屋烏の愛

あこ

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番外編

★ 優しく染める茜色:壱

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ゆづかは船宿吉村の一人である。
この船宿吉村は当代勇蔵が一人でここまで大きくしたもので、彼の手腕が良かったのだろう、ゆづかはつまりお嬢様という事だ。
だから勇蔵と妻お香はゆづかになにかと買い与える事ができ、彼の持ち物は──一般的な平均から思えば──多い方である。
しかしこの一年程で増えたのは何も両親のだけではなく、彼の夫となる駿河屋兵馬が原因でもあった。



兵馬は貢ぐせでもあるのかと、ゆづかの頭によぎる事がある。
なにせ兵馬は、金額に関係なくゆづかに似合うと思えば何かと贈った。
嬉しい気持ちに嘘はないけれど、兵馬はゆづかが受け取り身に付ける事が出来る限界の水準のものを選ぶから、ついつい身に付ける事に躊躇してしまう。
いまだに、夜の街で育った気持ちから生まれる不安が拭えないのだ。
それでも確実にゆづかは不安を払拭していると、彼のその不安を知る人たちは知っていた。
なぜなら、ゆづかの許容範囲は確実に広がっているからだ。

今日、ゆづかが履くのめりの下駄の鼻緒も良い例になるだろう。

今までなら躊躇はおろか受け取る事だって半泣きになっただろう真っ赤な地の色に、色取り取りの花が描かれた布地でできている。
黒い下駄に真っ赤な鼻緒。そこに描かれた繊細な花々。
“船宿のお嬢さん”になった頃のゆづかなら、およそ履く事も出来ない下駄だ。
それをカラコロと鳴らして歩くゆづかは、母の姿を街の中から見つけようとしていた。

帰ると言った刻限になっても帰ってこない。今日は何やら吉村夫婦揃って、家の近くで行われる寄り合いに出ると言っていたのにと勇蔵が眉を寄せて店の中を彷徨くから従業員も気が気ではなくなっている。
勇蔵が眉を寄せるのは怒りではなく、心配でだ。
彼は心底お香に惚れていて、お香がいなくなってしまえば一気に老け込むともっぱらの“評判”だ。今ではゆづかと言う可愛い娘がいるからそんな事になりはしないだろうけれど、それでもきっと幾年分は老け込むだろう。それほど惚れてるお香が勇蔵は心配なのだ。

──────なんとも言えない空気の店にいるよりは、自分が探しに行こう。
ゆづかがそう思ってからの行動は早く、船頭の一人新吾を見つけるとお香が降りた場所まで乗せてもらい「一刻探して見つけられなければ、ちゃんと帰ります」と言って船を降りた。
(でも、不安になってきました……お母さん、どこに行ったんだろう)
さすがは一代で船宿を立派なものにした勇蔵の妻か。お香はしている人である。
寄り合いがあると分かっているだろう時に帰ってこないなんて言うのは、勇蔵が心配しウロウロするのも頷ける。
困ったなあと歩いていると、ゆづかは声をかけられた。
彼は江戸で評判の診療所で見習いをしている青年で、ぶっきらぼうな言い方に反して人に優しいと評判である。
「お香さんを探してるんだろ?お香さん、うちにいる」
目をまん丸くし息を飲んだゆづかは、彼が止め間も無く足早に診療所へ飛んでいった。

「人助けは立派だけど、誰かに連絡してもらったらよかったのに」
小さく不満を口から溢し、誰にも分からないように一瞬だけ眉間にシワを寄せたゆづかは、家を出た時同様にカラコロと下駄を鳴らしながら来た道を戻っている。
診療所に飛び込んだゆづかを、目をまん丸にして見たお香に変わりはない。目に見えないところに何かあったのではないか、と不安に駆られ「何があったの?お母さん、どうしたの?」と震えるゆづかにお香はこう言った。
──────道で苦しむ人を見つけて放っておけないから、連れてきたのよ。
心配で探し回ってその最中診療所にいると聞き一気にその気持ちが膨らんでいたゆづかは、気が抜けてふらりと上がり口に座り込むと「もう、お母さん!」と言って、なぜ自分が探しているか簡素に伝えた。
そうなるとお香は慌てだし「そうだったわ!」とすっくと立ち上がると、ゆづかに「そうだ、たまには一人でのんびりあちこち見て回るのも楽しいのよ」と小遣いを渡して颯爽と診療所から出て行った。
その後ろ姿に二の句も継げず茫然と見送るしか出来なかったゆづかは、先の青年に勧められ少し休んでから今家路を歩いている。
「本当に、もう」
心配させて、と呟いたゆづかはなんの気もなく、その場に立ち止まった。
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