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番外編
白旗:前編
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パチン、パチン、と小気味好い音が響くのはこの店の主の一室だ。
中庭の見える縁側で碁盤を挟み向かい合うのは二人の男。
お互いじっと盤へ視線を向けていたが片方の男が手を止めたのをきっかけに音が止み、二人の顔が盤ではなく互いへと向いた。
秋の空らしい日差しを受ける縁側は、紅葉美しい木も有る庭を見るには最適で、この景色は二人の男が座る縁側傍にあるここの主の部屋からもよく見えるだろう。
しかし今二人は碁盤に夢中であった訳で、そこから互いの顔を見ているのだからこの気持ちの良い景色を愛でてはいない。
尤も、二人は最初から紅葉を愛でるために縁側に座っているわけではないから、その辺りはどうでもいいのかもしれないけれど。
先に手を止めた男に釣られて止めた男が声をかける。
「庄三郎さん、いかがしました。もうまいったですか?」
「まだ勝負はついてませんよ。あぁ待ったでもないんですよ」
庄三郎、はこの店の主であり兵馬の父親でもある駿河屋庄三郎だ。声をかけた方はその兵馬を婿養子にもらうゆづかの父親で吉村勇蔵である。
自他ともに認める口下手な勇蔵ではあったが、あの『ゆづかは男だと兵馬に言い聞かせてくれ』と庄三郎に頭を下げた一件以降
(どうやらおれは、体格に合わず少しばかり肝っ玉が小さかったようだ……)
なんて思った様で、口が良く回る様になった。お香はそれをとても面白く見ており、今までよりも多くあれこれと言われる事にゆづかも嬉しそうにしている。
そして庄三郎と勇蔵、元々馬が合っていたのもあって、兵馬とゆづかが付き合う様になってからは互いに行き来しては碁や将棋を楽しむ仲になっていた。
これ幸いと、元々行き来のあったおとわとお香が共に出かける機会も格段に増えている。
「──────いえね」
そう切り出した庄三郎は苦笑いの顔で額を掻き、膝の上に置いていた手で湯のみを持つと冷めた茶を飲み干した。
「おとわがまあ聞かれれば嬉しそうにほいほいと答える物だから、こっちにまでとばっちりで困ってましてねえ」
「おや、いったいどうなさったんです」
「兵馬の事ですよ。あれはほら、ツラだけは誰に似たのか良いくせに、誰に対しても愛想もなくあの通りだったでしょう」
「ははは、それが坊の可愛い所だってお香は言ってましたよ」
「いやあ、それはもうお香さんだけですって。そんな兵馬がいつの間にか吉村さんの所へ婿へ行く、なんて面白い話、ここらの人までそりゃもうおもしろがってくれて」
「人の噂は七十五日と言ったもんで、興味もその程度しか持ちませんよって」
「なかなかどうして、実のところ私が一番心配してるんでしょうね」
ははは、と笑い言う庄三郎に勇蔵は湯のみの中身を飲みかけ、手を止める。
「あれはなんといっても愛想がないものだから、船宿の亭主なんてもう、つぶしやしないかと心配で。勇蔵さん一人で積み上げた物を我が子が壊したなんて、そんな事になったら死んでも死にきれませんよ」
「庄三郎さん、それはいささか坊が可哀相でしょうに」
そこそこ恰幅の良い庄三郎が小さくなって言うそれが面白かったのか、どちらかと言えば体格の良い勇蔵がその体を揺らして笑う。
「わ、笑い事じゃあないですよ!」
勢い良く碁盤を叩いて言う庄三郎に、勇蔵も庭に降りていた鳥も驚き鳥は一目散に逃げ、勇蔵はこれはいかんと改めて湯のみの中身で喉を潤すと
「坊のあの無表情で『ご安心ください』と言われると本当に誰にも言われない気がする、なんてこれがまた良いようですよ」
「………ご冗談を」
「いやいや、実際番頭相手にそう言った方がいらして、今度からうちをつかうと言って下さってね。いやいや、これは坊のおかげでお客が増える事になるやもってお香がゆづかに良い婿掴んだって笑ってますよ」
「どうにも信じがたいお話ですなあ」
「それにほら、この前ゆづかがここへお邪魔した時に着いてきた、与助、覚えておいでですかね?」
「ああ、あの愛想が良い青年。ええ、もういるだけで明るくなりそうな好青年でしたねえ」
「あれが勉強熱心な奴でね。うちの番頭らが、あれは坊が主になる頃には良い番頭になるだろうって言ってるもんでね。与助が愛想振りまきますから、坊はあのままで大丈夫ですよ。庄三郎さんも、坊の事になると本当弱いですなあ」
のどかな雰囲気に飛び立った鳥が戻ってきた頃、ゆづかが新吾に手を取られ舟に乗り込む姿が吉村であった。
吉村には客が使わない、舟に乗る為に使う桟橋がある。
吉村が丁度角地の様な場所に立っているから客の乗り降りに使う場所からはこの乗り場が死角になっており、ここからは運搬を依頼されている荷物や従業員の乗り降りのために使用していた。
荷物を運ぶ為に広めに取られている為に、ゆづかはこちらを使う事が多い。新吾が船頭の場合は必ずこちらだ。
ゆづかは桟橋から落ちるなんて失態をしないけれど新吾が「お嬢様に何かあったら大変ですから!」とこちら以外から乗せないのである。
そして今日はゆづかが乗った舟にもう一人、乗る人間がいた。
「兵馬様」
「──────ああ、解ってる」
若干腰が引けている駿河屋三男坊兵馬だ。
新吾は舟が揺れない様姿勢を整えており、ゆづかは乗り込んだ先で新吾の後ろから顔を出す。対して兵馬はゴクリと喉を上下させそのままだ。
「この間は乗れたじゃございませんか、若様」
「ああ……そうだな」
「私とともに乗った事もあります」
「ああ、その通りだね」
元々行動的には見えない兵馬がコクコクと頷きながら返事をすると、尚の事借りてきた猫に見えて、もしこれを勇蔵や庄三郎が見ていたら笑いを堪える事が出来なかっただろう。
「若様が乗れなくたって大丈夫だって、俺は思うんですけどねえ……」
「私もそう思うんです」
新吾とゆづか、二人で顔を見合わせ言ってみても兵馬は前には勿論後ろにも足が動かない。
中庭の見える縁側で碁盤を挟み向かい合うのは二人の男。
お互いじっと盤へ視線を向けていたが片方の男が手を止めたのをきっかけに音が止み、二人の顔が盤ではなく互いへと向いた。
秋の空らしい日差しを受ける縁側は、紅葉美しい木も有る庭を見るには最適で、この景色は二人の男が座る縁側傍にあるここの主の部屋からもよく見えるだろう。
しかし今二人は碁盤に夢中であった訳で、そこから互いの顔を見ているのだからこの気持ちの良い景色を愛でてはいない。
尤も、二人は最初から紅葉を愛でるために縁側に座っているわけではないから、その辺りはどうでもいいのかもしれないけれど。
先に手を止めた男に釣られて止めた男が声をかける。
「庄三郎さん、いかがしました。もうまいったですか?」
「まだ勝負はついてませんよ。あぁ待ったでもないんですよ」
庄三郎、はこの店の主であり兵馬の父親でもある駿河屋庄三郎だ。声をかけた方はその兵馬を婿養子にもらうゆづかの父親で吉村勇蔵である。
自他ともに認める口下手な勇蔵ではあったが、あの『ゆづかは男だと兵馬に言い聞かせてくれ』と庄三郎に頭を下げた一件以降
(どうやらおれは、体格に合わず少しばかり肝っ玉が小さかったようだ……)
なんて思った様で、口が良く回る様になった。お香はそれをとても面白く見ており、今までよりも多くあれこれと言われる事にゆづかも嬉しそうにしている。
そして庄三郎と勇蔵、元々馬が合っていたのもあって、兵馬とゆづかが付き合う様になってからは互いに行き来しては碁や将棋を楽しむ仲になっていた。
これ幸いと、元々行き来のあったおとわとお香が共に出かける機会も格段に増えている。
「──────いえね」
そう切り出した庄三郎は苦笑いの顔で額を掻き、膝の上に置いていた手で湯のみを持つと冷めた茶を飲み干した。
「おとわがまあ聞かれれば嬉しそうにほいほいと答える物だから、こっちにまでとばっちりで困ってましてねえ」
「おや、いったいどうなさったんです」
「兵馬の事ですよ。あれはほら、ツラだけは誰に似たのか良いくせに、誰に対しても愛想もなくあの通りだったでしょう」
「ははは、それが坊の可愛い所だってお香は言ってましたよ」
「いやあ、それはもうお香さんだけですって。そんな兵馬がいつの間にか吉村さんの所へ婿へ行く、なんて面白い話、ここらの人までそりゃもうおもしろがってくれて」
「人の噂は七十五日と言ったもんで、興味もその程度しか持ちませんよって」
「なかなかどうして、実のところ私が一番心配してるんでしょうね」
ははは、と笑い言う庄三郎に勇蔵は湯のみの中身を飲みかけ、手を止める。
「あれはなんといっても愛想がないものだから、船宿の亭主なんてもう、つぶしやしないかと心配で。勇蔵さん一人で積み上げた物を我が子が壊したなんて、そんな事になったら死んでも死にきれませんよ」
「庄三郎さん、それはいささか坊が可哀相でしょうに」
そこそこ恰幅の良い庄三郎が小さくなって言うそれが面白かったのか、どちらかと言えば体格の良い勇蔵がその体を揺らして笑う。
「わ、笑い事じゃあないですよ!」
勢い良く碁盤を叩いて言う庄三郎に、勇蔵も庭に降りていた鳥も驚き鳥は一目散に逃げ、勇蔵はこれはいかんと改めて湯のみの中身で喉を潤すと
「坊のあの無表情で『ご安心ください』と言われると本当に誰にも言われない気がする、なんてこれがまた良いようですよ」
「………ご冗談を」
「いやいや、実際番頭相手にそう言った方がいらして、今度からうちをつかうと言って下さってね。いやいや、これは坊のおかげでお客が増える事になるやもってお香がゆづかに良い婿掴んだって笑ってますよ」
「どうにも信じがたいお話ですなあ」
「それにほら、この前ゆづかがここへお邪魔した時に着いてきた、与助、覚えておいでですかね?」
「ああ、あの愛想が良い青年。ええ、もういるだけで明るくなりそうな好青年でしたねえ」
「あれが勉強熱心な奴でね。うちの番頭らが、あれは坊が主になる頃には良い番頭になるだろうって言ってるもんでね。与助が愛想振りまきますから、坊はあのままで大丈夫ですよ。庄三郎さんも、坊の事になると本当弱いですなあ」
のどかな雰囲気に飛び立った鳥が戻ってきた頃、ゆづかが新吾に手を取られ舟に乗り込む姿が吉村であった。
吉村には客が使わない、舟に乗る為に使う桟橋がある。
吉村が丁度角地の様な場所に立っているから客の乗り降りに使う場所からはこの乗り場が死角になっており、ここからは運搬を依頼されている荷物や従業員の乗り降りのために使用していた。
荷物を運ぶ為に広めに取られている為に、ゆづかはこちらを使う事が多い。新吾が船頭の場合は必ずこちらだ。
ゆづかは桟橋から落ちるなんて失態をしないけれど新吾が「お嬢様に何かあったら大変ですから!」とこちら以外から乗せないのである。
そして今日はゆづかが乗った舟にもう一人、乗る人間がいた。
「兵馬様」
「──────ああ、解ってる」
若干腰が引けている駿河屋三男坊兵馬だ。
新吾は舟が揺れない様姿勢を整えており、ゆづかは乗り込んだ先で新吾の後ろから顔を出す。対して兵馬はゴクリと喉を上下させそのままだ。
「この間は乗れたじゃございませんか、若様」
「ああ……そうだな」
「私とともに乗った事もあります」
「ああ、その通りだね」
元々行動的には見えない兵馬がコクコクと頷きながら返事をすると、尚の事借りてきた猫に見えて、もしこれを勇蔵や庄三郎が見ていたら笑いを堪える事が出来なかっただろう。
「若様が乗れなくたって大丈夫だって、俺は思うんですけどねえ……」
「私もそう思うんです」
新吾とゆづか、二人で顔を見合わせ言ってみても兵馬は前には勿論後ろにも足が動かない。
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