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あこ

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★ bounty 03

past

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アンは不思議な空間にいた。
夢だと思ったけれど、もしかしたら死んだのかも知れないとも思った。
兎に角、不思議な空間にいた。

幼い頃の記憶は“この国”にたどり着いた頃から鮮明になる。
それまでの記憶は、恐怖や不安、憤怒、“幼い子供”が持つには酷すぎる感情と、真っ黒い何かに支配されていた。
思い出せるのは黒く蠢く“大人”たちと、その酷すぎる感情だけである。
この国に来てからも大人は“黒く蠢く”のだと思っていたアンだったけれど、そうではなかった。
アンと母親に親身になり保護してくれた。
特に、教会のシスター達とこの教会へ多額の寄付をしている貴族の夫人は良くしてくれた。
誰でも通える学校に通えた。母はシスターたちと毎朝見送ってくれたのが、当時は少し恥ずかしかった。
心配性の母親に関する“愚痴”を言える友達も出来たのは、その時だ。
この国に来るまでを思えば母の“心配性”も分かる。そして嬉しいというのも本心だ。けれど恥ずかしさも生まれた。が出来るほど、この国はアンにも母親にも平穏をくれた。

ある日、侯爵夫人が教会でチャリティーの演奏会を開いてくれた。
そこで出会ったのがストルだ。
包み込むような柔らかく穏やかな音色。
同じような楽器だと言って彼女が演奏してくれたハープも美しかったが、アンはストルにたちまち魅了された。
夫人が教会にシスターの様子を見に来る時、アンは夫人にストルの事を教えてとねだるようになる。
夫人は少し驚いてから「けれど、触ってみる?」と優しく聞いてくれ、アンは飛び上がるほど喜んだ。
翌日すぐに教会に夫人が馬車で迎えにきてくれた。といっても、迎えにきてくれたのは執事だったけれど。
この侯爵夫人が、アンにストルを触らせる条件として出したのは一つ。何があっても処罰はしないからアンひとりでくる事。であった。
だからアンは一人で夫人に会いに行く事になったのである。

この侯爵家は慈善活動に熱心で有名だ。
現当主の祖父母の時代からそうで、領地では当然、国中で有名であった。
でなければいくらアンが行きたいと言っても、夫人が何があっても処罰はしないなんて言っても、アンの母も、シスターも、そしてアン母子を見守る近所の人も、アン一人でなんで行かせなかっただろう。
つまり、それだけ侯爵家の人たちを彼らが信じているのである。

「じゃあアン、わたくしが持っているから、弦を優しく触ってみなさい」
「はい」

夫人の侍女も見守る中、夫人はアンと向かい合いストルを持っていた。
そしてアンに弦に触れてみなさいと微笑んだ。
この屋敷で夫人が“信頼しこうして傍に控えさせる”侍女二人は、その様子をただ微笑ましくみている。
彼女たちはを知っているのだ。そして夫人以外に使えない事も。
それでも夫人がアンを招待しストルに触れさせようとしているのには首を傾げたが、夫人が平民から音楽家の卵を見つける活動にも熱心なのを知っているのでその一環かなと思い、その疑問を片づけた。しかし──────
「まあ!」
夫人は驚き声を上げ、侍女は声こそ出さなかったが驚き口を開けた。
アンが優しくストルに触れると、柔らかい音がしたのだ。
音楽を奏でると言った意味では“最低の音”だったが、音が鳴る事自体“奇跡”だから驚いて当然である。
「そうよね。そう思ったのよ。アンはストルが使えるのではないかと、思ったのよ」
音がしたと喜ぶアンに、夫人は優しく言う。
「これはね、そうね……今日はここにお泊まりなさい。私と旦那様で、この楽器についてのお話をアンにだけ、特別にしましょう」
「今じゃだめなんですか?」
不思議そうに、純粋な顔で聞くアンに夫人は頷いて
「そうなの。ストルには秘密があるの。だからアンが音を出せたのなら、このストルの持ち主としてちゃんとお話ししなければならないのよ」
「でも、お母さんが心配します」
「ええ、そうね。それは誰かにちゃんと話してもらうわ。帰る時には教会へおやつをお土産にしてちょうだい?どうかしら?」
アンは少し考えて、夫人の膝の上のストルを見つめた。
初めてみた時から魅了された楽器。
どうしてかキラキラ輝いていて、触れたくなった。
いつもだったら絶対にそんなふうに思わないのに、どうしてもあれに触れたいと思ってしまった不思議な楽器。

「アン、わたくしと旦那様のお話し、聞いてくれるかしら?」

アンは大きく頷いた。
こうしてアンはこの侯爵夫人、そして侯爵から、ストルの秘密を教えてもらった。
そしてこの日からアンは、“未来の音楽家になるかもしれない子供”として侯爵邸へ週に数日通うようになる。
アンが平民が無償で通える学校を出るまでは主にストルの扱い方を、卒業後は侯爵邸に“使用人見習い”という名目で毎日通い、午前は名目通り使用人見習いとして細々した手伝いを、午後はストルの他に「あなたはこのストルに選ばれ、ストルを扱うのだから」と夫人、時には夫妻が信用している家臣からもさまざまな事を学んだ。
今はもう使だろうが、アンはマナーも教えてもらっている。すっかり忘れがちだがだったテオと優雅にティータイムだって可能なのだ。
侯爵夫婦、特に夫人は「ストル演奏者となれば、どこに呼ばれるか分かりません。どこに呼ばれても困らないように、自分の身を守る鎧として覚えなければなりません」と決して手を緩めなかった。
アンにとって侯爵夫妻は恩人だ。
彼らのお陰で王都に出てくるまでの間も、困らなかった。
困ったらこれを見せなさいと、指輪を持たせてももらった。アンには“すごい高そう”な事しか判らなかったけれど、この指輪はつまり「この子の後ろにはうちがいますよ」という侯爵がくれた“武器”である。
指輪は一度も活躍しなかったけれど、侯爵夫妻が教えてくれた事は鎧となって守ってくれた。
珍しい楽器を持っていると興味を持たれ、貴族がいる席に呼ばれた事もあれば、話しかけられた事もあった。
しかし侯爵夫妻が熱心に教えてくれたから、アンは確かに身を守れたのだ。

アンはここまでを思い出して、夢の中で泣き出した。
「ナンシー様、ごめんなさい。ごめんなさい」
きっと侯爵夫人ナンシーはアンの事情を聞けば、泣いているアンの肩を撫でて許してくれるだろう。
けれどアンはストルを使いたくなかった。
「壊して、ごめんなさい」
あれは大切な、ナンシーの思い出も詰まったストルなのだ。
膝を抱え、よく分からない場所で泣いているアンの耳に、ひどい音が聞こえ始める。
悲しくてつらくて泣いているのに、なんだか馬鹿にされている気がして、アンはだんだん腹が立ってきた。
「うるさい」
大声を出す元気はなかったから小声だけれど、アンは呟いた。
なのに音は止まない。
死んだからここにいるのか、それとも夢の中で起きなければならないのか、夢の中だったとして現実ではどうなっているのか、何も分からない不安と、ストルにした事に対しての後悔。
塞ぎ込みたいアンの耳に、いつまでも不快な音は届いていた。


さて、どことも分からない空間でうずくまるアンは知らないままでいる、ある話に少しだけ付き合ってほしい。
実は侯爵夫婦そして彼らの子供たち二人の娘で、アンについてのある事について“議論”した事がある。
発端は社交シーズンに王都のタウンハウスに戻った夫妻に、学園寮からタウンハウスに帰ってきた二人の娘が聞いた事であった。
──────ストルが弾ける子の、はしないの?

この国の多くの平民──スラムで生まれ育っていない限り──は、生まれてすぐに“適性検査”を受ける。
これは精霊使いになれるがあるか、とか、魔術師になれるがあるか、とか、そういう検査で産まれて教会へ行くとその場でしてくれるものだ。
適性がないものもいるから、あるからどうとか、ないからどう、という話ではない。建国以来続く行事のようなものだ。
貴族の場合と違い、平民であると可能性すら誰にも気が付かれないまま一生を終える事もある。それを防ごうと言うもので、始めた頃は隣国との諍いが絶えなかったからという悲しい始まりだ。
ただ、ここで適性があると判断されると12歳になる歳にまた検査を受ける。今度はなれるかどうかというもっとはっきりしたものだ。
ここで精霊使いもしくは魔術師になるのがあると判断されると、平民でも王都の学園に通える。しかも無償で。
判断され勉強に励んだ結果、生活に役立つ程度しか使えない、という場合ももちろんある。それは平民でも貴族でも同じだ。
それでも王都の学園に進み、“生活に役立つ程度”でも使えるとなれば選べる職が広がる。
貴族ならば普通でも、平民で学園を卒業したというだけで“はく”がつくのだ。

「ストルを弾けるなんて、絶対に何か持ってるわ!」
「そうよ、お母様。難民であるから受けてないでしょう?受けるべきよ。お父様からもお母様に言ってください」
二人の娘の押しに夫人からの視線を受けて侯爵が言う。
「彼がもし貴族であれば検査を受けさせるべきだろう。けれど彼は平民、しかも難民、国籍をもらった難民だ。彼には後ろ盾がない。うちがなればいいだろう、と言う問題ではないのだよ。わかるかい?」
娘達は首をかしげる。その顔には「うちがなれば良いじゃない」と書いてあった。
「ストルが認めた彼がもし、精霊使いか魔術師適性があるとなれば、彼を守るにはうちの後ろ盾では足りないんだよ」
「そんなことはないでしょう?それに勿体無いわ!だってお母様は」
「聞きなさい」
侯爵は、娘がまだ話している途中で口を挟む。
「彼がナタリー、お前達の母親のように王家でもそうそう手の出せない家に生まれでもすれば良いかもしれない。けれどね、もし彼がナタリーのようだからストルが弾けるのであれば、彼はどうなってしまうと思う?」
娘二人は顔を見合わせてゴクリ、と息を呑んだ。
ストル奏者の母親ナタリーの“才能”は二人の娘もよく知っている。母親の生家があったから“平凡”な侯爵夫人になれた事も。
自分達にもその才能が受け継がれているのではないかと、12歳になるまで非常に大変だった事も。
「ストルが弾けると言うだけで彼はこの先“目立って”しまうだろう。けれどそれくらいなら、ナタリーの名前が守ってくれる。けれどもし、ナタリーと同様のものを持っていたら、私たちでは守れないんだよ。ありがたい事に、ナタリーがストルを弾けるのと、ナタリーの才能がイコールではない事はナタリー自身が証明してくれた。いいのか悪いのか、お前たちもその一端を担っている」
「たしかに、わたくしとお姉様を調べれば、わかるわね」
「そうよね。わたくしたち、ストルは扱えないもの。でもお母様はどうして?」
「ふふ、あれは証明したと言うよりも、というけれどね。だってわたくし以外のストル奏者が現れてほしい。もしそうなった時のために、それこれは別、とでしょう?わたくし、ストルを愛しているんですもの」
困ったように笑う父親と、嬉しそうに笑う母親を交互に見た二人は少し考えて笑顔を作った。
「そうね。わたくしもストル奏者がいなくなるのは寂しいわ」
「お姉様に賛成するわ」
そしてパッと話題を変える。
「それよりもお母様、わたくしたちが領地に行ったら、絶対にその子を紹介してくださいませ!」
「ええ、紹介しますよ。とても可愛らしい子ですよ。二人からすると弟のように思えるでしょうね」
「名前はアンでしょう?」
「そうですよ」
「顔は?どんな感じですの?」
「そうですねえ。とても可愛らしいわ。ね、あなた」
「確かに、最初は女の子かと思ったよ」
「まあ!楽しみ!」

こんなふうに話す人はやはり、アンを慰めはしても怒りはしないだろう。
きっと天国で大丈夫よと笑っているはずだ。
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