屋烏の愛

あこ

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船宿吉村

光を結ぶ:前編

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縁側で胡座で座り目を閉じたままただひたすら「あちぃ」と扇子で自分を扇ぎ続けている男の背中に、愛娘の文句が叩き付けられている。
その声がミンミンと鳴く蝉よりも耳に良く入り、そんな自分に男は小さく息を吐く様に笑った。
「ギィイ、がさきなんでずるいんだ!ひどいはなしっていうのよ!ひどいんだ!」
「千代ぉおお、おっとちゃんさあ……熱くってこう死にそうなんだよなあ」
「うそだ、うそなんだもンね。おっとちゃん、ちよがキレイなコになるのみとどけるっていったもン!」
「おまえってかしこいなあ……わるかったからさあ、ちっとでいいから涼ませてくれよ」
ぐるり、と半身捻れば普段より幾分も可愛らしい柄の着物を着て、手には大振りの飾りを握ったままの千代ちよと呼ばれた四歳の少女の不満な顔が見れる。その顔を見てしまえばと呼ばれた男──────新吾しんごは困った様に笑ってしまうのだから、涼ませてはもらえないだろう。
「だってがさきっていったのに、ひどいんだもン」
「そりゃお前、千代がくーかーくーかー良く寝てたから、そうだって起こせなかったんだろうさ。おっとちゃんだって無理だ」
「うううううううぅ」
「折角可愛くしてるのに唸るなよ、千代。お前、みたい女の子になるんだって、昨日は意気込んでたじゃねえか」
「あううぅ…ちよ、みたいになるんだもン。おしとやかなコになるんだもンね!」
キュッと口を噤んだ千代は今までの顔を一転させると、懸命に澄ました顔に変えて正座でその場に座ってみせる。けれども自分より先に新吾がに髪を整えてもらった事実は許せないままなのだろう、新吾に背中を向けたままだ。
そんな背中に小さく笑うと新吾はまた、さんさんと降り注ぐ太陽に対抗する様に扇子を扇ぐ。
暫く静かな空間に戻ったこの家の娘である千代は、本来おしとやかとは無縁な、とにかく明るくて元気が良い少女だから自分に背中を向けている新吾に構ってもらいたくてうずうずしている。
今着ている物が“ゆづさま”がくれた可愛い着物だったとしていても、いつもみたいに新吾に肩車をして欲しいし、ちょっと乱暴にだって振り回して欲しくて、目一杯構い倒されたい。そういうはみんな新吾がしてくれている。
うずうずとしていてももう限界、と立ち上がると丁度仕事道具を持って現れた“ちち”こと惣治そうじが部屋に現れ、千代の顔がぱあと明るく変わり、立ち上がっていたのをすっかり見られてしまっているのにバッと正座で座り直す。
「千代、おとなしくしてた?」
「ちちがおとなしくっていうから、おとなしくしてた。おじょうさまだもノ、ちゃんとしてたンだから」
「嘘付けよ、千代。口は大人しくなんてなかっただろうが。お嬢様は口もおしとやかだぜ?少なくともゆづかお嬢様はそうだよなあ?」
「きぃぃいいイーッ!!!」
ムッとした気持ちのまま声を上げた千代に、新吾も惣治もそれぞれ顔を緩めると新吾は縁側に整えたばかりの髪を崩さない様に転がり、惣治は仕事道具を広げて千代に今度こそ大人しくしている様に、と優しく声をかけた。


きっちりとお煙草盆に結い上げた千代は、家の中で握り続けていた飾りも着けてもらい、ご機嫌で歩く。
今着ている物も着けた飾りも全て、新吾が船頭として働いている船宿吉村主夫妻の子供のお下がりだ。
髪結の仕事をするが仕事をする時、彼にくっついて家々をまわりの仕事をする姿をキラキラした目で見ている千代だが、時折新吾と共に吉村に行く事もあった。
どちらの父親に付いて行っても千代の事を知る人は嫌な顔一つもしないで千代も受け入れてくれ、千代は二人の仕事にくっついて行く事が好きだ。
その中でも吉村は別格でここの子供の“ゆづか”は千代に取ってキラキラと輝いているお嬢様。ゆづかも自分の出生の所為か千代の事を放っては置けなくて、可愛がりもするしお下がりもこうして渡す事もある。
とは言っても、ゆづかは千代の年頃の時分は吉村に居なかったのだから、今千代が着ているのはわざわざ小さく詰めた物だ。

「ちーよってば、おじょうさまかなあ」

ねえ?とこてんと首を傾げて足を止めてしまった千代を、新吾が軽々と抱き上げる。
いつもなら肩に乗せてしまうが今の千代にそんな事をすれば、千代よりも惣治に怒られてしまう。今日は腕に乗せる様に抱き上げる事にしたようだ。
「お嬢様の千代は今日は肩車我慢」
「いーヤ、うそ、やーだ!」
「我儘言うなよ。おっとちゃんがお前、怒られても良い?」
「──────……うぅうン」
「そこで考えるなよ、おっとちゃんの危機なんだっての、バカ娘」
この着物でこうして肩車禁止と言われて地団駄を踏むかと思った惣治は、隣で抱き上げられ未だに考えている様な千代とそれに「おとっちゃんが怒られっから」と言う新吾の作る世界を見て幸せそうに笑う。
この三人は誰も血が繋がっていないのに、どう考えたって千代のおてんばな元気の良さもこういった言動も全て新吾に似ている、と惣治は思う。それもどうして愛おしいのだ。
そんな姿を若干背が高い新吾がみ、千代を抱き上げていない方の手で髪を崩さない様に惣治の頭をゆったりと一度だけ撫で、それに反応し自分を見上げた惣治に目を細め笑った。
「何?」
「いいモンだなあって、思った。それだけ。俺は今がたまらねえんだ。とにかくなんだってグッときやがって、俺はぐたんぐたんになっちまう」
「うん、そうだね。そう思うよ」
大人二人の会話にきょとん、と瞬く千代に二人の視線が注がれる。しかしその顔があまりに優しく微笑んでいるから千代は訳の分からないままに、太陽の様な笑顔になるのだ。

惣治も新吾も、千代がこんな風に育ってくれるなんて思っていなかった。
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