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第1章
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春を待って王都から帰ってきた二人の諜報員は、それまでにまとめてきた事を書類としてヴェヒテに渡す。ヴェヒテはそれを受け取ると共に長期休暇と特別手当を強引に受け取らせた。
彼らは王都で活動している中でまた行かなければならなくなると感じていたし、蜻蛉返りする算段もつけていた。
しかしヴェヒテは事が大きくなる可能性があるからこそ今は休んでほしいと言い、彼らを下がらせたのである。
報告書は膨大。
関係者で手分けをして読み始めたのはその日の夜。
司祭も駆けつけてくれ、教会の部分は彼の手元に回った。
教会はこの“婚約破棄事件”──────つまり加護喪失事件により加護を喪失した貴族からの相談を受ける代わりに金品を受け取り、またそれに応じて『加護を失っていない』と証明書を発行していると言う。
前代未聞の事件にあちこちで噂が流れている様だが、その一つが『エングブロム公爵家の三男ハイル・ロルフ・アスペルが死んだ』事が原因だと言うものがあるようだ。報告書にもその事が多く記載されていた。
この件に対し公爵家は「呪われていると言われていた我が子を、我々は他の子同様に慈しんで育ててきた。悪魔と言われていた子が死んで精霊が喜ぶ事があっても、このような事をするとは思えない」と“毅然とした”態度で言っていると報告書には書いてある。
これには長女の婚約者第二王子だけではなく王族も足並みを揃えており、それもそうだと同調している貴族平民も多く、彼らからの支持は問題なく得ている様だ。
エングブロム公爵家と王族の意見に対し教会は沈黙を守っている様で、この辺りで何か起きるのではないかと報告書に書かれていた。
本当の原因を知る関係者だが、真実を告げる事は難しいとやはり静観の構えで意見は一致している。
今真実を告げれば間違いなく『呪われたエングブロム公爵家の三男』から『精霊王の愛し子エングブロム公爵家の三男』になり、ある意味今までよりも酷い目にあうだろう。
愛し子のハイルを、今の国王が見守るなんてヴェヒテは到底考えない。確実に利用する。
金のなる木だ。他国への牽制くらいならばまだまし。ハイルを人質に精霊王と取引するくらいはやりかねない。それが今の国王たる男だ。
しかしこのまま混乱が起きれば辺境地は平和のままでいられない事もヴェヒテは感じていた。
シュピーラドが何かのアクションを起こす基準は基本的にハイルの存在だろう。しかし彼はそれでも精霊王。精霊にとって、と頭に着いたとしても彼は国王である。だから“理性”で行動をするとヴェヒテは信じている。
しかし精霊たちはそうではない。愛し子が虐げられたと憤り、加護を取り止めているのだ。彼らを精霊王が止めないというのであれば、きっとまだこれは続く。
王都から徐々にこの事件は広がっていくだろう。
だが、愛し子を保護し愛情を持って接した、ハイルが好きだと言う辺境地。シュピーラドが愛するハイルがいる辺境地はどうだろう。
──────ここ辺境地はきっと“加護喪失事件”の被害を受ける事がない。
これは誰も言わなかったが、辺境地の関係者たる誰もがそう確信に近い様なもので感じている。
それが事実になり、この国をその情報が駆け巡ったら。きっとここには他の領地の領民が押し寄せる。もしかしたら難癖をふっかけ他の貴族が辺境地を取り上げようとするかもしれない。
いや、国王直々にここを取り上げる可能性だって生まれるのだ。
戦になっても負ける事はない。それだけ兵士を騎士を、そして領民を鍛えたと言う自負がある。
だがそうではない領民が来たらどうしたらいいだろうか。
ヴェヒテは痛む頭をそっと撫でた。
随分前、新しく街を作ろうと言う計画があったが領民の人数を思い棚上げしていた。
ヴェヒテはその計画を再開する事に決めた。
家臣のひとりがこれに熱心で、豊富な資源があり魔獣討伐で素材を得て稼いだり採掘系の依頼をこなすハンターの多くが通るという開けた場所に街を作りたいと、しっかりとした計画書を持ってきていたのだ。
主だった家臣との会議の結果、この計画は進めてみるべきではと一時はなったのだが、この話が出た当時──とはいえ、それほど昔の事ではないのだけれど──は辺境地の領民の人数に対してそこに街を作るべきなのかと言う疑問もあり結局お蔵入りしていた。そういう計画だ。
計画をしていた家臣は、ギルドや宿、飲食店、ギルドが買い取った素材を使用して道具等を作る工房を誘致しようという事であった。
家臣の男は、ヴァールストレーム辺境伯爵領は医療体制に優れている事がハンターたちの「ここを拠点にして活動したい」という評価に直結していると言い、だからこそハンターが怪我をした際に優秀な医師から治療を受けられるとあれば必ず集まるだろうと思っていた。その上街の治安を守るために兵士を派遣し彼らの意識向上──自分達が守るべきものが、ここの領民であると言うそれを再認識させたいのだと言う──、工房が大きくなれば優秀な職人が増え領地も豊かになり人も増える。
これを計画した男はこれらを実現するだけの能力はあった。少しだけ押しが強すぎるというのがたまにキズだが、それを抜きにしても良い統治者になるだろう。
ヴェヒテは万一の事態を想定し、男を呼んだ。
突然呼ばれた家臣の彼は計画を再開すると言われ驚き、綿密に練り直し、関係各所と話を詰め、確実に出来る様に進める様にと言われ喜んだ。
彼に補佐官として人当たりが柔らかくフォローに長けた人間を二人ほどつけた上で、彼らに任せた。
これで多少の間はなんとかなるだろう。あとは街を作るための労働者を募る前に、他の領地から領民がここへ押し寄せない事を祈るだけだ。
他の領地から領民が押し寄せてきたら、彼らが街を作る労働者になる。だからこそそれまでは押し寄せないでほしいと、ヴェヒテは思っている。
その頃王都の教会では、加護があるという偽りの証明書を発行する事で得た財で高官の懐が実に重く、暖かくなっていた。
原因究明をしているといえば王家からも支援金が出たし、寄付も届く。
しかし彼らは原因究明なんてしていなかった。
今までも加護を失ったと教会へ駆け込んできた人間はいた。しかし彼らはだからと言って不幸になったわけでも、呪い殺されてもいない。
何も問題ないのなら、問題はない。
原因を探すなんて面倒な事をする必要性を感じないし、原因を究明していると言うだけで金が入ってくるのだ。
こんなに“うまい話”はないだろう。
そもそも加護がなくなったかどうかなんて、自己申告。あるかないかを調べる事は今の教会にある道具では出来ない。そんな道具があるのすら教会は把握していない。
だから教会は調べたふりで「失っている」と相談者の背中を押してやり、失っていないと言う偽の証明書を発行している。
加護を失うと他の人間に告白する事は「私は欠陥人間です」と言っている様なもの。自分から冗談で「失った」と言う人間はこの国にいない。
だからふりでいい。自ら「欠陥」を告白するほどに、加護を失い困っている人間が相手なのだから。
加護なしが呪われているといえば“加護がないもの”、つまり“加護を失ったもの”さえ呪われている事になりかねないと思うだろうと言う考えから、大々的に呪われていると言ったのだ。
そこにきてハイルは実に良い宣伝になった。実際に加護がないものが生まれたのだから。
これを逃すまいと教会はエングブロム公爵家の事を利用し、
──────加護を与えられなかったものは、呪われた悪魔の子である。
──────しかし殺せば悪魔に呪い殺され、国が破滅するであろう。
教会と通じている貴族も多い。国王を頷かせる方法はいくつもある。だから王家も同意しているとも聞こえるように発表したのだ。
教会は別にハイルが加護なしだから呪われているとも思っていない。
ただ宣伝に使ったのだ。
これによって今まで以上に“加護を失った”人間は怯える様になった。
加護を失った人間も、加護なしと同じで加護がない事に変わりはない。
加護を失った人間はますますひっそりと教会に訪れ相談する様になった。
教会はそれを秘密にする代わりに口止め料を受け取り、こうやって言うのだ。
「加護がないと疑われた時は、教会がきちんとそれを封じる様に手助けしましょう」
万が一加護がないのではないかと言われた時、万が一加護を付与出来ないのかと指摘された時、そういう“加護なし”と疑われた時、教会が出ていき彼らが加護を使えないわけではないと多くがなるほどと思う様に言いくるめるのだ。
その度にまた口止め料も入る。
実に美味しいビジネスであった。
そのビジネスがいままさに“掻き入れ時”。
逃す手はないと、内部がすっかり腐敗した教会はこれに乗じて金を稼いだ。
どうせ誰にも気が付かれないとたかを括って。
同じ様に王家もこれに乗ったのには理由がある。
教会に取り込まれていた貴族の後押しがあったからだけで、教会に同調したからではない。そうしたフリをしただけだった。
やろうと思えば教会の頭をすげ替える事だって、やれない話ではない。実行し恐怖の元であったとしてもそれをやりきるのが今の王家だ。
しかし放置しているのはそれも都合がいいと王家が思っていたからにすぎない。こと、ハイルが生まれてからは。
実は王家は──────いや、今の国王はエングブロム公爵家に王家の人間を送り込む機会を狙っていたのだ。
ここの長男は侯爵家の一人娘と懇意で、異例ながらそこへ婿入りが決まっていた。
次男はそれよりも早くに別の侯爵家と婚約をし、婿入りが決まっている。
長女が第二王子に惚れ込んでいるのは知っていた。とにかく頭が軽くて馬鹿な長女だ。
この馬鹿な長女と第二王子が婚姻し、王家がこのエングブロム公爵家の舵を取ろうと言う狙いが生まれた。
御誂え向きに三男は加護なし。
呪われた子だと教会に合わせて発表すれば、この三男が公爵家を継ぐ事もなくなる。
第二王子もこれに乗り気で、うるさく馬鹿な長女は上手にお飾りに、お気に入りを愛人にするのだと家族のいる前では得意げに語っているほどだ。
さて、教会、王族、とくればエングブロム公爵家もだろう。
呪われたと言われた途端、ハイルを虐待し続けたこの一家だ。
ハイルを捨ててから時期を見て、ハイルが死んだと発表した。
これは王家も噛んでいる。
そもそも、第二王子をはじめ王族も、そしてきっと教会も。ハイルが虐待されていた事も、他の人間にハイルだと紹介したのが替え玉であった事も知っていた。
エングブロム公爵家の名声を高めるためにハイルには生きてもらわなければいけない。けれど呪われた子を大切にする気持ちはない。
そこで替え玉を用意し、彼をハイルだと偽った。
ハイルを殺して呪われるとは思っていなかった彼らだが、エングブロム前公爵がそう言う事を非常に信じる方で殺す事を決して許さなかったのだ。
これがなければハイルはとっくに死んでいただろう。
いまだに社交界に影響力があるエングブロム前公爵の意見を無視するには、今の公爵は頭が足りなすぎた。
だから嫌々ながら生かし、生かすならとサンドバッグにしたのだ。
そしてようやく目の上のたんこぶ──────エングブロム前公爵が死に、ハイルを捨てるという流れになった。
最後まで“有効活用”するために、ハイルの死を嘆き悲しむふりをし領地に引き篭もり平民からの評価も上げる。
王家もその家族愛に心打たれたと言う建前と、よりバカで頭に花の咲いたような長女を第二王子に依存させるべく、その“芝居”に乗った。
全員が全員、ハイルという人間を使いに使い倒し、金を儲け、名声を高め。野心を叶えるダシにしたのだ。
シュピーラドはここまでを知っても何もしない。
自分のせいでもあると深く後悔し傷ついているから。
けれども愛し子をこんなくだらない理由で傷つけられたと知った精霊は違う。
彼らはシュピーラドのように理性的に行動しようなんて、決して思わなかった。
ある日、王都の一番の教会の前に、ひとつの死体が落ちた。
時間は礼拝を終えた貴族が教会から帰路に着く一番多い時間。教会の扉と、馬車が止まっている間の開けたところだ。
死体の彼の顔はまるで生きているかの様に美しくそのままで、ブロンドの髪が風に靡いている。
目は恐ろしいものを見たかの様に見開かれており、その真っ青な目が光を浴びていた。
けれど首から下はまるで、炎に焼かれ凍傷で一部を欠損し何かに貫かれた様に穴も空いており、直視出来ないあり様だ。
通りに出ていた平民もこの恐ろしい死体を目撃し、悲鳴が広がる。
そして同時に“彼”の名前がさざなみの様に広がっていった。
誰かが言ったのだ。
この死体は、彼は、エングブロム公爵家ハイル・ロルフ・アスペル、呪われたエングブロム公爵家の三男だ。と。
彼らは王都で活動している中でまた行かなければならなくなると感じていたし、蜻蛉返りする算段もつけていた。
しかしヴェヒテは事が大きくなる可能性があるからこそ今は休んでほしいと言い、彼らを下がらせたのである。
報告書は膨大。
関係者で手分けをして読み始めたのはその日の夜。
司祭も駆けつけてくれ、教会の部分は彼の手元に回った。
教会はこの“婚約破棄事件”──────つまり加護喪失事件により加護を喪失した貴族からの相談を受ける代わりに金品を受け取り、またそれに応じて『加護を失っていない』と証明書を発行していると言う。
前代未聞の事件にあちこちで噂が流れている様だが、その一つが『エングブロム公爵家の三男ハイル・ロルフ・アスペルが死んだ』事が原因だと言うものがあるようだ。報告書にもその事が多く記載されていた。
この件に対し公爵家は「呪われていると言われていた我が子を、我々は他の子同様に慈しんで育ててきた。悪魔と言われていた子が死んで精霊が喜ぶ事があっても、このような事をするとは思えない」と“毅然とした”態度で言っていると報告書には書いてある。
これには長女の婚約者第二王子だけではなく王族も足並みを揃えており、それもそうだと同調している貴族平民も多く、彼らからの支持は問題なく得ている様だ。
エングブロム公爵家と王族の意見に対し教会は沈黙を守っている様で、この辺りで何か起きるのではないかと報告書に書かれていた。
本当の原因を知る関係者だが、真実を告げる事は難しいとやはり静観の構えで意見は一致している。
今真実を告げれば間違いなく『呪われたエングブロム公爵家の三男』から『精霊王の愛し子エングブロム公爵家の三男』になり、ある意味今までよりも酷い目にあうだろう。
愛し子のハイルを、今の国王が見守るなんてヴェヒテは到底考えない。確実に利用する。
金のなる木だ。他国への牽制くらいならばまだまし。ハイルを人質に精霊王と取引するくらいはやりかねない。それが今の国王たる男だ。
しかしこのまま混乱が起きれば辺境地は平和のままでいられない事もヴェヒテは感じていた。
シュピーラドが何かのアクションを起こす基準は基本的にハイルの存在だろう。しかし彼はそれでも精霊王。精霊にとって、と頭に着いたとしても彼は国王である。だから“理性”で行動をするとヴェヒテは信じている。
しかし精霊たちはそうではない。愛し子が虐げられたと憤り、加護を取り止めているのだ。彼らを精霊王が止めないというのであれば、きっとまだこれは続く。
王都から徐々にこの事件は広がっていくだろう。
だが、愛し子を保護し愛情を持って接した、ハイルが好きだと言う辺境地。シュピーラドが愛するハイルがいる辺境地はどうだろう。
──────ここ辺境地はきっと“加護喪失事件”の被害を受ける事がない。
これは誰も言わなかったが、辺境地の関係者たる誰もがそう確信に近い様なもので感じている。
それが事実になり、この国をその情報が駆け巡ったら。きっとここには他の領地の領民が押し寄せる。もしかしたら難癖をふっかけ他の貴族が辺境地を取り上げようとするかもしれない。
いや、国王直々にここを取り上げる可能性だって生まれるのだ。
戦になっても負ける事はない。それだけ兵士を騎士を、そして領民を鍛えたと言う自負がある。
だがそうではない領民が来たらどうしたらいいだろうか。
ヴェヒテは痛む頭をそっと撫でた。
随分前、新しく街を作ろうと言う計画があったが領民の人数を思い棚上げしていた。
ヴェヒテはその計画を再開する事に決めた。
家臣のひとりがこれに熱心で、豊富な資源があり魔獣討伐で素材を得て稼いだり採掘系の依頼をこなすハンターの多くが通るという開けた場所に街を作りたいと、しっかりとした計画書を持ってきていたのだ。
主だった家臣との会議の結果、この計画は進めてみるべきではと一時はなったのだが、この話が出た当時──とはいえ、それほど昔の事ではないのだけれど──は辺境地の領民の人数に対してそこに街を作るべきなのかと言う疑問もあり結局お蔵入りしていた。そういう計画だ。
計画をしていた家臣は、ギルドや宿、飲食店、ギルドが買い取った素材を使用して道具等を作る工房を誘致しようという事であった。
家臣の男は、ヴァールストレーム辺境伯爵領は医療体制に優れている事がハンターたちの「ここを拠点にして活動したい」という評価に直結していると言い、だからこそハンターが怪我をした際に優秀な医師から治療を受けられるとあれば必ず集まるだろうと思っていた。その上街の治安を守るために兵士を派遣し彼らの意識向上──自分達が守るべきものが、ここの領民であると言うそれを再認識させたいのだと言う──、工房が大きくなれば優秀な職人が増え領地も豊かになり人も増える。
これを計画した男はこれらを実現するだけの能力はあった。少しだけ押しが強すぎるというのがたまにキズだが、それを抜きにしても良い統治者になるだろう。
ヴェヒテは万一の事態を想定し、男を呼んだ。
突然呼ばれた家臣の彼は計画を再開すると言われ驚き、綿密に練り直し、関係各所と話を詰め、確実に出来る様に進める様にと言われ喜んだ。
彼に補佐官として人当たりが柔らかくフォローに長けた人間を二人ほどつけた上で、彼らに任せた。
これで多少の間はなんとかなるだろう。あとは街を作るための労働者を募る前に、他の領地から領民がここへ押し寄せない事を祈るだけだ。
他の領地から領民が押し寄せてきたら、彼らが街を作る労働者になる。だからこそそれまでは押し寄せないでほしいと、ヴェヒテは思っている。
その頃王都の教会では、加護があるという偽りの証明書を発行する事で得た財で高官の懐が実に重く、暖かくなっていた。
原因究明をしているといえば王家からも支援金が出たし、寄付も届く。
しかし彼らは原因究明なんてしていなかった。
今までも加護を失ったと教会へ駆け込んできた人間はいた。しかし彼らはだからと言って不幸になったわけでも、呪い殺されてもいない。
何も問題ないのなら、問題はない。
原因を探すなんて面倒な事をする必要性を感じないし、原因を究明していると言うだけで金が入ってくるのだ。
こんなに“うまい話”はないだろう。
そもそも加護がなくなったかどうかなんて、自己申告。あるかないかを調べる事は今の教会にある道具では出来ない。そんな道具があるのすら教会は把握していない。
だから教会は調べたふりで「失っている」と相談者の背中を押してやり、失っていないと言う偽の証明書を発行している。
加護を失うと他の人間に告白する事は「私は欠陥人間です」と言っている様なもの。自分から冗談で「失った」と言う人間はこの国にいない。
だからふりでいい。自ら「欠陥」を告白するほどに、加護を失い困っている人間が相手なのだから。
加護なしが呪われているといえば“加護がないもの”、つまり“加護を失ったもの”さえ呪われている事になりかねないと思うだろうと言う考えから、大々的に呪われていると言ったのだ。
そこにきてハイルは実に良い宣伝になった。実際に加護がないものが生まれたのだから。
これを逃すまいと教会はエングブロム公爵家の事を利用し、
──────加護を与えられなかったものは、呪われた悪魔の子である。
──────しかし殺せば悪魔に呪い殺され、国が破滅するであろう。
教会と通じている貴族も多い。国王を頷かせる方法はいくつもある。だから王家も同意しているとも聞こえるように発表したのだ。
教会は別にハイルが加護なしだから呪われているとも思っていない。
ただ宣伝に使ったのだ。
これによって今まで以上に“加護を失った”人間は怯える様になった。
加護を失った人間も、加護なしと同じで加護がない事に変わりはない。
加護を失った人間はますますひっそりと教会に訪れ相談する様になった。
教会はそれを秘密にする代わりに口止め料を受け取り、こうやって言うのだ。
「加護がないと疑われた時は、教会がきちんとそれを封じる様に手助けしましょう」
万が一加護がないのではないかと言われた時、万が一加護を付与出来ないのかと指摘された時、そういう“加護なし”と疑われた時、教会が出ていき彼らが加護を使えないわけではないと多くがなるほどと思う様に言いくるめるのだ。
その度にまた口止め料も入る。
実に美味しいビジネスであった。
そのビジネスがいままさに“掻き入れ時”。
逃す手はないと、内部がすっかり腐敗した教会はこれに乗じて金を稼いだ。
どうせ誰にも気が付かれないとたかを括って。
同じ様に王家もこれに乗ったのには理由がある。
教会に取り込まれていた貴族の後押しがあったからだけで、教会に同調したからではない。そうしたフリをしただけだった。
やろうと思えば教会の頭をすげ替える事だって、やれない話ではない。実行し恐怖の元であったとしてもそれをやりきるのが今の王家だ。
しかし放置しているのはそれも都合がいいと王家が思っていたからにすぎない。こと、ハイルが生まれてからは。
実は王家は──────いや、今の国王はエングブロム公爵家に王家の人間を送り込む機会を狙っていたのだ。
ここの長男は侯爵家の一人娘と懇意で、異例ながらそこへ婿入りが決まっていた。
次男はそれよりも早くに別の侯爵家と婚約をし、婿入りが決まっている。
長女が第二王子に惚れ込んでいるのは知っていた。とにかく頭が軽くて馬鹿な長女だ。
この馬鹿な長女と第二王子が婚姻し、王家がこのエングブロム公爵家の舵を取ろうと言う狙いが生まれた。
御誂え向きに三男は加護なし。
呪われた子だと教会に合わせて発表すれば、この三男が公爵家を継ぐ事もなくなる。
第二王子もこれに乗り気で、うるさく馬鹿な長女は上手にお飾りに、お気に入りを愛人にするのだと家族のいる前では得意げに語っているほどだ。
さて、教会、王族、とくればエングブロム公爵家もだろう。
呪われたと言われた途端、ハイルを虐待し続けたこの一家だ。
ハイルを捨ててから時期を見て、ハイルが死んだと発表した。
これは王家も噛んでいる。
そもそも、第二王子をはじめ王族も、そしてきっと教会も。ハイルが虐待されていた事も、他の人間にハイルだと紹介したのが替え玉であった事も知っていた。
エングブロム公爵家の名声を高めるためにハイルには生きてもらわなければいけない。けれど呪われた子を大切にする気持ちはない。
そこで替え玉を用意し、彼をハイルだと偽った。
ハイルを殺して呪われるとは思っていなかった彼らだが、エングブロム前公爵がそう言う事を非常に信じる方で殺す事を決して許さなかったのだ。
これがなければハイルはとっくに死んでいただろう。
いまだに社交界に影響力があるエングブロム前公爵の意見を無視するには、今の公爵は頭が足りなすぎた。
だから嫌々ながら生かし、生かすならとサンドバッグにしたのだ。
そしてようやく目の上のたんこぶ──────エングブロム前公爵が死に、ハイルを捨てるという流れになった。
最後まで“有効活用”するために、ハイルの死を嘆き悲しむふりをし領地に引き篭もり平民からの評価も上げる。
王家もその家族愛に心打たれたと言う建前と、よりバカで頭に花の咲いたような長女を第二王子に依存させるべく、その“芝居”に乗った。
全員が全員、ハイルという人間を使いに使い倒し、金を儲け、名声を高め。野心を叶えるダシにしたのだ。
シュピーラドはここまでを知っても何もしない。
自分のせいでもあると深く後悔し傷ついているから。
けれども愛し子をこんなくだらない理由で傷つけられたと知った精霊は違う。
彼らはシュピーラドのように理性的に行動しようなんて、決して思わなかった。
ある日、王都の一番の教会の前に、ひとつの死体が落ちた。
時間は礼拝を終えた貴族が教会から帰路に着く一番多い時間。教会の扉と、馬車が止まっている間の開けたところだ。
死体の彼の顔はまるで生きているかの様に美しくそのままで、ブロンドの髪が風に靡いている。
目は恐ろしいものを見たかの様に見開かれており、その真っ青な目が光を浴びていた。
けれど首から下はまるで、炎に焼かれ凍傷で一部を欠損し何かに貫かれた様に穴も空いており、直視出来ないあり様だ。
通りに出ていた平民もこの恐ろしい死体を目撃し、悲鳴が広がる。
そして同時に“彼”の名前がさざなみの様に広がっていった。
誰かが言ったのだ。
この死体は、彼は、エングブロム公爵家ハイル・ロルフ・アスペル、呪われたエングブロム公爵家の三男だ。と。
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