シュピーラドの恋情

あこ

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第1章

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いくら中央──辺境伯爵領ここでいう中央とは王都の事にあたる──の教会に対して思う事がある辺境伯爵領の教会も、その中央と情報の共有はする。
とはいえ、辺境地の情報を流す事はほとんどない。それは向こうがそれを望んでいないから。またそれをいい事に辺境の情報を流すつもりがない辺境の教会は皆一様に口をつぐんでいる。
だから基本的に中央の情報を辺境地へ流しているだけという、一方通行の状態。
昔からそうであったわけではないが、あまりに中央が辺境地の教会を軽んじたため徐々に辺境地の教会が距離を取り続けた結果、今の形になったのだ。
その距離を取った中央の教会から驚く知らせが入った。


朝、先触れもなく城に飛び込んできたのは辺境伯爵領地の教会を総括する立場にある、あの司祭である。
珍しく慌て馬車を落ちる様に誰の手も借りずに降りてくると、ヴェヒテに取り次いでほしいと門番に頼み込んだ。
司祭のその必死な様にどこかに魔獣でも現れたのかと門番は聞くが彼はそうではないが、とても重大な問題が起きたのだと震えて言う。
知らせを受け出てきたニコライが応接室へ案内し、侍従から聞いたヴェヒテが朝食もそこそこに司祭が待つ部屋に入る。
彼はヴェヒテが入ってくるなり言った。
「王都で異変が……“婚約破棄”が立て続けに起こっております」
一瞬“婚約破棄”なんて司祭が慌てて登城する様な問題か、と首を傾げかけたヴェヒテは真意に気がつき口に手を当てた。
叫びそうになった自分を止める行動である。
「一体……何が?何があったのですか?」
「中央からこちらまで回ってきました。どうやら昨日今日の話ではなさそうですが……が起こっています」
今の司祭とヴェヒテの間の婚約破棄はつまり、という意味に変わっていた。
誰かに聞かれるかもしれない危険から司祭の咄嗟の判断で、それを使用しをヴェヒテに伝えたのだ。
婚約破棄と例えたそれをヴェヒテが思い出すまで一拍あったが、それだけレアケースだと捕らえていた。
「特定の家のものだけ、と言うわけではなさそうです。無差別にと言っていいのかどうか分かりませんが、内密に教会へ相談が相次いでいると」
「しかし、滅多にない事である事と、と言われかねない事を考えれば……特に貴族であるのなら『婚約破棄された』などとは口が裂けても言わないのでは?」
「ええ。しかし貴賤関係なく起こっている事が広がっているようで、不安が先に立っているのではないでしょうか?この辺りの情報も錯綜しており私もまだ正確に掴めておりませんが、があったとしか」
報告出来た事で落ち着けたのか、司祭は出されていたまま放置されていた紅茶を一気に飲んだ。
部屋には二人きりだから給仕がわりにヴェヒテがそこに紅茶を注ぐと、お礼を言った司祭は二杯目も一気に飲み干す。
こんな時に行儀の良し悪しなんてお互い気にしていられない。
「では司祭殿の方ではまだ、誰が破棄されたのか把握が出来ていない状態と言う事でよろしいだろうか?」
「ええ。それにその辺りの把握は難しいでしょう。教会も相談を受けた際、貴族相手であれば金を受け取るでしょうからね。口はそうそう割りますまい」
「だろうな」
ヴェヒテは立ち上がり扉を開け、外で控える様に言っておいた従者にある男の名前を出し、連れてくる様にと言う。
従者が早足で立ち去るのを見届け、扉をしっかりと閉めた。
「俺のところにいるものを王都に向かわせましょう。実はひとり先にいかせていますが、お互い強みが違う。同じものを調べる様に命じれば、何か出てきましょう」
「何か心当たりでも?」
「ええ、まあ。それについてはまた近々、司祭殿に登城をお願いする事になると思いますが、どうかよろしくお願いします」
「もちろんです。いつでもお知らせください。すぐに馳せ参じましょう」
二人はそう言って部屋を出、それぞれの場所に戻る。
司祭はきっと今から情報の精査や教会のだれかを王都へやろうと言うところだろう、来た時同様やはり早足で廊下の向こうへと消えていく。彼を馬車まで案内する護衛もその司祭の様子に、驚きを隠せていないようだ。
ヴェヒテは「この予感は間違っていないのだろう」と思い痛んできた頭を振り、昼食後の時間にハイルのところへ向かおうと正しいタイミングで迎えにきたニコライにスケジュールを確認する。

あの夜、満月のあの日から、シュピーラドは

ユスティには『愛し子の唯一』である可能性がある、という件は完全に伏せ、ハイルの加護なしについて説明した。
そしてシュピーラドを紹介し、これからはハイルと共に過ごすとも伝えている。
シュピーラドは愛し子と共にいると言って譲らないし、そもそも精霊王のを“一介の人間”が断る事は出来ない。
しかし、この城で過ごすのであればハイルにどうやってシュピーラドを説明するかと周りは当然悩んだ。
その中でシュピーラドは愛し子というで「全てを告げる」と言ってハイルに会いに行き、二日間、マーサ以外の出入りがないままハイルと彼は同じ部屋で過ごした。
何をどう話したかは分からない。二人は決してそれを言うつもりはないようだ。けれど部屋から出てきたハイルはシュピーラドを父や兄の様に慕う様になっていたし、シュピーラドも幸せそうにハイルをかまっていたのでのだろうと空気を読んだ。ユスティでさえ。
一部始終見ていたマーサはその時の事を勿論言わないが、彼女は何度も涙を流しそうになった二日間だった。

ハイルは全てを聞いても誰も恨まなかった。怒りもしなかった。彼の中にその感情がなかったからだ。
責める事もしないハイルに、シュピーラドは何度震える声ですまないと言っただろう。
ハイルが保護されるまでに持っていた感情は、痛いと怖い、悲しい。恨みや怒りを知る前に、それらでハイルは満たされてしまったのだ。
だから責められる事もないままのシュピーラドは気持ちのやり場に悩み、自分のせいで迫害されたのだと謝るシュピーラドにハイルは「しあわせってすごくキラキラしてるの。シュピーラドさまの髪の毛みたい。シュピーラドさまは幸せがたくさんあるんだね」なんて言って、精霊王に涙を流させた。
保護されてから知った幸せ、喜び、感動、安堵、幼い頃に感じて覚えていくだろうそれらをくれた人がたくさんいる。と説明し、「ぼくはだいじょぶ」と笑う姿にマーサも涙を堪えた。
シュピーラドから「愛し子は自分の子供の様なもの。慈しみ愛し、守り育てるのだと、これからそうさせてほしい」と、“懇願”されたハイルは満面の笑みで嬉しいと偽りない顔で言う。
絵本で見た様な、父親、兄。シュピーラドと自分はそういう家族だとハイルは受け取ったし、ハイル自身の魂がとハイルに訴えたからだった。
二日間、二人でじっくり、マーサが時々二人の間を助けながらゆっくりゆっくり時間をかけて、二日とは思えない時を過ごし二人の間には確かに、人が言う慈しみ愛し守る親とそれを受け取り成長する子供というような、そんな絆が出来上がっていた。
──────愛し子と自分は人が言うがある。
まさにその通り。けれど後悔をしているシュピーラドはその“そういうもの”を凌駕する愛情でハイルを包んでいる。
このままでは仮にユスティが愛し子の唯一でも『お前にはやれん!』と言い出しそうだと、誰もが思うほどであった。

“家族からの無償の愛”を受け取り送る二人。
ユスティもそこそこ嫉妬しつつある二人は、今までを埋める様に過ごしている。
決して邪魔してはならない。しないほうがいいと本能が言うほどに、邪魔してはいけないと思う空気があるのだ。
それがあるからヴェヒテは急いだほうがいいだろうが、昼食後にと決めたのである。
精霊は人とはところがあるという事を、もう十分理解していた。
邪魔をしようものなら、それが仮に人が「それで怒るなんて理不尽だ」と言っても怒るだろうし何を言い出すか、か分からない。
短い時間でシュピーラドと対峙した人間──といっても、いまだに現状維持の人間しかハイルの存在も知らないのだけれど──は理解していた。
精霊はである、と。

「シュピーラドさま。みてみて、氷がたくさん」
「よいよい。ハイルは精霊をうまくな。実にいい。さすがわたしの愛し子、わたしの子だ」
エディトの授業中にも休み時間はある。
ずっと勉強をしていても効率が悪い。やるのであれば効率がいい勉強の方が大切だろう。
その休み時間は全て“精霊と戯れる時間”と化した。
その時間にハイルだけが精霊と戯れているだけなんて事はしていない。
シュピーラドはハイルを慈しんだ人間にもである。
だからユスティに精霊魔法の手解きもしてやった──、というのが精霊らしいのだが──し、精霊と縁がない国で生まれたエディトの知識欲を満たすとして彼女に精霊を──つまり契約の仲介だ──してやったりもしていた。
これに金額を提示したら国庫が底をつくどころではないだろう、全くもって破格の対応である。
今日はシュピーラド曰く『精霊を』、人間としては『精霊魔法を使』という格好で“精霊と戯れる時間”が作られ、今ハイルは氷の粒を部屋に降らしている──正確に言えば降らしてもらっている、かもしれないが──ところだった。
シュピーラドの話からすると、精霊は愛し子であるハイルに世話を焼きたがる──これもシュピーラドの表現だから、実際のところは不明だが──らしいので、精霊魔法を使用していると言うよりも、人の意識からすると精霊を使役しているというような、そんな形なのではないだろうか。
「すごい氷の粒だ……」
ユスティの言う様に、小さい氷はとにかくよく降った。けれどもそれは部屋に落ちる前にシュピーラドによって消えるから、床や家具が濡れる心配はない。
最初同じような事をして部屋の中を濡らした時に「精霊王様、これではハイル様が転ぶとも限りません」とマーサに言われ「そうか……人の子供はであるな」と納得したシュピーラドが以来床を綺麗に保っている。
こうした時の氷だけではなく、塵一つもないように掃除不要の綺麗さをしもべたちを使い保たせている。
まあこれはつまり、精霊の無駄遣い、と言っていいだろうか。
「ハイルはキラキラしてるのが好きだなあ」
そう言うのは氷の粒に魔法で作った光を当てるユスティである。
ユスティもハイルにますますべったりになってきていた。つまりシュピーラドと共にいる時間も多い。
そしてユスティはシュピーラドにハイルのためにと精霊魔法についてよく質問をするようになった。その、ハイルが望む──望む、という事も含む──なら、なんでも覚える姿勢が好ましいとはシュピーラドの弁だ。
「だって感動も幸せも、嬉しいも、みんなキラキラしてるんだよ!すごいんだよ、ユスティさま」
きゃっきゃ、とはしゃぐ様になったのはシュピーラドの存在が大きい。
“家族がいる”と言うのはハイルの心にゆとりを作った。
そのゆとりはハイルの心を育て、彼がきっと愛されていたら本来あったであろう性格を形作っていく。
をシュピーラドがしたと言う事に対してムッとしているユスティだけれど、自分とハイルは精霊王シュピーラドとその愛し子という関係とは違うものだろうから無理なんだろうな、とも認めていた。認めているけれど、そう、諦めてはいない。

「人は難しい生き物であるなあ?」
「王様に言われると妙にムッとするけど、でもいいよ。ハイルが幸せそうで、いつも笑ってるからね」
「健気よのう」
「王様もね。でも、王様はなんだろう、親バカのお父さんかな?なんでも『よいよい』からなあ」

マーサに「もうそろそろいい加減、ハイル様を甘やかすだけではよろしくありませんよ」と言われそうだよね。とユスティが笑うと、床を乾かす精霊王は「そなたもな」とやはり笑った。
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