屋烏の愛

あこ

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番外編

掌の行方:前編

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「兵馬様、いらしたんですか?今すぐ片付けますから、お待ちください」

自室で千代紙を広げていたゆづかは、突然の来客に驚いた様子で慌ててそれを片付ける。
狭い部屋ではない。しかし自分の前だけとはいえ、部屋の床に広げきった千代紙がたとえ綺麗でも片付いている部屋で兵馬を迎えたいと思う、彼の心持ちだろう。
兵馬はそんなゆづかの姿を口元を緩め横目で見つつ千代紙を拾い上げながらゆづかの前に座り、そしてそれらを綺麗に整えるとゆづかに手渡した。
それを受け取り、ゆづかはに眉をへにゃんと下げ
「私、今日はおとわさんとお出かけになるとお聞きして、いらっしゃらないかと勝手に……兵馬様?あの、どうかなさったんですか?」
「ああ、それがね…」
体調が優れないのではないか、と心配そうに見つめるゆづかを前に溜息を吐き出す兵馬の頭は、心配される原因である理由を思い出しまた溜息を吐いてしまう。

ゆづかを好きになり付き合い始めた兵馬に対して、おとわはと思ってしまったのだ。
兵馬は好いた相手に物を贈るとか選ぶとか、ましては共に出かけるなんてのではないかと。
放っておいて兵馬が困ったとしてもそれも恋なのだけれど、兵馬の隣でちょこんと座り困った様に笑うゆづかにはもっともっと『恋って面白い』とか『目一杯甘えてお強請りをしてみる』とか、とにかく様な、そんな事を出来る様な子になって欲しくなってしまった。
義理の息子やその妻になるであろう子に向ける感情ではなくこれはきっと、で時を過ごし自分よりももっと寂しい環境で夜の町を生きたゆづかに対するなのだとおとわは思っている。
だから良いと思った場所には兵馬を連れて出て行ってみたり、何かの話を使っては「これなんてゆづかちゃんに似合うと思わない?」なんて振ってみたりするのだ。
その意味を兵馬が解らない訳ではないし、きっと自分には解らない花街と言う場所で暮らした人の何かなんだろうと思うのだが──────何せ相手はおとわ。
兵馬は振り回されていると言っても過言ではなく、その為最近はおとわに付き合う際「一体なんの為に自分を連れて行くのか、母さん、教えてくれるまで行きませんからね。正しくきちんと教えて下さい」と言う様になった。

「出かけはしたんだけれど、途中でお香さんに会ってね」
「あ、そういえば、まだ帰ってきていません……もう、お母さん、すぐに帰ると言っていたのに」
「ふふ、二人は気がとても合う様だから、花を咲かせてしまえば萎れさせるまでに時間がかかるんだろうね。しかし二人に囲まれてしまって私は、色々な意味で居たたまれなくてね。丁度良く助けてくれた人がいたものだからここへ連れてきてもらったんだよ」
助けてくれた方、と首を傾げたゆづかに兵馬は笑い、ふと廊下の方へ顔を向けた。
ゆづかもそれに倣うと女中が菓子と冷えた水を持ってきており、それを置いて出て行くのをなんとなくゆづかは目で追ってしまう。
なんでもない今までだってあった光景なのだけれど、兵馬と付き合い出してから女中を始め店の人間が自分を見る視線に何か温かい物を籠めてくれている気がしているゆづかだ。
「ゆづか?」
「あ、ごめんなさい。あの、兵馬様、どなたに助けて頂いたんですか?」
「いいや、構わないさ。助けてくれたのはここの船頭だよ」
「え?」
きょとんと瞬いたゆづかの隣に兵馬が座り直す。二人の目の前には障子を開けたままにしているから庭が見えた。
どちらかと言えば兵馬を振り回す側に回るおとわとお香から逃げてきたその疲れか、目の前にある、水を撒かれたのだろう輝く木々の緑が兵馬にはやけに優しく映る。
「新吾がね『若様…ッ、そんな所で固まってないで、お困りなら、ほら、ほらッ、丁度今から一度戻る所ですから、好きな場所で下ろして差し上げますから。早くお乗りになってくださいって!』って。あの二人を前にそんな事言って私を船に乗せる事が出来るのはきっと、彼だけだろうね」
「新吾さん兵馬様が雇い主なら幸せだっておっしゃってました。「良い方を見つけましたねお嬢様」って私に何度も言うから恥ずかしくて……」
でも、嬉しくて。とは口に出せず口の中に留まってしまったゆづかのそれを兵馬は気がつかないが、恥ずかしいと言いつつどこかほわりとそれ以外の気持ちもありそうな声である事には兵馬も気がついた。
けれど兵馬はそれをわざわざ確認をしないから、その横顔を愛おしそうに見るだけに留める。
「そんな風に新吾に思われていたなんて、私は知らなかったよ」
「新吾さん、照れ屋さんだって惣治さんがこっそり私に教えて下さいました。だから、もしかしたら兵馬様には言えないんです。でも兵馬様、舟に……?」
「………そこだけは言わないでおくれよ、ゆづか。それはなるべくならしておきたい事なんだから」
ゆづかの口に手を当てる様に伸ばした兵馬の手に、ゆづかは小さく笑って頷く。
兵馬にも苦手な事は幾つかあるようだと思っていたゆづかだけれど、この苦手はゆづかに取ってはちょっと意外で、だからつい、確認してしまいそうになる。
その度に兵馬は“船宿のお嬢さん”にそんな事言われてしまうと婿失格の様な気がしてしまうから、こうして言わない様にとやんわり口を止めていた。
「で、ゆづかは何をしていたのかな?」
綺麗に話をそらして隣に座るゆづかに言えば、ゆづかは文机の上に纏めた千代紙へちらりと視線を送る。
「千代ちゃんがこの間千代紙綺麗って見ていたんです。本当は全て上げたいけれど新吾さんにこんなに受け取れないと言われてしまう気がしてきて……だから受け取って頂けるくらいの枚数を選ぼうと思ったのにどれも綺麗だから私、なかなか選べなくて。困ってしまって……」
千代は新吾が愛娘と公言する子供で、形式上は惣治というゆづかとお香の髪を結う髪結いの娘となっている四歳のとても元気でどちらかと言えばお転婆な子だ。
ゆずかを「ゆづさま」と慕う少女である。
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