彼者誰時に溺れる

あこ

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high school education

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痛い、とかなでは真っ赤な掌を見つめた。
リノリウムの床から右の掌も離す。
そちらの掌も真っ赤だ。
空き教室の窓はカーテンもドアもしっかり閉まっていて、奏のいる教室内の様子を廊下から伺う事は不可能である。
尤も、素行の悪い連中が良く利用するこの空き教室に近づく生徒は勿論、教職員ですら殆どいないんだけれど。
「痛いな……」
奏がもう一度ぽつりと呟く。
奏は汚れたブレザーの埃を床に座ったまま手ではたき落とす。自分を取り囲む生徒達の事なんて全く目に入っていない。
ブレザーを叩くその左の手の薬指には、くるりと肌色のなんの変哲も無い絆創膏が巻きついている。
その絆創膏を視界に入れた途端溜息をついた奏の、視線の先にあるのは上級生なのか同級生かもしれない数人の男子生徒の足。けれど絆創膏から移動した奏の視線は、彼らを通り越してその向こうにある学生らしい鞄と中に入っていた教科書のだ。
それを奏が寂しそうに見つめる。
「おい」
その奏に彼を見下ろしていた生徒の一人が声をかけた。
「可愛い顔してるからって、ヒトの彼女に手、だしたらだ駄目だろォ?」
にやにや、と笑う生徒──どうやら彼がこの奏を囲む生徒達のらしい──の後ろにはその“彼女”が立っている。
いかにもな彼らにの女子生徒だ。
奏はそんな声も無視し、立ち上がるとスラックスについた埃を払いだす。
「てめぇ、無視してんじゃねぇよ」
の隣の生徒が無駄に声を張り上げ、奏の髪を掴み上げた。
「なんとか言えねぇの?その口はさ、飾りか何かか?」
ぎり、と髪を掴む生徒の手に力が入る。奏は大きく息を吐いて口を開いた。
「あのさ、ぼくね、二日前に入学したばっかり」
「だからなんだってんだよ!」
「惚れっぽいタイプじゃ無いし、その、偉そうにしてるヒトの彼女?そっちからぼくに『可愛い、ね、どう?遊んでみない?可愛いなあ』って言ってきたんだけど」
「ああ?マナが嘘つくってのか!?」
今度は“リーダー”が怒鳴ると、と呼ばれた彼女はその声にピクリと肩を震わせた。
「知らないよ。その人が嘘つきかどうかなんて。ぼく、そういうの見抜くの得意じゃない」
「マナは嘘つかねぇよ!男ならてめぇ、よ!」
髪の毛を掴まれているのにもかかわらず淡々と離す奏は、制服のブレザーの内ポケットで鳴り続けるスマートフォンを取り出す。
「おいてめぇ!何してやがんだよ!」
「あ」
完全に無視し行動する奏に腹が立った“リーダー”が奏の手を叩けば、奏の手から離れスマートフォンが飛んでいく。液晶画面が教室の隅にまとめられてた机の角に叩きつけられた音が響いた。
「あーあー」
がっくりと肩を落とす奏の周囲を取り囲む生徒達の嘲笑う声。奏はいつの間にか髪の毛から手が離れている事に気がつき、鳴り続けるスマートフォンを取る。なんとか通話出来そうでホッとした様子で耳に当てた。
「りゅー……あれ?浅倉さん?ん、そう、二日目!帰り?うん、もう帰る。迎えにきてくれるの?やったー!」
さっきまでの何も読めない表情が掻き消えた、奏の“本当の顔”に教室内の生徒達から嘲笑っていた声が消える。
「うん、わかった、待ってる!ごはん?ほんと?嬉しい」
液晶の壊れたスマートフォンを気にする様子もなく再び内ポケットに戻し、奏は鞄が転がってるところまで歩いた。
暫く教科書の残骸を眺めていたが、奏はそれを纏めて全てゴミ箱に詰め込んだ。鞄だけ持ち「よし」と言った声で教室内の生徒達もはっとし、素早く一人が奏の腕を掴む。
「なに?」
また元どおりの顔。
「なに?じゃねぇよ!まだ話は終わってねぇだろうが!」
ゴツ、と奏の頬に衝撃が走った。華奢な背中が黒板に叩きつけられる。
「いって……あ、切れた……痛い」
奏は口を開け、舌を出す。そのまま口の端、切れて血が流れるそこを舐める。
ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。
奏は舐めたそこを人差し指でなぞり、ここのリーダー的な生徒に視線を合わせる。
「っと、無駄に色気を振りまかない。お年頃のオトコノコには過激だからそこまでって──────おいおい、カナちゃん、なにその、ほっぺた」
ガラリと教室後ろの扉が開く。全員の視線の向こう、扉から顔を出したのは、白のワイシャツとそのシャツのポケットに適当に突っ込まれたネクタイ、それと反して折り目綺麗な黒のスラックスを着たみたいに笑う、浅倉重人。
「あ、浅倉さん!あれ?無断侵入?」
「いや、一応許可とったんだな、これが。おじちゃん、“真面目”なもんだから。それにしてもほっぺた、どうしたの、それ」
「うん、これ、叩かれた」
と叩いた生徒を指差し奏は笑う。
突然の大人の乱入、そしてなにも気にせず報告した奏にの慌てはハンパない。
それを目にした重人は完全に呆れ返った顔で首を振った。中途半端な粋がり方に、重人は首を振る以外に思いつかなかったようだ。
「あーあ、君たちねえ、大人の登場にビビるならイジメたらダメだろー。、最近の若い子は。あーあ、にしてもこりゃ、カナちゃん……まずいわ。俺はやだぞー、報告したくないなー」
「んー、平気」
言ってトテトテと奏は重人の前に立つと、教室内の生徒達に満面の笑みを向けた。

「この先輩たちね、男なら、責任持つってポリシーで生きてるんだって。だから、いつかね、このほっぺたの責任持ってもらうんだ」

頬を保冷剤で冷やしている奏はハッとした顔をあげ、次いで玄関から人が入ってくる音に立ち上がる。
重人はピザを口に咥えたまま、奏が玄関にドタドタと突き進む姿を見送り、ビールを冷蔵庫から出すように奏の護衛の為にいる男に指を冷蔵庫へ向けた。
男がそれに頷き、冷蔵庫からビールを出しテーブルに置いた途端玄関で大音声だ。

「りゅーじさんの、ばか!最悪、高校なんてもーやだ!」
「はあ?うるせぇな。こっちは今、疲れてんだよ、クソガキ!」
「ばか、ばか、龍二さんのばか!」
「バカしか言えないのかよ、うるせえ。クソガキのバカバカ聞くなら帰ってこなきゃ良かっ──────飛びつくなよ、奏」
って言った?」
「ああ」
「んー、の?ここに?の?」
「そうだよ」
「りゅーじさん、だっこ」
「知るか」

どうやら廊下で“だっこ要請”は却下されたらしく、龍二が先にリビングに現れ、不満タラタラの奏が続いて入ってくる。
奏の手指はピザのせいで油っぽかったが、流石は奏。そんな事はお構いなしに飛びついたりなんだりしたのだろう。龍二のスーツは所々油で残念な事になっていた。
「よ!」
「浅倉ァ、お前は本当に奏にロクなもん与えねぇな」
「お年頃の子供はみーんなこれが好きじゃねぇか。あ、俺も好きなんだけどね。俺たち趣味が合うだよ。な?カーナちゃん」
「うん!」
へろん、と不満顔を追い払った奏は重人の隣にちょこんと座り、ピザに手を伸ばす。
それに龍二が大きな舌打ちを送ると、くるりと振り返った奏は椅子の背もたれを掴み体を安定させ、少しトマトソースの付いた保冷剤を龍二に投げつける。勿論この男、簡単に受け止めた。
重人が「ぶふ」と笑いを漏らし、この先を想像し不憫に思ったのか、護衛の男に出て行けよと目で合図し助けてやる。男は頭を下げそそくさと出て行った。
「保冷剤?」
横切った男に軽く手を挙げ、しかし眉間に皺を寄せたままの龍二が奏を見るが、奏はすでに龍二に背を向けピザにかぶりついている。
「知らない。りゅーじさんがだっこしてくれたら言う」
「浅倉」
「おじさん板挟み?可愛いカナちゃんと恐ろしいお友達との板挟みかあ。嫌だなあ」
「おい、浅倉重人。てめぇこのあいだの“アレ”を」
「ごめんね、カナちゃん、おじちゃんちょっと弱みを握られてるみたいだわ」
「ちぇ。龍二さんに抱っこしてもらえると思ったのに」
ならもういいや、と奏は片手にコーラもう片手にピザの姿勢で、ビール二本持って立ち上がった重人に「これみんな俺食べていい?」と聞く。重人が頷けばやったと小さな声が龍二の耳にも届き、眉間に一層のシワがよる。
大人二人が向かい合って奏の後ろ、ソファに座った。
奏は気にする様子も全くなく、黙々とピザを減らして行く。龍二が止める前に食べれるだけ食べてやると言う姿勢がありありと見えて、龍二は首を振り長息を吐いた。
「奏」
「やだ」
「誰もとりゃしねぇよ。もっとゆっくり食え。取り上げねぇから」
後ろ二人の会話を聞いていない奏の椅子から下ろした足は揺れ動く。ピザを取られないと知って取り敢えずのところとはいえ、機嫌が良くなってきたらしい。
それに対して奏の後ろの雰囲気は悪くなっていた。
それは当然、弱みを握られている重人が全て話しているからで

「──────ほぉ」
「ま、でもさ、ガキのイジメだしさあ?カナちゃんこたえてもなかったし怖がっても──────カナちゃん、怖かった?」
「え?あれ?好きになるまでの龍二さんのほーが怖かったよ。B級ホラーも飛んで逃げるびっくりな怖さ!」
「比較がらしいから、様子見てやったらどうだい?と、優しいおじさんは提案するね。お前が今出てってみろよぉ、前途ある高校生数人が前途どころか命も危険だろう?」
「俺は行きたくないって行ったのに、龍二さんが高校行けって行かせようとしてるんだからね?高校生のよくないよー」

奏は高校に行く気なんてさらさらなかった。
恐ろしい事に、たった12歳で龍二に買われた彼は龍二を愛してから“龍二以外”は別にどうでも良くなってしまったから、高校へ行く時間があるなら気ままに龍二の帰りを与えられているマンションで──まあ彼は気ままだから、大人しく毎日そこにいるとは思えないけれど──待っていたかった。なのに龍二が強引に──奏のやる気のない学力をかなりして──今の高校を受験させたのだ。
だから重人の「相手はガキなんだから、ヤクザさんが出て行ったらマズイでしょーが。大人になろうぜ」と奏の「龍二さんが好きだから、俺、受験したんだよ?辞めていいなら、いじめっ子好きにすればいいよ」に龍二は珍しく負けた。
珍しく完敗である。
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