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ゆりすみれ

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51【堂園家Diary】同罪

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「秀春さん……大丈夫……?」

 そっと海斗が秀春に近づき、その少し後ろから亜楼も心配そうに様子をうかがっている。

 由夏をぎこちない笑みでなんとか送り出したあと、秀春は文字通り頭を抱えてリビングのソファに沈み込んでいた。うずくまるように上体を屈め、じっと固まっている。母親と名乗る人の見送りさえできなかった冬夜は、眞空の付き添いでひっそりと自室へ連れていかれていた。

「……あぁ、ちょっと……いや、だいぶ、……混乱してるんだけどね」

 普段猛進的な海斗が、まさに腫れ物を扱うような繊細さで近づいてきたのが少しおかしくて、秀春は顔をちらっと上げて苦笑した。上げた顔をひどく歪ませて、心情を吐き出す。

「俺、情けなくてね……一生分の覚悟で守ると誓った人がこんなに苦しんでたの、十五年以上何も知らなくて……由夏ちゃんひとりですべてを背負い込んでさ、自分だけが罪を償わなきゃいけないみたいに必死になって……由夏ちゃんひとりの罪じゃなかったのに、っ……、俺も、同罪だったのに……」

 まるで懺悔のように、秀春は無意識に顔の前で両手を組み合わせ、額に強く押しつけながら話していた。こんなに苦しそうな表情をしている秀春を見るのは初めてで、海斗は由夏という存在の大きさに驚かされる。以前から事あるごとに秀春の昔話を聞いていた亜楼は、そういうことだったのかと答え合わせをしたように、静かに真相を受け止めようとはしていた。

「……不倫、だったからね。俺が横取りした側だったから……由夏ちゃんが黙っていなくなったのは、あるべき場所へ戻ったからだと思ったんだ。最終的に、本物のパートナーの方を選んだんだろうって。捨てられたなんて言葉すら、おこがましくて使えなかった。由夏ちゃんは、そもそも俺のものじゃなかったんだから。悪で、罪で、まちがってたのは俺の方なんだから。……そう、思って……そう思い込んで、いたのに……」

 見当違いに自分を納得させ、あきらめの良い男を装った。夫を選んだと思い込んで、負う傷を最小限に留めようとした。

「どうして気づいてやれなかったんだろうって、そればっかり……よく考えたら気づけたはずだったんだ……誠実な由夏ちゃんが俺に何も言わずに俺の前から姿を消した意味……何も言わなかった本当の理由……言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだ……そのこと自体が由夏ちゃんのSOSだったってことに、俺はどうして……っ、どうして気づけなかったんだ!?」

 秀春の語気は、次第に強くなった。

「俺は本当に情けないよ……あのとき、嫌われても拒絶されてもいいから、無理やりにでも由夏ちゃんを追えばよかった! なんでそういうときだけ、ものわかりのいい振りしてたんだよ!? 相手の男にボコボコにされたって、世間に罵倒されたって……由夏ちゃん奪いにいけたはずだろ!?」

 自分への怒りが収まらず、顔の前で組んだ手が震える。

「……名字変わってたの、さっき初めて知ったよ。離婚していたことすら知らなかった……俺は本当に、……本当にっ……ただの大馬鹿者じゃないか……」

 放っておいたら永遠に自分を責め続けるだろう秀春を見かねて、亜楼が口を挟んだ。

「どうして、なんで……、ってそんな言葉100万回ここで言ってたって、なんにもなんねぇだろ」

 亜楼の言い方は少しきつかったが、参っている父親を心から案ずる目をしている。

「ここでどんだけ言い訳したって過去は絶対に変わらねぇ。だったら、大事なのはこれからどうするかだろ。……今ここであの人が現れてくれたっつーことは、あんたまだ完全にカミサマに見放されたわけじゃねぇってことだよ」

「……」

「罪だと思ってんなら、今からそれ償うチャンスあるってことだろ。守るべきものが、ちゃんと戻ってきたじゃねぇか」

 守るべきものに守られている心地よさを教えてくれた恩人に、ここぞとばかりに亜楼は伝えてやった。自分たちみなしごが四人集まっても癒すことのできなかった別の種類の想いがあるのをちゃんと知っているから、亜楼は迷うことなく秀春の背中を押してやる。

「ずっと想ってた、忘れられない人なんだろ?」

 はっきりとそう言葉にされてはっとした秀春が、頼りなさげに亜楼を仰ぎ見た。まさか自分の色恋沙汰を息子に励まされる日が来るなんて……こいつらの色恋を面白がって茶化した罰かもしれない……と、秀春はいつぞやの自分の行動を省みて苦々しい気持ちにもなる。それでもせっかく亜楼が言ってくれたのだから、この際そのカミサマとやらを信じてみようかと、秀春は少し落ち着きを取り戻した。

「情けない言葉ばっかり聞かせて悪かったね。……そうだよねぇ、おじさん、まだ神様に見ててもらえてたんだね」

「あんたのこと憎んでんなら、今さらこんな風に会いに来ねぇと思うんだけど」

「……うん、そうだね、ここから挽回しろってことだよね。……これからどうするか、ちゃんと考えてみるよ」

 そう口に出せば秀春はますます冷静になり、きちんと思考の向きを変えた。過去を嘆くには、まだ何もしていなさ過ぎる。

「……おぅ、そうだな。それがいい」

 秀春が少し浮上したことに安堵した亜楼は、柄にもないことを言ってしまったと今さら照れて、急にそっぽを向いた。

「これからどうするか、かぁ。……実際冬夜は、どうすんだろうな」

 秀春の言葉の端からふと末弟の氷結ぶりを思い出した海斗が、深刻そうな顔でつぶやいた。いくらさとくてものわかりのいい冬夜とはいえ、この件についてはあまりにも衝撃的だっただろうと、普段あまり泣き言を言わない芯の強い弟がたまらなく心配になる。ストレスを溜め込むタイプは爆発したときが怖いんだと、眞空がそばについているとはいえ冬夜が何か突飛な行動にでも出やしないかと、海斗は気が気ではなかった。

「冬夜はここに残るだろ、普通に」

 眞空から離れられるわけがないと、亜楼が確信めいて言う。

「オレだってそう思うけどさ、……由夏さんのあんな必死な顔見たら……ちょっと、な。……あの人、冬夜のためだけに今まで生きてきたって感じだったし」

 さっきはあんな風に由夏にはきつく言い放ってしまったが、由夏の想いは痛いほど海斗にも伝わっていた。何より母親というものをずいぶん久しぶりに見た気がして、少し冷静でいられなかったようにも思う。堂園家に唯一足りなかった、空白のぬくもり。

「それは冬夜が自分で決めることだからね、俺たちが口出しすることはできないよ。たとえ、離れ離れになる道を選んだとしても……」

 もう立派な大人だと認めている冬夜が選ぶ道ならばと、秀春はどんな選択も笑って受け入れるつもりだった。冬夜に限らず、誰がどの道を選ぼうと、秀春は必ずそうする。それが親の使命だと、この家族を作ったときからずっとそう決めていた。

「にしても……、冬夜が秀春さんの本当の息子……ね」

 ふと淋しげに、亜楼が薄く口を開いた。血のつながりを越えた家族だと自負しているが、本当に血のつながりに勝てるものなどあるのだろうかと急に不安になる。最初に養子になったのもあって秀春にいちばん近いのは自分だとなんとなく思っていたが、今後その関係性が崩れてしまうのではないかと、亜楼はなんとも言えない不思議な気持ちに心を持っていかれていた。

「……もしかして亜楼……ちょっと拗ねてる?」

 亜楼の不安を敏感に感じ取った海斗が振り返り、弱みを握ったと言わんばかりに兄の顔をじぃっと見つめる。

「はぁ?」

「秀春さんを冬夜にとられるとか思ってんじゃねぇの?」

「あ?」

「ぜってぇそうじゃん、おまえファザコンだしな!」

「うるせぇな! ちげぇよ!」

 完全に図星だった亜楼がムキになって怒る。いつものくだらないけんかを始めそうになった二人を見かねて、秀春は苦笑とともにソファから立ち上がり、図体だけは自分よりもすっかりたくましくなってしまった息子たちを上手に引き剥がした。

「こら、けんかしない。もう今さら、血縁とか他人とかどうでもいいじゃないか。四人は平等に俺の大切な息子であって、優劣はない。これからも何も変わらないよ。……こんな風にいつまでも手の掛かる、やんちゃな子供たちだ」

 そうやさしく言って、秀春は亜楼と海斗の頭を、子供の頃によくしたようにポンポンと撫でつけた。いつもの亜楼ならブチ切れそうな行為だが、今日は家族みんなが少し弱っているので、大人しくその大きくてあたたかいてのひらに頭をゆだねる。単純素直な海斗はうれしそうに、秀春のそのぬくもりを分けてもらった。

「……これ許すの、今日だけだからな」

「ほんとはうれしいくせに。素直じゃねぇヤツ」

「……っ、海斗……おまえあとで覚えとけよ」

「おぉ、こわ。……ははっ、やれるモンならどーぞ?」

 いつの間にかいつもの賑やかさを取り戻したリビングで、秀春はゆっくりと、守るべき人を取り戻すための未来を丁寧に思い描いた。

 うつむいてばかりでは、いられない。
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