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★ suger bear
前編
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夜の帷が降り、星が空を飾る。
ここトリベール国にも他の国同様魔石を用いての照明がつけられ、暮らしている人間は不自由ない夜を過ごしていた。
当然このトリベール国の王族が住まう王城も例外ではない。
王族の人間しか使用出来ない特別書庫へ続く廊下も、例外なく照明が照らしている。
この書庫は他の書庫と違い基本王族の血でしか開けられない扉に守られており、中には国王と王妃──時には女王と王配もあったが──しか閲覧出来ない書架もある。
しかし実はそれだけではなく、王族の半数から許可された人間はここへの出入りが可能になっていた。
今代の国王の元許可されたのは片手でも余るほど。
その一人が今、口を真一文字に結び目の前だけを見て廊下を歩いていた。
王城なだけあり騎士が要所要所で基本的に自分達がいるぞと分かるように守りを固めているものの、この特別と名の着く場所が多くある一角は“目立たないよう”彼らは配置されていた。
つまり、歩いていても人に出会わないのである。
その上よくある“本当がどうかも解らないような曰く付き”の、人気のない場所。
真一文字に結んだままの彼──────ギャロワ侯爵家次男であるウェコー男爵カナメ・ルメルシエに取っては非常に好ましくない場所である。
好ましくない場所であるから避けて通りたいがそうもいかない。なにせ避けては──当然の事ながら──目的の書庫にたどり着けないのだ。
表情にも口にも出さないけれど、カナメは心で盛大に言っていた。
(なんで俺が行くんだろう?俺、まだただの学園生ですけど?そりゃあ人より多くここにきてるけど、まだただの学園生なんですけど?)
あかりは最低限なこの場所。面白おかしく話題に上がる曰く付き。
(こういう時のために“お偉いさん”には従者がいるんじゃないの?いや、そりゃ、今の目的地にただの従者さんは入れませんけども!)
とカナメは──重ねて言うが──顔にも口にも出さずに思っている。
ここでなんだが、カナメの今の肩書きを彼を知ってもらうために書くならば『ギャロワ侯爵家次男』『トリベール国立学園生』『ウェコー男爵』と言ったところだろう。
ちなみに『ウェコー男爵』は父親の持っている爵位でカナメの儀礼称号。兄は『ポートリエ伯爵』を使っている。
まだ自身の生家である『ギャロワ侯爵家』の仕事に携わっているわけでもなければ、王城で勤めているわけでもないのに、カナメはこの王城で所謂使いっ走りをしている事があった。
それはひとえに、彼がここに登城している事が多いせいだろう。
彼の父ギャロワ侯爵シルヴェストル・ルメルシエが宰相主席補佐官として、兄であるポートリエ伯爵サシャ・ルメルシエが対外関係主席顧問の補佐官として王城にて働いているため、ではない。
いや、そう思われているし、確かにきたからには二人の使いっ走りをする事もある。目眩しのように、そうしている事が多い。
けれども実際の理由はそうではなかった。
廊下を涼しい顔で歩いていたカナメは、やっと特別書庫の前に着く。
扉に軽く触れノブに魔力を流す。この入室許可を得ている人間の魔力が鍵となって、この固く閉ざされている扉が開く仕組みだ。
入室し書庫の扉を閉めれば自動的に鍵がかかった。
特別と名のつく部屋には基本的に鍵がない。先の説明の通り開けるには許可を得ている人間がノブに触れて魔力を流せばいいだけ。閉めれば勝手に鍵がかかる。所謂オートロックだ。
扉のすぐ横にある照明のスイッチを押せば、書庫の中を光が満たした。
パッと明るくなる部屋にカナメがホッと息を吐き出す。
(早く帰ろう……本当、早く帰りたい)
宰相に頼まれてしまったメモを片手に棚を見て行く。
この後必要箇所を書き写して宰相の執務室までいかなければならない。もう夕方も過ぎたのに。
(お夕飯をご馳走してくれるって言葉に惑わされる俺、ちょろい……)
宰相が屋敷で雇っているシェフは別の国で腕を振るっていた宮廷料理人の一人、しかも副料理長。カナメは一度食べてから、すっかりファンになってしまっている。
実家であるギャロワ侯爵家の食事もそれは美味しいものであるが、さすが宮廷料理人、というそれなのだ。彼はまさに叩き上げで、副料理長になった人物。その腕に惚れ込んだ者は国内外に多く、彼の料理が最高だと言われたとしても嫉妬すら起こす気になれないとか。
(うちのシェフのお師匠さんだから、そりゃあ美味しいよね。しかし、俺はちょろかった……)
ちょろい自分に反省しつつ、今日ご馳走してもらえる料理に思いを馳せながら本を探していく。
なかなか見つけられなかったがようやく棚の上の段に本を見つけ、カナメはそっと指を動かす。
本は勝手に引き出されカナメが広げた手の上に優しく落ちた。
「ありがと」
小さく呟いたのは契約している精霊へ感謝の言葉。
これといって危険に晒される事もない──カナメの認識としては──カナメと契約した精霊は、自分を主にこんな形で平和に活用するカナメを好ましく思っているため、喜んでこうした細々した事を引き受けてくれた。
感謝の言葉への返事にカナメの髪を揺らした精霊に笑い、カナメは机の上で本を開きパパッと該当箇所を書き写して行く。
随分と慣れているのはそれだけ父と兄の手伝いをしているから。今回はたまたま夕食を餌に宰相の手伝いをしているだけだ。
カナメの名誉──ちょろいと思われないように、と言う配慮とも言う──のために重ねて言うが、今回はたまたま釣られたのである。
何度も本と書き写し終えた紙を見比べ、小さく頷いたカナメが顔を上げ立ち上がる。
本を戻そうと振り返った瞬間、カナメが声にならない叫びを上げ床に座り込みそうになった。
座り込まずにすんだのは、崩れ落ちかけたカナメの腕を取り支えている青年がいたからである。
「足音なく、後ろに立たないで!いつも言ってるだろ!言ってるよね?聞いてるよね?分かっててしてるだろ!」
「すまない……」
この国の第一王子であるマチアス・アルフォンス・デュカス、その人だった。
「泣かせて悪かった」
「まだ、泣いてないよ!ほら、泣いてないよ!!」
無言で否定したマチアスは壁にかかる時計を見上げた。もう6時を過ぎている。
「こんな時間まで何をしているんだ。カナメは学園生であって誰かの補佐官ではないだろう。こんな時間まで、まったく」
「こんな時間を二回も繰り返さないでください。わかってます」
涙目で──カナメのプライドに配慮して決して涙は落としていないと記しておく──言ってカナメは本を掌に乗せた。
心得ている精霊がそれを元に戻してくれる。相変わらずの精霊使用方法にマチアスは彼らに知られないように微笑んだ。
「戻るぞ。ほら、それを貸せ」
「自分で持っていきます」
「俺が持って行く。今この瞬間だけは“俺の時間”だ」
さっと荷物をまとめると片手で持ち、自由な手はカナメの腰に回す。
カナメはそれから逃げようと動いてみるが、やはり今日もうまくいかなかった。
「私から俺に戻れる時間は少ないのだから、その時間くらい俺の好きにさせてくれ」
「俺がいつも拒絶してるような言い方しないで」
「拒絶してるようなものだろ」
心底嫌そうな顔で“俺の時間”と言ってカナメを見てくるマチアスの視線に、「う」と詰まったカナメは言い直す。
「アルの俺の時間が僅かだから、そう感じるだけ」
「エティの卒業まで自由にカナメとの恋愛を晒すつもりはないから、致し方ないだろう」
「わかってるけど、部屋で二人きりになっても微妙な距離感。それをエティに『カナメが不憫で……僕のせいで、ごめん。ごめんね、カナメ』とか言われて、俺がどれだけ居た堪れないと思うか……」
カナメが扉の前の照明のスイッチに触れる。
明かりが一気に落ち、部屋が暗くなった。
すぐに部屋を出ようとするカナメをマチアスの腕が引き止める。
一瞬だけ触れ合ったのはお互いの唇。
すぐに離れマチアスが扉を開けた。
逃げるように部屋から出ようとしたカナメの目には涙が溜まっている。
「暗闇が怖いってわかってて、ああいうことを!」
「良い事で上書きは、やはり出来ないんだな」
「真面目な顔で言うことか!」
「すまん」
しれっと言っておしまいにしたマチアスの“俺に戻った笑顔”をしっかり見たカナメは、「でもまあ嬉しかったから良い」と言いそうになった声を思い切り飲み込んだ。
美丈夫という言葉に服を着せたらこう言う男になるんだろうな、と言う容姿のマチアスの“俺の時間”に見せる表情をほぼ独り占めしているカナメも、いまだにこの笑顔に弱い。
そういうカナメも「ギャロワ侯爵家の次男は美人だよな」と人の口に上がる容姿なのだけれど。
部屋を出れば二人の距離は“幼馴染”であり“学友”の距離に戻る。
王子殿下が持っていた荷物をさっとカナメは取り上げてしまう。
悪気のない声で「すまん」と言ったマチアスの眉が一瞬、寄ったのをカナメは見逃さなかった。
「俺、アルの“そういう性格”が好きだからこれでいいよ」
暗闇のせいでこぼれかけた涙が落ちる前に、グイッと袖で拭ったカナメは笑う。
家族思いで優しく厳しく、そして愛情深かった子供はそのまま大きくなった。そして初めて会った時から今に至るまでずっと、その愛情を自分に向けてくれる。
最初は「俺は婿に行くのだ」と言っていたカナメもついに陥落してしまったが、それだって“悪くない”陥落だった。
普通に、例えばどこかに婿養子とか、このまま男爵として嫁をもらうか。普通にそういう未来を想像してそれでいいと思っていた、小さな頃から喜んで“普通の貴族の次男坊”を望んだ面白みがないカナメは、どう考えても大変な未来を想像するしかない人の手を取ったのだ。
それがどれだけの“事件”だったか。
母が衝撃で倒れ2日寝込んだり、父と兄がその決断で何を叫んだか分からないほど驚いた。そんな“事件”だったのだ。
自分だって自分から聞いたら驚いて悲鳴の一つは上げるだろうそんな事件だったのに、それでもカナメがマチアスの気持ちを受け入れたのは全て、“マチアスのそういう性格”が好きだからなのに。
マチアスはよくこうして眉を寄せて「すまん」と言う。
そのすまんは時々によって違うだろうけれど、それでもこの男だからきっとどんな時だってこんな不甲斐ない自分に付き合わせて、手を離せなくてすまない、が込められる気がする、とカナメは言われるたびに思う。
だからカナメはいつだって笑顔で「そんなアルが好きだよ」と素直に言って聞かせる。出来の悪い子供に言い聞かせるように、何度も何度も。
今日もそんな思いを込めたカナメの笑顔を受けたマチアスは瞬いてから、そっと音が周囲に漏れないように透明の障壁を作り
「俺も、暗闇とお化けにビビって、俺の部屋から一週間帰れなくなったカナメの性格を込みで愛してる」
なんて言うから、カナメは
「いい性格してるよね。俺もそう言う性格に生まれたかった。なんで俺、アルと付き合ってるのかわからなくなるよ」
と言って、“外行き”の涼しい顔をしているマチアスを睨みつけた。
ここトリベール国にも他の国同様魔石を用いての照明がつけられ、暮らしている人間は不自由ない夜を過ごしていた。
当然このトリベール国の王族が住まう王城も例外ではない。
王族の人間しか使用出来ない特別書庫へ続く廊下も、例外なく照明が照らしている。
この書庫は他の書庫と違い基本王族の血でしか開けられない扉に守られており、中には国王と王妃──時には女王と王配もあったが──しか閲覧出来ない書架もある。
しかし実はそれだけではなく、王族の半数から許可された人間はここへの出入りが可能になっていた。
今代の国王の元許可されたのは片手でも余るほど。
その一人が今、口を真一文字に結び目の前だけを見て廊下を歩いていた。
王城なだけあり騎士が要所要所で基本的に自分達がいるぞと分かるように守りを固めているものの、この特別と名の着く場所が多くある一角は“目立たないよう”彼らは配置されていた。
つまり、歩いていても人に出会わないのである。
その上よくある“本当がどうかも解らないような曰く付き”の、人気のない場所。
真一文字に結んだままの彼──────ギャロワ侯爵家次男であるウェコー男爵カナメ・ルメルシエに取っては非常に好ましくない場所である。
好ましくない場所であるから避けて通りたいがそうもいかない。なにせ避けては──当然の事ながら──目的の書庫にたどり着けないのだ。
表情にも口にも出さないけれど、カナメは心で盛大に言っていた。
(なんで俺が行くんだろう?俺、まだただの学園生ですけど?そりゃあ人より多くここにきてるけど、まだただの学園生なんですけど?)
あかりは最低限なこの場所。面白おかしく話題に上がる曰く付き。
(こういう時のために“お偉いさん”には従者がいるんじゃないの?いや、そりゃ、今の目的地にただの従者さんは入れませんけども!)
とカナメは──重ねて言うが──顔にも口にも出さずに思っている。
ここでなんだが、カナメの今の肩書きを彼を知ってもらうために書くならば『ギャロワ侯爵家次男』『トリベール国立学園生』『ウェコー男爵』と言ったところだろう。
ちなみに『ウェコー男爵』は父親の持っている爵位でカナメの儀礼称号。兄は『ポートリエ伯爵』を使っている。
まだ自身の生家である『ギャロワ侯爵家』の仕事に携わっているわけでもなければ、王城で勤めているわけでもないのに、カナメはこの王城で所謂使いっ走りをしている事があった。
それはひとえに、彼がここに登城している事が多いせいだろう。
彼の父ギャロワ侯爵シルヴェストル・ルメルシエが宰相主席補佐官として、兄であるポートリエ伯爵サシャ・ルメルシエが対外関係主席顧問の補佐官として王城にて働いているため、ではない。
いや、そう思われているし、確かにきたからには二人の使いっ走りをする事もある。目眩しのように、そうしている事が多い。
けれども実際の理由はそうではなかった。
廊下を涼しい顔で歩いていたカナメは、やっと特別書庫の前に着く。
扉に軽く触れノブに魔力を流す。この入室許可を得ている人間の魔力が鍵となって、この固く閉ざされている扉が開く仕組みだ。
入室し書庫の扉を閉めれば自動的に鍵がかかった。
特別と名のつく部屋には基本的に鍵がない。先の説明の通り開けるには許可を得ている人間がノブに触れて魔力を流せばいいだけ。閉めれば勝手に鍵がかかる。所謂オートロックだ。
扉のすぐ横にある照明のスイッチを押せば、書庫の中を光が満たした。
パッと明るくなる部屋にカナメがホッと息を吐き出す。
(早く帰ろう……本当、早く帰りたい)
宰相に頼まれてしまったメモを片手に棚を見て行く。
この後必要箇所を書き写して宰相の執務室までいかなければならない。もう夕方も過ぎたのに。
(お夕飯をご馳走してくれるって言葉に惑わされる俺、ちょろい……)
宰相が屋敷で雇っているシェフは別の国で腕を振るっていた宮廷料理人の一人、しかも副料理長。カナメは一度食べてから、すっかりファンになってしまっている。
実家であるギャロワ侯爵家の食事もそれは美味しいものであるが、さすが宮廷料理人、というそれなのだ。彼はまさに叩き上げで、副料理長になった人物。その腕に惚れ込んだ者は国内外に多く、彼の料理が最高だと言われたとしても嫉妬すら起こす気になれないとか。
(うちのシェフのお師匠さんだから、そりゃあ美味しいよね。しかし、俺はちょろかった……)
ちょろい自分に反省しつつ、今日ご馳走してもらえる料理に思いを馳せながら本を探していく。
なかなか見つけられなかったがようやく棚の上の段に本を見つけ、カナメはそっと指を動かす。
本は勝手に引き出されカナメが広げた手の上に優しく落ちた。
「ありがと」
小さく呟いたのは契約している精霊へ感謝の言葉。
これといって危険に晒される事もない──カナメの認識としては──カナメと契約した精霊は、自分を主にこんな形で平和に活用するカナメを好ましく思っているため、喜んでこうした細々した事を引き受けてくれた。
感謝の言葉への返事にカナメの髪を揺らした精霊に笑い、カナメは机の上で本を開きパパッと該当箇所を書き写して行く。
随分と慣れているのはそれだけ父と兄の手伝いをしているから。今回はたまたま夕食を餌に宰相の手伝いをしているだけだ。
カナメの名誉──ちょろいと思われないように、と言う配慮とも言う──のために重ねて言うが、今回はたまたま釣られたのである。
何度も本と書き写し終えた紙を見比べ、小さく頷いたカナメが顔を上げ立ち上がる。
本を戻そうと振り返った瞬間、カナメが声にならない叫びを上げ床に座り込みそうになった。
座り込まずにすんだのは、崩れ落ちかけたカナメの腕を取り支えている青年がいたからである。
「足音なく、後ろに立たないで!いつも言ってるだろ!言ってるよね?聞いてるよね?分かっててしてるだろ!」
「すまない……」
この国の第一王子であるマチアス・アルフォンス・デュカス、その人だった。
「泣かせて悪かった」
「まだ、泣いてないよ!ほら、泣いてないよ!!」
無言で否定したマチアスは壁にかかる時計を見上げた。もう6時を過ぎている。
「こんな時間まで何をしているんだ。カナメは学園生であって誰かの補佐官ではないだろう。こんな時間まで、まったく」
「こんな時間を二回も繰り返さないでください。わかってます」
涙目で──カナメのプライドに配慮して決して涙は落としていないと記しておく──言ってカナメは本を掌に乗せた。
心得ている精霊がそれを元に戻してくれる。相変わらずの精霊使用方法にマチアスは彼らに知られないように微笑んだ。
「戻るぞ。ほら、それを貸せ」
「自分で持っていきます」
「俺が持って行く。今この瞬間だけは“俺の時間”だ」
さっと荷物をまとめると片手で持ち、自由な手はカナメの腰に回す。
カナメはそれから逃げようと動いてみるが、やはり今日もうまくいかなかった。
「私から俺に戻れる時間は少ないのだから、その時間くらい俺の好きにさせてくれ」
「俺がいつも拒絶してるような言い方しないで」
「拒絶してるようなものだろ」
心底嫌そうな顔で“俺の時間”と言ってカナメを見てくるマチアスの視線に、「う」と詰まったカナメは言い直す。
「アルの俺の時間が僅かだから、そう感じるだけ」
「エティの卒業まで自由にカナメとの恋愛を晒すつもりはないから、致し方ないだろう」
「わかってるけど、部屋で二人きりになっても微妙な距離感。それをエティに『カナメが不憫で……僕のせいで、ごめん。ごめんね、カナメ』とか言われて、俺がどれだけ居た堪れないと思うか……」
カナメが扉の前の照明のスイッチに触れる。
明かりが一気に落ち、部屋が暗くなった。
すぐに部屋を出ようとするカナメをマチアスの腕が引き止める。
一瞬だけ触れ合ったのはお互いの唇。
すぐに離れマチアスが扉を開けた。
逃げるように部屋から出ようとしたカナメの目には涙が溜まっている。
「暗闇が怖いってわかってて、ああいうことを!」
「良い事で上書きは、やはり出来ないんだな」
「真面目な顔で言うことか!」
「すまん」
しれっと言っておしまいにしたマチアスの“俺に戻った笑顔”をしっかり見たカナメは、「でもまあ嬉しかったから良い」と言いそうになった声を思い切り飲み込んだ。
美丈夫という言葉に服を着せたらこう言う男になるんだろうな、と言う容姿のマチアスの“俺の時間”に見せる表情をほぼ独り占めしているカナメも、いまだにこの笑顔に弱い。
そういうカナメも「ギャロワ侯爵家の次男は美人だよな」と人の口に上がる容姿なのだけれど。
部屋を出れば二人の距離は“幼馴染”であり“学友”の距離に戻る。
王子殿下が持っていた荷物をさっとカナメは取り上げてしまう。
悪気のない声で「すまん」と言ったマチアスの眉が一瞬、寄ったのをカナメは見逃さなかった。
「俺、アルの“そういう性格”が好きだからこれでいいよ」
暗闇のせいでこぼれかけた涙が落ちる前に、グイッと袖で拭ったカナメは笑う。
家族思いで優しく厳しく、そして愛情深かった子供はそのまま大きくなった。そして初めて会った時から今に至るまでずっと、その愛情を自分に向けてくれる。
最初は「俺は婿に行くのだ」と言っていたカナメもついに陥落してしまったが、それだって“悪くない”陥落だった。
普通に、例えばどこかに婿養子とか、このまま男爵として嫁をもらうか。普通にそういう未来を想像してそれでいいと思っていた、小さな頃から喜んで“普通の貴族の次男坊”を望んだ面白みがないカナメは、どう考えても大変な未来を想像するしかない人の手を取ったのだ。
それがどれだけの“事件”だったか。
母が衝撃で倒れ2日寝込んだり、父と兄がその決断で何を叫んだか分からないほど驚いた。そんな“事件”だったのだ。
自分だって自分から聞いたら驚いて悲鳴の一つは上げるだろうそんな事件だったのに、それでもカナメがマチアスの気持ちを受け入れたのは全て、“マチアスのそういう性格”が好きだからなのに。
マチアスはよくこうして眉を寄せて「すまん」と言う。
そのすまんは時々によって違うだろうけれど、それでもこの男だからきっとどんな時だってこんな不甲斐ない自分に付き合わせて、手を離せなくてすまない、が込められる気がする、とカナメは言われるたびに思う。
だからカナメはいつだって笑顔で「そんなアルが好きだよ」と素直に言って聞かせる。出来の悪い子供に言い聞かせるように、何度も何度も。
今日もそんな思いを込めたカナメの笑顔を受けたマチアスは瞬いてから、そっと音が周囲に漏れないように透明の障壁を作り
「俺も、暗闇とお化けにビビって、俺の部屋から一週間帰れなくなったカナメの性格を込みで愛してる」
なんて言うから、カナメは
「いい性格してるよね。俺もそう言う性格に生まれたかった。なんで俺、アルと付き合ってるのかわからなくなるよ」
と言って、“外行き”の涼しい顔をしているマチアスを睨みつけた。
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この連載の「マチアスが王太子になったら」という、もしもの話『セーリオ様の祝福:カムヴィ様の言う通り』を連載中です。
もしもの話にもお付き合いいただけたら嬉しいです。
こちらの作品と同一世界の話一覧。
■ トリベール国
『セーリオ様の祝福』
『セーリオ様の祝福:カムヴィ様の言う通り』
『bounty』
■ ハミギャ国
『運命なんて要らない』
■ ピエニ国
『シュピーラドの恋情』
どの作品も独立しています。また、作品によって時代が異なる場合があります。
仮に他の作品のキャラが出張しても、元の作品がわからなくても問題がないように書いています。
もしもの話にもお付き合いいただけたら嬉しいです。
こちらの作品と同一世界の話一覧。
■ トリベール国
『セーリオ様の祝福』
『セーリオ様の祝福:カムヴィ様の言う通り』
『bounty』
■ ハミギャ国
『運命なんて要らない』
■ ピエニ国
『シュピーラドの恋情』
どの作品も独立しています。また、作品によって時代が異なる場合があります。
仮に他の作品のキャラが出張しても、元の作品がわからなくても問題がないように書いています。
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