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本編

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曇り空で気持ちから重くなる日。
マチアスとカナメはダンスを踊っていた。
これも授業の一環。
今更二人に教えるダンスもないけれど、宰相のグラシアンがだった。
当然教師陣からは首を傾げられたが、何事も万全でなければいけないと、そう言って押し込んだ。
勉強をしなくて良い時間を作るには、のである。


音楽が止まり教師が「なんの問題もございませんね。ですが運動にもなりますし、レッスンは続けましょう」と言った瞬間、カナメの目から涙が溢れた。
本人も突然の涙の理由が理解出来ないようで驚きに目を見張っていて、マチアスは咄嗟にカナメを抱き込む。
顔を自分の胸に押し付けるようにして、カナメの背後にいる教師に言った。
カナメが少し足を痛めたかもしれない。さっきぼんやりとしていた自分が足をひっかけてしまったのだと。
足元捏造を見ていなかったらしい教師は「まあ!」とマチアスらしからぬ事に驚くがすぐにそれを引っ込めて、今日のダンスレッスンはここまでとしてこの授業の残り時間は休む事と、必ず医師に見せる事と言って宰相に伝えてくるとピアノを演奏していた助手とともに出ていった。
マチアスはすぐにその後を従者アルノルトに追わせる。
医師は不要であると、呼んだようにみせておいてほしいとグラシアンに伝えに走らせた。
カナメに必要な医師は傷や怪我を治すような医師ではない。心を支える医師だ。そのような事、カナメのためにも言えないし伝える事は不可能だ。
しかしもし今カナメを医師が見れば、そういう医師が必要だと診断されるだろう。
そんな事をしてしまえば、カナメが必死になって立っているそれを邪魔してしまう。それだけは、マチアスには出来なかった。

カナメの従者アーネに言いピアノの前に置いてある椅子を運ばせ、そこにカナメを座らせる。
その正面に膝を突き、マチアスはカナメの両手を優しく両手で包むように握った。

「ごめん……」
マチアスは首を左右に振る。
「おれ、考えたんだよ。いまさら、アルさまとの婚約を白紙にできないって、何日も何日も考えてもそう思ったから、こうしてやってる」
「ああ、知ってるよ」
「本当はむり、できない。逃げたいし、できないよ。でもアルさまと離れて今更、ただの臣下になるなんてできない」
マチアスの手の中のカナメの手が弱々しく力を無くしていく。
まるで命さえ消えていきそうで、マチアスは恐怖で握る手に力を入れた。
「自分は子供を産めない。だれか側妃を取るんだろうと思うと憂鬱になる。どうやってこの気持ちを消化すれば良いの?」
「すまない」
「謝るんじゃなくて、教えてよ!」
つい叫んだカナメの目から、ボタボタと涙が溢れていく。
強い雨のように、まるでマチアスへの気持ちを流すようにとめどなく流れていくそれを、マチアスがカナメの手を握っていたそれを離し、彼の掌が受け止めた。
頬に手を当て指で優しく拭うが、それでは追いつかない。
風が強い上に大雨の日。こんな日には何の役にも立たない傘。今のマチアスの手はまさにであった。
「そうなっても、おれが一番って言うんでしょ?わかってるよ!そうさ、きっとが側妃になるんだろうね。でも人の気持ちなんてわからない」
「俺の気持ちを疑わないでくれ」
「わかってても辛い、どうやってこの気持ちを無かったことにすれば良いかわからないから考えてる!考えたってわからないからこうなってる!」
カナメの両手がマチアスの手を弾く。そのまま乱暴に目を擦るのを見ていられなくて、マチアスは立ち上がるとカナメを抱き寄せた。
「アルさまだって、つらいのはわかるよ、わかってるよ。でもどうやったら泣かないで済むの?どうやってその時の覚悟を決められるの?どうやったら諦められるの?おれは……おれは、だって」
普通でよかったのに、と言う言葉はカナメの中で飲み込んだ。普通で良いと言う自分の気持ちを踏み潰すほどの思いが生まれ、婚約者になると決断をしたのは自分だ。そしてこの状態になって、いかなる方法を持っても白紙に持っていってやるとしなかったのも自分だ。
──────一瞬よぎったのだ。
思い切って逃げるか、思い切って修道士になろうか。いっそ、自殺未遂でもしてみようか。最悪から軽いものまで、それこそよぎった。
それでも全て実行出来なかったのは、マチアスへの思いがカナメにそんな事をさせなかったから。喚いて白紙にしてくれと、王命だからと知っていてもなおそうしなかったのは、彼の正妃を──────いや、からだ。

しかしマチアスはカナメが言わなくても『普通でよかったのに』と言うその言葉の存在に気がついている。
王子を前にして、机を並べ学友という“肩書き”を得ているのに『どこかの婿養子にしてもらうか、男爵位をもらって生きていきたいです』なんて言ったカナメがいかに普通で野心がないかなんて、左手が左手であるのと同じくらい当たり前のように理解していた。
だから気がつける。『普通でよかった』という言葉の存在に。

「ごめんね、アルさまだっていろいろあるのに、おれすぐに“こう”なって」
「いや、いいんだ」

背中に回した腕で感じるカナメの体の細さに、マチアスはゾッとした。
騎士団をと言う辺境伯爵のおかげで鍛えられていく体を有してるマチアスの方が、確かにカナメと比べて立派であるのは百も承知だったけれど、それにしたってこんなに細いとマチアスが感じた事はこれまでになかった。
なにせお上品と言い切る辺境伯爵は「いざとなった時に、将来側近となるあなたも剣を覚えた方がいい」と言ってカナメにも体を作る事を進言し、それを確かにそうだと思ったシルヴェストルがカナメに剣の教師をつけ屋敷で学ばせている。
カナメは上手くもなく下手でもないという平均的な評価を得ているけれど、それでも体を動かすのは嫌いではないのか案外真面目に習っており「必要最低限の時のためだよ。そういうの時に役に立てば良いと思って」なレベルを目指して体作りをしていたはずだ。
その体が、確かに今は14歳とはいえ、けれどもの同年代よりはある程度引き締まった体をしているはずなのに
(こんなになってもなお、どうして、本気で嫌だと叫ばないんだ……)
もしカナメが本気で限界だと叫んだら、どんな事を条件にしてもロドルフに言ったのに、無理だと分かっていたって。
自分から言えればいいのだろうけれど
「カナメを手放せなくて、ごめん。どんな条件をつけても、白紙に出来るのものならしてやりたいのに、俺がそれを望めなくて、ごめん」
カナメの背中に回した手が震える。
「のぞんだら、ここにいないでしょ!のぞんでないから、なくんだよ!バカなこと言うと、本当に、おれ、修道士になるよ!!!バカじゃないの!」
泣きながら叫ぶカナメに、マチアスが震える声で告げられたのは

「修道士になられたら、婚姻してほしいと言えなくなるから、それだけはやめてほしい」

それだけであった。
それ以上の言葉を言えるほど、マチアスはまだ大人ではないのだ。
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