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本編
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気がついたら、朝日を浴びていた。
カーテンが風に揺らぎ、顔にそよそよと風が当たる。
そのカーテンの動きに合わせて顔に陽もあたり、その眩しさに、珍しく素直に起きた。
これを実行したのだろう、自分と共にいる精霊もきっと起きた事に驚くんだろうなと、現実逃避のように思った。
いつもと違う、カナメの、朝だ。
いつ帰ってきたのか、夕食は食べたのか、どうして寝衣に着替えていて、いつ寝たのか。
カナメは何も覚えていなかった。
何をすればいいのか、考えればいいのか分からない。きっと頭の中には“何か”があるのだろうけれど、それを発見する事は難しい。
息をしているだけのような状態でぼんやりと揺れるカーテンを眺めていれば、ふわりふわりと髪の毛が舞う。
精霊の仕業だ。
精霊と会話は勿論、正しく精霊の意図する事も判断出来ないから今何を思いこんな事をしているのか、カナメには見当もつかない。
(もしかして、元気つけようとしてくれてる?ほんとう、変な精霊)
精霊も人は契約で結ばれた関係であるから、精霊は契約に従って行動をする。
自分勝手な行動なんてしないはずなのに、カナメと契約した──という事になっているが、カナメは本当かなと時々疑っている──精霊は勝手に髪を揺らしたり、氷を落としてみたり、起きないという声に反応してベッドを揺らしたり。
好き勝手に、まさにやりたい放題だ。
いや、これらは一応、全てカナメの事を考え精霊なりに配慮した上での行動だけれど、冗談で「棚の上の本を取って」と言ってみれば本当に本が手元に来た事もある。もうこの時点で「精霊とは一体?」と思う気持ちを捨てるべきなのか、とカナメは考えた。
こんな事をする精霊は──少なくともカナメや彼の周りの人、そしてカナメに魔法を教えてくれている人たちは──聞いた事がない。
そんな精霊だ。
こんな状態のカナメを、励ましてみよう楽しませようと行動を起こすのはあり得ない事ではない、と考えて当然だった。
「ありがとう」
礼を言うと、カンカラカラカラとガラスと何かがぶつかる高い音が耳に届く。
ベッドのそばにある小さなテーブルの上のグラスに、さまざまな、女の子が見れば可愛いと言い喜ぶだろう形の氷が溢れんばかりに入っていた。
一番上にはイチゴの形の氷がひとつ。
思わず手を伸ばして指でそれをつまむ。
手の上でゆっくりと溶けていくそれをみていると、ポロリ、と涙がこぼれた。
「あれ……おれ……」
涙なんておかしいな、と口に出すとボロボロと涙が溢れ寝衣を、手を、濡らしていく。
唇をグッを噛むと「噛んだら血が出るぞ」と心配するマチアスの顔を思い出して、なおひどく涙が出た。
「むり……むりだよ。おれ、もう、普通の貴族やめちゃったんだもん」
声を出さずにただ泣きじゃくるカナメに、精霊は何を思うかふわりと温かい空気で包んでやる。
まるでここにいないマチアスに抱きしめられたような気がして、今度こそ声を上げて泣いた。
わんわんと、廊下に筒抜けになっても構わないと思うのか、声を出したら抑えられなくなったのか、恥も外聞なく声を上げた。
ベッドの上で膝を抱えて泣き続けたカナメが漸く着替えようと人を呼んだのは、これから二時間ほど経ってからである。
カナメが自分の意志で──────、なぜだか思い込んでいた『婚約話避けの婚約』なんて意味の分からない理由ではなく、正しい意味でマチアスと婚約したのは、カナメはマチアスに好意を持ったからこその決断だったし、マチアスからの好意を嬉しいと思いそれが欲しいと思ったからだ。
それでも彼は“普通の貴族”の将来を考えていたから、この時はまだマチアスには子供が必要になるのではないか、と当然のように考えていた。
それをマチアスは問題ないのだといい、むしろ兄の自分に子供が産まれ王となる弟にも子供が産まれなんてなるより平和なのではないかと言って、カナメのその心配と不安をまさに笑い飛ばした。
この国は一夫一妻制だ。
しかし例外が認められる条件がある。その一つが同性婚を認めるこの国だからこその理由で『同性で婚姻し、子を必要とする場合』というそれがあった。
カナメだって知るそれをカナメは婚約するに際して思い出し、けれどその心配はいらないのだと関係者たちに一蹴され、そのうちカナメの中からこの件は頭の奥の奥に追いやられていたのだ。
それなのに突然、昨日のあれだ。
今更だ。
カナメだって今更なのだ。
王太子妃になりたいとか、王妃になりたいとか、そんな理由ではない。
今更どうして、マチアスの婚約者を辞めたいなんて言えるだろう。
嘘であってもそんな事、言えるはずもないのに。
もし最初から王太子妃となるべく婚約をしているのであれば、もし最初からマチアスには子供が必要で側妃も娶ると分かっているのであれば、カナメはそれを胸に刻んで決して忘れず分を弁えていたのに。
いや、先も言ったが最初はカナメもいくらマチアスがそう言おうとも、と弁えていた。そう、弁えていたのだ。
カナメは臆病で怖がりで、だからこそ慎重に慎重に、「本当にそうなの?」「おれだけでだいじょうぶなの?」と、心の中で普通の貴族のカナメが不安げに声を上げていた。
けれどマチアスは不安になるカナメに問題ないと、そして周りの誰もが──────互いの関係者が大丈夫だと言うからカナメは徐々に、“マチアスには自分だけであるという思いを持ったカナメ”が、“分を弁えようとするカナメ”を侵食し、いつの間にか奥の奥でそれが消滅しかけていた。
それが昨日突然、ひっくりかえった。
マチアスは、自分以外にも妻となる相手が必要になる。その人に子供を産ませるのだと。
今更、その覚悟をどうやって持てば、どうやってそれを平然と受け入れようとした普通の貴族の自分を思い出せばいいのか、カナメには分からない。
発狂しても泣きじゃくっても、何をしたって分からない。
そして分からない怖い、だから逃げたい。と言ってもそれももう叶わないのだ。
──────王太子妃とし、のちの王妃とする。他のものをその役目につかせる気は一切ない。
そう国王が宣言した。
これはもう決定した事だ。
父シルヴェストルが「カナメがもし、耐えきれないと病んだその時は、そうなりそうであると明らかになった時は、カナメのそのお役を返上したく思います」と条件をつけていたけれど、きっとそうはいかない。なぜならマチアスとカナメの婚約はあの時点で本当に王命になってしまった。
もし役目を返上するとなれば、この国を出るくらいの覚悟がいるだろう。
そんな事、カナメには出来ない。
貴族の自分が言うのだ。
この国の貴族として拝命したこの役目から、逃げるわけにはいかない。それが当然の行為であるのだと。
「だめだ……何も、考えられない」
もう無理だと思ったカナメはなんとか顔をまともな状態にして、服は屋敷内で着るような簡単なものだけれどそれに着替えて、亀よりも遅い歩みで庭を散歩している。
部屋の中にいては泣きそうで、庭の木々を見ていれば少しだけ頭がそれだけになって昨日の事を奥になんとか追いやれそうだった。
現実はそううまくはいかないのだけれど、それでも邸の中にこもっているよりマシだと考えたのだ。
しかしこの庭にもあちこちにマチアスとの思い出が転がっている。そこかしこにコロコロと転がっていた。
それを見つけ続け、カナメはついに立ち止まってしまう。
まだ幼くてお互い学友としか思っていなくて、侍女や従者を巻き込んで兄と遊んだかくれんぼをしてみた事もあった。
木登りなんて出来そうにないと言われた事にムッとして、出来ると言い張って木に登ろうとし大騒ぎになった事もある。
花の名前をしれっと答えるマチアスに対抗しようと、庭師に引っ付いて回った事もあった。
カナメはやっぱりたまらなくなって、顔を覆って庭の芝生に膝をついた。
後ろについてきてくれているカナメの専属従者であるアーネ・リルクヴィストは、芝生に膝を着くカナメにそっと日傘をかざした。
アーネが9歳年下の小さな主人を見守り始めて、もう随分と経つ。
夜の風の音だけに泣いた事も覚えているし、お化けの噂を聞いて寝れないと泣いたのだって昨日のように思い出せる。
怖がりで臆病でそしてよく泣いて、それでもそれに負けまいと懸命に戦う小さな背中はアーネに取って誇りだ。
マチアスとカナメの“本当の関係を知る”数少ない人間の一人として、カナメの“戦い”をずっと見ていた。
「ぼくだけでいいんだって」そう言って嬉しそうに、そして心底安堵した顔で言った時、どれだけアーネも安堵した事だろう。
小さな背中を震わせ、白い日傘の下で泣く主人を前に何も出来ない。
そんな自分にアーネは歯痒くなった。
彼が今出来る唯一の事は、小さな主の泣いている姿を誰にも見られないよう日傘を差し、そして下を見ずに前を向く事くらいだろう。
カーテンが風に揺らぎ、顔にそよそよと風が当たる。
そのカーテンの動きに合わせて顔に陽もあたり、その眩しさに、珍しく素直に起きた。
これを実行したのだろう、自分と共にいる精霊もきっと起きた事に驚くんだろうなと、現実逃避のように思った。
いつもと違う、カナメの、朝だ。
いつ帰ってきたのか、夕食は食べたのか、どうして寝衣に着替えていて、いつ寝たのか。
カナメは何も覚えていなかった。
何をすればいいのか、考えればいいのか分からない。きっと頭の中には“何か”があるのだろうけれど、それを発見する事は難しい。
息をしているだけのような状態でぼんやりと揺れるカーテンを眺めていれば、ふわりふわりと髪の毛が舞う。
精霊の仕業だ。
精霊と会話は勿論、正しく精霊の意図する事も判断出来ないから今何を思いこんな事をしているのか、カナメには見当もつかない。
(もしかして、元気つけようとしてくれてる?ほんとう、変な精霊)
精霊も人は契約で結ばれた関係であるから、精霊は契約に従って行動をする。
自分勝手な行動なんてしないはずなのに、カナメと契約した──という事になっているが、カナメは本当かなと時々疑っている──精霊は勝手に髪を揺らしたり、氷を落としてみたり、起きないという声に反応してベッドを揺らしたり。
好き勝手に、まさにやりたい放題だ。
いや、これらは一応、全てカナメの事を考え精霊なりに配慮した上での行動だけれど、冗談で「棚の上の本を取って」と言ってみれば本当に本が手元に来た事もある。もうこの時点で「精霊とは一体?」と思う気持ちを捨てるべきなのか、とカナメは考えた。
こんな事をする精霊は──少なくともカナメや彼の周りの人、そしてカナメに魔法を教えてくれている人たちは──聞いた事がない。
そんな精霊だ。
こんな状態のカナメを、励ましてみよう楽しませようと行動を起こすのはあり得ない事ではない、と考えて当然だった。
「ありがとう」
礼を言うと、カンカラカラカラとガラスと何かがぶつかる高い音が耳に届く。
ベッドのそばにある小さなテーブルの上のグラスに、さまざまな、女の子が見れば可愛いと言い喜ぶだろう形の氷が溢れんばかりに入っていた。
一番上にはイチゴの形の氷がひとつ。
思わず手を伸ばして指でそれをつまむ。
手の上でゆっくりと溶けていくそれをみていると、ポロリ、と涙がこぼれた。
「あれ……おれ……」
涙なんておかしいな、と口に出すとボロボロと涙が溢れ寝衣を、手を、濡らしていく。
唇をグッを噛むと「噛んだら血が出るぞ」と心配するマチアスの顔を思い出して、なおひどく涙が出た。
「むり……むりだよ。おれ、もう、普通の貴族やめちゃったんだもん」
声を出さずにただ泣きじゃくるカナメに、精霊は何を思うかふわりと温かい空気で包んでやる。
まるでここにいないマチアスに抱きしめられたような気がして、今度こそ声を上げて泣いた。
わんわんと、廊下に筒抜けになっても構わないと思うのか、声を出したら抑えられなくなったのか、恥も外聞なく声を上げた。
ベッドの上で膝を抱えて泣き続けたカナメが漸く着替えようと人を呼んだのは、これから二時間ほど経ってからである。
カナメが自分の意志で──────、なぜだか思い込んでいた『婚約話避けの婚約』なんて意味の分からない理由ではなく、正しい意味でマチアスと婚約したのは、カナメはマチアスに好意を持ったからこその決断だったし、マチアスからの好意を嬉しいと思いそれが欲しいと思ったからだ。
それでも彼は“普通の貴族”の将来を考えていたから、この時はまだマチアスには子供が必要になるのではないか、と当然のように考えていた。
それをマチアスは問題ないのだといい、むしろ兄の自分に子供が産まれ王となる弟にも子供が産まれなんてなるより平和なのではないかと言って、カナメのその心配と不安をまさに笑い飛ばした。
この国は一夫一妻制だ。
しかし例外が認められる条件がある。その一つが同性婚を認めるこの国だからこその理由で『同性で婚姻し、子を必要とする場合』というそれがあった。
カナメだって知るそれをカナメは婚約するに際して思い出し、けれどその心配はいらないのだと関係者たちに一蹴され、そのうちカナメの中からこの件は頭の奥の奥に追いやられていたのだ。
それなのに突然、昨日のあれだ。
今更だ。
カナメだって今更なのだ。
王太子妃になりたいとか、王妃になりたいとか、そんな理由ではない。
今更どうして、マチアスの婚約者を辞めたいなんて言えるだろう。
嘘であってもそんな事、言えるはずもないのに。
もし最初から王太子妃となるべく婚約をしているのであれば、もし最初からマチアスには子供が必要で側妃も娶ると分かっているのであれば、カナメはそれを胸に刻んで決して忘れず分を弁えていたのに。
いや、先も言ったが最初はカナメもいくらマチアスがそう言おうとも、と弁えていた。そう、弁えていたのだ。
カナメは臆病で怖がりで、だからこそ慎重に慎重に、「本当にそうなの?」「おれだけでだいじょうぶなの?」と、心の中で普通の貴族のカナメが不安げに声を上げていた。
けれどマチアスは不安になるカナメに問題ないと、そして周りの誰もが──────互いの関係者が大丈夫だと言うからカナメは徐々に、“マチアスには自分だけであるという思いを持ったカナメ”が、“分を弁えようとするカナメ”を侵食し、いつの間にか奥の奥でそれが消滅しかけていた。
それが昨日突然、ひっくりかえった。
マチアスは、自分以外にも妻となる相手が必要になる。その人に子供を産ませるのだと。
今更、その覚悟をどうやって持てば、どうやってそれを平然と受け入れようとした普通の貴族の自分を思い出せばいいのか、カナメには分からない。
発狂しても泣きじゃくっても、何をしたって分からない。
そして分からない怖い、だから逃げたい。と言ってもそれももう叶わないのだ。
──────王太子妃とし、のちの王妃とする。他のものをその役目につかせる気は一切ない。
そう国王が宣言した。
これはもう決定した事だ。
父シルヴェストルが「カナメがもし、耐えきれないと病んだその時は、そうなりそうであると明らかになった時は、カナメのそのお役を返上したく思います」と条件をつけていたけれど、きっとそうはいかない。なぜならマチアスとカナメの婚約はあの時点で本当に王命になってしまった。
もし役目を返上するとなれば、この国を出るくらいの覚悟がいるだろう。
そんな事、カナメには出来ない。
貴族の自分が言うのだ。
この国の貴族として拝命したこの役目から、逃げるわけにはいかない。それが当然の行為であるのだと。
「だめだ……何も、考えられない」
もう無理だと思ったカナメはなんとか顔をまともな状態にして、服は屋敷内で着るような簡単なものだけれどそれに着替えて、亀よりも遅い歩みで庭を散歩している。
部屋の中にいては泣きそうで、庭の木々を見ていれば少しだけ頭がそれだけになって昨日の事を奥になんとか追いやれそうだった。
現実はそううまくはいかないのだけれど、それでも邸の中にこもっているよりマシだと考えたのだ。
しかしこの庭にもあちこちにマチアスとの思い出が転がっている。そこかしこにコロコロと転がっていた。
それを見つけ続け、カナメはついに立ち止まってしまう。
まだ幼くてお互い学友としか思っていなくて、侍女や従者を巻き込んで兄と遊んだかくれんぼをしてみた事もあった。
木登りなんて出来そうにないと言われた事にムッとして、出来ると言い張って木に登ろうとし大騒ぎになった事もある。
花の名前をしれっと答えるマチアスに対抗しようと、庭師に引っ付いて回った事もあった。
カナメはやっぱりたまらなくなって、顔を覆って庭の芝生に膝をついた。
後ろについてきてくれているカナメの専属従者であるアーネ・リルクヴィストは、芝生に膝を着くカナメにそっと日傘をかざした。
アーネが9歳年下の小さな主人を見守り始めて、もう随分と経つ。
夜の風の音だけに泣いた事も覚えているし、お化けの噂を聞いて寝れないと泣いたのだって昨日のように思い出せる。
怖がりで臆病でそしてよく泣いて、それでもそれに負けまいと懸命に戦う小さな背中はアーネに取って誇りだ。
マチアスとカナメの“本当の関係を知る”数少ない人間の一人として、カナメの“戦い”をずっと見ていた。
「ぼくだけでいいんだって」そう言って嬉しそうに、そして心底安堵した顔で言った時、どれだけアーネも安堵した事だろう。
小さな背中を震わせ、白い日傘の下で泣く主人を前に何も出来ない。
そんな自分にアーネは歯痒くなった。
彼が今出来る唯一の事は、小さな主の泣いている姿を誰にも見られないよう日傘を差し、そして下を見ずに前を向く事くらいだろう。
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