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『生物研究部』活動記録 壱
煤牛かんなという女 壱
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翌日。
朝、目が覚めてから、顔を洗い、歯を磨き、朝食を食べ、制服に着替えてカバンを手に取り、玄関ドアを開けて外に出るその時まで、1秒たりとも決意を忘れることは無かった。
決意——あと1人、入部するやつを捕まえる。
まさに、猟に出るハンターの朝とはかようなものなのだろう。そう考えると、生き物を獲り、喰らうことを生業とする猟師には、敬意を表さずにはいられない。このような心持ちで毎朝を迎えれるほど、俺の精神は強靭ではないからだ。
しかし今日は。
今日だけは、俺はハンターをこの身に宿さねばならないのだ。
「……よ、よーっす! おはよー……!」
玄関を出るとすぐに、前方から声がした。俺の胸はドキリと高鳴った。驚愕、動揺、絶句……いずれにせよ、善い意味の高鳴りでは無いのは確かだった。
「……かん……煤牛。」
「お、おう……。なんで苗字なんだよ……? 前みたいに『かんな』で良いよ……!」
彼女は『煤牛かんな』。隣に住む、高校1年生。腕まくりと、ショートスパッツがチラリと見える、動きやすさを重視したスカート丈。赤みがかった短い茶髪も相まって、なんとも溌剌とした見た目である。
幼稚園の頃から現在に至るまで、ずっと同じ経歴を持つ俺たちは、いわゆる『幼馴染』というやつだ。
そんな腐れ縁とも言える俺と彼女の関係だが、中学2年生の頃のとある出来事がきっかけで、しばらく疎遠になっていた。
それまでの腐った縁から、因縁というか、怨念というか、無念というか……兎にも角にも、後ろめたい感情もあって、俺のほうから故意に避けていたと言って良い。
では、『しばらく疎遠になっていた』とはいつまでなのか。
そう。まさに今、この瞬間までのことであった。
だから俺は、悪い意味で心臓がはね上がったのだった。
「な……なんだよ。」
「『なんだよ』は無いだろ……。い、1年ぶりに話すんだぞ……。」
だから『なんだよ』と俺は訊いた。なんで、その1年の沈黙を、『今』、『今日に限って』、解禁したのかと問うているのだ。
「だから、なんで……
「なんでアタシのこと避けてたんだよ……?」
俺の言葉を遮るように彼女は質問を返してきた。
『なんで』と言われても、それは彼女が一番よく知っているはずなのだ。しかし、彼女は昔からそういうところがある。平たく言えば、『無神経』なのだ。だから、平気でこういう質問をする。
だがしかし、俺はそんな彼女を責めることはしない。なぜならそれも含めて彼女の個性だし、『無神経』も裏を返せば『竹を割ったような性格』と言えないこともない。
なにより、高校生にもなるような人間の性格を、いまさら矯正できるだなんて思ってはいない。言うだけムダなのだ。
……そう、時間のムダなのだ。
「……悪かった。じゃ、俺は学校なんで。」
俺に歩みを止めている暇はない。こと今日に限っては。
「ちょっ、ちょっと待てっ!!」
「……どした。」
「アタシも同じ方向なんだ……奇遇だな……!」
◇
「な、なあ! 歩くの速くないか!? 全然時間に余裕あるんだから、ゆっくり行こうぜ!」
俺は攣りそうな足を、何食わぬ顔を装って、必死に動かしていた。
少しでも早く学校に行くため、そして後から迫る脅威から逃げおおせるためだ。
「お、おいっ、ゆっくり行こう……ぜっ、て!!」
後から両肩にこれまで経験したことのない重さが加わったことで、俺は歩みを止めざるを得なかった。
そのあまりの衝撃に、完全に肩が外れたと思った。よかった、付いてた。
「な?」
俺には、そう言った彼女の笑顔が悪魔に見えた。悪魔の『ように』じゃない。悪魔そのものに見えた。
「わ、分かったよ……。」
俺は不本意ながら従った。
俺の強固な意志を捻じ曲げるほどの、生物的な本能がそうさせた。
「……それにしても、でっかくなったなー。」
「……まぁ、育ち盛りだろうからな。お前は……いや、なんでもない。」
「ん?」
ふたつ思い出したことがあったから、言うのをやめた。
ひとつ。彼女は昔から背が高いほうではなかった。もっと言うなら、身長順で列になって『前ならえ』する時は常に、両腰に手を当てている姿しか見たことがなかった。彼女は自分の身長にコンプレックスを抱いていた。だから、それをイジる人間を、悉く肉塊に変えていた。俺も、何度肉塊から不死鳥がごとく再生したことか。
そしてもうひとつ。彼女はその身長に対して、かなり豊満なものを持っていた。低学年のころは、『煤牛おっぱい』と低俗なあだ名が男子の間で流行し、彼女はまたもその悉くを肉片に変えていた。俺はまたしても、破壊と再生を繰り返していた。
そんな彼女の身体的な特徴は健在で、身長こそ俺と比例して伸びたようだが、胸の脂肪もまた比例して実っているようだった。
そして、彼女のパワーもまた同じだった。
今の俺に、小中学生の頃の無鉄砲さはない。ついでに、まだ肩の感覚が戻っていない。
だから、言うのをやめた。
「なんだよー、アタシも成長したろ?」
なんの悪気も無い様子で質問してきた彼女は、おそらく彼女自身の成長を自負しているのだろう。
俺は、否定も肯定もできなかったので、最大限の愛想笑いで返してやった。
朝、目が覚めてから、顔を洗い、歯を磨き、朝食を食べ、制服に着替えてカバンを手に取り、玄関ドアを開けて外に出るその時まで、1秒たりとも決意を忘れることは無かった。
決意——あと1人、入部するやつを捕まえる。
まさに、猟に出るハンターの朝とはかようなものなのだろう。そう考えると、生き物を獲り、喰らうことを生業とする猟師には、敬意を表さずにはいられない。このような心持ちで毎朝を迎えれるほど、俺の精神は強靭ではないからだ。
しかし今日は。
今日だけは、俺はハンターをこの身に宿さねばならないのだ。
「……よ、よーっす! おはよー……!」
玄関を出るとすぐに、前方から声がした。俺の胸はドキリと高鳴った。驚愕、動揺、絶句……いずれにせよ、善い意味の高鳴りでは無いのは確かだった。
「……かん……煤牛。」
「お、おう……。なんで苗字なんだよ……? 前みたいに『かんな』で良いよ……!」
彼女は『煤牛かんな』。隣に住む、高校1年生。腕まくりと、ショートスパッツがチラリと見える、動きやすさを重視したスカート丈。赤みがかった短い茶髪も相まって、なんとも溌剌とした見た目である。
幼稚園の頃から現在に至るまで、ずっと同じ経歴を持つ俺たちは、いわゆる『幼馴染』というやつだ。
そんな腐れ縁とも言える俺と彼女の関係だが、中学2年生の頃のとある出来事がきっかけで、しばらく疎遠になっていた。
それまでの腐った縁から、因縁というか、怨念というか、無念というか……兎にも角にも、後ろめたい感情もあって、俺のほうから故意に避けていたと言って良い。
では、『しばらく疎遠になっていた』とはいつまでなのか。
そう。まさに今、この瞬間までのことであった。
だから俺は、悪い意味で心臓がはね上がったのだった。
「な……なんだよ。」
「『なんだよ』は無いだろ……。い、1年ぶりに話すんだぞ……。」
だから『なんだよ』と俺は訊いた。なんで、その1年の沈黙を、『今』、『今日に限って』、解禁したのかと問うているのだ。
「だから、なんで……
「なんでアタシのこと避けてたんだよ……?」
俺の言葉を遮るように彼女は質問を返してきた。
『なんで』と言われても、それは彼女が一番よく知っているはずなのだ。しかし、彼女は昔からそういうところがある。平たく言えば、『無神経』なのだ。だから、平気でこういう質問をする。
だがしかし、俺はそんな彼女を責めることはしない。なぜならそれも含めて彼女の個性だし、『無神経』も裏を返せば『竹を割ったような性格』と言えないこともない。
なにより、高校生にもなるような人間の性格を、いまさら矯正できるだなんて思ってはいない。言うだけムダなのだ。
……そう、時間のムダなのだ。
「……悪かった。じゃ、俺は学校なんで。」
俺に歩みを止めている暇はない。こと今日に限っては。
「ちょっ、ちょっと待てっ!!」
「……どした。」
「アタシも同じ方向なんだ……奇遇だな……!」
◇
「な、なあ! 歩くの速くないか!? 全然時間に余裕あるんだから、ゆっくり行こうぜ!」
俺は攣りそうな足を、何食わぬ顔を装って、必死に動かしていた。
少しでも早く学校に行くため、そして後から迫る脅威から逃げおおせるためだ。
「お、おいっ、ゆっくり行こう……ぜっ、て!!」
後から両肩にこれまで経験したことのない重さが加わったことで、俺は歩みを止めざるを得なかった。
そのあまりの衝撃に、完全に肩が外れたと思った。よかった、付いてた。
「な?」
俺には、そう言った彼女の笑顔が悪魔に見えた。悪魔の『ように』じゃない。悪魔そのものに見えた。
「わ、分かったよ……。」
俺は不本意ながら従った。
俺の強固な意志を捻じ曲げるほどの、生物的な本能がそうさせた。
「……それにしても、でっかくなったなー。」
「……まぁ、育ち盛りだろうからな。お前は……いや、なんでもない。」
「ん?」
ふたつ思い出したことがあったから、言うのをやめた。
ひとつ。彼女は昔から背が高いほうではなかった。もっと言うなら、身長順で列になって『前ならえ』する時は常に、両腰に手を当てている姿しか見たことがなかった。彼女は自分の身長にコンプレックスを抱いていた。だから、それをイジる人間を、悉く肉塊に変えていた。俺も、何度肉塊から不死鳥がごとく再生したことか。
そしてもうひとつ。彼女はその身長に対して、かなり豊満なものを持っていた。低学年のころは、『煤牛おっぱい』と低俗なあだ名が男子の間で流行し、彼女はまたもその悉くを肉片に変えていた。俺はまたしても、破壊と再生を繰り返していた。
そんな彼女の身体的な特徴は健在で、身長こそ俺と比例して伸びたようだが、胸の脂肪もまた比例して実っているようだった。
そして、彼女のパワーもまた同じだった。
今の俺に、小中学生の頃の無鉄砲さはない。ついでに、まだ肩の感覚が戻っていない。
だから、言うのをやめた。
「なんだよー、アタシも成長したろ?」
なんの悪気も無い様子で質問してきた彼女は、おそらく彼女自身の成長を自負しているのだろう。
俺は、否定も肯定もできなかったので、最大限の愛想笑いで返してやった。
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