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本編

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こうして、ビビリで怖がりのカナメには、新しく乗り越えなければいけないものが生まれたのである。
どうやら本人が思っている以上に、平穏という文字は遠くの遠くまでしたようでもあった。
カナメのためにも平穏が長旅でないことを祈るばかりだが、さて、どうなることだろう。



そんな信者を増やす──増やす増えていると言っても、カナメが想像している人数よりはずっと少ないが、カナメに齎される精神的負担はかわいそうに人数に左右されていない──カナメは週末、兄サシャと約束した通り自邸に戻っている。
あの日、アーネが傘で泣きじゃくるあの姿を隠してくれた庭の東家で、今はのんびり茶を飲んで遠くを──んやりよりもんやりのほうが、今のカナメの様子にあっているので、決して間違いではない──と見つめていた。
その正面にはマチアスが座り、同じように茶を飲んでいる。
泣く泣く仕事だと城へ向かったサシャと入れ違いになる形で、マチアスが突然、真面目な彼らしくもなく前触れも何もなくやってきたのだ。きっとのだろう。
サシャの復讐が恐ろしいが、彼にも糸のの理性くらいはあると信じておきたいところである。

「平和だね」
ティーカップにぽちゃんと音を立てて入ってしまいそうな、そんな言葉にマチアスも頷く。
「俺、教祖にはなりたくないんだけどなあ」
そういうは王太子妃とかで十分で俺には手一杯だよ。と続けたカナメにマチアスが声を出して笑いそうになって、グッと堪えた。
本人にとっては本当に本当に、何度本当を重ねてもおかしくないほど、本当に深刻な悩みなのだ。笑うわけにはいかない。
「信心深い人たちもさ、それなら余計にノアの言葉にそうやってと反応するのはどうなんだろう」
信心深いからこそ、精霊に愛されてるのではないかと言われているノアの言葉にコロッとしたのではないか。そう言える雰囲気もないのでマチアスの口は閉じたままである。
「でも、あれかな……『祝福を得ているカナメが不幸になるようなことがあればまずいのでは?』な雰囲気なのは、楽でいいのかな。相手の不躾な発言とかにアルが口撃しちゃうのとかも減って、俺も必死にポーカーフェイスでいなくて良さそうで……うん、楽でいいのかも?ノアが感激してた野菜とか果物とかに感謝のメッセージ添えて贈ろう。『ノアのおかげでアルの口撃回数が減って楽でいいよ』ってかんじで、メッセージカードにしっかり書いておいたらいいかなあ……」
これにはマチアスだけではなく、アーネもアルノルトも吹き出しそうになって耐えた。
「楽そう」と言った時の顔が、心底嬉しそうな顔でそれを一切隠さず、あまりに嬉々とした声色で言うから思わず吹き出したくなったのである。
まさか「マチアスの口撃の際の表情管理がなくなりそうで楽ちん幸せ!」なんて発言が来るとは、誰も予想していなかった。
「でもさ、カムヴィ様もかわいそうだね。この国は『セーリオ様』を神様としているからって、ノアはちゃんとカムヴィ様の名前も出したのに……。試練の件はちょっと言いたいことありすぎだけどさ、それはそれってかんじで、ちょっとだよ」
カナメについている二体の精霊は何を思うか空気を揺らして、カナメなのかそれとも他の誰かになのか、を主張している様だ。
カナメの発言も相まって、まるで「その通りだよね」と言っていそうな風に感じるそれがここにいる全員の頬を擽り、同じように感じたのだろう、カナメは「俺の不思議な精霊たちも同意しているのかなあ……やっぱりかわいそうだよねえ」なんてしみじみ言い出す。
ゴキュッと何かを飲み込む音した。
カナメ以外の全員が誰の顔も見ないところを見ると、全員仲良くのだろう。吹き出しそうになったものを。
さすが優秀な従者たち、そしてさすがマチアス。ここでも耐えた。
「忘れられちゃってかわいそう」発言も思わぬことで危なかっただろうに、吹き出すこともなければも完璧だ。
素晴らしすぎでもう一度、伝えたい。
よく耐えた。

「でも、信者は困るなあ。俺、知ってるだろうけど、精霊魔法がいまだにちょっと分からないんだよ?見せてくれって言われたりしたら、どうしたらいいんだろう……」

ここで漸くマチアスが口を開く。
「頼めばいいじゃないか。上の方にある本を取ってくれ、というような感じで」
「何?じゃあ……そうだな、うん。『ちょっと向こうの魔獣、雷撃で痺れさせて氷漬けにしちゃってくれない?そんで風で切り刻んでおいて』とかお願いすればいいわけ?ちょ、こわ……」
「なんで例えがそうなんだ」
カナメは実に真面目な顔で言った。

「魔法を使う場面って、こういう時でしょ?他にどんな時?」

──────またどこかでのだろうか。
この場にいる三人は仲良く同じことを思う。
どうしてサシャが努力してもそれを掻い潜って、よく分からないことをカナメが聞きかじるんだろうか。
もはやではないかとマチアスは思った。
仮にこれが呪いでも、「だから魔払いしよう」なんて提案すればカナメは間違いなく泣き喚くだろうから言えないのだけれど、マチアスは一度カナメが魔払いを受けたほうがいいのではないかと思ってしまいそうだ。
(いや、もしかしたらサシャが呪われているのかもしれないな。どれだけ努力してもカナメには訳の分からない情報が届くのだからな。呪われているのは、そうか……なるほど、サシャの方かもしれない)
次サシャが「なぜだ!」と悔しさと怒りで壁か何か叩き始めたら話してみよう。マチアスは忘れないように頭に入れた。

「困ったなあ。“不思議で精霊たち”と契約している俺に、精霊魔法を教えてくれる人、いるかなあ」
「だから頼んでみればいいだろう。部屋を涼しくしてくれとか。平和に使う方法はいくらでもあるはずだぞ」
「……思いつかない。アルは思いつく……そうだった、アルは精霊とだしなあ」
「正しい方法に則り呼べば精霊を召喚できる、そして力を貸してくれる」
「でも契約はしないで帰っちゃう……ある意味すごい稀有な才能だよね。うーん……でもなあ、何を頼めばいいんだろう……」

そもそも魔法を使うこと自体少ないから、何も思いつかない。とカナメは両手で顔を覆った。
信者だ教祖だのから、いつの間にか精霊魔法が理解できていないという話になる。
(なんと平和なことだろうか……)
とマチアスは心地の良い風が吹く中思う。
婚約式でのノアの発言が転がり転がって、カナメを守る鎧になっていることに対してマチアスは安堵する気持ちもある。
けれどもどうしたって、やはり“大精霊セーリオの”──ノアはカムヴィにも触れているしである王族と親族は覚えているのだが、何度も言うように、伝言ゲームのように人を返していく間にカムヴィの名前が消えてしまった──のようなこの状況には素直に喜べない。
カナメを守る鎧はマチアスが作りたい。そしてそれが壊れそうになれば修復しその上で改善し、生涯かけてマチアスがカナメを守りたいのだ。

「アル?眉間にすごい皺がよってるけど、何か憎いものでも思いだした?こんな良い天気で婚約者とお茶してる時にする顔ではないと思う」
「いや、色々思い出しただけだ。しかし、婚約者とお茶している最中に先日の夜に見た怖い夢を思い出して泣くよりも、まあ良いと思うんだが」
「古い話を持ち出してきたね……」
「思い出すと、あの時のカナメも愛らしかったと思ってな」
「泣き顔を可愛いというその神経……おかしい」
本気で引いているカナメにマチアスは面白そうに笑う。
あまり言わないけれど、マチアスはカナメを、カナメが思っている以上に愛しているし、可愛いと思っている。
大切で大切で、どうしたら良いのか分からなくてどれだけ悩んで苦しんだか。カナメを思うだけでどれだけ幸せになれたか。
だからこそ、カナメを守る役目は『大精霊セーリオ様が祝福しているようだ』なんて言葉から生まれたものではなくて、自分の役目でありたいのだ。
「はあ、どうして俺、アルを愛してるんだろう」
こんなふうに葛藤するマチアスの頬に風があたり、髪がふわふわと揺らめく。もしかしたら精霊たちが大笑いでもしているのかもしれない。
(それとも、応援してくれているのだろうか)
マチアスはそんなことを考えた。精霊が自分を応援してくれているのではないか、なんて。驚くくらいに珍しいことを。

「どうして俺を愛しているか、か。ふむ……。俺がカナメを愛している思いを、カナメが受け止めそれを返してくれるからだろう」
「そうね。だからお願い、俺の過去の恥ずかしい話はしないようにして」
する」

これから先も苦労は続くだろう。
二人が共に苦労することもあるだろうし、一方だけがそうなる時も起きるはずだ。
もしかしたら、どうしたら良いか判断つかないような困難を前にするかもしれない。
今までであれば一人でなんとかしようとしたマチアスは今、思う。

カナメがいれば、そして信頼できる人がいれば、なんとかなるんじゃないか。
驚くことにマチアスは、そんなことを思うのであった。
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