屋烏の愛

あこ

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さまよう、からす

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ゆづかがこの店から消えたのは、それから直ぐの事だった。
ゆづかが店から出る時に見送ったの姿に嫌気がさし、忠吾がその後その女を酷く扱ったのはとして忠吾の中で片付けている。
同じ様に、店から数歩歩いてから振り返り忠吾がいる二階の部屋を見上げたゆづかと目が合った瞬間の感情を、忠吾は見なかった事にした。

この先のゆづかの人生を忠吾は想像しない。
それは自分の支配下に無いから興味が無くなってしまったから。
している、と言うよりも他の意味を、正しく表現する言葉を、忠吾が見つけられなかったのかもしれない。

「あぁ、そうそう、お前の返済はお前の子がしっかり終わらせてくれたよ。まあ、無様だねえ、母親のくせに」

二日後いやみったらしい言葉で忠吾が湯を浴びた遊女へ声をかけた。
ピタリ、と足を止めた女の表情もまた忠吾は想像しない。それは面白くもないし想像しても何の足しにもならないからだ。そんな時間の使い方を無駄だと忠吾は考えているし、したくはない。
しかしどうして、そんな彼がこのような行動に出てしまうのか。
それを彼に問いただす馬鹿はここにはいないが、誰かがそれを問いただしたらまた何かが変わるのかもしれない。
最も、忠吾はそんな変化を決して、望まず、そして受け入れもしないだろうけれど。

足を止め動かなくなった女の背を、腕を組み眺める忠吾を女達が避ける様に歩き、全ての動きを止めた様な女は力なく壁にもたれる。
「まあ、母親というのは常にどうしようもない物だから、お前がでも尚の事致し方が無いと思うけれどね。そう、だからお前は用済みさ。さっさと男の元へ戻ると良いよ。おつかれさま」
言うだけ言って忠吾が女に背を向け部屋に戻る。こんな態度を取っても彼は死とは面白い程に無縁だった。きっと彼がこの世界でまだ必要だからなのだろう。
「──────待ってる男なんていない事、知っているくせに」
呟いた女のその顔は、忠吾の言う様に確かにの顔をしていた。

忠吾やどうしようもない女の話はここまでにして、話を二日前に──────、ゆづかが吉村夫婦に身請けをされ花街の冠木門の手前まで歩いた所へ戻そう。




冠木門の前まで歩いた三人の歩みが止まる。それは二人に挟まれる様に歩いていたゆづかが足を止めてしまった為だ。
振り返り、花街の奥へ視線を送るゆづかはどうしても門の外へ足を動かそうとはしない。
ゆづかの着物は二人が用意してくれた物で、ゆづかは自分の持ち物は何も無いからと何も持たずに店を出ている。しかしその顔を見た吉村夫婦は
「何か、持ってきたいものがあった?」
そう思った。ゆづかはそれにふるふると首を振り、二人を見上げる。
十二、と聞いたゆづかの背は十二の少女よりも小さいと二人は思い、見上げるゆづかへ視線を落とす。
「いいえ、私はここの人間だし、それにだから……やっぱり、その……」
ゆづかが吉村夫婦──────勇蔵ゆうぞうお香おこうと会ったのはこれで二度目だ。店を出る前半刻程三人で話をして、ゆづかは今までの経験からこの二人が本当に自分を子供にしたい一心で身請けしてくれるのだというを信じた。
けれども自分が宿になれるとは信じられないし、無理だと思っている。一般庶民にすらなれないと思うゆづかからすれば、普通の人生を送るなんて無理だと考えていた。
「親というものも、私は知りません……。どうするのが子供らしいとか、そういうのも、よく、解らなくて……それに、だから、お二人の子供になんて……やっぱり私には……」
ここへくるまでの短い間、ゆづかは一生懸命考えたがどれほど考えてもよりも、の方が簡単に想像が出来てしまう。
若いうちだけ可愛がられ最後にはいらないのだと言われる姿しか、想像出来ないのだ。
そんな想像をするのはきっと、忠吾の態度の数々と花街で刷り込まれた様なものだろうけれど、ゆづかはそう想像し、そんな光景それがとても自然に浮かぶ。
無表情にも近い顔で言うゆづかの感情の行方を、勇蔵もお香も今は推し量る事が出来ない。それでも勇蔵はやはりこの子を子供にしたいという気持ちを変える事が出来なかった。

「おれ達もね、夫婦をした事はあるけども、親子をした事は一度も無いんだ」

見上げるゆづかの頭に勇蔵の大きな手が乗るが、それでもゆづかはただ見上げるだけだ。
それが勇蔵もお香も酷く切ない。この子はのだと改めて感じ切なくなった。

「だからね、おれは父親を、香は母親を、した事が無いんだ。だからみんなで始めよう。みんなで一緒に、ほら、ここを越えてそこが一歩目だ」

じ、と見上げているゆづかに今度はお香が声をかける。すればゆづかが頭の上の勇蔵の手をそのままに、反対の方へ体ごと向けた。

「取りあえず、私たちはゆづか、私には母、うちの人には父、と呼ぶところから始めましょう?その可愛らしい名前を、私に、呼ばせてもらえないかしら?」

ね、と言う言葉とともに出された手をゆづかは何となしに取る。取ればそこから何かが流れ込んで来た気がして目の奥が熱くなったが、ゆづかはが何か判らない。
いや、きっ判るのだけれど、どうしてもこれをが思いつかなかった。そんなゆづかの開いている逆の手を勇蔵が握る。

「さあ、帰ろうか。に、帰ろう」

言われて冠木門をゆづかは出た。見上げた空は、まるで初めて見る様な真っ青の気持ちのいい空だった。
真っ青な空なんていくらだって見た事があったはずなのに、ゆづかはこんなにも気持ちが良く、そして見上げると眩しくて目を開けていられないようなそんな、眩しくて眩しくて仕方が無い空を、生まれて初めて見たのである。

「そら、きれい……」

誰に聞かせるつもりもなく零したゆづかの言葉は、隣を歩く二人の耳に僅かな喧騒に紛れていたけれどしっかり届いた。
その証拠にゆづかの手を握る二人の力が少し強くなる。その力を入れた理由は二人それぞれ言わなかったが、ゆづかには何故か心地が良かった。
ころん、と可愛く音を下駄に奏でさせながら歩くゆづかの頭の上で、視線を合わせた勇蔵とお香の顔がじわりじわりと笑みに変わる。それは力を込めたその手を握るゆづかの手にもそっと力が込められたからだった。
それをゆづかは気がついていない。
しかしその無意識に入れた力に、二人は至極満たされた。

だからだろうか、お香はこの日の空の色を生涯忘れる事はないと確信している。
こんな日を忘れるなんて、そんな親にお香はなれっこないのだ。
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