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30【海斗Diary】宣戦布告
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「コーヒーがいい? それとも紅茶がいい?」
「え、あ、じゃあ紅茶で……」
おどおどと紅茶を選んだ海斗に、涼はオッケーという視線を送ると、事務所の一角にあるミニキッチンで紅茶の準備を始めた。さすがカフェなどの内装を手掛けている会社だけあって、モノトーンでまとめられたミニキッチンも、デザイン重視のあまり実用的ではなさそうな造りをしている。涼がキッチンに立つと、程なくして茶葉の甘ったるい香りが事務所に広がった。
亜楼が勤める『Studio Coolish』の応接ソファで、海斗は変な汗をかきながら固まっていた。実は先週の部活帰りの土曜日にもここを偵察に訪れ、ガラス戸の外から中の様子をこっそりうかがっていた海斗は、土曜に涼がひとりで事務所に来ていることを知った。そのときは心の準備が整っておらず涼に声を掛けることはできなかったが、一週間考え、今日はきちんと心を決めてきた。いるかどうかもわからず一か八かで訪れてみたのだが、土曜出勤は彼のルーティンなのか、今日も運良く涼はひとりで事務所にいてくれた。朝にしつこく亜楼の予定を確認していたのも、戦に出陣するような緊張ぶりも、すべてはこの訪問のためだった。涼に、話がある。
……こ、ここで怯むなよ……。オレは、この人に物申しに来たんだから……!
じっとりと汗ばみながら海斗が涼を睨みつけるように見ると、涼は余裕たっぷりで笑み返してくる。品のいいカップにいれられた紅茶が海斗の前に置かれ、涼は向かいのソファに優雅に腰を下ろした。
「堂園海斗くん……だっけ? こうやってちゃんと話すのは初めてだよね。わざわざ亜楼のいないときに来るってことは、ボクに用があるってことかな? 亜楼に聞かれたらまずい何かを、話したいってことでしょう?」
涼は自分のためにいれたカップを軽く持ち上げながら、何故か自分に敵意むき出しの少年をおかしそうに見つめる。
「兄がいつもお世話になってます。休日出勤の邪魔しちゃってすみません」
「礼儀正しいね。いいから、早くキミの話をしよう」
「……じゃあ、単刀直入に言わせてもらいます。兄と……亜楼と、別れてください」
口に出すと言葉は少しだけ揺れたが、海斗の気持ちは強くのっていた。
「ほぅ」
そうきたかと、涼は少しだけ眉を吊り上げて、向かいの海斗の表情をじっと見る。
「理由は?」
「オレが兄を好きで……、亜楼に、オレを見てもらいたいから」
涼は一瞬だけ目を大きく開いたが、すぐに理解してにこりと笑った。いろいろな辻褄が涼の中で合っていく。
「あぁ、キミたち血がつながってないんだったね。そう、亜楼が好きなの」
「あいつ、そんなことまで話してやがったのか……」
オレには血のつながりがどうのこうのと諭すくせに、この人にはあっさり家族の秘密を教えていたのかと、海斗が難しい顔をする。亜楼にとっての涼の価値を思い知らされたようで苦しかったが、ここでへこんでいても仕方がない。
「それで?」
「え? いや、だから、その、……兄とは、別れてほしくて……」
逆に問われ、海斗は用意していなかった答えを探してたじろいだ。亜楼と別れてほしいと伝えることだけで頭がいっぱいで、その先のやり取りについてはあまり深く考えていなかった。涼の威圧的な訊き方に、怯みそうになる。
「亜楼はボクのことがスキ、ボクは亜楼を気に入っている。どうして別れる必要がある?」
「どうしてって……あんた結婚したんだろ!?」
海斗は思わず身を乗り出して詰め寄ってしまった。テーブルが揺れ、カップがカチャカチャと音を立てる。
「したねぇ。でもあれは、親たちが自分たちの利益のために勝手に決めた、親同士の都合のようなものだったし……妻もいろいろわかっている人なんだ。彼女も社長夫人の座を手に入れて、すごく自由にやってるよ。誰も悲しんでないし、誰も迷惑してない。そもそもボクと亜楼の思いが変わらないのに、どうしてわざわざ別れるの? ボクは別に、このまま現状維持でいいって感じなんだけど」
「……っ」
さも正論を説いているかのように自分の無罪を主張する涼に気圧されて、海斗は口をつぐんでしまった。確かに二人が想い合って同意しているのならば、そこに海斗が口出しする権利はまったくない。亜楼の特別ではないのに、別れてほしいという海斗の言い分の方が理不尽である。海斗は何も言い返せなくなり、口唇を噛みしめて目の前のカップを凝視した。
「……キミさ、亜楼に抱かれてるんでしょ?」
「えぇっ!? な、なんでそれ知っ……あっ、あいつ、そんなことまであんたに話してんのかよっ!?」
急に痛いところを突かれ、海斗は激しく狼狽した。なんでこの人がそれ知ってんだよ! と亜楼に対する怒りがふつふつと湧き上がる。その慌てふためく少年の様子を見て、涼が突然けらけらと笑い出した。
「あれ? 当たっちゃったの? カマかけてみただけだったんだけど」
「なっ!? オ、オレ、墓穴掘った……?」
「あはは、亜楼は一体いつから、そんなセックスにだらしない子になっちゃったんだろうね。ボクには嫁を抱くななんて言ってたくせに、ひどい人」
涼は心底おかしそうに、まだくすくす笑っている。
「……いや、あれはオレが無理やりお願いして、渋々してもらったことだから、亜楼に非はないっつーか、その……してしまって、すみません」
何故か律儀に謝罪する海斗を見て、キミは誰の味方なの? と涼が呆れてまた笑う。普通だったら修羅場になりそうなところなのに、この少年を前にしたら怒るべきところでも何故か怒れなくなってしまう。
「悪いことしてる自覚はあるんだ? いいよ、ボクだって妻を抱く日もあるしね、お互い様さ」
「……あの、……本当に兄のこと、好きなんですか?」
紡がれる言葉の端々から、どこか亜楼とのことを軽く見ているような態度の涼に、海斗が不信感を抱き始めた。
「うーん、好きっていうか……お気に入り? まだボクも亜楼も若かった頃にちょっとそうなったら、それ以来懐かれちゃってね。かわいい大事な部下だと思ってるよ。でも本当は、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれない。多分……ちょっとやりたいだけなんだよ。からだの相性すごくいいんだ、ボクたち」
そう言ってなんてことないように微笑む涼に、海斗はまた身を乗り出して、今度こそ怒りをあらわにした。
「そんな! 亜楼はあんたのことすげぇ好きっぽいんだよ!? そんなの、あんまりじゃねぇかよ……もてあそぶなよ!」
「だからキミ、誰の味方……」
「……そんな、やりたいだけって……、誰でもいいみたいな、言い方……」
海斗の声音が、わかりやすく落ちる。
「誰でもいいなら……亜楼じゃねぇやつにしてくれよ……」
理不尽な自覚はあったが、海斗ももう引き下がれない。無茶苦茶な言い分だった。通用するわけない。
「なぁ、好きじゃないなら、あいつの心から出てってくれよ……オレは、どうしても亜楼じゃなきゃダメなんだよ……」
誰にも渡したくないと、海斗が子供のように駄々を捏ねた。言いながら、瞳の奥がじわっと熱くなるのを感じる。
「あんたを想ってる限り、亜楼はオレを見てはくれない。まだスタートラインにも立ててねぇんだ。亜楼がオレに興味ねぇってのは、わかってるけどさ、……でもやっぱり、せめて、チャンスくらいは欲しい」
スタートラインに立てたところで、弟という立場を、越えられるかどうかなんてわからないけれど。
「……あんたがどうしても亜楼じゃなきゃダメって思ってねぇなら、オレにくれよ!」
今にも泣き出しそうに瞳を歪ませながら兄を奪おうと必死になっている少年を見て、涼はなんと返せばいいのかわからなくなってしまった。誰かを想って、こんな風にせつなさに満ちた目を惜しげもなくさらす人を、涼は初めて見た気もしていて、この想いをからかうような真似だけはしてはいけないと本能で気づく。
「キミはとてもまっすぐに人を愛せるんだね。……なんだか、うらやましいな」
「……バカにしてんですか」
さっそく茶化したと思われたようで、涼が慌てて訂正する。
「違う違う、本当にそう思って、いいなって思ったんだよ。ボクはそんな風に、まっすぐにも一生懸命にもなれない。そういう性分なんだ」
ふと淋しそうにまつげを伏せる涼を、海斗は意外に思って不思議そうに眺めた。そんなところにコンプレックスを感じる必要すらなさそうな、自信に満ちあふれた楽勝な人生を送っていそうな人なのに。
「これまでの人生で、何かを強く欲しがったり、執着したことがないんだ。ボクはもう最初からそういう人間なんだって、あきらめてる」
「それは、あんたが……必死にならなくてもなんでも手に入れられるからなんじゃないんスか」
オレがいちばん欲しいものを、いとも容易く、手に入れて。
「ふふ、そうだね。……もしくは、必死になってまで欲しいものに、ボクは未だ出会えていないか」
涼が、海斗を見た。
「キミはそのまっすぐさを武器に、キミの愛し方で亜楼を愛してやったらいい」
「な!? またバカにして……」
「違うよ。ボクはね、そうやって一生懸命愛したらきっと想いが届くっていうおとぎ話みたいなこと、ちょっと信じてみたくなっただけ」
詩のように並べられた言葉のあたたかみに、海斗が動揺する。
「ホントのホントに弟としか見てない人と、セックスなんてできないと思うんだけど?」
「……っ、……」
涼が、目の前の歳の離れた少年を、ひとりの男として認識する。
「キミが、お兄さんを、……セックスにだらしない浮気男にさせたんだよ? すごいよね」
「……」
亜楼が自分の中で気持ちいいと言ってくれたことが脳裏によぎり、海斗の感情が昂る。
「いいよ、やってごらん。……ボクから亜楼を奪ってごらんよ」
挑発的な物言いだったのに、海斗を見つめる涼の瞳はどこかやさしかった。本当に執着していないようだと海斗は思う。自分にとっては好都合だが、亜楼は傷つくんじゃないかと不安にもなり海斗は手放しでは喜べない。それでも海斗は、目の前の男に告げなければと奮い立つ。言われなくても、もちろんそうするつもりだった。
「奪ってやるよ。……オレは、亜楼だけはあきらめたくない」
まっすぐに向けられた気持ちの重さに、涼はふっと表情を緩める。本気でぶつかってきてくれるこの少年と、もう少しこのまま張り合いたいような気にもなってくる。
「……そういえばボク、キミにちょっと嫉妬してたことあったなぁ」
思い出したように、涼がふと明かした。カップを手に取り、紅茶の香りを楽しんでから、ゆったりと口をつけて喉を潤す。
「なんで、オレ……?」
「亜楼がね、昔からよくキミの話をするんだよ。キミが何かしでかすと、いつも心配してた。危なっかしくて目が離せないって、怒ってんだかうれしいんだか。他にも二人弟がいるんでしょう? でもいつもキミのことばかりボクに話してさ。……なんかそれって、ちょっとずるいよね? ボクのこと好きって言うくせに、他の男の話ばかりなんて」
「他の男って……弟っスよ」
海斗は呆れたが、亜楼が自分のことを話題にしてくれていたのは単純にうれしかった。少なくとも他の二人の弟よりは優位かと、弟たちにとってはどうでもいいはずのくだらない競争に救われる。
「とにかく、関係を続けるかやめるかは亜楼次第だよ。ボクは、来るもの拒まず去るもの追わずがポリシーだからね。ボクらの関係の結末は、ボクが決めることでも、もちろんキミが決めることでもない。亜楼の選択がすべてだ」
「それでもオレは、……いつかきっと、あんたを亜楼から追い出してみせる」
キッと涼を睨みつけて、海斗は迷いのない決意をきっちりと示した。亜楼をいちばんに好きなのは絶対に自分だと、涼にうらやましがられるまっすぐに透き通った瞳に、ゆらゆらと闘志を燃やす。
「はいはい、健闘を祈るよ。それにしても……亜楼はこんなにも想われて、幸せだねぇ」
「あぁ、それは、オレもそう思う」
海斗と涼は顔を見合わせて、思わず少し笑ってしまった。宣戦布告をしに来たつもりが、海斗は何故かところどころで涼に励まされている。
……この人、まじで誰の味方なんだよ……?
海斗はすっかり冷めてしまった紅茶を初めて口に運んで、亜楼が涼に惹かれている理由が、なんとなくだがわからなくもないような気持ちになった。涼は飄々とした自信家でちょっといじわるだけど、どこか、あたたかい。
この人を兄の心から追い出すのは骨が折れそうだと、冷めた紅茶を一気に飲み干して、海斗は一層気を引き締めた。
「え、あ、じゃあ紅茶で……」
おどおどと紅茶を選んだ海斗に、涼はオッケーという視線を送ると、事務所の一角にあるミニキッチンで紅茶の準備を始めた。さすがカフェなどの内装を手掛けている会社だけあって、モノトーンでまとめられたミニキッチンも、デザイン重視のあまり実用的ではなさそうな造りをしている。涼がキッチンに立つと、程なくして茶葉の甘ったるい香りが事務所に広がった。
亜楼が勤める『Studio Coolish』の応接ソファで、海斗は変な汗をかきながら固まっていた。実は先週の部活帰りの土曜日にもここを偵察に訪れ、ガラス戸の外から中の様子をこっそりうかがっていた海斗は、土曜に涼がひとりで事務所に来ていることを知った。そのときは心の準備が整っておらず涼に声を掛けることはできなかったが、一週間考え、今日はきちんと心を決めてきた。いるかどうかもわからず一か八かで訪れてみたのだが、土曜出勤は彼のルーティンなのか、今日も運良く涼はひとりで事務所にいてくれた。朝にしつこく亜楼の予定を確認していたのも、戦に出陣するような緊張ぶりも、すべてはこの訪問のためだった。涼に、話がある。
……こ、ここで怯むなよ……。オレは、この人に物申しに来たんだから……!
じっとりと汗ばみながら海斗が涼を睨みつけるように見ると、涼は余裕たっぷりで笑み返してくる。品のいいカップにいれられた紅茶が海斗の前に置かれ、涼は向かいのソファに優雅に腰を下ろした。
「堂園海斗くん……だっけ? こうやってちゃんと話すのは初めてだよね。わざわざ亜楼のいないときに来るってことは、ボクに用があるってことかな? 亜楼に聞かれたらまずい何かを、話したいってことでしょう?」
涼は自分のためにいれたカップを軽く持ち上げながら、何故か自分に敵意むき出しの少年をおかしそうに見つめる。
「兄がいつもお世話になってます。休日出勤の邪魔しちゃってすみません」
「礼儀正しいね。いいから、早くキミの話をしよう」
「……じゃあ、単刀直入に言わせてもらいます。兄と……亜楼と、別れてください」
口に出すと言葉は少しだけ揺れたが、海斗の気持ちは強くのっていた。
「ほぅ」
そうきたかと、涼は少しだけ眉を吊り上げて、向かいの海斗の表情をじっと見る。
「理由は?」
「オレが兄を好きで……、亜楼に、オレを見てもらいたいから」
涼は一瞬だけ目を大きく開いたが、すぐに理解してにこりと笑った。いろいろな辻褄が涼の中で合っていく。
「あぁ、キミたち血がつながってないんだったね。そう、亜楼が好きなの」
「あいつ、そんなことまで話してやがったのか……」
オレには血のつながりがどうのこうのと諭すくせに、この人にはあっさり家族の秘密を教えていたのかと、海斗が難しい顔をする。亜楼にとっての涼の価値を思い知らされたようで苦しかったが、ここでへこんでいても仕方がない。
「それで?」
「え? いや、だから、その、……兄とは、別れてほしくて……」
逆に問われ、海斗は用意していなかった答えを探してたじろいだ。亜楼と別れてほしいと伝えることだけで頭がいっぱいで、その先のやり取りについてはあまり深く考えていなかった。涼の威圧的な訊き方に、怯みそうになる。
「亜楼はボクのことがスキ、ボクは亜楼を気に入っている。どうして別れる必要がある?」
「どうしてって……あんた結婚したんだろ!?」
海斗は思わず身を乗り出して詰め寄ってしまった。テーブルが揺れ、カップがカチャカチャと音を立てる。
「したねぇ。でもあれは、親たちが自分たちの利益のために勝手に決めた、親同士の都合のようなものだったし……妻もいろいろわかっている人なんだ。彼女も社長夫人の座を手に入れて、すごく自由にやってるよ。誰も悲しんでないし、誰も迷惑してない。そもそもボクと亜楼の思いが変わらないのに、どうしてわざわざ別れるの? ボクは別に、このまま現状維持でいいって感じなんだけど」
「……っ」
さも正論を説いているかのように自分の無罪を主張する涼に気圧されて、海斗は口をつぐんでしまった。確かに二人が想い合って同意しているのならば、そこに海斗が口出しする権利はまったくない。亜楼の特別ではないのに、別れてほしいという海斗の言い分の方が理不尽である。海斗は何も言い返せなくなり、口唇を噛みしめて目の前のカップを凝視した。
「……キミさ、亜楼に抱かれてるんでしょ?」
「えぇっ!? な、なんでそれ知っ……あっ、あいつ、そんなことまであんたに話してんのかよっ!?」
急に痛いところを突かれ、海斗は激しく狼狽した。なんでこの人がそれ知ってんだよ! と亜楼に対する怒りがふつふつと湧き上がる。その慌てふためく少年の様子を見て、涼が突然けらけらと笑い出した。
「あれ? 当たっちゃったの? カマかけてみただけだったんだけど」
「なっ!? オ、オレ、墓穴掘った……?」
「あはは、亜楼は一体いつから、そんなセックスにだらしない子になっちゃったんだろうね。ボクには嫁を抱くななんて言ってたくせに、ひどい人」
涼は心底おかしそうに、まだくすくす笑っている。
「……いや、あれはオレが無理やりお願いして、渋々してもらったことだから、亜楼に非はないっつーか、その……してしまって、すみません」
何故か律儀に謝罪する海斗を見て、キミは誰の味方なの? と涼が呆れてまた笑う。普通だったら修羅場になりそうなところなのに、この少年を前にしたら怒るべきところでも何故か怒れなくなってしまう。
「悪いことしてる自覚はあるんだ? いいよ、ボクだって妻を抱く日もあるしね、お互い様さ」
「……あの、……本当に兄のこと、好きなんですか?」
紡がれる言葉の端々から、どこか亜楼とのことを軽く見ているような態度の涼に、海斗が不信感を抱き始めた。
「うーん、好きっていうか……お気に入り? まだボクも亜楼も若かった頃にちょっとそうなったら、それ以来懐かれちゃってね。かわいい大事な部下だと思ってるよ。でも本当は、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれない。多分……ちょっとやりたいだけなんだよ。からだの相性すごくいいんだ、ボクたち」
そう言ってなんてことないように微笑む涼に、海斗はまた身を乗り出して、今度こそ怒りをあらわにした。
「そんな! 亜楼はあんたのことすげぇ好きっぽいんだよ!? そんなの、あんまりじゃねぇかよ……もてあそぶなよ!」
「だからキミ、誰の味方……」
「……そんな、やりたいだけって……、誰でもいいみたいな、言い方……」
海斗の声音が、わかりやすく落ちる。
「誰でもいいなら……亜楼じゃねぇやつにしてくれよ……」
理不尽な自覚はあったが、海斗ももう引き下がれない。無茶苦茶な言い分だった。通用するわけない。
「なぁ、好きじゃないなら、あいつの心から出てってくれよ……オレは、どうしても亜楼じゃなきゃダメなんだよ……」
誰にも渡したくないと、海斗が子供のように駄々を捏ねた。言いながら、瞳の奥がじわっと熱くなるのを感じる。
「あんたを想ってる限り、亜楼はオレを見てはくれない。まだスタートラインにも立ててねぇんだ。亜楼がオレに興味ねぇってのは、わかってるけどさ、……でもやっぱり、せめて、チャンスくらいは欲しい」
スタートラインに立てたところで、弟という立場を、越えられるかどうかなんてわからないけれど。
「……あんたがどうしても亜楼じゃなきゃダメって思ってねぇなら、オレにくれよ!」
今にも泣き出しそうに瞳を歪ませながら兄を奪おうと必死になっている少年を見て、涼はなんと返せばいいのかわからなくなってしまった。誰かを想って、こんな風にせつなさに満ちた目を惜しげもなくさらす人を、涼は初めて見た気もしていて、この想いをからかうような真似だけはしてはいけないと本能で気づく。
「キミはとてもまっすぐに人を愛せるんだね。……なんだか、うらやましいな」
「……バカにしてんですか」
さっそく茶化したと思われたようで、涼が慌てて訂正する。
「違う違う、本当にそう思って、いいなって思ったんだよ。ボクはそんな風に、まっすぐにも一生懸命にもなれない。そういう性分なんだ」
ふと淋しそうにまつげを伏せる涼を、海斗は意外に思って不思議そうに眺めた。そんなところにコンプレックスを感じる必要すらなさそうな、自信に満ちあふれた楽勝な人生を送っていそうな人なのに。
「これまでの人生で、何かを強く欲しがったり、執着したことがないんだ。ボクはもう最初からそういう人間なんだって、あきらめてる」
「それは、あんたが……必死にならなくてもなんでも手に入れられるからなんじゃないんスか」
オレがいちばん欲しいものを、いとも容易く、手に入れて。
「ふふ、そうだね。……もしくは、必死になってまで欲しいものに、ボクは未だ出会えていないか」
涼が、海斗を見た。
「キミはそのまっすぐさを武器に、キミの愛し方で亜楼を愛してやったらいい」
「な!? またバカにして……」
「違うよ。ボクはね、そうやって一生懸命愛したらきっと想いが届くっていうおとぎ話みたいなこと、ちょっと信じてみたくなっただけ」
詩のように並べられた言葉のあたたかみに、海斗が動揺する。
「ホントのホントに弟としか見てない人と、セックスなんてできないと思うんだけど?」
「……っ、……」
涼が、目の前の歳の離れた少年を、ひとりの男として認識する。
「キミが、お兄さんを、……セックスにだらしない浮気男にさせたんだよ? すごいよね」
「……」
亜楼が自分の中で気持ちいいと言ってくれたことが脳裏によぎり、海斗の感情が昂る。
「いいよ、やってごらん。……ボクから亜楼を奪ってごらんよ」
挑発的な物言いだったのに、海斗を見つめる涼の瞳はどこかやさしかった。本当に執着していないようだと海斗は思う。自分にとっては好都合だが、亜楼は傷つくんじゃないかと不安にもなり海斗は手放しでは喜べない。それでも海斗は、目の前の男に告げなければと奮い立つ。言われなくても、もちろんそうするつもりだった。
「奪ってやるよ。……オレは、亜楼だけはあきらめたくない」
まっすぐに向けられた気持ちの重さに、涼はふっと表情を緩める。本気でぶつかってきてくれるこの少年と、もう少しこのまま張り合いたいような気にもなってくる。
「……そういえばボク、キミにちょっと嫉妬してたことあったなぁ」
思い出したように、涼がふと明かした。カップを手に取り、紅茶の香りを楽しんでから、ゆったりと口をつけて喉を潤す。
「なんで、オレ……?」
「亜楼がね、昔からよくキミの話をするんだよ。キミが何かしでかすと、いつも心配してた。危なっかしくて目が離せないって、怒ってんだかうれしいんだか。他にも二人弟がいるんでしょう? でもいつもキミのことばかりボクに話してさ。……なんかそれって、ちょっとずるいよね? ボクのこと好きって言うくせに、他の男の話ばかりなんて」
「他の男って……弟っスよ」
海斗は呆れたが、亜楼が自分のことを話題にしてくれていたのは単純にうれしかった。少なくとも他の二人の弟よりは優位かと、弟たちにとってはどうでもいいはずのくだらない競争に救われる。
「とにかく、関係を続けるかやめるかは亜楼次第だよ。ボクは、来るもの拒まず去るもの追わずがポリシーだからね。ボクらの関係の結末は、ボクが決めることでも、もちろんキミが決めることでもない。亜楼の選択がすべてだ」
「それでもオレは、……いつかきっと、あんたを亜楼から追い出してみせる」
キッと涼を睨みつけて、海斗は迷いのない決意をきっちりと示した。亜楼をいちばんに好きなのは絶対に自分だと、涼にうらやましがられるまっすぐに透き通った瞳に、ゆらゆらと闘志を燃やす。
「はいはい、健闘を祈るよ。それにしても……亜楼はこんなにも想われて、幸せだねぇ」
「あぁ、それは、オレもそう思う」
海斗と涼は顔を見合わせて、思わず少し笑ってしまった。宣戦布告をしに来たつもりが、海斗は何故かところどころで涼に励まされている。
……この人、まじで誰の味方なんだよ……?
海斗はすっかり冷めてしまった紅茶を初めて口に運んで、亜楼が涼に惹かれている理由が、なんとなくだがわからなくもないような気持ちになった。涼は飄々とした自信家でちょっといじわるだけど、どこか、あたたかい。
この人を兄の心から追い出すのは骨が折れそうだと、冷めた紅茶を一気に飲み干して、海斗は一層気を引き締めた。
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