屋烏の愛

あこ

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船宿吉村

光を結ぶ:後編

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男同士、子が出来る訳でもない。

別にこれと言って差別される事も後ろ指を指されもしなかったし、寧ろ惣治は恋人の雇い主船宿吉村夫婦に定期的に呼ばれて仕事をもらい、恵まれていると思う。
けれど自分と新吾の間に子が居たら、その景色はどんなにも広いのだろうかと惣治は二十五を過ぎたあたりになって考える様になった。
そう思う惣治に、彼の機微にはとても敏感な新吾は今では千代の遊び相手にもなっている鳥を買ってきたりしたが、新吾だって思う事はあったのだ。愛しい男と自分との景色もいいが、ここに子が居たらどんなに世界は変わるんだろうか、と。
無理な事だと解っていても、二人で大切に大切にしてやりたいと思う守るべき子がいたらなんて。

それでも二人は言わなかった。別に男である事と同じ性別の相手を好いた事を後悔なんてしていないからだ。
女性と夫婦になろうと思うより、生涯二人寄り添って生きて行きたい思いが至極強かった。

そんな中、当時まだ一歳の千代が大川にかかる橋の欄干に引っかかる様にして“落ちていた”を見つけたのは惣治だ。
その日は大雨、普段なら外にも出ないだろうその日に、欄干に引っ掛かる千代を見つけた。
今にも橋の下の大川に落ちてしまいそうな所を新吾が助け、直ぐに奉行所へ届け出を出しがこうして今、千代はとして生きている。
当時の記憶がない千代はそれでも「ちよってば、ほんとはちちの子ではない気がするなあ」と思いながらも、母は居ないが父は二人いる今の世界が何よりも好きで、幸せに生きている。
惣治の客は千代に優しく菓子をくれるし、新吾の働く吉村は皆千代の事を含め三人をいつだって温かく迎えてくれる。
子供の千代に取ってそんな春の日差しの様な空間で、と思う要素を一つだって見つける事は出来ない。
千代はの惣治との新吾がいれば、そこはキラキラ輝く場所に変わる気さえしていた。
だからいつだってこうして、満面の笑みを二人に向ける事が出来るのだ。

「さて、千代はなんで穴八幡に行きたいなんて、言ったのかな?」

空に浮かぶ雲が団子に似てると、真剣な様子で新吾に言っていた千代はパッと顔を惣治に向けた。
漸く木漏れ日も落ちる道に入ったけれどこんな日は熱くて仕方が無いのだろうか、道を行く人もどこか足早に涼める場所へと急いでいる様な歩みだ。そのわりに熱い熱いと言っていた新吾の歩みは比較的緩い。
彼は今、噛み締めているのだ。
刺激も無ければ勢い良く突き進む様な事も無い、けれど平凡で穏やかで温かい三人の時間が何より愛おしい。それを噛み締めてしまうから、足早にならない。
にきーたのよ。すっごいオイシイしらたまがあったのってきいたのよ、ちよ」
「……は?千代よう、この熱いのにお前、白玉目当て?白玉の為にお前、可愛く着飾ったって?白玉の為にここまできたってぇの?」
「──────ひどいんだッ!」
「はあ?」
新吾は別に人に気を使えない人間では決して無いのだが、千代は時々新吾が思わない事を言ったりしたりしてはこうしてむくれる。
新吾は決して聞いていなかった訳じゃないのに、千代はいつだって自分の気持ちを考えてくれる新吾と惣治に甘えて「ふたりは知ってたはずなのに」と思ってしまう。
だから千代がその度に、新吾は困った顔で惣治に助けを求めて、今日の今の様に助けられるのだ。
「新が『熱いなあ、俺は夏は好きだがこの夏は熱くてダメだ』なんてここの所言っていたから、千代は新に兵馬さんが言った“頭が痛い程に冷たい白玉”を食べてもらいたいんだよね。それに、ゆづかちゃんからもらった物を新は『大切な時とかに着れば良いなあ、お前おてんばだから』って言っただろう?だから千代は今日を特別な日だって綺麗にして、大切なお父さんの為に一緒に冷たい白玉を食べに行くんだよね」
「ン」
得意げな顔で大きく頷いた千代をポカンと見てしまった新吾の足は止まってしまった。
新吾の目には僅か先に見える鳥居すら見えていないだろう。
「おっとちゃーん?おっとちゃん?」
呼ぶ度に右に左に首を傾げる千代をガバリと力強く新吾が抱きしめる。
千代は腕の中で「あーつーいぃぃぃいい」と言いながらモゴモゴ動いているのに、新吾は勿論見ている惣治も助けない。
道行く人がそんな三人を見て何を思うか。
それは見ている人にしか分からないけれども、仮にそこにあるのがだったとしてもきっと、新吾も惣治もそして千代だって気にせずに笑うのだ。

「あー、決めたぞ。俺は決めた」

漸く千代を解放した新吾はもう一度、さっきと同じ様に千代を抱き直して歩き始める。
その顔に白玉を食べるまできっと二人は親子喧嘩をするのだろう、と予測する惣治の顔は実に柔らかい笑顔だ。

「千代、お前、嫁に行くな。俺は駄目だな。どんな男だってお前をやらんからな」
「…………んー、と。ちよって、それって、きれないの?」
「当たり前だろお前。千代はそンなモン、不要だ不要。一生買わねエ」
「ピキー!!!おっとちゃんのばかああああ!かわいいのに、かわいいのに!あれ、きてみたいっておもってたのにいいいい」
腕を目一杯伸ばし、小さな手を丸めてポカポカと新吾の肩を千代が叩いても、新吾は「着れなくって良いんだ」しか言わないし、言われる度に千代はムキになる。
千代は“きれいなしろいの”を着る時がどんな時かなんて知らないくせに、それはもう、かなり本気で怒っていた。
千代は日差しを浴びてキラキラしている白無垢が、まるでみたいだから好きで可愛くて着たいだけなのだ。
それを千代が新吾に言える様になるまでにはもう少し時間がかかるだろう。
けれどその意味を知る惣治は、その時の今より大きくなった千代に対してきっと新吾は言うだろうと考える。誰にもやれないと、頑固親父の様に駄目だと言うのだろうと思うのだ。

「じゃあなあ、千代。あれ着ると、おっとちゃんともちちともさよならすンだって解ってるか?一緒に暮らせネェかもしれないんだぞ?」

意地悪な事を言い出した新吾に千代の顔がビシリ、と固まる。惣治はなんて事をいいだしたのだと、吹き出しそうになるのをなんとかこらえた。
固まった千代の、怒って真っ赤に染まっていた頬が落ち着いた頃には、もう後少しで千代が聞いた白玉のある店に着く辺りまで進んでいる。
大きな鳥居の前を通り過ぎた所で千代は首を傾げて言った、その言葉に今度は惣治も足を止めてしまう。

「ええええ、それはヤーだ。だからちよ、まだイーヤ。おっとちゃんとちちとちよ、さんにんでいたいもン」

ねー、と笑うその顔に、二人の父親は満面の笑みで頷いた。
この調子では、大きくなった千代に頑固親父の様に一度は「駄目だ。お前に大切な千代はやれん」と反対するのは一人ではないのかもしれない。
そんな事は今の千代には勿論この二人の父親にも見えない未来の事なのだけれど、その時だってきっと、三人はキラキラした温かいものに包まれているに違いないだろう。
だって千代の世界はいつだって、キラキラと幸せで輝いているのだから。
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