屋烏の愛

あこ

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本編

01

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──────お前が十になった祝いだよ、何が欲しい?

そう幼い少年が、父親に尋ねられている。場所は花街の揚屋。
こんな場所に幼い少年を連れてくる親はどうなんだと言う話にもなるだろうが、彼はこの店に大金を落とす常連だ。それに十になった子供をこうして連れてくるのは、この末の息子で三人目。
上の二人はこの教育がに効いたのかは不明であるが、彼らは父親の後を継ぐべく真面目に勉強に励んでいるそうで、この末の息子も「そうなるかもしれない」なんて言う下心が有ると、息子の父であるこの男が店の女将に話したのは四半刻程前の事だ。
この家の母は、末の息子であるこの少年を生み死んでしまった。後添えにと今酒を注ぐ花魁を迎えたい男としては、派手な対面をさせている気にもなっているのかもしれない。
先の発言をぽーとした顔で考えていた少年は、この雰囲気を面白いとも面白くないとも考えていないような顔で立ち上がると窓の外を眺めた。
綺麗な庭と廊下が見え、そこをじっと見ていた少年が勢い良く振り替える。

「父さん、僕は

さすがに驚いた父親の顔で同じ様に窓の外を眺めると、一人の禿が廊下を歩いている姿が男にも見えた。
大きくなればさぞ美しい遊女になるだろう顔の禿に、この子が一番自分の血を継いでいるのかもしれないと苦く笑うと小さな頭を撫でて言う。

「お前が十七になってもそう思えたら、お前に請ける金子を用意してあげよう」



は、と開けた目に飛び込むのは青空、体の下で板を感じそう言えば縁側で寝ていたのだったと思い出して体を起こすのは、七年前、禿が欲しいと言った少年、兵馬ひょうまだ。
今ではもう立派な青年になり、父と二人の兄からあれこれと教えられ店にも出ている。
兄二人が後から聞いた、あの時の“欲しい物”は夜の町に酔った弟の冗談だと兄達は思っていたし、冗談で終わると思って疑わなかった。しかし大人になった兵馬がどんな見合いも決して受けないのを見ればもう、冗談だとは思えなかったようだ。
相手に会う事すらしない兵馬を前に兄二人頭を抱えてみたものの、なんだかんだと兵馬を可愛い末の弟と可愛がってしまっている二人はで諦めてしまった。これはもうあの時ほしいと言った禿以外では無理だろう、と。
まあ尤も、諦める事が出来る程に彼らが優秀で、末の一人がで未婚の侭であっても問題は無いという自信が彼らにはあったのだろう。
身もふたもない言い方をすれば「可愛い弟が一生未婚のままここで呑気に暮らしていても、面倒見れるからまあいいか」という様な事である。
一方の禿の兵馬だが、花街へ繰り出しあの禿を探している訳ではない。
確かに、不思議とこうして夢に見る程に思い出す事では有るが、反面、あれは本当に一過性のだったのだと兵馬は思う。そして今ではになっているに過ぎない。
父親と義理の母だけはその意味を知っている──────いやふた月程前、つまり兵馬が十七になってから今までより鮮明にあの日の事をこうして見る様になってから、兵馬に聞かされたと言ったも良いだろう。

美丈夫と評判の色男の兵馬だが、残念ながら彼は女性に性的興奮を一切しなかった。そう、生粋の男色家なのだ。
それに気が付いた時にあの日の花街の艶やかな女性達に何とも思わない自分がいた事を、兵馬は納得が出来たという物だ。
だからと言って男娼をたびたび買う気にはなれない。どうしても、父親の様になんていう遊びをする様なな気持ちにはなれないのが、この兵馬だった。
まあ、その父親もその手の事を良くしていた訳ではなく、あの遊女一人に熱を上げていただけで、完全に兵馬の誤解なのだが。

「兵馬さん、こんな所で午睡をしては体を痛めますよ」
「あぁ……母さん」

あの日、今見た夢のあの日に紹介されたあの遊女は今、兵馬に取って義理の母親だ。
彼女がこの家に入った時に、あの禿の話が出たのだが
──────あの子、うちの子じゃなかったんですよ。探してみたのだけど、あの通りの場所だから。
と言われてしまいだった。
でなければ父親が身請けの金額を用意していたのだから、兵馬にはその方が有り難い話だっただろう。

「お店と家の往復じゃ退屈になりますよ。渡り廊下で繋がっているだけですからね?まだ若いのだから、少しくらい遊びに出かけてはいかがですか?」
「私にはそれしかする事が無いのですよ、母さん。それに遊びと言われても、私にはどうも……まあ」 
「そう言われると思ったので、私、。うふふ」

兵馬に取って実の母親の記憶は無いと言っても過言ではない。上二人の兄と違い兵馬に取ってはこの父親が見請けた遊女が、母という温かさを教えてくれる人間だった。だからその“母”と呼ぶその響きは“母さん”であって“義母さん”ではない。
一方のおとわに取ってもこうして実の母の様に思い懐く兵馬が可愛く、男色だと言った時真っ先に庇ったのはがあったからだ。
おとわの庇立てがなくば、父も耳を貸してはくれなかっただろうし、何より男にしか興味がないというそこに理解を示し、見合いを勧めるのを辞めはしなかっただろう。
いけるならまだしも、大店おおだなの三男だ。何処かの良家の娘と、と思って普通なのだから。
上二人の兄、長男の礼蔵れいぞうと次男の伊織いおりもおとわの器量は解っているし、慕ってもいる。それになんだかんだと末の弟に甘い二人だ。言えば解ってくれそうだがしかし、本気であの大きく出入りの激しい花街から禿一人を捜そうと言い出した二人を思うと兵馬は勿論、おとわも言い出す事が出来ない。
この件があるだけでこれと言った隠し事もなく、彼らは極々普通の幸せな家族をしていた。
ふとした瞬間に
(礼蔵さんと伊織さんにも言えば良いのに)
と思うおとわでもあるが、それでもおとわに取っては“母さん”と呼ぶ兵馬が一番。兵馬が言わないつもりであるならば、彼女はそれを勧めたりはしない。

「兵馬さん、私の代わりにお願いいたしますね」 
「母さん……。もう、敵わないですね」 
「うふふ、兵馬さんのその困った顔は本当に可愛いですね。撫でたくなります」 
「良い年の男に可愛いは無いでしょう、それに、撫でたくってもう、勘弁して下さい……。それで、どちらにですか?」

「宜しくお願いしますね」と渡された包みを片手に、丁稚に見送られ兵馬は大通りをのんびりと歩く。
可愛い町娘から色の良い視線を送られても、兵馬の表情はほぼ無表情に違い。だからと言って色男が同じ事をしたって無表情なのだから、兵馬にが立たないのは致し方なく、同じ様にいつまでも噂の一つもないのだからこそ“ああした視線”を送りたくなるのだろう。

兵馬はこの江戸が好きだ。賑やかで、無表情でいても気持ちが明るくなれる。
兵馬は別に無表情でいたい訳でも、感情を表に出さない訳でもない。家で家族といる時は思う様に表に出る事もあるし、笑いもする。
だが、それをしたいと思える相手がにいないだけだった。

川の傍に有る船宿の近くまで来た兵馬は、暖簾を確認する為にちらりと顔を上げる。
ここはおとわが父親庄三郎とたびたび利用していた船宿で、何かあればこうして挨拶に行く事が多い。普段はおとわが用がなくても行くのだから本当にのだろうと暖簾の向こうを恨めしそうに兵馬が見ていた。
店の中では──比較的、と注釈をつける必要があるが──の位置付けで、外では無表情。その差がまた良いなんて言われた兵馬だがこういう時は心底困る。
まさか駿河屋するがやという呉服屋若旦那が無表情で挨拶をするわけにはいかない。
(母さんは……無邪気すぎるんだ。世の母というのは、ああいうものなのだろうか……?)
目を閉じて想像するのは、駿だ。目を開けて口元を緩くした兵馬は雰囲気を一転させその暖簾を潜った。
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