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本編
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学園内で、以前も話したが美丈夫が服を着るとこうだろうというマチアスに、無口な中性的美人のカナメはさすが“社交界の白薔薇”の息子だと思わせる容姿。
王太子とその婚約者としてではなくても、はっきり言おう、とても目立つ。
婚約者として発表される前だって二人を見てうっとりため息をつく男女──同性にその息を吐かせるのは主にカナメだったが──がいたのだけれど、婚約式の後からは余計に増えた。
外行きの顔のおかげでバレていないけれど、カナメは増えた視線に居心地が悪いなあと思う瞬間ばかりが増えた。
カナメはもとより「俺、目立つの苦手なんだよね……」という性格をなんとか奮い立たせ、マチアスの側近候補──表向きは──の一人としてマチアスの隣に立っていた。
この時だってかなりの視線を浴びていたのに、今はそれ以上の視線がバシバシと当たる。泣いていいなら泣きたいほどだ。
それを悟られない涼しい顔で受け流しているように見せているこの姿。彼の努力が見てとれる。
それに対して
(鈍感なの?それとも王族の血のなせる技?幼少期からの教育……いや、教育はほとんど俺、アルと同じのをアルの隣でやってた。え……じゃあこれ、これは王族の血か、性格ってこと?ほしい……その性格、ちょっと分けてほしい。ずるい。神様は不公平にしすぎるよ……)
カナメはどんな視線さえ全く気にしない、何とも思っていない様子のマチアスを本気で尊敬していた。
尊敬半分、ずるいと思う気持ち半分くらいかも知れないが……。
学舎と学舎とつなぐ渡り廊下。
渡り廊下は屋根こそあるが外を歩いているようなもので、あたりの様子がよく見えた。
セキュリティの観点から背の低い、それこそこの世界の一般的な令嬢の膝よりも下──────、踝程度の高さまでしか育てないようにしている低木の緑が陽を浴びて葉を鮮やかに輝かせている姿も目を楽しませてくれるし、庭師が丹精込め月替わりで植え替える花壇の花はいつだって誇り高くその姿を学園生に見せていた。
遠くの方には背の高い木々が見え、この渡り廊下からそちらを見る景色の美しさに魅せられ、ここからの景色を絵にした生徒は多い。
中にはその絵がきっかけで、画家の道を歩んだ生徒もいたというほどだ。
また、卒業生の中には自分の屋敷に同じような景色の庭を作るものもいるほど、この渡り廊下の景色は優美で人を魅了した。
そんな渡り廊下に、マチアスとカナメ、この二人がいるのが確認できる。
彼らの背後には従者アルノルトとアーネの姿が。この二人も学園の卒業生、きっとこの景色を見て美しいと思ったこともあっただろう。
「きれい」
ぽつりとつぶやいたカナメに、そうだなと言ったマチアス。
けれど彼が見ていたのは庭ではなく、隣を歩く婚約者である。
今までこの学園に同性の婚約者同士が通っていたこともあれば、のちの女王が同性の婚約者と通ったことなど、同性の婚約者たちが同時期に通っていたこともあるし、また今現在そういう婚約者も在籍している。
この国では同性婚が認められている国なので、異性との婚約と同じく、時には「なんなのこのバカッぷる」という花やらハートやらが飛びまくっている婚約者たちもいれば、当然冷めた仲の婚約者もいた。
そしてマチアスとカナメ。
この二人は距離がある婚約者に見られている。
他者に、そう、正しく他者に、表向き側近候補として隣にいた時と同じような距離感を感じさせているようだ。
二人はそんなつもりが一切ないのに、そう思わせる。これはきっと長い時間ふたりが婚約していたにも関わらず、それを知られぬように悟らせないように付き合っていたからだろう。
このどこか感じる距離感を在籍中の学園生から聞いた、いまだに娘や親族から側妃を出そうとしている当主は夜会などで自身もこの距離感を確認をし、自信を持ったのか。
なんと二人の距離感に勝機ををみて、自分の欲望を娘や親族の子に託しこれを匂わせ、時にははっきりとマチアスに進言してくる慮外者も現れる。
それは主にあの、『匙加減が絶妙な書簡』を送りつけてくる当主であった。
この面と向かって、実に分かりやすく側妃を提案され喜んだのはマチアス。
獲物が飛び込んできたという喜びを全て両眼に乗せ、それが籠った眼光が人に向けるような者ではない鋭さとなり、相手を突き刺す。ここで慌てて謝罪しようとも無駄である。
「自分の主義主張のためなら王族をどのように使ってもいい。そう思っていることがよくよくわかった」この程度ならまだ本当に本当にマシな方で、あまりに不敬な相手には
「自分が法律だと言うようなその態度から察するに、国を作りたいと見える。今すぐ国外へ出るといい。思う通りの国が作れていいだろう。あとで国王陛下にそう伝えておくが、問題はあるまい?王太子である私をその程度の人間と見ているのだ、自分と同じかそれ以下のものだと思うからこその発言だろう?いや、それとも私は不勉強ゆえ知らなかったが、もうどこぞかに国を作ったのか?だから我が父である国王や王太子である私にそのような進言ができる。あとで国王陛下に聞いておかねばなるまい。新しい国ができたそうだが私は知らなかったと」
なんて息継ぎなしで一気に言ったこともあった。
送った書簡の内容でマチアスの発言も大きく左右されると知り、熱りが覚めるまで大人しくしておけばいい思ったものもいたが、そういう奴こそ舌の根も乾かぬうちにと言うそれをする。
平然と、いや、今までの思考が正しいと思いそれが当然と思うからこそ、どこぞかでマチアスを罵り、それを聞いていた息子らに当主の座を追われ田舎に追いやられたものもいるそうだ。
追い出したものの真意はわからないが、このままでは家がなくなると思ってのことだというのだけは見てとれる。嫡男思想があるかどうかは別として、危機感は十分に持っているのだろう。
理想の王の姿を追いかけそうなろうとしていたマチアスであればしなかっただろう先のような事を、理想を追いかけるのは止めマチアスとして王座に座るのだという覚悟をしたマチアスは顔色ひとつ変えずにやってのける。これが元々の彼だ、演技なんて必要はない。
しかも、先のような事をするマチアスを後押しするのは、彼の実の弟エティエンヌである。
──────大きな改革をしようとしている時は、反対するものとの間で大きくぶつかり合うでしょう。その時、僕のような性格では喰われるだけ。兄上は兄上のまま、反対し道を塞ぐものを蹴り飛ばしていけばいいと思います!
──────幸いにも僕は人当たりがいいですからね。その取り柄を活かしてフォローをします。時々フォローを忘れて僕も踏み潰してしまうかもしれませんが、まだ僕も子供ですからそれもありですよね!
──────兄上はサシャ殿と二人三脚で思い切り、ボコボコにしたらいいのです。
可愛い顔をして結構過激なエティエンヌに驚くマチアスに「僕が王になる時、僕では決してできないことをして僕を支えようとしてくださった兄上と同じように、僕だからできる方法で兄上を支えてゆきたいのです!」とエティエンヌは言い、マチアスはああなった。
暴君や愚者になりたいわけではないので、匙加減は重要だろう。
しかし仮に今やりすぎていたとしても
(不敬罪に問えるような素晴らしい行動をする彼らで練習すれば問題はあるまい。そうして練習していくうちに、まあまあ上手になるだろう)
そうマチアスは開き直っている。
──────こういう男が開き直ると振り切って正面から切り込みそうで怖い。
そう思うのはきっと一人二人ではないだろうが、それで国内が掃除されていくのなら終わりよければすべてよしとなるのだろう。多分。
とにかく、マチアスはこれでも匙を加減している、のである。彼の意識としては。
さて、一方で先のようなマチアスの発言を隣で聞いたカナメの顔が微動だにせず、常にポーカーフェイスであったことは賞賛に値するだろう。
彼は「気持ちはわかるけど、喧嘩腰!気持ちはわかるけど、言い方!敵認定しても言い方!」と心で何度マチアスに言ったことか。
カナメはこれまでの貴族界を思えば、潮目が変わっているとはいえ側妃だの愛人だのを勧めてくる人間は多いと思っているし、まだ自分に面と向かって言わないだけマシだなと思っている。
だからマチアスと──ここまでお付き合いくださった方は気がついていらっしゃるかもしれないが──サシャが怒り狂うことに、「ちょっと、それは、やりすぎでは?」と感じてしまうのだ。
──────もう誰が何と言っても、マチアスは側妃なんてとらない。情婦だって作らない。
そうマチアスと彼の決意決断を信じているから、カナメは彼らが思うよりもずっとずっと、気にしていないのである。
正直に白状すれば、多少はイラッとするし、自分に面と向かって言ってくれば「は?」と思うだろうが、カナメはこう思うほど大きくなったのだ。
余談ではあるが、精霊から加護と祝福を受けすぎているハミギャ国王太子の婚約者ノアが「怒りの感情は精霊に与える影響が一番強いから、祝福を受けたものは感情を抑えるように言われるんだ。ぼくも怒りでカッとなって大変だったから、精霊に与える影響力は十分知っているんだ。だからこそ、一応カナメ様も頭に入れておいた方がいいと思う。人間が思うよりもずっと、精霊って人の理とか常識とか法律も、一切考慮しないからやる時はやっちゃうんだよね」と言っていたのを思い出し、相手を叩き切っていく勢いのマチアスが「精霊の祝福を受けていたら国が崩壊していたのでは?」と心配になったと言う。
同時に自分の精霊たちもそうなったら危ないのではないか、と思い、気をつけるようにもなった。
多くの国が『精霊の祝福』に憧れる中、この国にはそんなものがなくてよかったなんてカナメは思う。
もしかしたら、カナメはそう思う唯一の人間かもしれない。
「カナメ、行かないと送れるぞ。王子と婚約者が揃ってサボりというのは、拙いことだろう。してみたいと思う気持ちがカナメにはあるかもしれんが、それは別の機会にしてほしい」
「王太子殿下の婚約者が、根っからのサボり魔と思われるような発言はやめて」
渡り廊下の途中で思わず立ち止まっていたカナメはジト目でそう言って、マチアスを追いかける。
並んで歩き出した二人の距離は肩がつくような近くではないけれど、心の距離は10の時よりも、14の時よりもずっと近い。
信じる勇気と覚悟する勇気を、そして相手を思い努力する大切さを、二人は知った。
自分が思う乗り越えたいもの、乗り越えるべきもの、そして守りたいものを通じて、二人はそれを学んだのだ。
「こんな日が来るなんてね」
「突然どうした?」
振り返ればあっという間に過ぎた気もするほど、心が揺れて乱れて壊れそうで、落ち着いていた時間なんてごく僅かだった。
けれど、もっともっと歳をとった時に「あの時間がなくては今はなかった」なんて感じるのだろうか、そう思って未来の自分は感慨深げに懐かしむのだろうか。そう思うと、そんな未来の自分を、カナメはひと足先に見てみたくなる。
どんな顔でマチアスの隣にいるのだろう。マチアスはどんな顔で自分を見ているのだろう。
未来を想像して、こんなに楽しくなった事はいつぶりだろうか。
驚くようなことを思って、カナメの顔が柔らかく魅力的な笑顔になる。
学舎に入ったところでのカナメの表情の変化は多くの学園生が目撃し、彼らの中から息を呑む音やうっとりと熱のこもった息を吐く音を生む原因となった。
笑顔一つで周囲を魅了する婚約者を誇らしいと思うべきか、それとも嫉妬をしたと言ってもいいものか。
悩むマチアスはカナメの隣で、すまし顔をし歩いている。
王太子とその婚約者としてではなくても、はっきり言おう、とても目立つ。
婚約者として発表される前だって二人を見てうっとりため息をつく男女──同性にその息を吐かせるのは主にカナメだったが──がいたのだけれど、婚約式の後からは余計に増えた。
外行きの顔のおかげでバレていないけれど、カナメは増えた視線に居心地が悪いなあと思う瞬間ばかりが増えた。
カナメはもとより「俺、目立つの苦手なんだよね……」という性格をなんとか奮い立たせ、マチアスの側近候補──表向きは──の一人としてマチアスの隣に立っていた。
この時だってかなりの視線を浴びていたのに、今はそれ以上の視線がバシバシと当たる。泣いていいなら泣きたいほどだ。
それを悟られない涼しい顔で受け流しているように見せているこの姿。彼の努力が見てとれる。
それに対して
(鈍感なの?それとも王族の血のなせる技?幼少期からの教育……いや、教育はほとんど俺、アルと同じのをアルの隣でやってた。え……じゃあこれ、これは王族の血か、性格ってこと?ほしい……その性格、ちょっと分けてほしい。ずるい。神様は不公平にしすぎるよ……)
カナメはどんな視線さえ全く気にしない、何とも思っていない様子のマチアスを本気で尊敬していた。
尊敬半分、ずるいと思う気持ち半分くらいかも知れないが……。
学舎と学舎とつなぐ渡り廊下。
渡り廊下は屋根こそあるが外を歩いているようなもので、あたりの様子がよく見えた。
セキュリティの観点から背の低い、それこそこの世界の一般的な令嬢の膝よりも下──────、踝程度の高さまでしか育てないようにしている低木の緑が陽を浴びて葉を鮮やかに輝かせている姿も目を楽しませてくれるし、庭師が丹精込め月替わりで植え替える花壇の花はいつだって誇り高くその姿を学園生に見せていた。
遠くの方には背の高い木々が見え、この渡り廊下からそちらを見る景色の美しさに魅せられ、ここからの景色を絵にした生徒は多い。
中にはその絵がきっかけで、画家の道を歩んだ生徒もいたというほどだ。
また、卒業生の中には自分の屋敷に同じような景色の庭を作るものもいるほど、この渡り廊下の景色は優美で人を魅了した。
そんな渡り廊下に、マチアスとカナメ、この二人がいるのが確認できる。
彼らの背後には従者アルノルトとアーネの姿が。この二人も学園の卒業生、きっとこの景色を見て美しいと思ったこともあっただろう。
「きれい」
ぽつりとつぶやいたカナメに、そうだなと言ったマチアス。
けれど彼が見ていたのは庭ではなく、隣を歩く婚約者である。
今までこの学園に同性の婚約者同士が通っていたこともあれば、のちの女王が同性の婚約者と通ったことなど、同性の婚約者たちが同時期に通っていたこともあるし、また今現在そういう婚約者も在籍している。
この国では同性婚が認められている国なので、異性との婚約と同じく、時には「なんなのこのバカッぷる」という花やらハートやらが飛びまくっている婚約者たちもいれば、当然冷めた仲の婚約者もいた。
そしてマチアスとカナメ。
この二人は距離がある婚約者に見られている。
他者に、そう、正しく他者に、表向き側近候補として隣にいた時と同じような距離感を感じさせているようだ。
二人はそんなつもりが一切ないのに、そう思わせる。これはきっと長い時間ふたりが婚約していたにも関わらず、それを知られぬように悟らせないように付き合っていたからだろう。
このどこか感じる距離感を在籍中の学園生から聞いた、いまだに娘や親族から側妃を出そうとしている当主は夜会などで自身もこの距離感を確認をし、自信を持ったのか。
なんと二人の距離感に勝機ををみて、自分の欲望を娘や親族の子に託しこれを匂わせ、時にははっきりとマチアスに進言してくる慮外者も現れる。
それは主にあの、『匙加減が絶妙な書簡』を送りつけてくる当主であった。
この面と向かって、実に分かりやすく側妃を提案され喜んだのはマチアス。
獲物が飛び込んできたという喜びを全て両眼に乗せ、それが籠った眼光が人に向けるような者ではない鋭さとなり、相手を突き刺す。ここで慌てて謝罪しようとも無駄である。
「自分の主義主張のためなら王族をどのように使ってもいい。そう思っていることがよくよくわかった」この程度ならまだ本当に本当にマシな方で、あまりに不敬な相手には
「自分が法律だと言うようなその態度から察するに、国を作りたいと見える。今すぐ国外へ出るといい。思う通りの国が作れていいだろう。あとで国王陛下にそう伝えておくが、問題はあるまい?王太子である私をその程度の人間と見ているのだ、自分と同じかそれ以下のものだと思うからこその発言だろう?いや、それとも私は不勉強ゆえ知らなかったが、もうどこぞかに国を作ったのか?だから我が父である国王や王太子である私にそのような進言ができる。あとで国王陛下に聞いておかねばなるまい。新しい国ができたそうだが私は知らなかったと」
なんて息継ぎなしで一気に言ったこともあった。
送った書簡の内容でマチアスの発言も大きく左右されると知り、熱りが覚めるまで大人しくしておけばいい思ったものもいたが、そういう奴こそ舌の根も乾かぬうちにと言うそれをする。
平然と、いや、今までの思考が正しいと思いそれが当然と思うからこそ、どこぞかでマチアスを罵り、それを聞いていた息子らに当主の座を追われ田舎に追いやられたものもいるそうだ。
追い出したものの真意はわからないが、このままでは家がなくなると思ってのことだというのだけは見てとれる。嫡男思想があるかどうかは別として、危機感は十分に持っているのだろう。
理想の王の姿を追いかけそうなろうとしていたマチアスであればしなかっただろう先のような事を、理想を追いかけるのは止めマチアスとして王座に座るのだという覚悟をしたマチアスは顔色ひとつ変えずにやってのける。これが元々の彼だ、演技なんて必要はない。
しかも、先のような事をするマチアスを後押しするのは、彼の実の弟エティエンヌである。
──────大きな改革をしようとしている時は、反対するものとの間で大きくぶつかり合うでしょう。その時、僕のような性格では喰われるだけ。兄上は兄上のまま、反対し道を塞ぐものを蹴り飛ばしていけばいいと思います!
──────幸いにも僕は人当たりがいいですからね。その取り柄を活かしてフォローをします。時々フォローを忘れて僕も踏み潰してしまうかもしれませんが、まだ僕も子供ですからそれもありですよね!
──────兄上はサシャ殿と二人三脚で思い切り、ボコボコにしたらいいのです。
可愛い顔をして結構過激なエティエンヌに驚くマチアスに「僕が王になる時、僕では決してできないことをして僕を支えようとしてくださった兄上と同じように、僕だからできる方法で兄上を支えてゆきたいのです!」とエティエンヌは言い、マチアスはああなった。
暴君や愚者になりたいわけではないので、匙加減は重要だろう。
しかし仮に今やりすぎていたとしても
(不敬罪に問えるような素晴らしい行動をする彼らで練習すれば問題はあるまい。そうして練習していくうちに、まあまあ上手になるだろう)
そうマチアスは開き直っている。
──────こういう男が開き直ると振り切って正面から切り込みそうで怖い。
そう思うのはきっと一人二人ではないだろうが、それで国内が掃除されていくのなら終わりよければすべてよしとなるのだろう。多分。
とにかく、マチアスはこれでも匙を加減している、のである。彼の意識としては。
さて、一方で先のようなマチアスの発言を隣で聞いたカナメの顔が微動だにせず、常にポーカーフェイスであったことは賞賛に値するだろう。
彼は「気持ちはわかるけど、喧嘩腰!気持ちはわかるけど、言い方!敵認定しても言い方!」と心で何度マチアスに言ったことか。
カナメはこれまでの貴族界を思えば、潮目が変わっているとはいえ側妃だの愛人だのを勧めてくる人間は多いと思っているし、まだ自分に面と向かって言わないだけマシだなと思っている。
だからマチアスと──ここまでお付き合いくださった方は気がついていらっしゃるかもしれないが──サシャが怒り狂うことに、「ちょっと、それは、やりすぎでは?」と感じてしまうのだ。
──────もう誰が何と言っても、マチアスは側妃なんてとらない。情婦だって作らない。
そうマチアスと彼の決意決断を信じているから、カナメは彼らが思うよりもずっとずっと、気にしていないのである。
正直に白状すれば、多少はイラッとするし、自分に面と向かって言ってくれば「は?」と思うだろうが、カナメはこう思うほど大きくなったのだ。
余談ではあるが、精霊から加護と祝福を受けすぎているハミギャ国王太子の婚約者ノアが「怒りの感情は精霊に与える影響が一番強いから、祝福を受けたものは感情を抑えるように言われるんだ。ぼくも怒りでカッとなって大変だったから、精霊に与える影響力は十分知っているんだ。だからこそ、一応カナメ様も頭に入れておいた方がいいと思う。人間が思うよりもずっと、精霊って人の理とか常識とか法律も、一切考慮しないからやる時はやっちゃうんだよね」と言っていたのを思い出し、相手を叩き切っていく勢いのマチアスが「精霊の祝福を受けていたら国が崩壊していたのでは?」と心配になったと言う。
同時に自分の精霊たちもそうなったら危ないのではないか、と思い、気をつけるようにもなった。
多くの国が『精霊の祝福』に憧れる中、この国にはそんなものがなくてよかったなんてカナメは思う。
もしかしたら、カナメはそう思う唯一の人間かもしれない。
「カナメ、行かないと送れるぞ。王子と婚約者が揃ってサボりというのは、拙いことだろう。してみたいと思う気持ちがカナメにはあるかもしれんが、それは別の機会にしてほしい」
「王太子殿下の婚約者が、根っからのサボり魔と思われるような発言はやめて」
渡り廊下の途中で思わず立ち止まっていたカナメはジト目でそう言って、マチアスを追いかける。
並んで歩き出した二人の距離は肩がつくような近くではないけれど、心の距離は10の時よりも、14の時よりもずっと近い。
信じる勇気と覚悟する勇気を、そして相手を思い努力する大切さを、二人は知った。
自分が思う乗り越えたいもの、乗り越えるべきもの、そして守りたいものを通じて、二人はそれを学んだのだ。
「こんな日が来るなんてね」
「突然どうした?」
振り返ればあっという間に過ぎた気もするほど、心が揺れて乱れて壊れそうで、落ち着いていた時間なんてごく僅かだった。
けれど、もっともっと歳をとった時に「あの時間がなくては今はなかった」なんて感じるのだろうか、そう思って未来の自分は感慨深げに懐かしむのだろうか。そう思うと、そんな未来の自分を、カナメはひと足先に見てみたくなる。
どんな顔でマチアスの隣にいるのだろう。マチアスはどんな顔で自分を見ているのだろう。
未来を想像して、こんなに楽しくなった事はいつぶりだろうか。
驚くようなことを思って、カナメの顔が柔らかく魅力的な笑顔になる。
学舎に入ったところでのカナメの表情の変化は多くの学園生が目撃し、彼らの中から息を呑む音やうっとりと熱のこもった息を吐く音を生む原因となった。
笑顔一つで周囲を魅了する婚約者を誇らしいと思うべきか、それとも嫉妬をしたと言ってもいいものか。
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