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7【亜楼+海斗Diary】冷たい拳
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それは、せーの! の告白の、一週間ほど前のこと。
「オレ、亜楼のことが好きなんだ」
「……はぁ?」
亜楼は気の抜けた声とともに、顔だけを海斗の方に振り向かせた。間抜けな顔でくわえられた煙草から、ゆらゆらと煙が舞い上がっていく。
若気の至りで昔は少しやんちゃをしていた亜楼だったが、24になった今では立派に勤め人として社会に貢献している。最寄り駅から三駅先にあるデザイン事務所『Studio Coolish』に高校の頃からアルバイトとして在籍していた亜楼は、卒業と同時にそのまま就職した。主にカフェなどの内装やそこで使う家具や装飾品などのデザインを手掛けるCoolishは、少人数の零細企業ながらも年々力をつけてきている実力派だ。若干29歳の敏腕社長のもと、亜楼はその期待に応えられるように日々精進している。
小さな事務所ゆえひとり当たりに任される仕事の量が多いらしく、亜楼は今夜も元気に仕事を持ち帰ってきていた。今夜もなかなか仕事の片が付かないようで、肩につく猫っ毛を無造作に後ろで束ねてパソコンに釘付けになっている。最近新調したばかりの仕事中にだけ掛ける黒縁眼鏡を鼻にのせ、もう何本目だかわからない煙草をだるそうにくわえていた。
そんながんばる長兄の背中になんの迷いもなく放たれた愛の告白は、信じられないくらいまっすぐだった。
「だから、おまえが好きなんだ」
ためらいなく、海斗はもう一度好きと言う。聞き逃したから亜楼は聞き返したのだと、自分の都合のいいように解釈する。
ちょっと話があると言って亜楼の部屋にやって来た海斗は、亜楼のベッドに悠々と腰かけると、パソコンと睨めっこをしている亜楼の背中に向かって愛を告げた。亜楼が仕事中であるのにもかかわらず、海斗は自分の言いたいことだけを直球で送り込む。
「……何? めんどくさい話? 俺仕事終わってねぇの。見りゃわかんだろ」
亜楼は一度弟に振り向けた顔を再びパソコンの画面に戻し、またキーボードを叩き始めた。夜の静寂に、キーボードを弾く音だけが響き渡る。
「ちゃんと聞けよ。オレ好きなんだよ、亜楼のこと。そのことに最近気づいちまったの」
まともに顔も見てくれない亜楼に焦れて、海斗はベッドから立ち上がって近づき亜楼の腕をつかんだ。なんだようるせぇなぁ、と億劫そうにその手を亜楼が振り払う。
「なぁ、ちゃんと聞いてくれよ。オレどうすればいい? どうしたら亜楼に好きになってもらえる?」
「……寝言は寝て言え」
「頼むから! まずは真剣に話聞いてくれよ!」
こんなに駄々っ子な弟だったかと、亜楼は降参してキーボードから手を離した。煙草の火をもみ消し、今度はキャスター付きの椅子を回してからだごと海斗の方を向く。亜楼は海斗の両肩に手を置くと、弟の何かを焦れているような瞳をじっと見つめた。
「海斗くん、いい? 今お兄ちゃん忙しいの、わかる? ムズカシイ話なら眞空に言いなさい、眞空の方が賢いから」
幼子をなだめるような物言いに、海斗はキッと亜楼を睨みつけた。
「茶化すなよ」
それでも亜楼はめげずに、海斗のたかぶった感情を静めるようにやさしく言う。
「おまえね、自分が何言ってんのかわかってんの? おまえ、どっかで頭ぶつけたんじゃねぇの?」
「恋なんだ! 笑っちまうくらい、いつも亜楼のこと考えてる」
「海斗、いいか? まずひとつ。俺は男。おまえも男。わかるよな?」
亜楼はイライラをぐっとこらえて、努めて丁寧に訊いてやる。酔狂を起こした弟を救ってやるのも兄の務めだ。
「んなこと知ってるよ! でも好きって気づいちまったモンはしょうがねぇだろ! 男だろうと好きは好きなんだよ。本当は多分、ずっと好きだったんだ。ガキの頃から強ぇおまえに憧れてた。ちゃんと気づいたのは最近だけど、ずっと、好きだった」
兄の心弟知らず、海斗は切々と愛を連ねていく。亜楼の苛立ちも蓄積されていく。
「……それからもうひとつ。俺はおまえの兄貴、わかる? わかるよな? おまえに兄貴って呼ばれたことねぇけど、ちゃんと知ってるよな?」
「だーっ、もうっ、いい加減にしろよっ! 知ってるに決まってんだろ! おまえはオレの兄貴だよ! ここにもらわれたあの日からオレはおまえの弟になった。わかってるよ! わかってるっつーの……わかってるけど……でも! ……でもオレたち、血つながってねぇじゃん」
次の瞬間、亜楼の拳が海斗の頬をかすめた。
軽く当たっただけだったが、海斗は突然のことに驚いて尻もちをついてしまった。亜楼が手を上げたのなんて何年ぶりだろう。亜楼がやんちゃをしていた頃はよく取っ組み合いのけんかをしたものだったが、大人になってからの拳は、絶句してしまうくらいに冷たくて痛かった。
「いい加減にするのはてめぇだ海斗。頭冷やせ、この馬鹿が」
亜楼は椅子を転がしてパソコンの前に戻ると、ひどく乱暴にライターを鳴らした。束ねていた髪をほどいて、くしゃくしゃっと自身の頭をかき回す。眼鏡も外して、新調したばかりにもかかわらず大きな音を立てて投げるように机に置いた。大きく煙を吸って、ため息と一緒に一気に吐き出す。
「……なんだよ恋って。俺とおまえは家族だろ? 今までそれでうまくやってきたじゃねぇか。これ以上何を望む? 何が不満? なんで今さら、この八年をぶっ壊そうとする?」
あらゆるものを凍らせかねない亜楼の低音が、氷の矢のごとく海斗に突き刺さった。尻もちをついたまま、矢で縫いつけられたようにその場から動けない。
「俺はおまえを弟だと思ってんだよ。おまえがこの家の敷居またいだときに、そう思うって決めたんだよ。俺は……ちゃんとおまえの兄貴じゃなかったのかよ」
兄弟になれたと舞い上がっていたのは、自分だけだったのか。
怒りに任せて乱暴に言葉を重ねる亜楼の中に、ふと哀しみの色がにじむ。うぬぼれだったのか。確かに最初は、穴が開いたところに不自然なパズルのごとくはめ込まれた、ぎこちない家族だったけれど。
「血がつながってねぇからなんだ? そんなことは五人とも百も承知だ。秀春さんはなんの繋がりもない俺たちを拾って、新しい家族を作ってくれた。なんの見返りもねぇのにさ。それなのにおまえ……わけわかんねぇこと言い出しやがって、秀春さん傷つけるつもりかよ。……秀春さんの恩を仇で返すような真似しやがったら、俺は絶対におまえを許さねぇ。弟だろうとなんだろうとぶっ飛ばす」
残酷に放たれた長兄としての威厳に、海斗は返す言葉もない。
亜楼が言っていることは正論で、確かに血のつながりのことを口に出したのは失言だったと海斗は小さく反省した。この兄は昔から、養父のことになると理性を失う癖がある。自分たちが堂園家に来る前は秀春と二人きりの家族だったのだから思い入れが強いのもわからないでもないが、時々度を越した執着を見せるときがある。二人きりの家族だったときに何があったのかは知らないが、おそらく亜楼にとって秀春は絶対的な存在で、秀春を困らせたり傷つけたりすることが兄のいちばん最悪な形の後悔なのだろうと海斗は考える。
それでも! たとえ、ぶっ飛ばされることになったとしても。
海斗は頬をさすりながらゆっくりと立ち上がった。うつむき、亜楼の部屋の青いラグを見つめて言葉を紡ぎ出す。
「……でも、好きになっちまったんだよ」
「おまえ、今の俺の話聞いて……」
「じゃあオレの……この想いはどうすりゃいいんだよっ!」
亜楼の言葉をさえぎるように、海斗の荒々しい言葉がかぶさる。海斗は顔を上げ、兄をまっすぐ射貫くように見た。
「初めてなんだよ、こんなにも誰かを、ちゃんといとおしいって思えたの。オレだって、女子に好きだって言われたことくらいある。でも好きになれなかった。いとおしいって思えなかった。オレは、端っからおまえしか見えてなかったんだよ。せっかく気づいた大切な気持ちなのに……こんなに熱くて幸せな気持ち、見殺しにしろって言うのかよっ!」
「なっ!?」
興奮気味に声を震わせて訴える海斗に、亜楼は思わずたじろいだ。痛いほど必死に自分を見つめてくる弟の双眸から目が逸らせなくなる。なっ、なんだこいつ……と、亜楼は自分が動揺している事実に驚かされた。こんなせつなげな瞳をするやつだっただろうかと淡い過去の日々をたぐり寄せてみるが、どうにも思い当たらない。
しばらく黙ったまま互いを睨みつけるように見ていた。それぞれの言い分に正しいと思える部分を認めているから、どちらかを一方的に責めることができないでいた。
兄弟としての絆と養父への忠誠を守りたい兄と、自覚してしまった激しい恋心を持て余している弟と。
「……オレ、あきらめねぇし」
このまま睨み合っていても仕方ないと、海斗がすっかり重くなってしまった口を無理やりこじ開けた。
「おまえに受け入れてもらえるまで……ちゃんとオレの想いを真剣に聞いてくれるようになるまで、ウゼェくらい毎日好きだって言ってやる」
「バカじゃねぇの。んなことしたって、なんにもなんねぇよ」
「うるせぇな、何したってオレの勝手じゃん。……また来る」
まだ殴られた頬を気にしながら部屋を出て行こうとする海斗の背中に、ようやく酔狂な弟をなだめられたとひと安心した亜楼の声が降りかかる。
「ぶったのはごめん、兄ちゃんが悪かった」
「!?」
久しい言葉に、海斗が歩みを止めてはっとした。子供の頃、殴ったり殴られたりの少し激しいけんかをした後はいつも、先に亜楼がこんな風に謝り仲直りをしていたことを思い出す。どんなに理不尽なやられ方をしたって、亜楼がこう言って謝ってくれれば全部忘れて許せてしまった。むしろけんかをした後の少し申し訳なさそうにやさしくしてくれる亜楼が好きで、構ってくれる兄に甘えたくて、わざとけんかの火種をまくときもあったくらいだ。
でも今夜は、許せない。
「……ガキのけんかじゃねぇよ、愛の告白だ」
海斗はドアノブに置いた右手に視線を落としたままぽつりと言い捨てると、亜楼の部屋から出て行った。しばらく追い出されていた静寂が、どこからともなく舞い戻ってくる。
亜楼は脱力してベッドに向かい、そのまま倒れるように大の字でダイブした。ひっくり返って仰向けになり天井を見つめる。
「俺がどれだけがんばってきたと思ってんだ、あのバカ」
俺がどれだけ兄として……。亜楼は先刻言えなかった思いを、代わりに天井にぶちまけた。
不器用なりに必死で八年、駆け抜けてきたつもりだった。双子と末弟を淋しくさせないように、秀春の期待に応えられるように、本物の家族になろうと努めてきた。
それなのに、あいつは。その絆を、いとも容易く。
──恋なんだ! 笑っちまうくらい、いつも亜楼のこと考えてる。
「……チッ、ガキのくせに生意気言いやがって、ふざけんな」
亜楼は大きく舌打ちすると、そのままきつく双眸を閉じた。
「オレ、亜楼のことが好きなんだ」
「……はぁ?」
亜楼は気の抜けた声とともに、顔だけを海斗の方に振り向かせた。間抜けな顔でくわえられた煙草から、ゆらゆらと煙が舞い上がっていく。
若気の至りで昔は少しやんちゃをしていた亜楼だったが、24になった今では立派に勤め人として社会に貢献している。最寄り駅から三駅先にあるデザイン事務所『Studio Coolish』に高校の頃からアルバイトとして在籍していた亜楼は、卒業と同時にそのまま就職した。主にカフェなどの内装やそこで使う家具や装飾品などのデザインを手掛けるCoolishは、少人数の零細企業ながらも年々力をつけてきている実力派だ。若干29歳の敏腕社長のもと、亜楼はその期待に応えられるように日々精進している。
小さな事務所ゆえひとり当たりに任される仕事の量が多いらしく、亜楼は今夜も元気に仕事を持ち帰ってきていた。今夜もなかなか仕事の片が付かないようで、肩につく猫っ毛を無造作に後ろで束ねてパソコンに釘付けになっている。最近新調したばかりの仕事中にだけ掛ける黒縁眼鏡を鼻にのせ、もう何本目だかわからない煙草をだるそうにくわえていた。
そんながんばる長兄の背中になんの迷いもなく放たれた愛の告白は、信じられないくらいまっすぐだった。
「だから、おまえが好きなんだ」
ためらいなく、海斗はもう一度好きと言う。聞き逃したから亜楼は聞き返したのだと、自分の都合のいいように解釈する。
ちょっと話があると言って亜楼の部屋にやって来た海斗は、亜楼のベッドに悠々と腰かけると、パソコンと睨めっこをしている亜楼の背中に向かって愛を告げた。亜楼が仕事中であるのにもかかわらず、海斗は自分の言いたいことだけを直球で送り込む。
「……何? めんどくさい話? 俺仕事終わってねぇの。見りゃわかんだろ」
亜楼は一度弟に振り向けた顔を再びパソコンの画面に戻し、またキーボードを叩き始めた。夜の静寂に、キーボードを弾く音だけが響き渡る。
「ちゃんと聞けよ。オレ好きなんだよ、亜楼のこと。そのことに最近気づいちまったの」
まともに顔も見てくれない亜楼に焦れて、海斗はベッドから立ち上がって近づき亜楼の腕をつかんだ。なんだようるせぇなぁ、と億劫そうにその手を亜楼が振り払う。
「なぁ、ちゃんと聞いてくれよ。オレどうすればいい? どうしたら亜楼に好きになってもらえる?」
「……寝言は寝て言え」
「頼むから! まずは真剣に話聞いてくれよ!」
こんなに駄々っ子な弟だったかと、亜楼は降参してキーボードから手を離した。煙草の火をもみ消し、今度はキャスター付きの椅子を回してからだごと海斗の方を向く。亜楼は海斗の両肩に手を置くと、弟の何かを焦れているような瞳をじっと見つめた。
「海斗くん、いい? 今お兄ちゃん忙しいの、わかる? ムズカシイ話なら眞空に言いなさい、眞空の方が賢いから」
幼子をなだめるような物言いに、海斗はキッと亜楼を睨みつけた。
「茶化すなよ」
それでも亜楼はめげずに、海斗のたかぶった感情を静めるようにやさしく言う。
「おまえね、自分が何言ってんのかわかってんの? おまえ、どっかで頭ぶつけたんじゃねぇの?」
「恋なんだ! 笑っちまうくらい、いつも亜楼のこと考えてる」
「海斗、いいか? まずひとつ。俺は男。おまえも男。わかるよな?」
亜楼はイライラをぐっとこらえて、努めて丁寧に訊いてやる。酔狂を起こした弟を救ってやるのも兄の務めだ。
「んなこと知ってるよ! でも好きって気づいちまったモンはしょうがねぇだろ! 男だろうと好きは好きなんだよ。本当は多分、ずっと好きだったんだ。ガキの頃から強ぇおまえに憧れてた。ちゃんと気づいたのは最近だけど、ずっと、好きだった」
兄の心弟知らず、海斗は切々と愛を連ねていく。亜楼の苛立ちも蓄積されていく。
「……それからもうひとつ。俺はおまえの兄貴、わかる? わかるよな? おまえに兄貴って呼ばれたことねぇけど、ちゃんと知ってるよな?」
「だーっ、もうっ、いい加減にしろよっ! 知ってるに決まってんだろ! おまえはオレの兄貴だよ! ここにもらわれたあの日からオレはおまえの弟になった。わかってるよ! わかってるっつーの……わかってるけど……でも! ……でもオレたち、血つながってねぇじゃん」
次の瞬間、亜楼の拳が海斗の頬をかすめた。
軽く当たっただけだったが、海斗は突然のことに驚いて尻もちをついてしまった。亜楼が手を上げたのなんて何年ぶりだろう。亜楼がやんちゃをしていた頃はよく取っ組み合いのけんかをしたものだったが、大人になってからの拳は、絶句してしまうくらいに冷たくて痛かった。
「いい加減にするのはてめぇだ海斗。頭冷やせ、この馬鹿が」
亜楼は椅子を転がしてパソコンの前に戻ると、ひどく乱暴にライターを鳴らした。束ねていた髪をほどいて、くしゃくしゃっと自身の頭をかき回す。眼鏡も外して、新調したばかりにもかかわらず大きな音を立てて投げるように机に置いた。大きく煙を吸って、ため息と一緒に一気に吐き出す。
「……なんだよ恋って。俺とおまえは家族だろ? 今までそれでうまくやってきたじゃねぇか。これ以上何を望む? 何が不満? なんで今さら、この八年をぶっ壊そうとする?」
あらゆるものを凍らせかねない亜楼の低音が、氷の矢のごとく海斗に突き刺さった。尻もちをついたまま、矢で縫いつけられたようにその場から動けない。
「俺はおまえを弟だと思ってんだよ。おまえがこの家の敷居またいだときに、そう思うって決めたんだよ。俺は……ちゃんとおまえの兄貴じゃなかったのかよ」
兄弟になれたと舞い上がっていたのは、自分だけだったのか。
怒りに任せて乱暴に言葉を重ねる亜楼の中に、ふと哀しみの色がにじむ。うぬぼれだったのか。確かに最初は、穴が開いたところに不自然なパズルのごとくはめ込まれた、ぎこちない家族だったけれど。
「血がつながってねぇからなんだ? そんなことは五人とも百も承知だ。秀春さんはなんの繋がりもない俺たちを拾って、新しい家族を作ってくれた。なんの見返りもねぇのにさ。それなのにおまえ……わけわかんねぇこと言い出しやがって、秀春さん傷つけるつもりかよ。……秀春さんの恩を仇で返すような真似しやがったら、俺は絶対におまえを許さねぇ。弟だろうとなんだろうとぶっ飛ばす」
残酷に放たれた長兄としての威厳に、海斗は返す言葉もない。
亜楼が言っていることは正論で、確かに血のつながりのことを口に出したのは失言だったと海斗は小さく反省した。この兄は昔から、養父のことになると理性を失う癖がある。自分たちが堂園家に来る前は秀春と二人きりの家族だったのだから思い入れが強いのもわからないでもないが、時々度を越した執着を見せるときがある。二人きりの家族だったときに何があったのかは知らないが、おそらく亜楼にとって秀春は絶対的な存在で、秀春を困らせたり傷つけたりすることが兄のいちばん最悪な形の後悔なのだろうと海斗は考える。
それでも! たとえ、ぶっ飛ばされることになったとしても。
海斗は頬をさすりながらゆっくりと立ち上がった。うつむき、亜楼の部屋の青いラグを見つめて言葉を紡ぎ出す。
「……でも、好きになっちまったんだよ」
「おまえ、今の俺の話聞いて……」
「じゃあオレの……この想いはどうすりゃいいんだよっ!」
亜楼の言葉をさえぎるように、海斗の荒々しい言葉がかぶさる。海斗は顔を上げ、兄をまっすぐ射貫くように見た。
「初めてなんだよ、こんなにも誰かを、ちゃんといとおしいって思えたの。オレだって、女子に好きだって言われたことくらいある。でも好きになれなかった。いとおしいって思えなかった。オレは、端っからおまえしか見えてなかったんだよ。せっかく気づいた大切な気持ちなのに……こんなに熱くて幸せな気持ち、見殺しにしろって言うのかよっ!」
「なっ!?」
興奮気味に声を震わせて訴える海斗に、亜楼は思わずたじろいだ。痛いほど必死に自分を見つめてくる弟の双眸から目が逸らせなくなる。なっ、なんだこいつ……と、亜楼は自分が動揺している事実に驚かされた。こんなせつなげな瞳をするやつだっただろうかと淡い過去の日々をたぐり寄せてみるが、どうにも思い当たらない。
しばらく黙ったまま互いを睨みつけるように見ていた。それぞれの言い分に正しいと思える部分を認めているから、どちらかを一方的に責めることができないでいた。
兄弟としての絆と養父への忠誠を守りたい兄と、自覚してしまった激しい恋心を持て余している弟と。
「……オレ、あきらめねぇし」
このまま睨み合っていても仕方ないと、海斗がすっかり重くなってしまった口を無理やりこじ開けた。
「おまえに受け入れてもらえるまで……ちゃんとオレの想いを真剣に聞いてくれるようになるまで、ウゼェくらい毎日好きだって言ってやる」
「バカじゃねぇの。んなことしたって、なんにもなんねぇよ」
「うるせぇな、何したってオレの勝手じゃん。……また来る」
まだ殴られた頬を気にしながら部屋を出て行こうとする海斗の背中に、ようやく酔狂な弟をなだめられたとひと安心した亜楼の声が降りかかる。
「ぶったのはごめん、兄ちゃんが悪かった」
「!?」
久しい言葉に、海斗が歩みを止めてはっとした。子供の頃、殴ったり殴られたりの少し激しいけんかをした後はいつも、先に亜楼がこんな風に謝り仲直りをしていたことを思い出す。どんなに理不尽なやられ方をしたって、亜楼がこう言って謝ってくれれば全部忘れて許せてしまった。むしろけんかをした後の少し申し訳なさそうにやさしくしてくれる亜楼が好きで、構ってくれる兄に甘えたくて、わざとけんかの火種をまくときもあったくらいだ。
でも今夜は、許せない。
「……ガキのけんかじゃねぇよ、愛の告白だ」
海斗はドアノブに置いた右手に視線を落としたままぽつりと言い捨てると、亜楼の部屋から出て行った。しばらく追い出されていた静寂が、どこからともなく舞い戻ってくる。
亜楼は脱力してベッドに向かい、そのまま倒れるように大の字でダイブした。ひっくり返って仰向けになり天井を見つめる。
「俺がどれだけがんばってきたと思ってんだ、あのバカ」
俺がどれだけ兄として……。亜楼は先刻言えなかった思いを、代わりに天井にぶちまけた。
不器用なりに必死で八年、駆け抜けてきたつもりだった。双子と末弟を淋しくさせないように、秀春の期待に応えられるように、本物の家族になろうと努めてきた。
それなのに、あいつは。その絆を、いとも容易く。
──恋なんだ! 笑っちまうくらい、いつも亜楼のこと考えてる。
「……チッ、ガキのくせに生意気言いやがって、ふざけんな」
亜楼は大きく舌打ちすると、そのままきつく双眸を閉じた。
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