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37【眞空+冬夜Diary】つかみたかったもの

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 その夜、冬夜は眞空のベッドにもぐり込んで、安らかにからだを横たえていた。寝るときになって急に冬夜が部屋の扉を叩いてきたときは少し驚いたが、夕方にあんな風にくちづけて互いの想いを確かめ合ったのだから、こうやって夜を過ごすのはとても自然なことのように眞空には思えた。眞空はベッドに浅く腰かけ、うとうとする冬夜の柔らかい髪をそっと撫でつけている。

 兄としてではなく、冬夜のキスをする相手としてこうやって触れることを、眞空はずっとずっと夢見ていた。今この瞬間こんな風に冬夜に触れていることが本当はまだ信じられなくて、うれしさが募って、胸が何度も何度も何度も詰まった。

「……ずいぶん遠回りしたな、おれたち」

 眞空がそう苦笑して言うと、まぶたを閉じかけていた冬夜がそっと瞳を開き、眞空を見上げる。

「眞空が鈍いからだよ。僕は結構、スキスキオーラ出してたけど?」

「え!? そうなの……? おれはてっきり、冬夜は純一を選ぶんじゃないかって……」

 自分で言っていて、あ……と眞空はすっかり抜け落ちていた重大なことを思い出した。想いがつながった喜びに浮かれていたが、それは一点の曇り。

「そういえば……されたんだよね? 純一に、キス……」

 うん、まぁ……と歯切れ悪く答えた冬夜は、眞空の顔を直視しないように目を伏せると、あまり思い出したくないというようにぽつりぽつりと説明した。

「部活終わってからクラブハウス棟の裏に呼び出されて……告白されたんだ。……そのまま一方的にキス、されて……僕びっくりして、純一さん押しのけて……走って逃げてきちゃって……それで……」

 はじめてだったのに、と付け足すと、冬夜のからだが心なしか震える。

「ごめん! 言いたくないだろ? もう言わなくていいよ……おれもあんまり、聞きたくないし……」

 さえぎるようにして冬夜の言葉を吸収すると、眞空は冬夜の頬をそっとなぞって、自分の方にそのうるわしい顔を仰がせた。

「……ちゃんと純一に言わないとな、おれたちのこと。悪いことしてるわけじゃないから堂々と胸張ってればいいんだろうけど……今までいろいろ黙ってたのは、すげぇ怒られるんだろうな」

 純一の気持ちを知ったときには何も言えなかったのに、こうやって事後報告のような形になってしまうことが眞空にはひどく心苦しく、うかつにも冬夜に沈痛な面持ちを見せてしまう。

「大丈夫? 僕も一緒に言おうか? 僕も悪いんだ……デートOKしたりして、ちょっと気を持たせるようなこともしちゃったし」

「いや、いいよ、ひとりで大丈夫。親友なんだ、純一は。大切な友達だからちゃんと自分で言うよ」

 強い意志を宿す瞳に、冬夜は眞空を頼もしく感じて心を揺らした。友達を大切にする、やさしい人。そんな眞空だからきっと、あの可哀想だった自分にも手を差し伸べてくれたのだと、はじまりの折り紙を思い出して冬夜が胸を詰まらせる。

「うん、わかった」

「おまえは、何も心配しなくていいから」

「……今日の眞空、ずっとかっこいいな」

「そ? よかった。散々情けないところばっか見せてきたからさ……好きな子に、もうこれ以上かっこ悪いとこ見せたくないしね」

「好きな子……」

「好きな子だよ。冬夜は子供の頃から、おれの、大好きな子」

 眞空の言葉を噛みしめて、また心が震える。やっと、やっと、眞空のものになれた。長い長い時間の先でこんな未来が待っていると、冬夜はあの頃のあまり笑えなかった自分に教えてやりたくてたまらなくなる。

 ──僕に折り紙おしえてくれてありがとう。僕とあそんでくれてありがとう。

 ──僕、眞空、だいすき。

 子供の頃の声が、そっと戻ってくる。笑うことを教えてくれた大事な人と、十年後キスをする未来があるよと、冬夜は遠き日の幼い自分にそっと語りかけてやった。





 横になっている冬夜の髪を、ベッドのふちに腰かけたまま、しばらくもてあそんでいるときだった。

 眞空はふと、弟の背中に紫の小さなあざのようなものがあるのを偶然見つけてしまった。寝間着の隙間から不意にちらっと見えたそれは、首の後ろの左肩寄りに、赤紫のいびつな花のような形でうっすらと浮かんでいる。幼い頃は一緒にお風呂に入ったり海に行ったりもしていたが、その小さなあざの存在はよく覚えていなかった。堂園家に来てから冬夜が大きな怪我をした記憶もなく、単に今まで気にしていなかっただけかと眞空が思い返す。

「冬夜って、こんなところにあざなんてあったっけ?」

 眞空が服の上から、ここ、と冬夜の背中を少し触り、一応本人に確認してみる。改めて背中を見たり触れたりする機会など久しくなかったので、指先が少し緊張した。

「それ……子供の頃からずっとあるみたいなんだよね。施設に預けられたときにはもうあったみたい。自分じゃ見えないとこだからあんまり気にしてなかったんだけど……転んだ傷跡とかかなぁ? 僕って実は小さい頃、すっごいやんちゃだったのかもね」

「おまえのやんちゃって、全然想像できないよ」

「ふふっ、僕も。……でも、まだ小さくて、何も覚えてない頃の話だから」

 冬夜とやんちゃが結びつかず眞空は小さく笑うが、改めて見ると転んだ傷跡には見えないそれに、少しだけ胸の辺りがざわついた。子供の頃に意識しなかったのは、このあざに深い意味を見出ださなかったからだろう。あの頃より歳を重ねた今なら、なんとなくわかる。冬夜が何も覚えていない頃に、おそらくあった、哀しいこと。

 眞空が浮かない顔をしているのに気づき、冬夜も少しだけ顔を曇らせる。

「眞空は……僕のからだが傷ついてるの、イヤ……?」

 すかさず冬夜がそこらの女子よりも長いまつげで美しく見上げてくるので、眞空は慌てて首を大きく横に振った。

「まさか! おれはこのあざも含めて、丸ごと冬夜が好きだよ」

「よかった。眞空が、僕に完璧なからだ求めてたらどうしようって思っちゃった。……容姿で寄ってくる人、多いから」

「見た目で選んだわけじゃない。そういうのよくわかんないうちから、おれは冬夜に夢中だったよ……」

 そう言うと眞空は、ベッドに横たわる冬夜の隣にもぐり込んで、きつく弟を抱きしめた。いとおしさをもうこれ以上力で表現できないほどにぎゅっと抱き寄せ、正直まだ全然おさまっていない興奮をなんとか誤魔化して無理やり瞳を閉じる。

「まそら……」

 名をつぶやき、冬夜も兄の腕の中でうっとりと目を細める。

「明日も朝練出るんだろ? 寝よっか」

「うん……」

 しばらく横になっていた冬夜はもう眠気に抗えないようで、重たいまぶたと闘いながら、そっと眞空のTシャツの裾をつかんだ。服の端をぎゅっと握りしめられ、眞空が笑う。

「まだこの癖残ってたの? 昔一緒に寝てたときも、ずっとおれの服つかんでたよね」

 家族の微笑ましい思い出を、冬夜のまだずいぶんと小さかったてのひらの記憶と一緒に眞空が呼び戻した。

「……これはね、寝てる間に、眞空がどこにも行かないように」

「!? そう……だったの?」

 初めて知る真実に、眞空が驚く。あの頃まだ新しい家族に戸惑っていた冬夜は、何かをつかんで眠ることで心を安定させているのだと、家族の誰もがそう信じていた。

「ひばり園で、朝起きたら突然眞空がいなくなってたの、ちょっとトラウマだったから」

「……っ、ごめん、あのとき……おれ、言えなくて」

「うん、だからね、もう二度と離れ離れにされませんようにっていう……小さかった僕の、最大限の主張」

 弱く笑う冬夜を、はっとした眞空がさらに強く抱きしめた。ごめんね、ごめんね、と冬夜の耳元に何度も落とす。大人たちの勝手な都合に巻き込まれて心を閉ざしていた孤独な少年を、ひとり置いていくような真似はしてはいけなかったのに。一度つかんで喜ばせた手を離してしまうなど、本当は決してあってはならなかったのに。眞空は無力だったあの頃の自分を、悔やんでも悔やみきれない。子供にだって、できることはきっとあったはずだった。

「あのとき、置いていって……淋しくさせてごめん……冬夜、ごめんね……」

 置いていかれる絶望は、眞空も知っている。何気なく手を離したら、もう両親には会えなくなってしまった。

「眞空のせいじゃないでしょ。僕たちはあのとき、ただの子供だったんだから」

 親がいないという共通点だけで集められ、大人たちが決めた大きな流れに逆らうことはできなかった、あのとき。

「……行きたくない、冬夜と一緒がいいって、先生たちに大声でわめき散らせばよかった」

「ふふっ、秀春さん困らせたらダメだよ。……でもね、また会えたからいいんだ。本気で運命だって思ったよ。運命が加点されて、もっともっと、眞空のこと好きになった」

「冬夜……」

 眞空が、抱きしめた冬夜に伝える。

「この先のおまえに、つらいことや哀しいことや淋しいことが、なるべく起こりませんようにって願うよ」

「なるべく、っていう控えめなのが眞空らしいな。やさしいね」

「それを叶えるために、おれがずっと冬夜のそばにいるって誓う。……もう絶対、おまえを置いて、どこにも行かないよ」

 一生分の淋しさや哀しみを前倒しで味わった冬夜には、この先まぶしいくらいの笑顔だけあればいい。生みの親を知らないことも、背中に残されていた小さなあざのことも、冬夜が抱える哀しみのすべてに寄り添うと眞空が決める。

「うん……頼もしいな」

 冬夜はまたうっとりとして、眞空にぎゅっとしがみついた。

「……そうだ。僕ほんとはね、こうしたかったんだ」

 そう言った冬夜が、つかんでいたTシャツの裾から手を離した。自身の背を抱いていた兄の腕を移動させ、胸の前に持ってくる。そのまま眞空のてのひらに手を滑らせて、遠慮がちにつかんだ。本当につかみたかったものは。

「ほんとはね、ずっと……眞空と手つなぎたかったんだ」

 冬夜の細く白い指が、眞空の手をそっと握る。

「手をつないで寝たかったんだけど、男同士で、しかも兄弟で手つなぎたがるなんて絶対おかしなやつだと思われるって思って、怖くてできなかった。せっかく家族に迎え入れてもらえたのに、みんなに嫌われるの、怖くて」

「嫌うわけないだろ……。子供だったんだから、そんなに深く考えなくてもよかったのに」

「子供でも考えるよ。運命だと思った人の前で、失敗できないでしょ」

 他人しかいない世界でうまく生きていくために、その世界で取り残されないように、誰かの顔色ばかりを気にしていた。世界の中心は眞空で、その端にしがみついていられるだけで幸せだった。今こうして、この距離で自然と眞空に触れていることが夢みたいで、冬夜は少し目を潤ませる。

「じゃあ今日は、こうやって寝よっか」

 自分の手をつかんでいた弟の手を一旦解き、眞空は冬夜のてのひらにてのひらを合わせた。冬夜の手の方が薄く、繊細で小さい。そのまま指をずらし、冬夜の指と交互にしてやさしく握る。

「恋人つなぎだ……」

「これは、子供はしないやつだろ?」

「いいの?」

「当たり前。……おれだって、ずっと冬夜とこうしたかったよ」

「うれしい……」

 遅れていた時計の針が、遅れを取り戻そうと急速に回り出した。キスをして、手をつなぎ、隣で眠る。感情と経験の目まぐるしい一日に、眞空が満ち足り過ぎて参ってしまう。

 ……今日、どんだけご褒美くれるんだよ……幸せすぎて、怖い。

「さ、もうほんとに寝るよ」

「うん、……朝練、間に合うように起こして……」

「いいよ、おやすみ」

「まそら、……おやすみ」

 つないだ手の温度に安堵したのか、眠気をこらえていた冬夜がすぐにまぶたを下ろす。

 ……海斗にも報告しないとな。あいつ、あれから大丈夫だったのかな……。

 亜楼の言葉に振り回されて学校の階段で泣いていた数日前の兄を思い出しながら、すぐ横ですやすやと寝息を立て始めた宝物のぬくもりとともに、眞空もおだやかな眠りにいざなわれた。
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