屋烏の愛

あこ

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本編

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改めて用意された席は、五日後の昼前。お互いに馴染みの料亭にある、離れの一室だ。
強制的にも近い形でゆづかは今までで一番“可愛く”着飾っており、色も柄も今までのゆづかからするとあり得ない程愛らしい。
お蔭で家を出る時に奉公人に可愛い可愛いと連呼されてしまい、もう気を失いたくなる程に恥ずかしかった様だ。
可愛いと言われた事は今までもあったゆづかだが、今日の「可愛い」は兵馬に会う為に身に着けた物が殊更「可愛い」を演出をしているのだから、今までのそれとは違う様にも感じてしまったのだろう。
勿論、奉公人は『兵馬に会う為にいつもよりも洒落てみせている』という可愛らしく見えるその心も含めて言っているわけで、彼らにとっても“ゆづかの可愛い”が今までと違う様に感じても致し方が無い。しかも“半ば強制的”と表現した様に、ゆづかも最初は嫌がりもしたが本当に嫌がった訳ではないのだから「今日は、いつもよりも可愛い物を選んでも良い」と思う心がゆづかにもあったのだ。
ならば余計に気恥ずかしくもなるだろうか。
そして今向かい合う相手──────兵馬もきっちりと羽織袴と着ていた。
その兵馬本人と言えば「うん、少し暑いな」くらいしか思っていないが、目の前のゆづかの姿には惚れ惚れとしている節があった。

自分一人ならまだしも、こうも全員がこれ──いわゆる正装という着こなしだろうか──では嫌でもゆづかは今の状況を実感してしまう。
ゆづかに取ってはどうなのか兵馬に計り知れないが、兵馬は今更自己紹介だの何だのする理由も無いからとさっさと他の場所へ引き上げた四人に感謝して、正面で居心地が悪そうなゆづかに優しく笑ってみせる。
「私はとても強引な人間だったようだ。ごめんね」
「いいえ……そんな事、ないです」 
目の前で小さくなってしまったゆづかは、やはりどうして見たって男である要素を見いだせない。
大きくなればどうなのか、と兵馬が想像してみてもやはりゆづかは小柄で自分をくるくるとした目で兵馬を見上げる姿だ。
全く持って、兵馬の好みではない。かすってもいないだろう姿しか想像できない。
「なのにどうして、可愛くて好きなんて、思うんだろうねえ……」
「え?」
「いやね、好みの話だよ」



今のゆづかの顔を表現するなら「呆気にとられている」と言った所だろう。
開けたままの障子の向こうにある庭の木々がたまに風のせいで擦れる音だけしか無い届かない部屋が、ゆづかに取っては不本意だろうけどその表情を際立たせている。
「あの……どうして、私なんですか……?」
この質問は最もだろうと兵馬自身も思う。もし自分が二人いて、同じ様に好みを聞かされた上で今好きな人間だとゆづかを指差されれば「え?」とゆづかと同じ様な表情で聞き返したに違いないと自覚もしていた。
兵馬の好みはゆづかとはかけ離れている事は、ゆづかを好きだと思ってから何度だって思い返して不思議だと独り言ちたのだから。
「多分ね、恋なんて理由が無いよ。だから岡惚れなんて、あるんだと思うよ?でも……そうだね、強いて言うなら声かな」
「声……」
「初めて人の声に魅力を感じた。そう気が付いて、男だと知ったら落ちてしまった。いや、でも、そうさね……こんな説明なんていうものはもしかしたら、こうして言葉で言えるからそれが要因だと説明出来ているだけで、本当は別に──────そう、他の言葉に言えない何かに惹かれて好いてしまった、なんて言う事かもしれない。難しいと初めて思うよ。なにせ自分で説明する事が出来ない事を、好いている相手に説明するなんていうものは……なんだか困るじゃないか、恥ずかしい事を言うのは。まあ、恥ずかしいついでに言ってしまえば」
親の前では一応きちんと座っていた兵馬だがもっとゆったりとして向かい合いたいと思うのか、そこで小さく息を吐いて足を崩した。
「ゆづかちゃんが相手なら、大男だろうが、役者の卵だろうが、なんだろうが好きになっていたかもしれないって事じゃないかな」 
「……何でもありになってしまうんですね。いえ、私もそう言う方を、見た事はありますけど」
花街で、と小さく付け加えられた言葉に兵馬が袴である事を良い事に、崩した足で胡座を組んで外を見る。
「あぁ、丁度良い」
自分はもっとあっさりとしていて淡白だと兵馬は思っていた。けれどもそんな自分ではない自分というものを知れたのは案外に楽しい。
それが目の前にいる相手だからこそだと、そう思いもしている。
(今までそんな事を思いもしなかったけれど、もいい物だね)
小首を傾げたゆづかにこの部屋から見える屋根の上の烏へ、兵馬がその長い指を向けた。今ふと思った言葉がまさにその通りだと兵馬は思うのだ。

「言うなれば、そう、って事だと思うよ。私も、その人もね」 
「すごいですね……、兵馬様」 
「私がすごい?いいや違うよ。私がそう思える相手のゆづかちゃんが、すごいんだ。でもしてみるとね、なかなか面白い物だよ。屋烏の愛って言うのも」 

羽ばたき消えた烏を見送ったゆづかはゆっくりと視線を兵馬に戻す。
穏やかな顔の兵馬を前にふとゆづかは思い出した。どうして今それを思い出したのかは解らないが、ゆづかの頭にフッとその日が過ったのだ。

吉村勇蔵に身請けされたあの日、見送ってくれたのは一度も話した事が無い遊女だった。
話すという定義を“挨拶以外の会話”としてしまうとゆづかは様な物になってしまうのだから、その遊女とはであり、そんな相手は兵馬に生きてない様に思われた当時のゆづかでさえいないに等しかった。
その遊女は今まで一度も話した事が無いにも関わらず、店を出る時ゆづかを見送ったのだ。
ゆづかには未だにその理由を知らない。きっとゆづかは一生知らないままだろう。
そんな彼女は疲れきった顔で、けれどゆづかの頭を撫でて小さく笑うと
「人を良い方向に変える事が出来る人間は、幸せになれる。ここにゃそんな──────……私も含めてそんな良い人間いやしない。抱き主も悪くてね。そんな風に生きられないのさ。嫌な話だよ」
きょとんと視線を合わせたゆづかに、その女は一層優しく撫でると手を離す。
「きっとあんたの本当の母親も後悔してるさ。あんたは少なくとも、あんたを子供にしたいだけで請け出してくれたその人の人生を変えた。あんたも、良い方向に人生を変えてくれる人を見つけたら、この人だと信じてやるといい。今からなら、出来るさ。まだ、十二だ。先はまだ、長いはずだよ」
幸せにおなり、と背中を向け言われた時はいまいち解らなかった事も、今はぼんやりとその意味がゆづかは分かる気がした。

「兵馬様、私にも、できるでしょうか?」
「まだ二年ある。ゆっくり二年、試せば良い」 
「二年?」
「女の子の結婚適齢期は十六から十八らしいね、最近知ったよ。ゆづかちゃんは十四、あと二年残ってる。だからその二年、試せば良いのさ。相手が私だとなお良しだけどね?どうかな?」

はにかんだゆづかは、これがだと信じて控えめだが一つ、きちんと頷いてみせた。
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