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本編
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ジッと何かを考えていた様子が見られるのはマチアス。
この国の第一王子だ。
マチアスは先日、この国の王立ピステス学園に入学した。もちろん、カナメもである。
王立ピステス学園はこの世界で最古の学園の一つと言われており、他の国に比べクーデターの影響で比較的歴史が浅いハミギャ国にある王立バシリス学園はこの学園を参考に、またこの学園の創立者である王族の協力を得て作られている。
王立ピステス学園には魔法科、騎士科、淑女科、特進科、そして錬金科──本当は“魔法技術科”なのだが、殆ど通称である錬金科と呼ばれる──とあり、特進科は二年次に『特進科』と『領地政務科』に分かれ、魔法科は三年次に『魔法科』と『精霊魔法科』に、騎士科も三年次に『軍学科』『騎士術科』『軍事騎士科』に細分化される。
この学園を参考に創られたハミギャ国の王立バシリス学園には魔法科に『精霊魔法学科』というものが存在するが、彼の国はこの国よりも精霊と密接な関係があるためこの科があった。
この王立ピステス学園の特進科に第一王子マチアスと、彼の側近候補カナメは入学をした。
二人の関係はまだ表向き、このようになっている。まだ発表するには危険だと、国王ロドルフの判断だ。
二人を見ている教師陣は「教育については問題はない」と報告しており、それはロドルフも認めるところ。
しかしカナメとマチアスの精神的なものを見ていると、じゃあ発表しようとは思えなかったのだ。
マチアスは離宮から帰ってからこちら人のあるところでは平然としているが、それに誤魔化される父でもなければ王でもない。
カナメについてはそれ以上に見てとれる。
今の状態で二人の事を公表する事は、どう考えても得策とは言い難かった。
そもそも当初、二人は『第一王子』と『側近』という嘘偽りの関係ですら学園に通えるのかと思ったほどだったのだ。けれど二人はその心配だけは跳ね除けた。
なんの問題もなく、そうとは疑われる事なく過ごしている。
基本寮生活を強いられる学園だが王族についてはその限りではないので、マチアスは王城で、側近──候補では弱いと学園側には『側近』と匂わせている──という理由でカナメも寮生活はせず、本来の理由であるこの先の教育のために学園以外の時間は城で多くを過ごしていた。
この日は学園は休み、そして珍しく教育というようなものが特になく、考える時間があまりにある日であった。
今日はカナメも登城していない。
マチアスはじっとしていたが、徐に立ち上がると部屋を出ていく。
声もかけずに出ていく姿に驚くアルノルトは、けれどそれを顔に出す事も仕草で表す事もなく彼の少し後ろにぴたりとついて歩き、扉の前で護衛をしていたものはそのまま部屋の前で部屋を守るために残る護衛と、マチアスについていく護衛に分かれる。
何も言わないマチアスが向かった先は、騎士たちが室内で鍛錬を行う際に使う武術場。
マチアスがきたここはいくつかあるうちの一つで、下は砂利が敷かれ、ところどころに大小様々な石、そしてかけた煉瓦や板材なども置かれている、どちらかといえば外での実践を考え造られた部屋だ。
ここで近衛騎士の訓練は行われる事が少ない。なぜなら彼らは城への侵入者に対処する事を想定して創られたそれが、今も残っているからで、彼らは今も今までと同じ訓練で問題はないとどこか奢っているからだった。
そのプライドを叩き折りに、一年に一度ひと月だけ、彼らを「お上品なおぼっちゃん軍団」と評するハヤル辺境伯爵カンデラリオ・セグロラが登城する。
そして彼は同時にマチアスの師でもあった。
マチアスは──彼は自分の立場を理解しているから決して言わないが──人は誰かを殺そうと、他国の領土へ侵略しようとしている時、決してマナーの良い闘い方なんてしないと思っているからこそ、師に彼を選んだ。
「ハヤル辺境伯爵」
武術場に向かう前に着替えたマチアスは、武術場の真ん中で仁王立ちになっているカンデラリオに声をかけた。
小さく頭を下げるのは、それだけマチアスが彼の思いを重じているいるからである。
「殿下。一年ぶりでございますな」
「お時間はありますでしょうか?」
「ええ、もちろん。殿下のためであるのなら、どのような鍛錬中でも私は時間を空けましょう」
カンデラリオの隣に並べば、たしかに近衛騎士はお上品なお坊ちゃんだろう。
この国には北と南は陸続きで他国へつながっており、東と西には海がある。
海には海の魔獣がおり危険なので、ここを軍を用いて攻め込もうとする相手はいない。航海する時も危険と隣り合わせであるのに、これが戦争となるとその異常さを魔獣も感じるのか、彼らが一気に活発化する。だから海から攻め込むのはろくな事にならないと、過去の歴史が物語っているのだ。
なので北と南の辺境地の守りは非常に重要になっていた。
あの手記が書かれた当時のままであれば南の辺境地の守りはここまで必要とされていなかっただろうが、時間の流れで起きた両国の油断なのだろうか、あの蛮族の支配していた場所にまたその様な集団がいくつも集まり、その集まりは次第に国の様なものへと変え無法地帯を築き上げた。そのため、今も英雄と王女の縁で生まれた同盟国であるあの隣国と共に、二度とあの様な事が起きない様にと警戒を続けている。
そこを責め滅ぼせばいいと思われるかもしれないが、彼らは今もまだ無法地帯だけで暴れている。現状がそれなので何十年も手出しが出来ない状態だ。
そしてもう一つの北の辺境地を守るのがこの男、ハヤル辺境伯爵カンデラリオ・セグロラだ。
彼と彼がもつ軍隊もまさにこの国を蹂躙しようとする他国との戦いのために鍛えられたもので、いかなる方法を持ってしても勝つと掲げ、実際そのためなら手段を選ばないところがある。
それは向こうも同じだろうから、それを“野蛮”だなんてマチアスは思わない。食うか食われるかで侵略をしようとする相手と戦うのだ。同じ思いで戦わずしてなんとしよう。
お綺麗なだけでは、守れないものだってあるのだ。
それに理解を示し、同様の思いで国を守る南の辺境伯爵家と北の彼らへの支援を惜しまない王家そしてマチアスとエティエンヌに、北と南の辺境伯爵家は忠誠を誓っていた。
「一年ぶりに、稽古を頼む」
模擬刀を持って立つマチアスにカンデラリオは
「今の殿下では痛い思いをするだけですぞ」
と遠慮なく言う。
プライドを叩き潰されかけていた近衛騎士らは殺気立つが、マチアスは「そうだな」と薄く笑うだけだ。
「だが、ハヤル辺境伯爵以外ではまともに相手をしてくれぬ。私との稽古で、私がいかなる傷を負おうと問題にはしないと契約されているだろう?頼む」
カンデラリオの前に立ちそう言ったマチアスに、カンデラリオは聞き分けのない子供を見ているような目で
「さようですか。ですが、いいですか、殿下。どのような時でも殿下のお心が強くなければ、守れるものも守れません。私も大概あなた様に甘いところがありますが、あなた様のストレス解消にお付き合いするのは、これきりですよ」
仕方がないなと言いたげに、小声で言う。マチアスは反論しない。その通りだ。
「では、稽古をしましょう。本気でどうぞ。魔法でもなんでも、お使いなさい」
言ってカンデラリオは、場をぐるりと囲むようにある板張りの、休息などを取る際に使用する場所に立っているカンデラリオが連れてきた軍人、そしてこの国の騎士団総司令官が、不要なプライドをカンデラリオに思い切りへし折ってもらいたいと総司令官自ら選抜した近衛騎士らに向かい
「彼の、守るべきものを守るために戦う人間の全てをよく見ているといい。人は、お綺麗な戦いでは生き抜けないというそれを、決して忘れない様」
声を張って言い、マチアスに「さあ、どこからでもどうぞ」と笑顔を見せた。
二人の戦いは十分以上、そう三十分ほど続いただろうか。
近衛騎士の驚く顔に、カンデラリオの部下たちが「ざまあみろ」と言いたげな顔を向ける。
部下たちからすれば、今のマチアスは可愛い弟弟子の様なものだ。我らの弟弟子の迫力を思い知ったかと言わんばかりの顔である。
近衛騎士が驚くのは第一王子という立場で守られるべき人間が見せる、実に人間らしいというべきか、型に嵌っていない、言うなれば生き残る戦い──────近衛騎士が言う野蛮な戦いをする様だ。現実に城に他国の軍人らが攻め込んできたらこのマチアスを前にどちらが守られる人間になるか、全く分からなくなったからだろう。
なにせカンデラリオの戦い方は彼ら近衛騎士にした事と同じように命懸けで相手の命を消しにかかる汚い戦い方であったし、マチアスは何を持ってしても生き抜いてそして守り抜こうとする、そういう泥臭さがあった。
そしてなにより彼らを前に、マチアスは一切の手加減をしなかった。
ひたすらに、何かをぶつけるようにカンデラリオに剣をふるう。
しかし勝負はマチアスが一瞬隙を見せた瞬間に決まった。ガン、という重たい音と共に、マチアスの剣が遠くへ飛び地面に落ちた瞬間、決まったのである。
「まいり……ました」
「よう腕を上げました。じつにいい戦いでしたが、最前線に出るような真似はなさいませんよう。殿下は放っておくと、最前線に飛び出しそうですからね。いえ、殿下ならば十分働けますでしょうが……それでは我々が立場を奪われてしまいますからね」
息一つ乱れないカンデラリオと、膝をついたマチアス。歴然とした勝負の行方に観客はいまだ緊張の中にいる。
「アルノルト殿、殿下を頼みましたぞ」
「はい」
アルノルトがマチアスのそばに向かうと、マチアスはゆっくりと立ち上がり観客となった彼らに「邪魔をした」と一言言うと場を後にする。
扉の向こうに出る際、振り返りカンデラリオにあたらめて小さく頭を下げると
「ハヤル辺境伯爵がいる間、また稽古をお願いしても?」
「ええ、歓迎しましょう。出来のいい弟子との稽古であれば、それは実に楽しいものです」
汚れたまま足早に自室に戻ったマチアスは、アルノルトを残し全員を下がらせ、心配顔になっているアルノルトに首を振って浴室に向かった。
何かのために入るわけではないから、マチアスが適度に自分で自分を洗うだけで十分だ。
それに今は、誰かの手を借りたいなんて思わないし、誰かにそばにいられたくない。
誰かといれば彼は、マチアス王子殿下でいなければいけないのだ。
ガッとした、怒りのようなものが魔力の塊となって浴室の壁にぶつかる。
王子の部屋は基本的に魔力をぶつけて壊れるようなものにはしていない。
時として幼い時、魔力のコントロールが出来ずにそれが壁や床を破壊してしまう事があるからだ。
その都度壊れて直してでは、王子の部屋に多くの人間を入れなければいけなくなる。不要な人間の出入りが多くなればなるほど、不測の事態も発生する可能性が高まる。
それを避けたいのが国王をはじめとする王族の考えであり、子を心配する親の思いだ。
「おちつけ……おちかなければ、何も出来ない」
離宮で、カナメの心を守る事が出来ればいいと、そのためならどんな事だってしようと決めたのに、それをどうやって成せばいいのか。マチアスには今もまだ切っ掛けさえも掴めない。
時間だけが過ぎていくようで、時々こうして何かにぶつかりたくなる。
王子らしくないと、これでは国を背をって立つような人間にはなれないと、そう思っても抑えられないものが生まれてしまう。
エティエンヌはマチアスの考えに賛同してくれた。いくらだって養子にしてなんて、これからはそれでいいと思うと言って。
王族として残る事だって、王族のままの方が色々便利な事もあるからそれを目一杯使って生きるよと笑って。
しかしカナメが思っているように、そんなに簡単に話は終わらないのだ。
エティエンヌとマチアスの間で済む話ではない。
そもそも、嫡男主義という不文律が大きく存在している貴族の世界の中で、エティエンヌを王にするというそれだって壁がいくつも立ちはだかっていた。
しかしそれはマチアスが全て踏み潰していこうと思い、それならなんとかなるだろうと算段していたのだ。
嫡男だなんだという貴族界の不文律を正しいと言い切りそれに不満がない人間の多くは、しかし不思議と甘い蜜だけは目ざとく見つける。
エティエンヌの方がいいと、自分たちにとって、エティエンヌが王になった方がと都合がいいのだと思わせる手段はいくらでもあると、マチアスは考えていた。
今の王であるロドルフや健全な有力貴族の後押しだけではなく、いかに自分が王になったら肩身の狭い思いをするのか、どれだけ立場が危なくなるのか、それを見せてやればいいと考えていた。
冷徹なマチアスが王になるよりも、優しいエティエンヌを王にした方が安全である。
そう思わせる事はあまり難しくないとマチアスはそう、推断していた。
しかし嫡男の自分が王になるとなれば話が変わる。
嫡男主義が騒ぎ出す。王の子を作るべきだと。
これをどうやって黙らせればいいのか、マチアスはまだ見つけられない。
黙らせ排除しなければ、カナメが、マチアスが一番見たくないし考えたくもないお人形の王妃なるかもしれないのに。
どうやって、マチアス自身が考える理想である最良の王になり、カナメを守ればいいのか。
マチアスは全く分からず、ただただ進む教育と時間を前に、頭を抱え湯船の中で顔を沈めた。
この国の第一王子だ。
マチアスは先日、この国の王立ピステス学園に入学した。もちろん、カナメもである。
王立ピステス学園はこの世界で最古の学園の一つと言われており、他の国に比べクーデターの影響で比較的歴史が浅いハミギャ国にある王立バシリス学園はこの学園を参考に、またこの学園の創立者である王族の協力を得て作られている。
王立ピステス学園には魔法科、騎士科、淑女科、特進科、そして錬金科──本当は“魔法技術科”なのだが、殆ど通称である錬金科と呼ばれる──とあり、特進科は二年次に『特進科』と『領地政務科』に分かれ、魔法科は三年次に『魔法科』と『精霊魔法科』に、騎士科も三年次に『軍学科』『騎士術科』『軍事騎士科』に細分化される。
この学園を参考に創られたハミギャ国の王立バシリス学園には魔法科に『精霊魔法学科』というものが存在するが、彼の国はこの国よりも精霊と密接な関係があるためこの科があった。
この王立ピステス学園の特進科に第一王子マチアスと、彼の側近候補カナメは入学をした。
二人の関係はまだ表向き、このようになっている。まだ発表するには危険だと、国王ロドルフの判断だ。
二人を見ている教師陣は「教育については問題はない」と報告しており、それはロドルフも認めるところ。
しかしカナメとマチアスの精神的なものを見ていると、じゃあ発表しようとは思えなかったのだ。
マチアスは離宮から帰ってからこちら人のあるところでは平然としているが、それに誤魔化される父でもなければ王でもない。
カナメについてはそれ以上に見てとれる。
今の状態で二人の事を公表する事は、どう考えても得策とは言い難かった。
そもそも当初、二人は『第一王子』と『側近』という嘘偽りの関係ですら学園に通えるのかと思ったほどだったのだ。けれど二人はその心配だけは跳ね除けた。
なんの問題もなく、そうとは疑われる事なく過ごしている。
基本寮生活を強いられる学園だが王族についてはその限りではないので、マチアスは王城で、側近──候補では弱いと学園側には『側近』と匂わせている──という理由でカナメも寮生活はせず、本来の理由であるこの先の教育のために学園以外の時間は城で多くを過ごしていた。
この日は学園は休み、そして珍しく教育というようなものが特になく、考える時間があまりにある日であった。
今日はカナメも登城していない。
マチアスはじっとしていたが、徐に立ち上がると部屋を出ていく。
声もかけずに出ていく姿に驚くアルノルトは、けれどそれを顔に出す事も仕草で表す事もなく彼の少し後ろにぴたりとついて歩き、扉の前で護衛をしていたものはそのまま部屋の前で部屋を守るために残る護衛と、マチアスについていく護衛に分かれる。
何も言わないマチアスが向かった先は、騎士たちが室内で鍛錬を行う際に使う武術場。
マチアスがきたここはいくつかあるうちの一つで、下は砂利が敷かれ、ところどころに大小様々な石、そしてかけた煉瓦や板材なども置かれている、どちらかといえば外での実践を考え造られた部屋だ。
ここで近衛騎士の訓練は行われる事が少ない。なぜなら彼らは城への侵入者に対処する事を想定して創られたそれが、今も残っているからで、彼らは今も今までと同じ訓練で問題はないとどこか奢っているからだった。
そのプライドを叩き折りに、一年に一度ひと月だけ、彼らを「お上品なおぼっちゃん軍団」と評するハヤル辺境伯爵カンデラリオ・セグロラが登城する。
そして彼は同時にマチアスの師でもあった。
マチアスは──彼は自分の立場を理解しているから決して言わないが──人は誰かを殺そうと、他国の領土へ侵略しようとしている時、決してマナーの良い闘い方なんてしないと思っているからこそ、師に彼を選んだ。
「ハヤル辺境伯爵」
武術場に向かう前に着替えたマチアスは、武術場の真ん中で仁王立ちになっているカンデラリオに声をかけた。
小さく頭を下げるのは、それだけマチアスが彼の思いを重じているいるからである。
「殿下。一年ぶりでございますな」
「お時間はありますでしょうか?」
「ええ、もちろん。殿下のためであるのなら、どのような鍛錬中でも私は時間を空けましょう」
カンデラリオの隣に並べば、たしかに近衛騎士はお上品なお坊ちゃんだろう。
この国には北と南は陸続きで他国へつながっており、東と西には海がある。
海には海の魔獣がおり危険なので、ここを軍を用いて攻め込もうとする相手はいない。航海する時も危険と隣り合わせであるのに、これが戦争となるとその異常さを魔獣も感じるのか、彼らが一気に活発化する。だから海から攻め込むのはろくな事にならないと、過去の歴史が物語っているのだ。
なので北と南の辺境地の守りは非常に重要になっていた。
あの手記が書かれた当時のままであれば南の辺境地の守りはここまで必要とされていなかっただろうが、時間の流れで起きた両国の油断なのだろうか、あの蛮族の支配していた場所にまたその様な集団がいくつも集まり、その集まりは次第に国の様なものへと変え無法地帯を築き上げた。そのため、今も英雄と王女の縁で生まれた同盟国であるあの隣国と共に、二度とあの様な事が起きない様にと警戒を続けている。
そこを責め滅ぼせばいいと思われるかもしれないが、彼らは今もまだ無法地帯だけで暴れている。現状がそれなので何十年も手出しが出来ない状態だ。
そしてもう一つの北の辺境地を守るのがこの男、ハヤル辺境伯爵カンデラリオ・セグロラだ。
彼と彼がもつ軍隊もまさにこの国を蹂躙しようとする他国との戦いのために鍛えられたもので、いかなる方法を持ってしても勝つと掲げ、実際そのためなら手段を選ばないところがある。
それは向こうも同じだろうから、それを“野蛮”だなんてマチアスは思わない。食うか食われるかで侵略をしようとする相手と戦うのだ。同じ思いで戦わずしてなんとしよう。
お綺麗なだけでは、守れないものだってあるのだ。
それに理解を示し、同様の思いで国を守る南の辺境伯爵家と北の彼らへの支援を惜しまない王家そしてマチアスとエティエンヌに、北と南の辺境伯爵家は忠誠を誓っていた。
「一年ぶりに、稽古を頼む」
模擬刀を持って立つマチアスにカンデラリオは
「今の殿下では痛い思いをするだけですぞ」
と遠慮なく言う。
プライドを叩き潰されかけていた近衛騎士らは殺気立つが、マチアスは「そうだな」と薄く笑うだけだ。
「だが、ハヤル辺境伯爵以外ではまともに相手をしてくれぬ。私との稽古で、私がいかなる傷を負おうと問題にはしないと契約されているだろう?頼む」
カンデラリオの前に立ちそう言ったマチアスに、カンデラリオは聞き分けのない子供を見ているような目で
「さようですか。ですが、いいですか、殿下。どのような時でも殿下のお心が強くなければ、守れるものも守れません。私も大概あなた様に甘いところがありますが、あなた様のストレス解消にお付き合いするのは、これきりですよ」
仕方がないなと言いたげに、小声で言う。マチアスは反論しない。その通りだ。
「では、稽古をしましょう。本気でどうぞ。魔法でもなんでも、お使いなさい」
言ってカンデラリオは、場をぐるりと囲むようにある板張りの、休息などを取る際に使用する場所に立っているカンデラリオが連れてきた軍人、そしてこの国の騎士団総司令官が、不要なプライドをカンデラリオに思い切りへし折ってもらいたいと総司令官自ら選抜した近衛騎士らに向かい
「彼の、守るべきものを守るために戦う人間の全てをよく見ているといい。人は、お綺麗な戦いでは生き抜けないというそれを、決して忘れない様」
声を張って言い、マチアスに「さあ、どこからでもどうぞ」と笑顔を見せた。
二人の戦いは十分以上、そう三十分ほど続いただろうか。
近衛騎士の驚く顔に、カンデラリオの部下たちが「ざまあみろ」と言いたげな顔を向ける。
部下たちからすれば、今のマチアスは可愛い弟弟子の様なものだ。我らの弟弟子の迫力を思い知ったかと言わんばかりの顔である。
近衛騎士が驚くのは第一王子という立場で守られるべき人間が見せる、実に人間らしいというべきか、型に嵌っていない、言うなれば生き残る戦い──────近衛騎士が言う野蛮な戦いをする様だ。現実に城に他国の軍人らが攻め込んできたらこのマチアスを前にどちらが守られる人間になるか、全く分からなくなったからだろう。
なにせカンデラリオの戦い方は彼ら近衛騎士にした事と同じように命懸けで相手の命を消しにかかる汚い戦い方であったし、マチアスは何を持ってしても生き抜いてそして守り抜こうとする、そういう泥臭さがあった。
そしてなにより彼らを前に、マチアスは一切の手加減をしなかった。
ひたすらに、何かをぶつけるようにカンデラリオに剣をふるう。
しかし勝負はマチアスが一瞬隙を見せた瞬間に決まった。ガン、という重たい音と共に、マチアスの剣が遠くへ飛び地面に落ちた瞬間、決まったのである。
「まいり……ました」
「よう腕を上げました。じつにいい戦いでしたが、最前線に出るような真似はなさいませんよう。殿下は放っておくと、最前線に飛び出しそうですからね。いえ、殿下ならば十分働けますでしょうが……それでは我々が立場を奪われてしまいますからね」
息一つ乱れないカンデラリオと、膝をついたマチアス。歴然とした勝負の行方に観客はいまだ緊張の中にいる。
「アルノルト殿、殿下を頼みましたぞ」
「はい」
アルノルトがマチアスのそばに向かうと、マチアスはゆっくりと立ち上がり観客となった彼らに「邪魔をした」と一言言うと場を後にする。
扉の向こうに出る際、振り返りカンデラリオにあたらめて小さく頭を下げると
「ハヤル辺境伯爵がいる間、また稽古をお願いしても?」
「ええ、歓迎しましょう。出来のいい弟子との稽古であれば、それは実に楽しいものです」
汚れたまま足早に自室に戻ったマチアスは、アルノルトを残し全員を下がらせ、心配顔になっているアルノルトに首を振って浴室に向かった。
何かのために入るわけではないから、マチアスが適度に自分で自分を洗うだけで十分だ。
それに今は、誰かの手を借りたいなんて思わないし、誰かにそばにいられたくない。
誰かといれば彼は、マチアス王子殿下でいなければいけないのだ。
ガッとした、怒りのようなものが魔力の塊となって浴室の壁にぶつかる。
王子の部屋は基本的に魔力をぶつけて壊れるようなものにはしていない。
時として幼い時、魔力のコントロールが出来ずにそれが壁や床を破壊してしまう事があるからだ。
その都度壊れて直してでは、王子の部屋に多くの人間を入れなければいけなくなる。不要な人間の出入りが多くなればなるほど、不測の事態も発生する可能性が高まる。
それを避けたいのが国王をはじめとする王族の考えであり、子を心配する親の思いだ。
「おちつけ……おちかなければ、何も出来ない」
離宮で、カナメの心を守る事が出来ればいいと、そのためならどんな事だってしようと決めたのに、それをどうやって成せばいいのか。マチアスには今もまだ切っ掛けさえも掴めない。
時間だけが過ぎていくようで、時々こうして何かにぶつかりたくなる。
王子らしくないと、これでは国を背をって立つような人間にはなれないと、そう思っても抑えられないものが生まれてしまう。
エティエンヌはマチアスの考えに賛同してくれた。いくらだって養子にしてなんて、これからはそれでいいと思うと言って。
王族として残る事だって、王族のままの方が色々便利な事もあるからそれを目一杯使って生きるよと笑って。
しかしカナメが思っているように、そんなに簡単に話は終わらないのだ。
エティエンヌとマチアスの間で済む話ではない。
そもそも、嫡男主義という不文律が大きく存在している貴族の世界の中で、エティエンヌを王にするというそれだって壁がいくつも立ちはだかっていた。
しかしそれはマチアスが全て踏み潰していこうと思い、それならなんとかなるだろうと算段していたのだ。
嫡男だなんだという貴族界の不文律を正しいと言い切りそれに不満がない人間の多くは、しかし不思議と甘い蜜だけは目ざとく見つける。
エティエンヌの方がいいと、自分たちにとって、エティエンヌが王になった方がと都合がいいのだと思わせる手段はいくらでもあると、マチアスは考えていた。
今の王であるロドルフや健全な有力貴族の後押しだけではなく、いかに自分が王になったら肩身の狭い思いをするのか、どれだけ立場が危なくなるのか、それを見せてやればいいと考えていた。
冷徹なマチアスが王になるよりも、優しいエティエンヌを王にした方が安全である。
そう思わせる事はあまり難しくないとマチアスはそう、推断していた。
しかし嫡男の自分が王になるとなれば話が変わる。
嫡男主義が騒ぎ出す。王の子を作るべきだと。
これをどうやって黙らせればいいのか、マチアスはまだ見つけられない。
黙らせ排除しなければ、カナメが、マチアスが一番見たくないし考えたくもないお人形の王妃なるかもしれないのに。
どうやって、マチアス自身が考える理想である最良の王になり、カナメを守ればいいのか。
マチアスは全く分からず、ただただ進む教育と時間を前に、頭を抱え湯船の中で顔を沈めた。
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