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「セーリオ様」「カムヴィ様」共通の話
★ その日、彼は出会う:後編
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目的地に行くまで、無言というのもなんとなくムズムズするリンスは
「今回は家族と王都に?」
なんて降ってみた。
同じく手持ち無沙汰になっていたのだろう、待っていましたと言わんばかりにルヒトは
「いいえ。学園に事前願書を出しに来ました」
「領地が遠いんだね」
「はい」
この事前願書というのは入試2年前から提出が出来るもので、万が一願書を届ける事が出来ないような気象状況になった場合に備え、王都からある程度離れている場所にある領地に住んでいる貴族及び推薦を受ける可能性がある平民みなが利用出来るものだ。
貴族の場合や裕福な平民の場合は従者や使用人が代理で出すことも可能だが、学園を実際に見たいという理由で本人が届けることがほとんどである。
リンスも万が一に備えこれを利用していた。
「一人で?」
「はい。父と母は領地で待っています。俺は従者と護衛と来ました」
「じゃあ、お店にはお母様にお土産かな?あそこの香水はとてもいいと聞くよ。そういえば願書はもう出したのかな?」
「いいえ、実は……これから出しに行きます」
「まじか」
リンスは歩きながら従者に時間を確認する。
今からなら辻馬車を拾える事が出来れば、なんとか間に合うだろう。
きっと最初の予定では完璧だったのだろうが、迷子になった事であちらこちらに支障が出てしまっていた。
「悪いが、辻馬車を見つけてくれ。あとで向かうからひと足先に店に頼めるか?ルヒトの護衛や従者に無事だと、待っていてほしいと伝えてほしい」
「かしこまりました」
きょとんとするルヒトをよそに、リンスと彼の従者は頷きあった。
リンスの従者は「ぼっちゃまらしいですねえ」と言いたげな、優しい表情だ。彼は、主人リンスの少しおせっかいなところが好ましく思い、そう行動するリンスを尊重している。
「ぼっちゃま」
父親よりも少しだけ若い従者兼護衛のこの男はリンスをぼっちゃま、と呼ぶ。
「ルヒト、行くぞ。今からならなんとか間に合う。今日を逃すと七日間先だ。しかも休校日の管理棟は業務時間が平日よりも短い。早く行かないと間に合わない」
「え?え?」
リンスは半ば強引にルヒトを馬車に押し込んだ。
こんな事をしていてなんだが、危機管理能力というのか意識というのか、そういうものが欠けているのではないか、とリンスは思わず馬車内で言ってしまった。
王都は危険だぞ、もう少し人を疑わなきゃいけないんだぞ。なんてまさか自分が妹以外に話すとは思っていなかったリンスだが、ルヒトは彼の妹よりも素直に「はい」「気をつけます…!」と言うので妹に言うように話してしまった。さすがのリンスも学園に到着した時には「いくらなんでも言いすぎたかも……気をつけよう」なんて反省したらしい。
「さっきも言ったけど、願書は休校日しか受け付けていないんだ。今日を逃すと七日後。七日も王都にはいないような口ぶりだっただろう?ほら、案内するから行くぞ」
「あ、ありがとうございます!はい!」
辻馬車では入れるのは学園敷地入り口の門まで。用事は直ぐに終わるので待ってもらうように言い、リンスはリヒトを引き摺るように門を潜った。
この門を潜ると直ぐにある守衛塔──ちなみに、学園の門の外にも同じように守衛塔がある──に頼むとここから学園校舎のところまで馬車を出してくれる。
今回はその手前にある管理棟まで出してもらった。
学園の敷地内で馬車?そんな事を思うだろうが、それがこの王立学園なのである。
管理棟のところで降ろしてもらいここでも待っていてもらうと、ルヒトと管理棟に入り直ぐに願書を提出させた。
提出時本人かどうかを確認し、願書を受理しましたという確認書類が自邸に届く。万が一ここで詐欺まがいな事をすれば二度と学園に入学出来ないし、もしその被害にあった場合は、本来入るべきだった時期を過ぎても試験を受けるチャンスが与えられる。
「次は、店だな。いくぞ、ルヒト」
「はい!」
兄と弟のような雰囲気で再び辻馬車に乗り込むと、二人は店を目指した。
短い時間だったが実の兄や姉よりも世話をしてくれるリンスに、ルヒトはリンスが思う以上に懐いた。たしかにこれでは危機管理がと言いたくなるだろう。
すでに犬の耳や尻尾が見える気がするほどだ。
少なくとも、辻馬車の馭者は一瞬、幻が見えた。
「さあ、そろそろ着くからな」
「はい……」
「どうしたよ、その不安そうな顔は」
さっきまでは無事に願書を出せたと言う安心感からか、表情が随分明るくなったのだが一転している。
「迷子にならないようにと、お婆様にもたくさん言われ、今日も従者に言われていたのにと思うと」
「王都は想像している以上に人が多いからな。でも今日の反省を生かして頑張れ」
「はい」
リンスはルヒトの頭にしゅんとした犬の耳が見えた気がして首を振る。
どうやら馭者と同じように幻覚が見えたようだ。
馬車が店から少し離れた場所に停車する。
これ以上先には行けそうにもない。
それは道の問題ではなく、裕福な平民だけではなく貴族も利用する店の前に辻馬車で乗り付けると言うのはいささか、というリンスの考えであった。
「今度ははぐれないでくれよ」
「はい!大丈夫です、リンスさまの真後ろを歩きます」
「……真後ろは心配だからな、せめて隣にしようか」
「はい!」
嬉しそうなルヒトの顔を見ているとどうしてか、今度は今ごろ弟を構いまくっているだろう友人の顔が頭に浮かんだ。
──────きっとこの先、これ以上の友人は現れない。
リンスがそう思い、相手もそう思ってくれるといいなと──サシャはリンスに対して同じように思っている、とここには書いておくが──思っているのが超弩級のブラコンをクールな顔の下に隠すサシャだ。
ほとんどは“他人が思っているようなサシャ”でいるのだが、ふとした瞬間彼は超弩級のブラコンに豹変する。
そのブラコンっぷりのあまりの威烈さを目の当たりにしたリンスは一瞬引いたのちどうしてか「これはバレちゃいけないのでは?」と思い、勝手にサシャのフォローと、このブラコンを人に知られないようにしなければと立ち回るようになった。
このブラコンが人に知られれば、政敵などに利用されてしまうのではないかと、大切な友人と素直な彼の弟と助けたい──────、リンスの意識としては「烏滸がましいが二人の──ちょっと引きそうになる──兄弟愛のようなものを守る一人になれたらいいな」という気持ちで勝手に立ち回っているのである。
「本当、絶対にそれは考えすぎっ!」とか「ちょっと!!過剰防衛になるからね!!!」なんてサシャに思う事も多いけれど、それでも結局思うのは「面白い兄弟だなあ。すごいブラコン、すごいわ…。しかし無自覚っていうのは大変だな」くらいであった。
けれどもしかし。
サシャを無自覚大変なんて思っているリンスだって、実のところ人の事は言えない。
なぜなら、実は彼は無自覚で世話焼きなのである。
だから子犬のように懐いてきた末っ子感いっぱいのルヒトの世話をここまで焼いてしまうし、彼を見てどうしてかサシャの顔が思い浮かぶのだ。
ルヒトを隣に歩けば直ぐに心配そうな従者と護衛、そしてリンスの従者兼護衛の男が見えてきた。
ルヒトを見る二人の顔を見れば、あの二人が、雇い主の息子という気持ちだけではなく、ルヒトだから仕えているのだと分かる。
「いい人たちが、護衛と従者になってくれているんだね」
思わず口にすればルヒトも嬉しそうだ。彼にとってもあの二人はかけがえのない存在なのだろう。
無事に合わせる事が出来てホッとしたリンスは、店に入るルヒトを見送っておしまいにしようとしたのだが、あまりの不安げな表情に苦笑いで一緒に店に入った。
従者たちの雰囲気から待っている間に随分話をして、それなりに、多少は打ち解けたのだろう様子だ。
「あんな不安そうな顔で入ると、店の人も不安になるよ」
「でも、俺、一人では行ったことないですもん!それに普通、家に来てくれませんか?」
「まあそうだけどね。王都にしかない店は滅多に領地まではこないから、俺もここで香水買って家族に送ったりしたからなあ……なれだね」
「なれ……」
「で?何を買うんだ?」
オロオロする弟、見守る兄。そんな構図の二人はこの店の責任者のマダムには可愛らしく映るのか、どこか雰囲気が柔らかい。
この店では用意されているサンプルの香りから欲しい香水を選び、好みの瓶を選んで入れてもらう仕組みだ。
綺麗な瓶とサンプルが入る蓋つきの瓶が美しく並ぶと、確かにこれだけで目移りしてしまうだろう。
サンプルにはどのような香りか説明も添えられているとは言え、香水に興味のなさそうな人間は混乱さえしそうだ。
困っているように見えるルヒトにリンスは助け舟を出した。
「俺の友人のお母様が好きな香りを教えようか?ルヒトのお母様と同じくらいの歳かもしれないし、参考になるんじゃないかな?」
「あ、ありがとうございます!」
「ええと……ああ、これだ」
リンスはルヒトにサンプルの入った瓶の一つを指で示した。
説明書きには香りを作る際に決めたのか、作ってから決めたのか、タイトルも添えられておりそれを読んだルヒトが固まった。
──────永遠の白薔薇。
これが、その香水の名前だ。
マダムは可愛い二人を助けようと、
「そちらはある方の婚姻式のお姿を見て作りましたの」
これに対しての二人の反応はこれだ。
「なるほど。だから」
こちらはリンス。屋敷に行った際に本人にあまりに似合っている香水に驚いて、それをサシャに話した時に「母上のためにある香水らしい」と言っていたのだが、まさにそういう事だったのだな、という反応である。
対してルヒトは引き攣ったまま香水のサンプルを凝視し
「あ、これにします」
とだけだ。緊張しているようにも見えるのは家族への土産を選ぶという気持ちからかな、とリンスとマダムは思った。
「でしたら瓶はこちらはどうでしょうか?その香水を作った時に作ったもので、私の中ではその香水のための瓶として存在しているものでございます」
マダムが出してきたのは円柱形の瓶。蓋のところはとても細くなっており、まるでシンプルな一輪挿しに美しい薔薇が飾られているようなデザインのものだ。
「これにします」
遠くを見つめていうリヒトは、ボソボソと「保存用……観賞用……あと、使うための?」と言って「その組み合わせで3個ください」とマダムに頼んだ。
ボソボソ言っていた言葉は聞き取れなかったリンスは
(お婆様、お母様、お姉様にかな?)
と考え「包んでまいりますね」と言って奥へ行くマダムの背中をルヒトと並んで見ている。
「あの、今日は本当にありがとうございました!」
店を出て深々と頭を下げていうルヒトにリンスは笑う。
「いいよ。気にしないで。俺もなんだか楽しかったよ」
気にさせないように笑っていうと、少しホッとしたようだ。ルヒトの従者と護衛はリンスの従者に何度も頭を下げている。
「学園に入学した時は、俺はもう卒業しているけど、多分俺、卒業後もそのまま王都で仕事していると思うから、もし困ったら連絡して」
「いいんですか!?」
「こうして知り合ったのも何かの縁だからね」
「ありがとうございます!」
「受験、頑張って」
「はい!絶対に合格します!合格したら誰を置いても、真っ先にお知らせします!」
「いやいやいや、それはご両親に真っ先にお知らせして!」
じゃあ、と別れる。お互い正反対の方向に目的地がある。
いつまでも振り返ってブンブンと手を振っているルヒトが見えなくなるまで見送って、そういや、とリンスは自分の腹を抑えた。
「昼食、食べ損ねたね」
「ええ。何か召し上がりますか? 」
「そうするよ、気がついたら何か食べたくなってきた。うーん、何がいいかなあ……そうだ、サシャがカナメと行って美味しかったって話してた、屋台に行こう!なんだか安くて美味しかったって言ってたやつ」
「ああ、サシャ様がいつぞやか、カナメ様とこっそり食べたという屋台フード……というものですね」
「それそれ!丸いパンに揚げたか焼いたかした肉とか魚とかと野菜が挟んであるっていうやつ」
ついた先で食べたそれに舌鼓を打ち「ブラコンもいい情報を持ってるね」と笑うリンスは、もし無事に合格したルヒトが連絡をしてきたらこれを食べさせてやろう、と決めた。
彼も貴族の子供だ。きっとこういうものはあまり──────いや、口にした事はないだろう。
目を丸くして「かぶりつく……」と考え込んでからかぶりつき、自分のように「おいしい」と思って嬉しそうに笑うだろうと思うと、なかなかどうして絶対に連れてこようと思うのだ。
「しかし、ギャロワ侯爵夫人は香水にもなっているとは……さすが社交界の白薔薇だなあ」
「ええ、さすがでございますねえ」
従者と二人、口の端にソースをつけて笑う。
「今日はいいことしたなあ」
「ええ。さすがぼっちゃま」
「おう」
きっとお土産を喜んでもらえるんだろうな、なんて思ったリンスは知らない。
白薔薇様をイメージしたという香水に興奮したルヒトの姉の噂は事実で、白薔薇様信者の彼女は興奮のあまり気絶したのち暴走し「2年経ってもこれでは、やはり学園には行かせられない」と決められ咽び泣いた事を。
性格が良いだろうから、学園に入学したらカナメと仲良くなれそうだな。紹介してみようか、と考えたリンスは知らない。
二人はリンスの知らぬところで友人になり、どちらかといえば常識人のルヒトは隠れブラコンでどこかマイペースなカナメに振り回され、ルヒトが超弩級ブラコンサシャに振り回されるリンスに「無自覚なブラコンは危険です」と言い出す日が来る事を。
おいしかったごちそうさま!と屋台の主人に声をかけてご機嫌なリンスは、何も、何も知らないまま従者兼護衛の男と学園寮へ帰るのである。
これがリンス・アントネッリ。
彼の未来の戦友とも呼べる可愛い後輩との、出会いであった。
「今回は家族と王都に?」
なんて降ってみた。
同じく手持ち無沙汰になっていたのだろう、待っていましたと言わんばかりにルヒトは
「いいえ。学園に事前願書を出しに来ました」
「領地が遠いんだね」
「はい」
この事前願書というのは入試2年前から提出が出来るもので、万が一願書を届ける事が出来ないような気象状況になった場合に備え、王都からある程度離れている場所にある領地に住んでいる貴族及び推薦を受ける可能性がある平民みなが利用出来るものだ。
貴族の場合や裕福な平民の場合は従者や使用人が代理で出すことも可能だが、学園を実際に見たいという理由で本人が届けることがほとんどである。
リンスも万が一に備えこれを利用していた。
「一人で?」
「はい。父と母は領地で待っています。俺は従者と護衛と来ました」
「じゃあ、お店にはお母様にお土産かな?あそこの香水はとてもいいと聞くよ。そういえば願書はもう出したのかな?」
「いいえ、実は……これから出しに行きます」
「まじか」
リンスは歩きながら従者に時間を確認する。
今からなら辻馬車を拾える事が出来れば、なんとか間に合うだろう。
きっと最初の予定では完璧だったのだろうが、迷子になった事であちらこちらに支障が出てしまっていた。
「悪いが、辻馬車を見つけてくれ。あとで向かうからひと足先に店に頼めるか?ルヒトの護衛や従者に無事だと、待っていてほしいと伝えてほしい」
「かしこまりました」
きょとんとするルヒトをよそに、リンスと彼の従者は頷きあった。
リンスの従者は「ぼっちゃまらしいですねえ」と言いたげな、優しい表情だ。彼は、主人リンスの少しおせっかいなところが好ましく思い、そう行動するリンスを尊重している。
「ぼっちゃま」
父親よりも少しだけ若い従者兼護衛のこの男はリンスをぼっちゃま、と呼ぶ。
「ルヒト、行くぞ。今からならなんとか間に合う。今日を逃すと七日間先だ。しかも休校日の管理棟は業務時間が平日よりも短い。早く行かないと間に合わない」
「え?え?」
リンスは半ば強引にルヒトを馬車に押し込んだ。
こんな事をしていてなんだが、危機管理能力というのか意識というのか、そういうものが欠けているのではないか、とリンスは思わず馬車内で言ってしまった。
王都は危険だぞ、もう少し人を疑わなきゃいけないんだぞ。なんてまさか自分が妹以外に話すとは思っていなかったリンスだが、ルヒトは彼の妹よりも素直に「はい」「気をつけます…!」と言うので妹に言うように話してしまった。さすがのリンスも学園に到着した時には「いくらなんでも言いすぎたかも……気をつけよう」なんて反省したらしい。
「さっきも言ったけど、願書は休校日しか受け付けていないんだ。今日を逃すと七日後。七日も王都にはいないような口ぶりだっただろう?ほら、案内するから行くぞ」
「あ、ありがとうございます!はい!」
辻馬車では入れるのは学園敷地入り口の門まで。用事は直ぐに終わるので待ってもらうように言い、リンスはリヒトを引き摺るように門を潜った。
この門を潜ると直ぐにある守衛塔──ちなみに、学園の門の外にも同じように守衛塔がある──に頼むとここから学園校舎のところまで馬車を出してくれる。
今回はその手前にある管理棟まで出してもらった。
学園の敷地内で馬車?そんな事を思うだろうが、それがこの王立学園なのである。
管理棟のところで降ろしてもらいここでも待っていてもらうと、ルヒトと管理棟に入り直ぐに願書を提出させた。
提出時本人かどうかを確認し、願書を受理しましたという確認書類が自邸に届く。万が一ここで詐欺まがいな事をすれば二度と学園に入学出来ないし、もしその被害にあった場合は、本来入るべきだった時期を過ぎても試験を受けるチャンスが与えられる。
「次は、店だな。いくぞ、ルヒト」
「はい!」
兄と弟のような雰囲気で再び辻馬車に乗り込むと、二人は店を目指した。
短い時間だったが実の兄や姉よりも世話をしてくれるリンスに、ルヒトはリンスが思う以上に懐いた。たしかにこれでは危機管理がと言いたくなるだろう。
すでに犬の耳や尻尾が見える気がするほどだ。
少なくとも、辻馬車の馭者は一瞬、幻が見えた。
「さあ、そろそろ着くからな」
「はい……」
「どうしたよ、その不安そうな顔は」
さっきまでは無事に願書を出せたと言う安心感からか、表情が随分明るくなったのだが一転している。
「迷子にならないようにと、お婆様にもたくさん言われ、今日も従者に言われていたのにと思うと」
「王都は想像している以上に人が多いからな。でも今日の反省を生かして頑張れ」
「はい」
リンスはルヒトの頭にしゅんとした犬の耳が見えた気がして首を振る。
どうやら馭者と同じように幻覚が見えたようだ。
馬車が店から少し離れた場所に停車する。
これ以上先には行けそうにもない。
それは道の問題ではなく、裕福な平民だけではなく貴族も利用する店の前に辻馬車で乗り付けると言うのはいささか、というリンスの考えであった。
「今度ははぐれないでくれよ」
「はい!大丈夫です、リンスさまの真後ろを歩きます」
「……真後ろは心配だからな、せめて隣にしようか」
「はい!」
嬉しそうなルヒトの顔を見ているとどうしてか、今度は今ごろ弟を構いまくっているだろう友人の顔が頭に浮かんだ。
──────きっとこの先、これ以上の友人は現れない。
リンスがそう思い、相手もそう思ってくれるといいなと──サシャはリンスに対して同じように思っている、とここには書いておくが──思っているのが超弩級のブラコンをクールな顔の下に隠すサシャだ。
ほとんどは“他人が思っているようなサシャ”でいるのだが、ふとした瞬間彼は超弩級のブラコンに豹変する。
そのブラコンっぷりのあまりの威烈さを目の当たりにしたリンスは一瞬引いたのちどうしてか「これはバレちゃいけないのでは?」と思い、勝手にサシャのフォローと、このブラコンを人に知られないようにしなければと立ち回るようになった。
このブラコンが人に知られれば、政敵などに利用されてしまうのではないかと、大切な友人と素直な彼の弟と助けたい──────、リンスの意識としては「烏滸がましいが二人の──ちょっと引きそうになる──兄弟愛のようなものを守る一人になれたらいいな」という気持ちで勝手に立ち回っているのである。
「本当、絶対にそれは考えすぎっ!」とか「ちょっと!!過剰防衛になるからね!!!」なんてサシャに思う事も多いけれど、それでも結局思うのは「面白い兄弟だなあ。すごいブラコン、すごいわ…。しかし無自覚っていうのは大変だな」くらいであった。
けれどもしかし。
サシャを無自覚大変なんて思っているリンスだって、実のところ人の事は言えない。
なぜなら、実は彼は無自覚で世話焼きなのである。
だから子犬のように懐いてきた末っ子感いっぱいのルヒトの世話をここまで焼いてしまうし、彼を見てどうしてかサシャの顔が思い浮かぶのだ。
ルヒトを隣に歩けば直ぐに心配そうな従者と護衛、そしてリンスの従者兼護衛の男が見えてきた。
ルヒトを見る二人の顔を見れば、あの二人が、雇い主の息子という気持ちだけではなく、ルヒトだから仕えているのだと分かる。
「いい人たちが、護衛と従者になってくれているんだね」
思わず口にすればルヒトも嬉しそうだ。彼にとってもあの二人はかけがえのない存在なのだろう。
無事に合わせる事が出来てホッとしたリンスは、店に入るルヒトを見送っておしまいにしようとしたのだが、あまりの不安げな表情に苦笑いで一緒に店に入った。
従者たちの雰囲気から待っている間に随分話をして、それなりに、多少は打ち解けたのだろう様子だ。
「あんな不安そうな顔で入ると、店の人も不安になるよ」
「でも、俺、一人では行ったことないですもん!それに普通、家に来てくれませんか?」
「まあそうだけどね。王都にしかない店は滅多に領地まではこないから、俺もここで香水買って家族に送ったりしたからなあ……なれだね」
「なれ……」
「で?何を買うんだ?」
オロオロする弟、見守る兄。そんな構図の二人はこの店の責任者のマダムには可愛らしく映るのか、どこか雰囲気が柔らかい。
この店では用意されているサンプルの香りから欲しい香水を選び、好みの瓶を選んで入れてもらう仕組みだ。
綺麗な瓶とサンプルが入る蓋つきの瓶が美しく並ぶと、確かにこれだけで目移りしてしまうだろう。
サンプルにはどのような香りか説明も添えられているとは言え、香水に興味のなさそうな人間は混乱さえしそうだ。
困っているように見えるルヒトにリンスは助け舟を出した。
「俺の友人のお母様が好きな香りを教えようか?ルヒトのお母様と同じくらいの歳かもしれないし、参考になるんじゃないかな?」
「あ、ありがとうございます!」
「ええと……ああ、これだ」
リンスはルヒトにサンプルの入った瓶の一つを指で示した。
説明書きには香りを作る際に決めたのか、作ってから決めたのか、タイトルも添えられておりそれを読んだルヒトが固まった。
──────永遠の白薔薇。
これが、その香水の名前だ。
マダムは可愛い二人を助けようと、
「そちらはある方の婚姻式のお姿を見て作りましたの」
これに対しての二人の反応はこれだ。
「なるほど。だから」
こちらはリンス。屋敷に行った際に本人にあまりに似合っている香水に驚いて、それをサシャに話した時に「母上のためにある香水らしい」と言っていたのだが、まさにそういう事だったのだな、という反応である。
対してルヒトは引き攣ったまま香水のサンプルを凝視し
「あ、これにします」
とだけだ。緊張しているようにも見えるのは家族への土産を選ぶという気持ちからかな、とリンスとマダムは思った。
「でしたら瓶はこちらはどうでしょうか?その香水を作った時に作ったもので、私の中ではその香水のための瓶として存在しているものでございます」
マダムが出してきたのは円柱形の瓶。蓋のところはとても細くなっており、まるでシンプルな一輪挿しに美しい薔薇が飾られているようなデザインのものだ。
「これにします」
遠くを見つめていうリヒトは、ボソボソと「保存用……観賞用……あと、使うための?」と言って「その組み合わせで3個ください」とマダムに頼んだ。
ボソボソ言っていた言葉は聞き取れなかったリンスは
(お婆様、お母様、お姉様にかな?)
と考え「包んでまいりますね」と言って奥へ行くマダムの背中をルヒトと並んで見ている。
「あの、今日は本当にありがとうございました!」
店を出て深々と頭を下げていうルヒトにリンスは笑う。
「いいよ。気にしないで。俺もなんだか楽しかったよ」
気にさせないように笑っていうと、少しホッとしたようだ。ルヒトの従者と護衛はリンスの従者に何度も頭を下げている。
「学園に入学した時は、俺はもう卒業しているけど、多分俺、卒業後もそのまま王都で仕事していると思うから、もし困ったら連絡して」
「いいんですか!?」
「こうして知り合ったのも何かの縁だからね」
「ありがとうございます!」
「受験、頑張って」
「はい!絶対に合格します!合格したら誰を置いても、真っ先にお知らせします!」
「いやいやいや、それはご両親に真っ先にお知らせして!」
じゃあ、と別れる。お互い正反対の方向に目的地がある。
いつまでも振り返ってブンブンと手を振っているルヒトが見えなくなるまで見送って、そういや、とリンスは自分の腹を抑えた。
「昼食、食べ損ねたね」
「ええ。何か召し上がりますか? 」
「そうするよ、気がついたら何か食べたくなってきた。うーん、何がいいかなあ……そうだ、サシャがカナメと行って美味しかったって話してた、屋台に行こう!なんだか安くて美味しかったって言ってたやつ」
「ああ、サシャ様がいつぞやか、カナメ様とこっそり食べたという屋台フード……というものですね」
「それそれ!丸いパンに揚げたか焼いたかした肉とか魚とかと野菜が挟んであるっていうやつ」
ついた先で食べたそれに舌鼓を打ち「ブラコンもいい情報を持ってるね」と笑うリンスは、もし無事に合格したルヒトが連絡をしてきたらこれを食べさせてやろう、と決めた。
彼も貴族の子供だ。きっとこういうものはあまり──────いや、口にした事はないだろう。
目を丸くして「かぶりつく……」と考え込んでからかぶりつき、自分のように「おいしい」と思って嬉しそうに笑うだろうと思うと、なかなかどうして絶対に連れてこようと思うのだ。
「しかし、ギャロワ侯爵夫人は香水にもなっているとは……さすが社交界の白薔薇だなあ」
「ええ、さすがでございますねえ」
従者と二人、口の端にソースをつけて笑う。
「今日はいいことしたなあ」
「ええ。さすがぼっちゃま」
「おう」
きっとお土産を喜んでもらえるんだろうな、なんて思ったリンスは知らない。
白薔薇様をイメージしたという香水に興奮したルヒトの姉の噂は事実で、白薔薇様信者の彼女は興奮のあまり気絶したのち暴走し「2年経ってもこれでは、やはり学園には行かせられない」と決められ咽び泣いた事を。
性格が良いだろうから、学園に入学したらカナメと仲良くなれそうだな。紹介してみようか、と考えたリンスは知らない。
二人はリンスの知らぬところで友人になり、どちらかといえば常識人のルヒトは隠れブラコンでどこかマイペースなカナメに振り回され、ルヒトが超弩級ブラコンサシャに振り回されるリンスに「無自覚なブラコンは危険です」と言い出す日が来る事を。
おいしかったごちそうさま!と屋台の主人に声をかけてご機嫌なリンスは、何も、何も知らないまま従者兼護衛の男と学園寮へ帰るのである。
これがリンス・アントネッリ。
彼の未来の戦友とも呼べる可愛い後輩との、出会いであった。
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この連載の「マチアスが王太子になったら」という、もしもの話『セーリオ様の祝福:カムヴィ様の言う通り』を連載中です。
もしもの話にもお付き合いいただけたら嬉しいです。
こちらの作品と同一世界の話一覧。
■ トリベール国
『セーリオ様の祝福』
『セーリオ様の祝福:カムヴィ様の言う通り』
『bounty』
■ ハミギャ国
『運命なんて要らない』
■ ピエニ国
『シュピーラドの恋情』
どの作品も独立しています。また、作品によって時代が異なる場合があります。
仮に他の作品のキャラが出張しても、元の作品がわからなくても問題がないように書いています。
もしもの話にもお付き合いいただけたら嬉しいです。
こちらの作品と同一世界の話一覧。
■ トリベール国
『セーリオ様の祝福』
『セーリオ様の祝福:カムヴィ様の言う通り』
『bounty』
■ ハミギャ国
『運命なんて要らない』
■ ピエニ国
『シュピーラドの恋情』
どの作品も独立しています。また、作品によって時代が異なる場合があります。
仮に他の作品のキャラが出張しても、元の作品がわからなくても問題がないように書いています。
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ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
【完結】雨降らしは、腕の中。
N2O
BL
獣人の竜騎士 × 特殊な力を持つ青年
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illustration by meadow(@into_ml79)
※素人作品、ご都合主義です。温かな目でご覧ください。
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