

青蓮は、手のひらで消しゴムを遊ばせながら、それと俺に視線を何度か往復させる。悩ましげに。画策するように。

「ふむ。」となにかを決心したようで、右手で握っていた消しゴムを、麻雀の牌を打つように、パチンと俺の目前に置いた。

「『生物研究部せいぶつけんきゅうぶ』、部活動初回の今日だが。さっそくいがみ合っていては、今後の部活の雰囲気というものに影響すると思わないかい? 夏瑪くん。」

俺は、テーブルの向かいに立つ青蓮がこちらの目の前に差し出した手の甲の白さに、目を惹きつけられた。

ただ、彼女の発言の意図は分かりたくなかったので「と、言いますと?」と、とぼけて返した。

「この消しゴム、水仙に返してくれないかな? 穏便にね。」

考えうる限り、最悪の答えが打ち返されてきた。

「良いね~、人間関係の構築もまた、部活動の本懐だよね~。」

この人……他人事ひとごとだと思って……。

「大丈夫だ! なんならアタシも付いて行ってやるから!」

煤牛のありがたいようでやはり迷惑な提案を、俺は「いや、いい」と即座に断った。こいつを背後に付けて水仙に臨んだところで、俺の印象がさらに悪くなる予感しかしない。

俺は観念して目の前に差し出された消しゴムに手を伸ばす。

「ふふ、頼んだよ。夏瑪くん。」

「……はい。」

消しゴムから青蓮の手が離れると同時に、それを手に取る。俺は彼女の依頼を受注完了したのだ。

俺が、彼女に初めて頼られた瞬間だった。

それにしては、あまりに不本意なクエストではあるが。

「はあ」と溜め息ひとつこぼして、俺はその消しゴムを学生服の右ポケットに入れた。

それからほどなくして、長い長いその日の部活動は幕を下ろした。「また明日」と言った青蓮に気持ちの良い挨拶を返せていたのだろうか。新たな苦悩を抱えた俺は、もうそれについて自省する余裕も無かった。
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