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ゆりすみれ

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21【亜楼Diary】大丈夫

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 夜が訪れても、雨はまだやまない。雨が屋根や壁に当たる音が心地よく、すうっと神経が研ぎ澄まされていく感覚に、亜楼は逆らうことなく静かに身を置いていた。

 雨が弱まらなかったので、結局駅までずぶ濡れになって帰ってきた。すぐ風呂に入り、部屋に戻ってベッドにゆるく腰かけながらバスタオルで髪をごしごし拭いている。

 ふとタオルを動かす手を止めて、ぼんやりと涼との七年を振り返る。そういえばはじまりの夜もこんな風にどしゃ降りの雨だったと、冴え渡る神経の中で亜楼はまざまざと思い出した。

 ……好きになったのは俺で、誘ってきたのは涼さんだった。

 高校を卒業したらすぐに働きたいと思っていた亜楼は、17の頃にアルバイトとしてCoolishに入社した。当時の社長は涼の父親で、五つ歳上の涼は亜楼の先輩兼専属の教育係だった。社会のいろはを何ひとつ知らない若造の上に、若干横道に逸れていた短気な少年だったこともあり、勤務時の亜楼は地獄のような過酷さを強いられた。失敗三昧で社長に叱られてばかりだった亜楼に、涼は根気よく付き合ってくれた。高飛車たかびしゃ傲慢ごうまんな社長子息ではあったが仕事はきちんとできる男で、亜楼のフォローを嫌な顔ひとつせずしてくれる頼もしい先輩だった。

 涼の隣は、根は生真面目な亜楼が兄をがんばらなくていい唯一の場所でもあった。長兄という立場が嫌だったわけでは決してない。ただ、秀春にだけは弱音を吐きたくないし、三人の弟たちには格好悪いところは見せたくないしという勝手なプライドに縛られて、亜楼は時々追い詰められていた。そんなとき、涼のそばはとても居心地がよかった。いつしか自然に惹かれていった。

 ある夜、亜楼の凡ミスのために遅くまで残業をさせられたことがあった。もちろん涼も、教育係の連帯責任で付き合っていた。外はどしゃ降りの雨で、あちこちに当たる雨音に二人の神経は徐々に研ぎ澄まされていった。雨の音しか聞こえなくて、世界に二人きりになったような錯覚に陥る。涼は手元の資料に視線を落としたまま、唐突に切り出した。

『キミってさ、ボクのことスキでしょ』

『は!? 突然、何言ってんスか……』

『アハハ、顔真っ赤、アタリ? そうだと思ったんだよね、大丈夫だよ、軽蔑とかしないし。ボクは男も女も、来るもの拒まず去るもの追わず、だから』

『ちょ、冗談きついっスよ涼さん……俺は別に何も……』

『……ねぇ、ボクのこと、抱いてごらんよ』

『っ!?』

『悩んだり迷ったりする前に、つながった方が早いんだよ、こういうことは。セックスしたらわかることもあるよ』

『ちょっ、待ってくれよ……涼さん、からだ、ちけぇって……』

『もしかして男とは初めてかなぁ? 大丈夫だよ、ボクが全部教えてあげるから』

『りょ、うさん……仕事が、まだ……』

『大丈夫、ボクがあとでやっておいてあげるから。社長やみんなには、内緒だよ?』

 くり返される大丈夫に、亜楼は理性のねじを飛ばした。ずっと欲しかった人、触れてみたかった肌。涼の手引き通りに、亜楼は事務所でがむしゃらに先輩を抱いた。

『そう……上手だよ、亜楼。ボクたちからだの相性、とってもいいみたいだね』

『……涼さん、俺、あんたが好きだ』

 亜楼の想いに、涼はやさしく笑みを返しただけで何も言わなかった。恋も仕事も、すべてを教えてくれた人。なのに、心だけはくれない人。

 あれから七年、馬鹿みたいにからだだけですがっている。あの人は俺を好きだと、一度も言ってくれたことなどないのに。

 そして亜楼は、涼のことと同じくらいの割合で頭の中を占めているすぐ下の弟を思った。自分を悩ませる半分の存在は、迷うことなくまっすぐに、好きだと言ってくれた。

 一回だけとからだを重ねた夜に、うかつにも自分からキスをしてしまったことを未だに気にしている自分がいて、まじでどうかしてた……と亜楼は己に嫌悪感を抱かずにはいられない。でもあのときは頭で考えるより先に、ごく自然にからだが動いてしまっていた。そうすることが、当然であるかのように。たったひとつのキスにこんなにも振り回されているなんて本当にどうかしていると、亜楼は軽くめまいを覚えた。

 俺の方が思春期かよ!? 情けねぇ……と、亜楼は何かを断ち切るかのように髪をガーッと乱暴に拭いて忘れようとする。

 そのとき、亜楼の部屋の扉をノックする音が、雨音とともにそっと降り注いだ。
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