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59【亜楼+海斗Diary】やり直し④
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海斗の目の前には、真っ白い壁があった。
これまでの人生で、こんなにも壁だけを見つめたことは、おそらくない。なんの変哲もない、ただの壁。息子四人にそれぞれ与えられた六畳の子供部屋は、みんな同じ白い壁紙だった。
「海斗」
背後から、これから自分を抱く男の声がする。もう何年も、そうやって自分を呼ぶ兄の声を聞いているのに、こんな風に余裕なく縋ってくるような声色にはまだ耳が慣れていない。
「そろそろいいか……?」
「……っ、は、……あ……っ、ん」
後孔に亜楼の指を飲み込んでいる海斗が、返事にならない返事をする。兄に脱がされた海斗は、ベッドの上で四つ這いになっていた。窄まりを亜楼に柔くしてもらいながら、目の前にある壁を、空っぽの頭でぼんやりと見つめる。明かりを控えめに落とした部屋で、白い壁は静かに薄闇を映し出していた。
「……っ、っんん……あぁ──」
亜楼の指が一気に引き抜かれ、一抹の淋しさを覚える。この後すぐに亜楼の熱をねじ込んでもらえるのをわかっているのに、からだが、蕾が、もうせつないと訴えてくる。
「おまえさ、……まだ怖ぇの?」
四つ這いにした弟の後ろで、海斗に入るための準備を自身の根に施しながら亜楼が訊いた。泣き虫で怖がりなのに、どうしようもなく意地っ張りで頑固な海斗を、亜楼はつい案じてしまう。最初は、後ろを使うのをひどく怖がっていた。
「ん……、?」
好きという気持ちで恐怖を誤魔化して、本当はやせ我慢で受け入れてくれているのだとしたら、亜楼はこれから流れる涙をどう捉えるべきか迷ってしまう。海斗のことだ、今夜もきっとまた泣くのだろう。
「無理させんの、やだから」
「……もう、慣れた」
海斗が、かすれた声で短く答える。
「嘘はつくなよ?」
疑り深い兄に、海斗がふっと苦笑した。視線は壁に流したままにする。
「もう、ほんとに、……怖くねぇよ」
確かに最初は、怖かった。乱暴なてのひらも、狭いところが無理やり押し広げられていく圧迫感も、その刺激に、勝手に自分のからだが作り変えられていくような未知の感覚も、知らないことは全部怖かった。自分に興味のない上の空な亜楼と、なんのためにこの行為をくり返すのかわからなくなった。でも、今は。
「……亜楼が、オレのこと好きって言ってくれたから、……怖くない」
「……っ」
「だからっ、……おまえがしたいように、すればいい……」
亜楼が、海斗の背に張りつくように肌を寄せた。四つ這いの無防備な背を、愛情で包み込むように覆い、海斗をそっと抱きしめる。
「最初んとき、……大事にしてやれなくてごめんな」
ずっと、謝りたかった。海斗の大切な初めてをもらったのに、敬意を払うようなセックスをしてやれなかったことを、亜楼はずっと気にしていた。思い返せば最初から本当に何もかもが酷くて、どうやって償えばいいかを考えると、頭が真っ白になって身が竦む。まだ、取り返しはつくのだろうか。ただ海斗に許されたくて、背から回した弟を抱きしめる指先が、かすかに強張る。
「ごめんな」
「別に、気にしてな……」
「これからは、……ぜってぇ大事にするから」
許されたい。この約束と、引き換えに。
「大事に、抱く」
耳の後ろからそう聞こえて、海斗は目を伏せた。今までだって充分だったけど、これからは、もっと。
「……ん、……うれしい……」
誰にもとられたくなくて。ずっと一緒にいたくて。
その上で大事に抱いてくれるなんて、これ以上何を望んだらいいかわからない。
触れ合った肌が、互いの熱を少しも取り零すまいと強く引き合った。亜楼がすべての肌をさらしてくれているのが背中越しに伝わって、海斗がもうそれだけで目を潤ませる。亜楼が初めて、全部脱いでくれていた。勢い任せの、セックスじゃない。
やっと、想いごと、抱いてもらえる──。
海斗がそう思ったとき、突き出していた臀部の窪みに、硬く獰猛な先が当てられた。大事に抱くという言葉通り、慎重に、それでも力強くその熱の塊は海斗の中に沈められていく。
亜楼は今日もやさしい。亜楼は気にしていたが、本当は最初から、やさしくないときなんてなかったと海斗は思う。
「……んぁっ、……」
「……くっ、……中、たまんね、ぇ……」
悦ぶ兄の声を背後に聞きながら、猛る雄を後孔で受け入れる。両手をついている海斗が、力の逃がし方がわからずに、皺ができるほど手の下のシーツを握ってしまう。
「っは、……ああっ……」
腰に添えられた亜楼の手が、ぐいっと海斗の臀部を引き寄せた。腰を高く持ち上げられると、亜楼の芯が深いところまで入り込んでくる。最奥の方にぐっ、ぐっ、と執着じみた押しつけをされると、目の前の景色がクラッとした。白い壁が、視界の中でぼんやりと歪む。
「っ、……は、あ、んんっ」
「……動く」
亜楼が小さくそう言って、からだを揺らし始めた。男の肌と肌がぶつかる重たくて鈍い音が、薄闇の静寂を卑猥に変えていく。
「……、やっ、……あぁっ、……いつもと、ちが、う……っ」
海斗の戸惑いに、亜楼がにやりと口角を上げた。
「後ろからだと、当たる場所ちげぇだろ……?」
「……う、ん……はっ、あっ……」
「ここ、いいか……?」
「……っ、いいっ……ここヘンになる……っ、……ああっ」
「ん、……もっとしてやる」
いつもと違うところを硬い杭で何度も突かれ、四つん這いでからだを支えていた海斗の両手から力が抜ける。ひじを折り、そのまま下にあるまくらに顔を埋めてしまうと、高く突き上げた臀部だけを亜楼に強く持っていかれた。荒々しい亜楼の出し入れに、シーツにしがみつきながら海斗が善がる。
「ふっ、うぅ、っ……亜楼の、やっぱ、……サイズばか……っ」
中を満たすものの圧倒的な大きさに、文句のひとつでも言いたくなって海斗がか細くつぶやいた。他の人のは知らないが、自分のものよりもずいぶんと逞しいことは知っている。
「……なんだ、嫉妬か?」
「っ、デケェの、……突っ込まれる、方の身にもっ、……なれってこと、っ、んぁ……あ」
弟の可愛らしい愚痴に、亜楼がふっと笑って、動くのを止めた。立てたままだった海斗のひざをゆっくりと伸ばし、完全にうつ伏せにしてやる。そのまま海斗の背に覆い被さるように、全身を密着させた。うつ伏せで重ねた素肌と素肌が、どちらも特別な熱を持っていて、気持ちいい。
「でも、これ、……おまえのだから、いいだろ」
亜楼が首のうしろから甘くささやき、海斗の肩にしっとりと、キスをいくつか落とす。
「このデケェの、おまえにしか使わねぇんだ。……だから、おまえの」
「っ……!?」
海斗の背に乗り上げたまま、亜楼の大きな手が、必死にシーツをつかんでいる弟の手の甲を包む。甲の側から指を交互に差し入れて、ぎゅっと握った。
「!」
セックスの最中に手をつなぐなんて。今までだったら信じられなくて、それでも海斗は、あぁそうかとすぐに心の中で納得する。
そっか、これが、……こういうのが、好き同士の──。
「全部、おまえの。……だから、責任もって、なだめてくれよ」
──全部、オレの。
兄に重ねられた熱いてのひらから、それが誠実に伝わってくる。
「俺の、受け入れて?」
背に感じる潰されそうな重みが、ただうれしくて。ちゃんと愛されているのだと、海斗が噛みしめる。
「……っ、しょうがねぇなぁ……、亜楼がイクまで、そこ、貸してやる……」
心なしか声が弾んでしまい、照れた海斗が、またまくらにポスッと顔を埋めた。亜楼に顔なんて見えやしないのに、目隠しのない丸腰にはまだ慣れない。
「あー、だったら、……イクの、すっげぇ我慢しねぇと」
「は!? いけよ!?」
「やだね、……中、ずっと貸してて……」
ねだるような甘い声を海斗の耳に残し、亜楼がまた、二つのからだがよく馴染むように腰を振り出した。
「あぁ、っ……はぁ、……はっ……あろ、もうっ……、あろう……あろ……っ」
乱れた息の合間に、海斗の口から何度も亜楼の名がこぼれ落ちる。それしか言葉を知らないように呼び続ける海斗がいじらしく、ひどく昂った亜楼は中を突くのをなかなかやめてやれない。寝バックのまま挿入を続け、このままわざと返事をしなければ、あと何回せつなげに名を呼んでもらえるだろうかと馬鹿げたことを考える。
「あろう、……んぁっ、……やぁっ、あっ……も、いきたい……」
「……」
「あろ、……? っ、あぁっ、は、あろう……」
「……」
「……あろうっ、……ああっ、……はぁんっ……」
それくらい、海斗に呼ばれる声が心地よくて、亜楼は参ってしまった。ずっとこうして自分を頼る声に浸っていたいのに、海斗も、自分も、のぼってくる欲を吐き出したい本能には逆らえない。二人で限界に近づいている。
「……ひざ、……もう一回ついて」
うつ伏せの後背位から、亜楼は海斗を再び四つ這いにさせた。挿れたまま背後から海斗の肩に手をかけ、ゆっくりと上体を起こしてやる。
「やっ、……なっ、に……?」
上半身を反らすような体勢にされ、海斗が驚いた。海斗の脚を軽く閉じさせ、亜楼の太腿がそれを逃がさないように挟み込む。
「前に倒れんなよ?」
後ろから亜楼がぐいっと海斗の両腕を引っ張り、弟をひざ立ちにさせた。引き寄せた腕を強く支えながら、亜楼が海斗の中を激しく擦り出す。
「あっ、んあっ……、や、なにっ、……これっ……あっ、あぁっ……」
さっきとはまた違う角度で抜き差しをくり返す亜楼のたかぶりが、奥の、海斗の弱いところを狙い打つように暴れた。上体を反らされたまま兄に支配され、快楽に崩れ落ちそうな海斗の腰はどこにも逃げられない。亜楼の滾る欲の押しつけを、されるがままに受け入れる。
「……やっ、……これ、深いっ……、んうっ、はっ、あっ……」
「深いとこ、……いいだろ?」
「っん、はっ、やばっ……あっ、あっ、あ……まっ、て……まって……」
「待ってやれねぇ、な、……っ、俺に突かれてイキてぇんだろ?」
奥に、振動が響く。その重たい振動から来る刺激で、からだが沸騰してしまうのではないかと錯覚する。
「あっ、ん……あっ、あぁっ……声、我慢できな、いっ……」
いつもは気をつけている声が、亜楼の大胆な出し入れと初めての体位のせいで、今夜は到底抑えられそうにない。亜楼に腕をつかまれているせいで口元を手で塞ぐこともできず、海斗のあまく乱れる声は部屋中に放出された。
「いいぞ、もう……声出せ……っ」
亜楼ももうそこに構う余裕はなく、むしろ耳に絡みつくような海斗の濡れた声を、もっと出してやりたくてたまらなくなる。こんな耳心地のいい声を今まで我慢させていたなんてと、亜楼がまた胸の内で反省した。自分のせいで乱れる海斗の声を、気の済むまで、堪能したい。
「だ、めっ……盗み聞きする、スパイ、……っ、いるからっ……」
その盗み聞きするスパイも、今は三男に組み敷かれてかわいい啼き声を上げていることを、海斗は知る由もない。
「……っ、わけわかんねぇこと言ってねぇで、……俺に集中しろ……」
「あっ、あっ、……きもちいい……っ、だめ、で、る……、あろ、あろう……」
後ろからの止むことのない突き上げに気持ちいいしかわからなくなって、海斗は意識を手放しそうになりながら、また目の前の白い壁を見た。快楽に屈してしまうと瞳のふちに涙がたっぷりと溜まり、視界がぐちゃぐちゃになる。その視界の先で、見慣れた壁がぐちゃっと歪んだ。
目の前には、壁。──そうじゃなくて!
「……あろっ、」
海斗が何かを言いかけたとき、背後から兄の追いつめられた言葉が耳元に響いた。
「海斗……、ダメだっ、……やっぱ、顔見てぇ」
ふぅふぅと息を荒くしながら、亜楼が海斗に縋る。
「……おまえ、俺にナカ突かれて、どんな顔してんの……?」
はっとして、ひどく潤んだ瞳のまま、海斗が亜楼を振り返った。
目と目が、静かに出会う。まったく同じことを、海斗も言おうとしていた。
「……オレもっ、見たい……亜楼と、してるって、……確認、したい……っ」
味気ない壁なんかではなく、今誰に愛されているかを、この目で、ちゃんと──。
「っ、……、もう、……知らねぇぞ……」
亜楼は少し取り乱したようにそう言うと、弟に深く突き刺していた陰茎を、ずるっと一気に引き抜いた。
「っ!?」
海斗が驚いているのにも構わず、亜楼は弟をシーツの上に押し倒して仰向けに転がす。すぐに脚を割り、今度は正面からずぷんと勢いよく挿入し直した。再び奥に届いて、海斗の中を執拗に掻き回す。
「ああっ、……あっ、ん……あ、……っ、あっ、」
亜楼と向かい合っても、恥ずかしいなどと感じる暇は本当になかった。涙で歪む視界で捉えた先には、ちゃんと、大好きな人──。
「すきっ、……あろう、すき……すき、……っ」
「知ってる」
自分の打ちつけで感じてくれている海斗のとろけた表情がたまらなくて、亜楼は沸き上がる激情に深く飲み込まれる。
そう、これが。これが見たかった。
そのたまんねぇ瞳で、俺を、酔わせてくれよ──。
「……その顔、他のやつの前でしたら、……殴る、……っ」
「……っ、ひでぇ……」
大事にしてくれるのではなかったのかと、海斗が涙を溜めたまま不服そうにこぼす。
「泣き顔も、気持ちいいって顔も、ぜってぇ俺にしか見せんなよ……」
「!? ……んな、こと……」
「……見ていいの、俺だけだから。……いいな?」
「……、わかった、……わかった、からっ……ああっ、あっ、はぁ、……もうっ、ほんとに、でる……」
兄の独占欲を言葉からも肉体からもひしひしと感じ、海斗の瞳からとうとう大粒のしずくがこぼれ出した。
「あろう、あろ……、もっ、むり、だしたい……」
何度見ても泣き顔はいとしくて、亜楼が海斗の口唇に口唇を重ねる。くちづけに導かれ、海斗の腕と脚が自然と亜楼の背に伸びた。腕も脚も亜楼にきつく巻きつけ、揺らされながら、吐精の瞬間をうっとりと待つ。
「んんっ、ん、……っ」
「顔見てぇし、キスしてぇし、……なんなんだよ、おまえっ……」
こんなに興奮するなんてどうかしていると呆れながら、亜楼も射精のための激しい抽挿に入った。
「あっん、……あろ、キス、したい……もっとキス、して……」
「……っ」
「……、キスされて、突かれて、イきたい……っ」
そのたまんねぇ瞳でねだるのは、まじで反則だっての!
「……っ、海斗、おまえ、……わがままばっか……っ」
口唇が再び乱暴に塞がれる。腰を砕かれるのではないかと思うほど、亜楼に強く穿たれる。
「んん、ん、んんっ、ん……!」
お望み通り、キスをして、激しく突いて、一緒に──。
「んん……んっ、ん、……、んっ……ん、ん──ッ!」
「ん……──っ!」
ほとんど同時に果てて、荒ぶった互いの息だけが最後に残った。
中の奥深いところで精液を放った亜楼を見上げて、海斗がゆっくりとあまく微笑む。
「……でもオレ、昔から知ってんだ。……亜楼が、どんなわがままも、聞いてくれるって」
だからきっと、これからも、……わがままばっかのどうしようもないオレだけど。
「調子のんな……ばか」
ふっと力が抜けたように笑って、亜楼は海斗の額にひとつキスを落とした。
「おい、服くらい着ろ、……冷えるだろ」
そう言って亜楼が、ベッドの下に落ちていた弟のTシャツを拾って、海斗の方にふわっと投げた。クーラーのよく効いた部屋は、肌の重なりを解くと途端に少しひんやりする。
互いに一回で足りるはずがなく、そのあとも何度か二人で達した。目隠しがないことにはいつの間にかすっかり慣れ、海斗は亜楼が心酔しているせつなさに満ちた溶けるような瞳を、惜しげもなく兄にさらし続けた。その瞳に何度も何度も欲情して、亜楼は海斗を大事に抱いた。
兄にやさしい好き勝手を散々されて、海斗は裸のままベッドでだらしなく伸びていた。うつ伏せの状態でまくらに顔を預けながら、酷使したからだをひっそりと休めている。
「ごめ、……あとちょっと休憩したら、部屋戻るから……」
Tシャツをパサッと背に掛けられて、早く自室に戻るように促されているのだと気づいた海斗は、だるさの残る四肢をのっそりと動かし始めた。行為のあとは、他の家族にバレないようすぐに部屋に戻るのがいつものルールだ。
「別に、……朝までいたらいいだろ」
そういうルールだと、勝手に思っていたのに。
水のペットボトルを手に、ベッドのそばに戻ってきた亜楼がしれっとそう言い放ったので、海斗ははっとして、起こし始めていたからだを慌てて止めた。
「!? いい、の……?」
立ったまま水を一口流し込み、キャップを閉めながら亜楼がベッドのふちに腰かける。そんな驚くことか? と、不思議そうに海斗を見た。
「冬夜なんか、もうずっと眞空の部屋で寝てんぞ?」
本人たちは隠れてこそこそしているつもりらしいが、目聡い長兄にはとっくにバレていた。亜楼が目聡くそれを見つけてしまったのは、弟組のいつでも穏やかに愛を育んでいるような安定感に、多少の羨望があったからなのかもしれない。自分たちの危なっかしい恋は、まだその域には遠く及ばない。そんな憧れもあって、おそらく二人の行動を無意識に観察していたのだと、亜楼が大人げない自分を思い返す。
あいつら見習って、たまには素直になってみるか……。
「つーかさ、……今日は、そばにいてくれよ」
まだ弱っているところから完全には抜け出せていない亜楼が、頼りない苦笑で海斗に甘えた。今日だけと言わず、別に毎日いてくれたっていいと言いたい気持ちもあったが、あんまり甘えてばかりでは海斗がつけ上がるかと思い、今日のところはここまででやめておく。それはまた、次の機会だ。
「じゃあ、……今日はここにいる」
兄に求められて、海斗のからだが少し震えた。うれしくて、いっぱいになって弾けそうなときめく胸を隠すように、慌ててTシャツを頭から被る。そのままベッドに横になっていると、水をベッドサイドに置いた亜楼が、海斗の隣に勢いよく潜り込んできた。
「……このまま、寝てもいい?」
海斗がそう訊いて、遠慮がちに亜楼の胸に顔をすり寄せる。
「好きにしろ。……寝るならこっち来い、……もっと」
相変わらずこういうときだけ控えめになる海斗に気づき、亜楼が肩を強く抱いてもっと引き寄せた。
亜楼の鼓動が直接耳にどくどくと響いてきて、海斗がひどく安堵する。好きな人の、生きている音。
「なんか、亜楼やさしい……」
「俺は元からやさしいだろうが」
「……ん、……まぁ、そうかも……」
まどろみかけている瞳を完全に閉じて、海斗はたくさんのことを考えた。冬夜のこと。眞空のこと。秀春のこと。由夏のこと。自分たちの両親のこと。写真でしか見たことがない亜楼の母親のこと。そして、亜楼のこと──。
これまでの人生で、どこかひとつでも歯車がうまく噛み合っていなかったら、今の自分はきっとない。
たくさんの小さな奇跡の積み重ねの結果が、今こうやって好きな人の隣にいることなら。
もしそうだとしたら、本当に自分は全然可哀想なんかじゃないと、亜楼のやさしい腕に抱かれながら、海斗は穏やかにそう思った。
これまでの人生で、こんなにも壁だけを見つめたことは、おそらくない。なんの変哲もない、ただの壁。息子四人にそれぞれ与えられた六畳の子供部屋は、みんな同じ白い壁紙だった。
「海斗」
背後から、これから自分を抱く男の声がする。もう何年も、そうやって自分を呼ぶ兄の声を聞いているのに、こんな風に余裕なく縋ってくるような声色にはまだ耳が慣れていない。
「そろそろいいか……?」
「……っ、は、……あ……っ、ん」
後孔に亜楼の指を飲み込んでいる海斗が、返事にならない返事をする。兄に脱がされた海斗は、ベッドの上で四つ這いになっていた。窄まりを亜楼に柔くしてもらいながら、目の前にある壁を、空っぽの頭でぼんやりと見つめる。明かりを控えめに落とした部屋で、白い壁は静かに薄闇を映し出していた。
「……っ、っんん……あぁ──」
亜楼の指が一気に引き抜かれ、一抹の淋しさを覚える。この後すぐに亜楼の熱をねじ込んでもらえるのをわかっているのに、からだが、蕾が、もうせつないと訴えてくる。
「おまえさ、……まだ怖ぇの?」
四つ這いにした弟の後ろで、海斗に入るための準備を自身の根に施しながら亜楼が訊いた。泣き虫で怖がりなのに、どうしようもなく意地っ張りで頑固な海斗を、亜楼はつい案じてしまう。最初は、後ろを使うのをひどく怖がっていた。
「ん……、?」
好きという気持ちで恐怖を誤魔化して、本当はやせ我慢で受け入れてくれているのだとしたら、亜楼はこれから流れる涙をどう捉えるべきか迷ってしまう。海斗のことだ、今夜もきっとまた泣くのだろう。
「無理させんの、やだから」
「……もう、慣れた」
海斗が、かすれた声で短く答える。
「嘘はつくなよ?」
疑り深い兄に、海斗がふっと苦笑した。視線は壁に流したままにする。
「もう、ほんとに、……怖くねぇよ」
確かに最初は、怖かった。乱暴なてのひらも、狭いところが無理やり押し広げられていく圧迫感も、その刺激に、勝手に自分のからだが作り変えられていくような未知の感覚も、知らないことは全部怖かった。自分に興味のない上の空な亜楼と、なんのためにこの行為をくり返すのかわからなくなった。でも、今は。
「……亜楼が、オレのこと好きって言ってくれたから、……怖くない」
「……っ」
「だからっ、……おまえがしたいように、すればいい……」
亜楼が、海斗の背に張りつくように肌を寄せた。四つ這いの無防備な背を、愛情で包み込むように覆い、海斗をそっと抱きしめる。
「最初んとき、……大事にしてやれなくてごめんな」
ずっと、謝りたかった。海斗の大切な初めてをもらったのに、敬意を払うようなセックスをしてやれなかったことを、亜楼はずっと気にしていた。思い返せば最初から本当に何もかもが酷くて、どうやって償えばいいかを考えると、頭が真っ白になって身が竦む。まだ、取り返しはつくのだろうか。ただ海斗に許されたくて、背から回した弟を抱きしめる指先が、かすかに強張る。
「ごめんな」
「別に、気にしてな……」
「これからは、……ぜってぇ大事にするから」
許されたい。この約束と、引き換えに。
「大事に、抱く」
耳の後ろからそう聞こえて、海斗は目を伏せた。今までだって充分だったけど、これからは、もっと。
「……ん、……うれしい……」
誰にもとられたくなくて。ずっと一緒にいたくて。
その上で大事に抱いてくれるなんて、これ以上何を望んだらいいかわからない。
触れ合った肌が、互いの熱を少しも取り零すまいと強く引き合った。亜楼がすべての肌をさらしてくれているのが背中越しに伝わって、海斗がもうそれだけで目を潤ませる。亜楼が初めて、全部脱いでくれていた。勢い任せの、セックスじゃない。
やっと、想いごと、抱いてもらえる──。
海斗がそう思ったとき、突き出していた臀部の窪みに、硬く獰猛な先が当てられた。大事に抱くという言葉通り、慎重に、それでも力強くその熱の塊は海斗の中に沈められていく。
亜楼は今日もやさしい。亜楼は気にしていたが、本当は最初から、やさしくないときなんてなかったと海斗は思う。
「……んぁっ、……」
「……くっ、……中、たまんね、ぇ……」
悦ぶ兄の声を背後に聞きながら、猛る雄を後孔で受け入れる。両手をついている海斗が、力の逃がし方がわからずに、皺ができるほど手の下のシーツを握ってしまう。
「っは、……ああっ……」
腰に添えられた亜楼の手が、ぐいっと海斗の臀部を引き寄せた。腰を高く持ち上げられると、亜楼の芯が深いところまで入り込んでくる。最奥の方にぐっ、ぐっ、と執着じみた押しつけをされると、目の前の景色がクラッとした。白い壁が、視界の中でぼんやりと歪む。
「っ、……は、あ、んんっ」
「……動く」
亜楼が小さくそう言って、からだを揺らし始めた。男の肌と肌がぶつかる重たくて鈍い音が、薄闇の静寂を卑猥に変えていく。
「……、やっ、……あぁっ、……いつもと、ちが、う……っ」
海斗の戸惑いに、亜楼がにやりと口角を上げた。
「後ろからだと、当たる場所ちげぇだろ……?」
「……う、ん……はっ、あっ……」
「ここ、いいか……?」
「……っ、いいっ……ここヘンになる……っ、……ああっ」
「ん、……もっとしてやる」
いつもと違うところを硬い杭で何度も突かれ、四つん這いでからだを支えていた海斗の両手から力が抜ける。ひじを折り、そのまま下にあるまくらに顔を埋めてしまうと、高く突き上げた臀部だけを亜楼に強く持っていかれた。荒々しい亜楼の出し入れに、シーツにしがみつきながら海斗が善がる。
「ふっ、うぅ、っ……亜楼の、やっぱ、……サイズばか……っ」
中を満たすものの圧倒的な大きさに、文句のひとつでも言いたくなって海斗がか細くつぶやいた。他の人のは知らないが、自分のものよりもずいぶんと逞しいことは知っている。
「……なんだ、嫉妬か?」
「っ、デケェの、……突っ込まれる、方の身にもっ、……なれってこと、っ、んぁ……あ」
弟の可愛らしい愚痴に、亜楼がふっと笑って、動くのを止めた。立てたままだった海斗のひざをゆっくりと伸ばし、完全にうつ伏せにしてやる。そのまま海斗の背に覆い被さるように、全身を密着させた。うつ伏せで重ねた素肌と素肌が、どちらも特別な熱を持っていて、気持ちいい。
「でも、これ、……おまえのだから、いいだろ」
亜楼が首のうしろから甘くささやき、海斗の肩にしっとりと、キスをいくつか落とす。
「このデケェの、おまえにしか使わねぇんだ。……だから、おまえの」
「っ……!?」
海斗の背に乗り上げたまま、亜楼の大きな手が、必死にシーツをつかんでいる弟の手の甲を包む。甲の側から指を交互に差し入れて、ぎゅっと握った。
「!」
セックスの最中に手をつなぐなんて。今までだったら信じられなくて、それでも海斗は、あぁそうかとすぐに心の中で納得する。
そっか、これが、……こういうのが、好き同士の──。
「全部、おまえの。……だから、責任もって、なだめてくれよ」
──全部、オレの。
兄に重ねられた熱いてのひらから、それが誠実に伝わってくる。
「俺の、受け入れて?」
背に感じる潰されそうな重みが、ただうれしくて。ちゃんと愛されているのだと、海斗が噛みしめる。
「……っ、しょうがねぇなぁ……、亜楼がイクまで、そこ、貸してやる……」
心なしか声が弾んでしまい、照れた海斗が、またまくらにポスッと顔を埋めた。亜楼に顔なんて見えやしないのに、目隠しのない丸腰にはまだ慣れない。
「あー、だったら、……イクの、すっげぇ我慢しねぇと」
「は!? いけよ!?」
「やだね、……中、ずっと貸してて……」
ねだるような甘い声を海斗の耳に残し、亜楼がまた、二つのからだがよく馴染むように腰を振り出した。
「あぁ、っ……はぁ、……はっ……あろ、もうっ……、あろう……あろ……っ」
乱れた息の合間に、海斗の口から何度も亜楼の名がこぼれ落ちる。それしか言葉を知らないように呼び続ける海斗がいじらしく、ひどく昂った亜楼は中を突くのをなかなかやめてやれない。寝バックのまま挿入を続け、このままわざと返事をしなければ、あと何回せつなげに名を呼んでもらえるだろうかと馬鹿げたことを考える。
「あろう、……んぁっ、……やぁっ、あっ……も、いきたい……」
「……」
「あろ、……? っ、あぁっ、は、あろう……」
「……」
「……あろうっ、……ああっ、……はぁんっ……」
それくらい、海斗に呼ばれる声が心地よくて、亜楼は参ってしまった。ずっとこうして自分を頼る声に浸っていたいのに、海斗も、自分も、のぼってくる欲を吐き出したい本能には逆らえない。二人で限界に近づいている。
「……ひざ、……もう一回ついて」
うつ伏せの後背位から、亜楼は海斗を再び四つ這いにさせた。挿れたまま背後から海斗の肩に手をかけ、ゆっくりと上体を起こしてやる。
「やっ、……なっ、に……?」
上半身を反らすような体勢にされ、海斗が驚いた。海斗の脚を軽く閉じさせ、亜楼の太腿がそれを逃がさないように挟み込む。
「前に倒れんなよ?」
後ろから亜楼がぐいっと海斗の両腕を引っ張り、弟をひざ立ちにさせた。引き寄せた腕を強く支えながら、亜楼が海斗の中を激しく擦り出す。
「あっ、んあっ……、や、なにっ、……これっ……あっ、あぁっ……」
さっきとはまた違う角度で抜き差しをくり返す亜楼のたかぶりが、奥の、海斗の弱いところを狙い打つように暴れた。上体を反らされたまま兄に支配され、快楽に崩れ落ちそうな海斗の腰はどこにも逃げられない。亜楼の滾る欲の押しつけを、されるがままに受け入れる。
「……やっ、……これ、深いっ……、んうっ、はっ、あっ……」
「深いとこ、……いいだろ?」
「っん、はっ、やばっ……あっ、あっ、あ……まっ、て……まって……」
「待ってやれねぇ、な、……っ、俺に突かれてイキてぇんだろ?」
奥に、振動が響く。その重たい振動から来る刺激で、からだが沸騰してしまうのではないかと錯覚する。
「あっ、ん……あっ、あぁっ……声、我慢できな、いっ……」
いつもは気をつけている声が、亜楼の大胆な出し入れと初めての体位のせいで、今夜は到底抑えられそうにない。亜楼に腕をつかまれているせいで口元を手で塞ぐこともできず、海斗のあまく乱れる声は部屋中に放出された。
「いいぞ、もう……声出せ……っ」
亜楼ももうそこに構う余裕はなく、むしろ耳に絡みつくような海斗の濡れた声を、もっと出してやりたくてたまらなくなる。こんな耳心地のいい声を今まで我慢させていたなんてと、亜楼がまた胸の内で反省した。自分のせいで乱れる海斗の声を、気の済むまで、堪能したい。
「だ、めっ……盗み聞きする、スパイ、……っ、いるからっ……」
その盗み聞きするスパイも、今は三男に組み敷かれてかわいい啼き声を上げていることを、海斗は知る由もない。
「……っ、わけわかんねぇこと言ってねぇで、……俺に集中しろ……」
「あっ、あっ、……きもちいい……っ、だめ、で、る……、あろ、あろう……」
後ろからの止むことのない突き上げに気持ちいいしかわからなくなって、海斗は意識を手放しそうになりながら、また目の前の白い壁を見た。快楽に屈してしまうと瞳のふちに涙がたっぷりと溜まり、視界がぐちゃぐちゃになる。その視界の先で、見慣れた壁がぐちゃっと歪んだ。
目の前には、壁。──そうじゃなくて!
「……あろっ、」
海斗が何かを言いかけたとき、背後から兄の追いつめられた言葉が耳元に響いた。
「海斗……、ダメだっ、……やっぱ、顔見てぇ」
ふぅふぅと息を荒くしながら、亜楼が海斗に縋る。
「……おまえ、俺にナカ突かれて、どんな顔してんの……?」
はっとして、ひどく潤んだ瞳のまま、海斗が亜楼を振り返った。
目と目が、静かに出会う。まったく同じことを、海斗も言おうとしていた。
「……オレもっ、見たい……亜楼と、してるって、……確認、したい……っ」
味気ない壁なんかではなく、今誰に愛されているかを、この目で、ちゃんと──。
「っ、……、もう、……知らねぇぞ……」
亜楼は少し取り乱したようにそう言うと、弟に深く突き刺していた陰茎を、ずるっと一気に引き抜いた。
「っ!?」
海斗が驚いているのにも構わず、亜楼は弟をシーツの上に押し倒して仰向けに転がす。すぐに脚を割り、今度は正面からずぷんと勢いよく挿入し直した。再び奥に届いて、海斗の中を執拗に掻き回す。
「ああっ、……あっ、ん……あ、……っ、あっ、」
亜楼と向かい合っても、恥ずかしいなどと感じる暇は本当になかった。涙で歪む視界で捉えた先には、ちゃんと、大好きな人──。
「すきっ、……あろう、すき……すき、……っ」
「知ってる」
自分の打ちつけで感じてくれている海斗のとろけた表情がたまらなくて、亜楼は沸き上がる激情に深く飲み込まれる。
そう、これが。これが見たかった。
そのたまんねぇ瞳で、俺を、酔わせてくれよ──。
「……その顔、他のやつの前でしたら、……殴る、……っ」
「……っ、ひでぇ……」
大事にしてくれるのではなかったのかと、海斗が涙を溜めたまま不服そうにこぼす。
「泣き顔も、気持ちいいって顔も、ぜってぇ俺にしか見せんなよ……」
「!? ……んな、こと……」
「……見ていいの、俺だけだから。……いいな?」
「……、わかった、……わかった、からっ……ああっ、あっ、はぁ、……もうっ、ほんとに、でる……」
兄の独占欲を言葉からも肉体からもひしひしと感じ、海斗の瞳からとうとう大粒のしずくがこぼれ出した。
「あろう、あろ……、もっ、むり、だしたい……」
何度見ても泣き顔はいとしくて、亜楼が海斗の口唇に口唇を重ねる。くちづけに導かれ、海斗の腕と脚が自然と亜楼の背に伸びた。腕も脚も亜楼にきつく巻きつけ、揺らされながら、吐精の瞬間をうっとりと待つ。
「んんっ、ん、……っ」
「顔見てぇし、キスしてぇし、……なんなんだよ、おまえっ……」
こんなに興奮するなんてどうかしていると呆れながら、亜楼も射精のための激しい抽挿に入った。
「あっん、……あろ、キス、したい……もっとキス、して……」
「……っ」
「……、キスされて、突かれて、イきたい……っ」
そのたまんねぇ瞳でねだるのは、まじで反則だっての!
「……っ、海斗、おまえ、……わがままばっか……っ」
口唇が再び乱暴に塞がれる。腰を砕かれるのではないかと思うほど、亜楼に強く穿たれる。
「んん、ん、んんっ、ん……!」
お望み通り、キスをして、激しく突いて、一緒に──。
「んん……んっ、ん、……、んっ……ん、ん──ッ!」
「ん……──っ!」
ほとんど同時に果てて、荒ぶった互いの息だけが最後に残った。
中の奥深いところで精液を放った亜楼を見上げて、海斗がゆっくりとあまく微笑む。
「……でもオレ、昔から知ってんだ。……亜楼が、どんなわがままも、聞いてくれるって」
だからきっと、これからも、……わがままばっかのどうしようもないオレだけど。
「調子のんな……ばか」
ふっと力が抜けたように笑って、亜楼は海斗の額にひとつキスを落とした。
「おい、服くらい着ろ、……冷えるだろ」
そう言って亜楼が、ベッドの下に落ちていた弟のTシャツを拾って、海斗の方にふわっと投げた。クーラーのよく効いた部屋は、肌の重なりを解くと途端に少しひんやりする。
互いに一回で足りるはずがなく、そのあとも何度か二人で達した。目隠しがないことにはいつの間にかすっかり慣れ、海斗は亜楼が心酔しているせつなさに満ちた溶けるような瞳を、惜しげもなく兄にさらし続けた。その瞳に何度も何度も欲情して、亜楼は海斗を大事に抱いた。
兄にやさしい好き勝手を散々されて、海斗は裸のままベッドでだらしなく伸びていた。うつ伏せの状態でまくらに顔を預けながら、酷使したからだをひっそりと休めている。
「ごめ、……あとちょっと休憩したら、部屋戻るから……」
Tシャツをパサッと背に掛けられて、早く自室に戻るように促されているのだと気づいた海斗は、だるさの残る四肢をのっそりと動かし始めた。行為のあとは、他の家族にバレないようすぐに部屋に戻るのがいつものルールだ。
「別に、……朝までいたらいいだろ」
そういうルールだと、勝手に思っていたのに。
水のペットボトルを手に、ベッドのそばに戻ってきた亜楼がしれっとそう言い放ったので、海斗ははっとして、起こし始めていたからだを慌てて止めた。
「!? いい、の……?」
立ったまま水を一口流し込み、キャップを閉めながら亜楼がベッドのふちに腰かける。そんな驚くことか? と、不思議そうに海斗を見た。
「冬夜なんか、もうずっと眞空の部屋で寝てんぞ?」
本人たちは隠れてこそこそしているつもりらしいが、目聡い長兄にはとっくにバレていた。亜楼が目聡くそれを見つけてしまったのは、弟組のいつでも穏やかに愛を育んでいるような安定感に、多少の羨望があったからなのかもしれない。自分たちの危なっかしい恋は、まだその域には遠く及ばない。そんな憧れもあって、おそらく二人の行動を無意識に観察していたのだと、亜楼が大人げない自分を思い返す。
あいつら見習って、たまには素直になってみるか……。
「つーかさ、……今日は、そばにいてくれよ」
まだ弱っているところから完全には抜け出せていない亜楼が、頼りない苦笑で海斗に甘えた。今日だけと言わず、別に毎日いてくれたっていいと言いたい気持ちもあったが、あんまり甘えてばかりでは海斗がつけ上がるかと思い、今日のところはここまででやめておく。それはまた、次の機会だ。
「じゃあ、……今日はここにいる」
兄に求められて、海斗のからだが少し震えた。うれしくて、いっぱいになって弾けそうなときめく胸を隠すように、慌ててTシャツを頭から被る。そのままベッドに横になっていると、水をベッドサイドに置いた亜楼が、海斗の隣に勢いよく潜り込んできた。
「……このまま、寝てもいい?」
海斗がそう訊いて、遠慮がちに亜楼の胸に顔をすり寄せる。
「好きにしろ。……寝るならこっち来い、……もっと」
相変わらずこういうときだけ控えめになる海斗に気づき、亜楼が肩を強く抱いてもっと引き寄せた。
亜楼の鼓動が直接耳にどくどくと響いてきて、海斗がひどく安堵する。好きな人の、生きている音。
「なんか、亜楼やさしい……」
「俺は元からやさしいだろうが」
「……ん、……まぁ、そうかも……」
まどろみかけている瞳を完全に閉じて、海斗はたくさんのことを考えた。冬夜のこと。眞空のこと。秀春のこと。由夏のこと。自分たちの両親のこと。写真でしか見たことがない亜楼の母親のこと。そして、亜楼のこと──。
これまでの人生で、どこかひとつでも歯車がうまく噛み合っていなかったら、今の自分はきっとない。
たくさんの小さな奇跡の積み重ねの結果が、今こうやって好きな人の隣にいることなら。
もしそうだとしたら、本当に自分は全然可哀想なんかじゃないと、亜楼のやさしい腕に抱かれながら、海斗は穏やかにそう思った。
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・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
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*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
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