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あこ

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番外編:本編完結後

★ peel, peel peel.

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普段より随分、いや、すごく早く帰宅した巽は玄関まで漂ういい香りに慌てて靴を脱ぎ、ドタドタと足音を立ててリビングに入る。
キッチンを覗けばきょとんとした顔のカイトが振り返っており、巽を見てふんわりと笑った。
「おかえりなさい、巽さん」
「おう、ただいま」
まさに破顔という顔の巽にカイトは一段と柔らかく微笑む。



着替えておいでよ、と言われて素直にその通りにした巽にカイトはキッチンからコーヒーを渡す。
いつかから巽の部屋に現れたエスプレッソマシン。
巽よりもカイトの方が喜んで使っており、さらにラテアートを練習中だ。
巽はラテアートなんてまったく興味はなく、カイトもそれはよく分かっている。ならなぜカイトが練習しているかと言うと姉リトのためだ。
可愛い猫を描いてあげたいな、と言う姉想いの気持ちから生まれた行動だった。
料理に発揮される器用さとは違うのか、かなり悪戦苦闘ではあるがなんとなく形になりつつあるこの頃。
そんな練習作品が今、巽の手の中に収まっている。
「ハートか?」
「ハートに、なっちゃっただけで、ハートになる予定は全くなかった」
「俺はこっちの方が嬉しいから、この先も俺に出すのは予定がなくてもハートに変わると嬉しいねェ」
目を細めてカップを覗く巽の顔を見たカイトは、「そ、そう」と素っ気なく、けれど表情は照れながら呟くとキッチンの中に戻り料理を再開した。
カイトは、鍋の蓋を開け中を確認すると小さく頷きガステーブルから下ろす。
全く料理をしない巽には宝の持ち腐れのキッチンは、今ではカイトの領域だ。
コーヒーを飲み切った巽は腕捲りし、キッチンの中に入る。
ガステーブルから下ろされている鍋の蓋を少し開けて覗けば、中には根菜の煮物が入っていた。
「味見したい?」
横目で見ていたカイトが聞くが、巽は「いや」と言ったくせに目に留まった蓮根を口に頬張る。
「煮物は、冷ましてる時に、味が染みるのに」
「味見したいかって聞いたじゃねえか」
「油揚げを、あげる予定でした。でも、食べなくていいからね!」
両手を上げ降参するポーズを取った巽をちょっと睨んで牽制し、カイトは冷蔵庫から2リットルのピッチャーを取り出した。
綺麗な色のそれはダシである。
カイトが姉リトに口を酸っぱくして言われた一つが「出汁を美味しく取って上手に使うと塩分控えめになる」だ。
肉中心のまさに言葉通り肉食女子リトも、塩分は大変気にしている。
「今日は、炊き込みご飯。土鍋でやるよ」
「まじか。食いすぎてやばいな」
「ふふふ」
炊き込みご飯の材料だろうものが並んでいるキッチンのワークトップ。
どうやら牛蒡やにんじんやらを使うらしい、と眺めた巽は当たりをつけた。
「……ん?」
そうやって眺めていて見つけたのがミニトマトである。
「カイト、今日の炊き込みご飯には、ミニトマト、いれんのか?いや、別に嫌いじゃねぇし、トマトはで旨みがたっぷりなんだろ?」
「なんとかかんとかが多くて、旨みがたっぷりでも、今日は使わないよ。これは、皮を剥いて、作り置きに使うの」
さて、巽がキッチンに入る前になぜ腕捲りをしたか。
味見のためではない。
「なら、皮むきだけは得意な俺が、このちまっこいのと格闘してやるぜ」
そう、手伝うためであった。

寄りを戻してから、巽は「皮剥きだけなら出来る」と胸を張った通り、その程度の手伝いをするようになった。
カイトがせっせと作る姿を眺めているのも幸せだが、隣に並んで料理を作ると言う時間を共有する事も幸せなんだと言う。
当初。得意げに言った皮剥きも、力の入れ過ぎだったのか「ピーラーでどうしてこんなに厚く剥けるの?」とカイトが首を捻った事も多かったが、今ではピーラーでなら完璧にこなす。
これを“完璧にこなす”と言っていいかと問われると微妙な問題かも知れないが、巽の料理の能力を思えば“完璧にこなす”でも多分、多少は許されるだろう。
リトや俊哉に言わせると、「本当はやれば出来るのに、面倒臭いからやろうとしない。だから料理が出来ないだけ」らしいけれど。

ともかく、皮剥きだけは一人前の巽のその申し出に、カイトは「ありがとう」と笑った。
恋人がこうして些細な手伝いをする事で時間を共有してくれる。カイトはその事が嬉しかった。
正直に言えば、キッチンの前、カウンターに座ってコーヒーを飲みながら料理をする自分と会話をしてくれるだけだって、カイトは十分幸せだ。
そういう幸せが、別れる前からほしかった。
外にデートするのだって、なんだって楽しくて幸せだけれど、カイトはを、お互いがそれを望んだ上で優しく温かい気持ちで共有してみたかったのだから。
結構な数のミニトマトという小さな敵たちを引き受けてくれた巽に「ありがとう」と言う顔が、そんなカイトの気持ちを物語っている。
巽がにやける口元を抑えられないほど、カイトの顔は幸せで満ちていた。

牛蒡やら人参、そして自分の大好きな鶏のもも肉を炊き込みご飯のために切っているカイトはふと、思った。
(巽さん、ミニトマトをどうやって皮剥きするか、知ってるのかな)
カイトはハッとして横を見る。
恐ろしいほど沈黙を保っている巽はミニトマトを大きな手で摘んで、真剣な顔をして
「たっ、た、巽さん!!!それ、違う!」
ピーラーの刃をミニトマトに当てていたのだ。
「違って何がだ?これ、くっそ難しいぞ」
「そ、そりゃそうだよ。というか、よく、ふたつも剥けたね……!」
ミニトマトにも被害は出ていたようだが、それでもなんとか剥けているふたつのミニトマト。
巽はこの小さな敵を倒すべく、無言で戦っていたらしい。
カイトが感じた妙な雰囲気というか気迫も、きっと真剣に向き合う巽から発していたのだろう。
「ほんと、よくこれ、ふ、ふふ、あはははははは、はっははは!」
ピーラーでミニトマトを剥けるなんて、と言いたかったカイトは、笑いが止まらなくなって床にしゃがみ込んだ。
「おいおい、笑うなよォ。普通皮剥きったら、こいつの出番だろうが。俺が選び抜いて買ってきた、俺の武器。メイドインジャパンが誇る、素晴らしい切れ味のピーラーだ」
ドヤ顔でのたまう巽の発言に、カイトはますます大きな声で笑い出す。
声といい顔といい、どちらかと言えばヒール。良くてダークヒーローのような巽が、ヒーローが武器を掲げるようにして言ったものだから、どうにもツボに入ったようだ。
「は、はあ、はあ。ふふ、ふはは。うん、ごめん」
「ま、カイトが笑ってくれりゃ、恥の一つでもかいてやるけど。しかしなんだ、トマトはこいつで戦うんじゃねェのか?」
漸く立ち上がったカイトに巽はピーラーを掲げ見せる。
カイトは小鍋を持って巽に掲げ見せた。
「湯むきします」
「ゆむき?湯むき?湯を剥くのか?」
「お湯の力で、皮をへろへろってして、剥くの」
言って水を鍋に張ったカイトはガステーブルにそれを置く。
巽はすかさず火をつけた。
「お湯にね」
説明をしようとしたカイトに、巽は待ったと手のひらを出す。
「俺が湯むきじゃなくて、トマトスープ作らねぇために、一緒にやろーぜ」
楽しそうに笑って言われ、カイトははにかんで頷いた。
「これで、ほとんど何でも、剥いてもらえるね」
火にかけた小鍋はそのままに、カイトは手早く炊き込みご飯の準備にかかる。
巽は隣で使い終わった調理道具を洗っていた。

「そういやこの間、通販ですごいのみたなァ。そのグローブはめて、ごぼうとかじゃがいもを擦ると、皮がむけるつーやつな」
「あれね!俺も知ってる。でも、どうかなあ」
「何でだよ。俺だってピーラー以外の道具だって使えるぞ」
「ふふ、違うよ。巽さん、加減知らなそうだから、すごいコト、しそうじゃない。牛蒡もじゃがいもも、ちっちゃくなりそう」
巽はちら、と戦ったミニトマトを見た。
小さなステンレスのボウルの中でふたつ、歪な形で転がっている。
「ならよォ。それもこうして隣でさァ。俺に教えてくれよ。皮剥きは俺の仕事だって事でさ。あとはまあ、洗い物な。これは教えられなくてもちゃんと出来るぜ」
「巽さんが知りたいなら、俺、なんでもちゃんと、教えるよ」
準備を終えたカイトが巽を見る。巽もカイトを見ていた。
「カイトとキッチンで料理するのが、俺の幸せの一つだからよォ。皮剥き、しっかり教えてくれよ、センセ」
「いいよ。しっかり覚えてね」

お湯が沸いてミニトマトの湯むきを始めよう、とした時、巽は
「あー、あと、料理じゃねぇけど、カイトに教えてほしい事があったわ」
と言う。
カイトは切れ目を入れ終えたトマトが入ったザルを持ったまま、首を傾げた。
「お姉様の機嫌を一気に上げる方法な。あれ知りてェなぁ」
カイトは「あははは」と笑った。
「姉さんと巽さんは、喧嘩するほど仲良しな兄弟らしいから、俺も、ちょっとそれは、知らないなあ」
と言い、「ずっとずっとこの先も、巽さんと姉さんの付き合いは続くんだから、いつかきっと、自力で見つけられるよ」と嬉しそうに目を細め笑う。
「グローブの皮剥きの方が、先に習得出来そうだな」
そう言った巽の顔は、子供のように楽しそうだった。
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