六日の菖蒲

あこ

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本編

02

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紫はの身代わりであった事。
は冬夜の幼馴染みであり、片想いの相手であった事。

両方セットで、あっという間に学園中に駆け巡った。
萌葱はこれで初めて、紫と冬夜が付き合いだした当初冬夜の親衛隊隊長副隊長の心配そうな顔をしていたのを理解した。
彼らは冬夜の従兄弟にあたる。きっとユカリの事を知っていたのだろう。
黙っている事に対して怒鳴り込んで二発くらいは殴ってやろうかと思った萌葱ではあったが、彼はこの二人の従兄弟が冬夜に逆らえないのは承知していたから怒りをぐっと飲み込んだ。
別れの電話直後隊長を呼び出した萌葱に彼らはユカリの事をなにも言わなかったが──正しくはのだろうけれど──「松前様がこれほど長く付き合っているのを見て、本気なんだろうと私は安心していたんです。私だって、寝耳に水でした」が彼の本心である事も痛いほど伝わってきた。
苦しそうな顔でそう言って、別れた事によってもし紫に何か面倒が起きたら出来うる限りそれを阻止し取り除くと深く頭を下げた姿に、ある種の同情だってした。
隊長と副隊長そして紫は、友人としてなかなか良い関係を築いていたと萌葱は見ている。
友情を取れない苦しさと、後悔。
それを抱える相手を殴るなんて萌葱にも出来なかった。


若干未だに腫れ物に触るような扱いを受ける紫だが、やはり今も萌葱が隣にいてくれるおかげで新しい日常を過ごしている。
食堂の一件から四日もすると、随分と冬夜の話も耳に入ってきていたが了察してしまった紫は
(僕が心配したりしたって、もう、どうしようもないから)
となるべく考えないようにしていた。
「紫、次移動」
「うん。待ってて」
先に立ち上がった萌葱を追いかけるように紫も立ち上がり、並んで教室を後にする。
紫よりも10センチちょっと高い萌葱は、自分の下にある紫の首筋あたりが以前よりもほっそりしていると見て取って舌打ちしそうになった。
(あんなクソやろうの事なんて、クソミソに言って貶して“最低のクソやろう”って意外捨てちまえば良いのに)
実際これに似たような事を言った事はある。何せ彼はだ。
その時紫はくしゃっと顔を歪め泣きそうになって
──────でも、嘘でも幸せだったし、僕、楽しかったんだ。
なんて言う。もし頭を殴打して記憶がなくなると言うなら、遠慮なく殴ってやろうと思った萌葱だ。

階段を上がろうとしたところで、階下から複数人の声と足音がする。萌葱は顔を歪め、紫は足が止まった。
「ユカリの好きなケーキを用意していますから、生徒会室に行きましょう?」
「ホントか!!?行く行く!!」
「ユカリン、早くいこー」
「ふくかいちょー、抜け駆け禁止だよー」
足が縫い付けられたように動かなくなった紫の荷物を奪い取り、萌葱は紫を抱き上げ教室に戻る。
足早に戻る萌葱の速度は、冬夜と紫が顔を合わせる事のないものだ。
萌葱は教室のドアを足で開け、誰もいない教室のさっきまで紫が座っていたところに紫を下ろす。
椅子の硬さにはっとして紫は萌葱を見上げた。
「萌葱くん、サボりになっちゃう」
「問題ねぇよ」
「そっか」
言って紫は机の天板に視線を落とす。萌葱は隣の席の椅子に腰掛けた。
「お前の気持ちは聞いたけど、あんなクソやろう忘れちまえよ」
「うん、きっと、そうだったら楽だよね」
「紫の頭を殴ったら、あの野郎の記憶がなくなるっつーなら、俺は迷わず殴ってやるね」
「か、過激だね、萌葱くん」
「噂だと俺、不良らしーからな」
頬をぺったりと机につけた紫は、ゆっくり顔を動かして自分を見つめる萌葱の方へ顔を向けた。
萌葱の眉間には深い皺が寄っており、たしかにこれでは近寄りがたい怖い不良だ。
「萌葱くんは優しいよ」
「どうだか」
鼻で笑う萌葱に紫は頭を振った。
「弟くんとお母さん、好きじゃん。大切にしてる。だって去年のお母さんの誕生日、僕に相談してきたもんね。『母さんの誕生日っつーの、何やってるんだ?』なんて。ふふ、思いつく限りやったから、僕に助けてって言ったんでしょ?」
「わ、す、れ、ろ」
「頭を殴ったら忘れるかもよ」
萌葱は片眉をあげると手を伸ばし、紫の髪をぐちゃぐちゃにするように撫で回した。
「萌葱くん、授業行って良いよ?僕、なんだか動けないや」
「紫を一人でここにおいとくわけにいかねーし、今動いたら喧嘩売りに行きそうだからやめとくわ」
「ふふ、過激だね」
「不良だからな」
足を組んでスマートフォンを弄り出した萌葱を眺め、紫はゆったりと息を吐く。

ぶっきらぼうに見えたり、言葉遣いのせいだったり、見た目だったり。
萌葱には人が寄ってこない。
見た目は抜群だから所謂ネコの生徒は遠巻きに見詰めたりしているけれど、萌葱はそれらを完全に無視しているし、彼らも萌葱に声をかけたりはしない。
けれど紫は萌葱には世話になりっぱなしで、優しい人だと思っているし、心の広い穏やかで暖かい人だとも思っている。
たしかに喧嘩はしているようだけれど、だからといって誰にでも喧嘩を売っているわけではないし、売られた喧嘩を買うだけだ。
(僕、萌葱くんがいなかったら、きっと大変だったな)
別れてからの精神状態も、身代わりであったと理解してからの状態も、お世辞にも良いとは言えないし普通だとも思えない。
それでも量が減ったとしても食事をし、なんとか眠り、日常最低限の事をしていられるのは萌葱のおかげだ。
ゲームをしている萌葱を見ていると、なぜと唐突に疑問が浮かぶ。
「ねえ萌葱くん、なんで、萌葱くんは僕にこんなに優しくしてくれるの?この学校で萌葱くんが一番優しくて甘やかすの、僕だと思うんだけど」
突然言われた言葉に萌葱の手が止まり、スマートフォンは声高に「げぇーむおーばー!」と言う。
萌葱はゲームオーバー画面から紫に視線を移し、スマートフォンを持っていない方の手で頭を掻く。
「そりゃあ、そうだろ。俺は紫しか甘やかしてねェし」

サボった二人はその後の授業にはしっかりとで──萌葱は面倒臭そうだったけれど──他の生徒同様に放課後を迎えた。
萌葱は紫がのんびり帰り支度を終えるのを待ち、紫は萌葱に帰れるよと言う。
そうして今日もいつものように廊下に出ようとした時、冬夜が二人のいる教室の前を通った。
思わずと言ったように「あ」と声を上げた紫に気がついた冬夜が止まり教室内を見る。
紫は何を言えば良いか頭が真っ白で思いつかず、萌葱は殴ったら紫が泣くだろうなと睨むだけ。
冬夜はそれを交互に見て、まるで紫と恋人として過ごした日々を馬鹿にするように笑ってから、顔を廊下の先に向け眩しいほどの、甘くとろける笑顔で
「ユカリ!迎えにきてくれたんですね」
言って駆けていく。
紫は泣く気力さえなくなるほどに胸が痛くて、その場に崩れるように座り込んだ。

何も食べたくない、と言う紫に萌葱はドーナツを作った。
これは彼が弟に作ってやるもので、ホットケーキミックスをある程度の硬さになる程度の水分でこね、揚げただけのものだ。
中にウインナーやチーズを包んだり、チョコや餡子を包んで揚げたりもする。
紫は毎回水分量も変わるこの適当なドーナツが好きで、これを目の前に置けばそのうち食べるだろうと萌葱が思ったからだ。
揚げている間に紫に風呂に入るようにと言い、風呂から出てきた紫をソファに座らせ、紫の好きな動物写真家が撮影している猫番組のDVDを流し、テーブルにはホットミルクにドーナツを乗せ「入ってくる」とだけ言って萌葱も風呂へと向かった。
彼はゆっくり風呂に入るなんて言う事が出来ないタイプで、よくいう烏の行水と言われるやつだ。
濡れた髪を適当に拭きながら出てきた萌葱は、ソファに体育座りして片手にドーナツを握りテレビ画面を食い入るように見ている紫がいる事に小さくほっとした息を吐く。
萌葱は冷蔵庫からコーラを出し、何も言わずに紫の隣に座る。
テーブルの上からウインナーを包んだドーナツを掴み、「いいこだねー」と言われながら撮影されている猫を見つめた。
「可愛いな、こいつ。犬とごろごろしてる」
「うん。僕はちょっと前に出てきた、子猫の方が好きかも」
「へえ」
「巻き戻す?」
「いや、いい」
二人は可愛い猫や猫を見守る人たちを見ながら、テーブルのドーナツを減らしていく。

「やっぱり、不思議。萌葱くんは僕に本当に甘いよ」

確かになあと思う萌葱は、隣で猫に夢中になってくれている紫の頭をとりあえず撫でた。
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